2010年12月06日

診療報酬の引き下げが医療効率化を適える、という論理

デンマークでは体に不調があると、まずは通常は近所にクリニックを構える一般医(いわゆるGP)に予約を入れて、診療を受ける。こうした初期医療を担当する一般医は、いわば「事業主」のような待遇であり、診療を行った数や内容に応じて、広域連合(地方)から費用の償還を受ける(いわゆる診療報酬)。一般医が「事業主」の立場になるということは、多くの患者の診察に当たればそれだけ月給にも反映されることになる。クリニックの家賃や光熱費、受付事務の人件費など、さまさまな経費は税金から控除されるが、それでも一人の医師が独立してクリニックを構えるとなると費用も嵩むため、数人の医師が同じ場所に共同でクリニックを構えていることが多い。しかし、ひとりで受け持つことができる患者数には上限もあるため(潜在的患者として受け持っているのは、通常1500人が上限)、自分で受け持てない場合には同じクリニックの同僚が受けるといった協力も可能となる。

一般医で解決できない問題がある場合に、紹介を受けることで初めて病院にかかることができる仕組だが、病院にかかっても待機期間が非常に長く、すぐに治療してもらえるとは限らない。これを民間の医療施設を使って解消するという名目で始まったのが、治療待機期間保証制度だった(普遍主義原則を手放す、公共医療の行く末 参照)。

公共医療での原則は、「誰もが無料で治療を受けられる」というものだ。前述のように、待機期間の長期化という問題はあったものの、一般医の診察を受けても無料(処方箋をもらう医薬品は有料)、紹介を受けて公立病院にかかっても、事故や緊急事態で救急医療センターにかかっても無料という原則は守られている。しかし、2011年4月からこの原則が曲げられる可能性でてきた(Jyllandsposten, 2010年11月23日)。しかし、これは無料原則が廃止されるからではなく、診療報酬の引き上げを巡って一般医医師会広域連合が合意できないために、交渉が決裂した場合、患者が一時的に診療費を診療所で支払い、その全額あるいは一部が後で自治体から返還されることになるためだ。医師会側は3%の診療報酬の引き上げを希望している一方、広域連合側は1.5%を提示しているとされる。

それに加えて救急待機医師の待遇を巡っても、このままの待遇を維持したい医師会側と、人件費を抑えるためにも電話対応を医師から看護師に代え、さらに救急医療センターと緊急対応の医師待機制度を合併させることで効率化を図ることを望む広域連合側の要望は相容れないものとなっていた。24時間体制での救急医療を可能とするためには、国民一人当たり年間1293クローナ(約2万円)が費やされており、とくに救急医療センターでの処置は一回あたりで約1000クローナ(約1万6000円)がかかっている。

これを一般医や救急医療という初期医療にかける経費を減らし、地元の公立病院を閉鎖し、広域をカバーしてより高度な治療を可能とする「スーパー病院」を開院するのが今後の趨勢だ。

治療費支払いに関しては、これまでにも患者が(一時的ながら)治療費を払ったことは歴史的に二度あった。一度目は1975年12月1日から1976年4月1日まで。二度目は1984年10月1日から1985年1月6日まで。立替とはいえ、もともと生活費に余裕のない層には診療を受けにくくなるという声はあったが、直接患者が大きな被害を受けるわけではないこともあり、医師会も恐らく勝算あっての交渉となるはずだった。診察を受ける側も大きな実害を被ることがないためか、大きな議論にはなっていないように感じられる。もしも治療費の患者による(一時)支払いが実施される場合には、三ヶ月前に通告が出されるため、すぐに実施が決定されても施行は2011年4月1日からの見込みであった。

デンマーク全国に約3600人の一般医がいるが、そのうちおよそ1100人が60歳を超えている。一般医医師会の会長ヘンリック・ディバーンは、この交渉がうまくいかないようなら、高齢の医師たちが職務を続ける気を失ってさっさと引退するおそれがある(Jyllandsposten, 2010年11月27日)と脅しをかけていた。実際に、ユラン半島のほうでは交渉がうまくいかないことへの反撃として、すでに何人かの家庭医が引退を決定している。全国民にかかりつけ医をつけるためには、すでにおよそ100人の医師が不足しているため、さらにベテランの高齢医師たちが引退すれば、医療の質向上させることを大きな政策に掲げている政府にとって痛手となる。

しかし結果としては、一般医は診療報酬の引き上げを獲得するどころか、引き下げを迫られることになりそうだ(Berlingske Tidende, 2010年12月7日)。政府は報酬引き下げを行うことで、医師たちが現在と同じ給与水準を保つためにより多くの患者を診ざるを得なくなることを予測しており、これによって同じ支出額でより多くの患者の診療を可能にする(=つまり、効率向上をさせる)ことができると見ているようだ…理解しがたい論理だが

ほんの数年前まで、医療は4つの段階に分かれていた。第一段階は一般(家庭)医、第二段階はそれほど高くない専門性を持つ地域病院、第三段階はもう少し専門性の高い中央病院、そして第四段階が高度に専門化した大学病院という形態だ。これを中央集権化を進めるかたちで地域病院を閉鎖し、5つのスーパー病院を作ることで「効率化」を図ることが今後10年ほどの目標とされている。コペンハーゲンの位置するシェラン島でも多くの統廃合が断行され、それを理由として医師や看護師、介護士の集団解雇が進められている。

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イラストはJens Hage氏のブログより


これまで不足があれだけ声高に叫ばれてきた(スウェーデン人を教育し、インド人を「輸入」するデンマークの医師不足の現実 参照)医療従事者でさえ、こうして病院の統廃合を理由として解雇されるようになってきていることがわかる。確かに、就職難は実感としてますます悪化している印象がある。先日聞いた話では、老人ホームの介護士の職に二つ空きが出たために募集をかけたところ、何と数日で400件の応募があったという。低賃金で知られる介護士であってもこうとなると、完全に買い手市場であり、使用者側も「資格を有する」、「近隣に住んでいる」、「小さな子どもがいない(子どもの病気を理由とした病欠は、余計な出費が嵩むため)」、「デンマーク人である」といった様々な条件を設けて、面接に呼ぶ人を絞らざるを得なくなる。ほんの一年程前には、それまで非正規で働いていた職員が妊娠したとわかると、施設側がパートタイムながら正規の契約に切り替えることを申し出て、有給での出産・育児休暇が取れるように配慮していたのが嘘のようだ。

一般医や介護士といった直接日常の中で市民が関わる部分に対する予算が削られ、スーパー病院で多くの機械に予算をつけている現行の自由党保守党政権。しかし、待機リストの短縮という課題が解決されない限り、「誰がスーパー病院で治療を受けることができるのか」という基礎的な部分が残されているはずだが、これは十分に議論されているようには見えない。初期医療の軽視と中央集権化は、医療へのアクセスを巡る格差を確実に拡大されるだろう。普遍原則から医療格差を生み出した現行政権だが(医療費無料の現実と民間健康保険人気という歪み 参照)、地域間格差も併せて生じることになる。そして、2010年12月21日。交渉がまとまった。
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2010年05月06日

「損して得とる」、バイオ医薬品産業の戦術は

かかりつけ医が初期治療を所轄し、必要に応じて病院にかかるデンマークでは、治療費は無料であることが前提だ。入院時の治療には、患者に費用は一切かからない。デンマーク所有の自治領である、グリーンランドやフェロー諸島に住む国民も、デンマーク本土での治療が必要と判定されれば、飛行機代さえも公費から出て、何度も病院にかかることができる(知り合いの話によると、付き添いの人の飛行機代さえも出るようだ)。

初期治療の場合には、かかりつけ医に処方箋を出してもらって、薬局で薬を購入する。医薬は分業のため、薬は有料となるが、任意の民間の健康保険に入っていれば後に一部が還付される。たとえそうした保険に加入していなくても、高額の医薬品支出には国から補助金がでる。総額が高くなるに従って個人の負担割合は下がるようになっており、とくに18歳を超えていない未成年、そして高齢者には、自費負担額が多額にならないよう配慮されている。

医薬品代に国からの補助がどの程度あるのかは、以下の表の通りだ。18歳以上場合で、一人当たりの年間の医薬品代(認可を受けたものという制限がつくが、ほとんどが認可を受けている)の総額を対象としている。つまり、年間で15,000円程度までは自己負担だが、それを超えるとかなりの補助が出ると考えてよい。18歳未満の場合には、0〜1385krまでも一律60%の補助が与えられ、1385krを超える場合には成人と同様の割合となる。

0〜850kr(約15,000円)の場合 0%
850kr〜1385kr(約25,000円)の場合 50%
1385kr〜2990kr(約53,000円)の場合 75%
2990krを超える場合 85% 

つまり基本的には、病気で治療のため高額の薬品を継続して服用しなければならない場合にも安心できる制度といえる。しかしこれは同時に、極言すれば「どんなに高い医薬品を使っても、自己負担は小額に留まり、残りはすべて全国民が納めた税金から支払われる」ことになる。

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金融危機後のこのご時世で、さらに税ストップ(高福祉の裏にある過酷な税徴収と「いたちごっこ」 参照)を実施した政府は、税の減収によるダメージを少しでも補填するために、公共支出の削減を迫られている。医療費削減も、もちろんその対象となる。

現在、デンマーク国民は年間に120億クローナ(約2160億円)ほど薬局で購入する医薬品に支払っている。そして、そのうち50億クローナが国民の自己負担で、残りの70億クローナは税金を納めるすべての人が払う公共医療保険(所得の8%が毎月引かれる)でまかなわれている。この70億クローナのうち、10から20億クローナ(180-360億円)が削減可能なのではないか(日本の流行に乗せれば、事業仕分けで削減可能と判断された)というのが合理的薬物療法研究所所長のステファン・チアストルップらによって挙げられた、今回の議論である。

医薬品業界は、デンマークの産業として重要な位置を占めている(2006年のもので少し古いが、JETROコペンハーゲン事務所のレポート「デンマークのバイオテクノロジー産業」がよくまとめてある。PDF)。北欧の小国ながら、デンマークは抗うつ剤や糖尿病治療、酵素などの分野で、世界をリードしてきていると理解される。その一方で、エビデンスに基づいた医療を旨とする、コクラン共同計画北欧コクランセンターのセンター長であるピーター・グッツェは、医薬品産業が新薬の効果を事実以上に大きく発表したり、都合の悪い発表は避けるなどをしていることをしばしばメディアで取り上げてきた(Information、2008.10.7.など)。

入院患者のための医薬品を購入する公立病院(正確には、管轄する広域連合)は、医薬品産業界にとって当然ながら、大きな顧客だ。そのために病院に対して大口割引は適用されるが、それだけではなく、薬局での購入時の通常価格の数十分の一という破格で病院に売っていることが明らかになった。これでは、国民の税金でまかなわれる医療費を抑えることになるように聞こえる。しかし、医薬品産業界の狙いは、入院患者が退院したあとに、継続して薬局で当該薬を定価購入する忠実な顧客となってくれることを見込んでのものである。医薬品業界は、病院へ破格のディスカウントを与えることによって、薬局での購入に公共補助金を受けながら、まだ特許な有効である高価な薬剤を今後も末永く服用する患者を作り出していると指摘されている(Politiken、2010.5.2.)。

記事によると、こういうシナリオで進むようだ。入院患者にたとえばうつの傾向が認められ、病院で抗うつ剤が出される。病院側は製薬会社から安い金額で買ったものなので、躊躇なく処方できる。そして、入院患者が退院する際には、患者は病院の医師に出された処方箋をもっていき、指示されたものを薬局で購入することになる。薬局での価格は、病院が購入した価格よりも大幅に高く、相当な出費となるが、上記のように国からの補助が出るので、自己負担金は少ない。同じ効果がありながら特許がきれているため格段に価格が安い後発医薬品(ジェネリック・ドラッグ)があるが、成分はまったく同じではないため、薬剤師には、医師の処方を変えることはできない。しばらくして、患者がかかりつけ医の診察を受けたときに、良心的な医師が同じ効果のある別の後発医薬品があることを説明しても、入院時に指定されたこれまでの処方で調子はいいし、どうせ自己負担額は大きくないため、患者は処方の変更を拒否する…。ジェネラリストであるかかりつけ医よりも、スペシャリストである病院勤務医のほうが、一般的に患者の信頼を勝ち得ていることも一因と見られている。

薬局での価格のいくつかの例が載っており、記事はこのもっとも高価なものが病院に向けて低額で提供されていることで、販路を拡大し、同時に不当に税金が医薬品産業に流れていることを示している。
抗うつ剤の薬局での販売価格(一日分処方にしたときの換算額)
シタルプラム 0.63クローナ
エスシタロプラム 12.99クローナ
セアトラリン 0.47クローナ

胃潰瘍の薬の薬局での販売価格(一日分処方にしたときの換算額)
オメプラゾール 0.58クローナ
エソメプラゾール 8.77クローナ
それぞれ高いもの(つまり、病院での処方との価格差のあるもの)は、安い後発医薬品の27倍、15倍もになっていることがわかる。この記事は、今後、他のコピー薬剤に比べて不当に高い薬剤に補助金をおろさないことにする措置も検討中だとされている。

ただ、すでにデンマークはヨーロッパの中でもコピー薬が最も多く販売されている国とされ、こうした点を鑑みると、10億から20億クローナの節約というのは非現実的という声も聞かれる。しかし、企業の社会的責任に重点を置いているデンマークとして、産業界が収益のために税収で得た医療費を不当にせしめるのは倫理的におかしいという声も上がっている。現在の寛容で共感的な医療制度を維持するためにも、締めるところは締めて、不当に産業界を潤すことがないように見守っていかなければならない。福祉国家のモラルハザードは、「働く気がなく移転所得に頼る怠け者」といった)個人レベルで指摘されてきたが、企業レベルでも寛大な医療費の公金からの還付を利用した、詐取に近い手法が横行していることをここで指摘しておくのも重要となるだろう。
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2010年04月08日

普遍主義原則を手放す、公共医療の行く末

デンマークの社会制度の中でこの10年ほどで最も大きく様変わりし、将来のあり方が危ぶまれるものは、医療セクターだと個人的には考えている。この傾向が過度に進めば、公共医療が機能しなくなり、お金やネットワーク、雇用形態などに恵まれた者だけを対象として民間の医療がその役割を代替していくことにもなりかねない。医療費がかからないため、病気になっても経済的な心配しなくて済むことはデンマークの社会保障の大きな意味を持ってきた。しかし、この前提が変わり始めている。

政府が民間の診療所や病院が医療体制の一部をなすように、民間病院の優遇を続けた結果、誰も保障された医療への公平なアクセスという福祉の大前提が崩れ始めていることは、以前にも挙げた(医療費無料の現実と民間健康保険人気という歪み)。その前提にあるのは、治療待機期間保証の制度である。

簡単にいうと、これは4週間以内に手術を受けられる見通しが立たない場合に、公費で民間の医療施設にかかれるという制度だ。医療を管轄するのは広域連合(リージョン)であり、国から配分された予算から各治療機関に医療費を支払うかたちだ。民間病院での医療費は、公立病院での治療費も基本的に高額であるが、公立病院の枠組みのなかで、4週間の待ち時間という「約束」を守れない場合には、治療施設をもつ民間病院がその不足を補完し、広域連合が治療費を支払う。

実際に、この制度によってどんな弊害が出てきているのかを見てみよう。Politikenの報道によると、の2009年の下半期に公立ゲントフテ病院の耳鼻咽喉科は、期間内に手術できる見込みがないため、253人の患者を民間の病院に紹介している。そのうちの99人は民間のハーレウ私立病院に送られた。このハーレウ私立病院には6人の外科医がおり、そのうち5人が紹介元である公立ゲントフテ病院に現役で在勤している(6人目は、ゲントフテ病院を定年退職)。16時の公立病院の終業後、「副業」で割のいい稼ぎをするため、民間医院に急ぐのは珍しいことではなくなってきている。医師の副業は禁止されていないため、終業後の余暇時間にさらに稼ぐのは本人の自由だ。

数年前に、医師は患者に自分の勤める私立病院を指名して紹介してはいけないという規定が作られたが、患者はネットで情報を探し、治療可能な施設リストから自分でこの病院を選んでいると説明されている。人口550万人の小さな国で、専門的な手術ができるところを探すとなると、限られてくるのも無理はないのかもしれない。

前記のゲントフテ病院の耳鼻咽喉科の例では、手術を受けるまでの待機期間の見込みは鼓膜で104週(約2年)、副鼻腔では78週(1年半)、鼻中隔で52週(1年)という。これでは、4週間などという公約はただのお飾りとなることがわかるだろう。

副業に勤しむ医師の倫理を問うこともできるが、それよりは公立病院が十分に医師の勤労に報いる環境になっていないことが指摘される必要がある。なぜ、同じ医師たちがいる公立病院で手術ができず、民間病院ならできるのか。そこにはデスクワークやその他の雑務に追われ、十分な数の手術をする時間が取れない実態がある。医師へのガイドラインとして、副業をする場合には広域連合にお伺いを立てるようにという規定があったが、それも3月末の医局長組合との交渉で破棄されたところだ(2010年3月29日、Dagans Medicin)。今後も、医療従事者の公から民への流出はとまることはなさそうだ。

今でこそ隆盛という言葉が似合う民間病院だが、最初から順風満帆だったわけではなく、初期には苦戦を強いられ、閉鎖を迫られたところもあった。最初の民間クリニック「マーメイドクリニック」は、1989年に開設されたが少なく見ても1億5000万クローナ(約27億円)の赤字を出し、早くも1994年に閉鎖されている。流れがぐっと変わったのは、2003年の政府の待機期間保証がだされてからである。当時は2ヶ月、その後は1ヶ月の待機期間で治療にかかれることを保証するとして、それがかなわない際の民間病院の利用を可能にした。これによって、民間病院の「客」(あえてこう呼ぼう)は格段に増え、2003年の1年間だけで4億から5億クローナ(約72億〜90億円)が広域連合を通じて税金から支払われた。2010年の予算規模ではすでに10〜12億クローナ(約180〜216億円)が民間病院での治療費に計上されており、これは医療費全体予算の1.5%から2%に相当する。ここで便宜上、治療待機期間保証制によって回ってくる患者を「第1グループ」と呼ぼう。

「第2グループ」は、企業の福利厚生の一環として、民間健康保険に入っている者である。これも政府の政策により、企業も加入者も保険料を税金から控除できるようにしたため、加入者が激増して、今では100万人近くが入っており、この人たちは保険で治療を受けられる。そして残りの「第3グループ」が、全部自己負担で民間医院にかかるケースとなる。これは美容整形などで、それほど多くない。政府の方針により、「第1グループ」、「第2グループ」の患者が増えることで、民間病院の売り上げが拡大し、同時に既存の公共医療を悪化させている。

治療待機期間保証は万人に適用されるため、現段階ではこの「第1グループ」には誰もが入れる可能性があるわけだが、「第2グループ」は保険加入者だけである。将来的に公共医療が衰退し、病院の質や数が低下したとき、安心して民間医療にかかれるのはこの「第2グループ」(そしてお金のある「第3グループ」)ということになる。この点で、政府の民間病院への優遇は、経済的な格差が健康の格差へとつなげる重要な転換点となる。

フルタイムで民間病院に勤務する専門医は約80人、看護師は400−500人といい、約5000人の医局長と3万人の看護師を抱える公立病院に比べると一端をなしているに過ぎないという批判もある(2010年4月3日、Politiken)が、副業として公立病院の医師たちが民間医療セクターの大きな部分を占めている事実が抜け落ちている。しかし、公立病院の医師に副業を禁止させる措置をとることは、逆に医師たちを民間病院に固定化させることにつながりかねない。広域連合会長のベント・ハンセンが危惧したように、「手術室や道具はあるけれども、医療スタッフがいなくて手術できない」という事態が公立病院に訪れるかもしれない。

医師や看護師の不足は長く議論されてきた(スウェーデン人を教育し、インド人を「輸入」するデンマークの医師不足の現実 参照)が、経済危機後に公立病院は看護師を解雇している。こうした流れも、ますます公共医療のあり方をゆるがせるものとなっており、今後が危惧される。
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2008年07月01日

新米医師を8時間待つか、6万円払ってベテラン医師を呼ぶか

先日まで8週間以上も続いた看護師のストライキでは、40万件近くの治療や手術がキャンセルされた。デンマークでは自由選択という名の下に、2007年10月以来、国からの待機期間保障で1ヶ月を超えた場合には民間病院、一部外国の病院での治療を公費で受けられることになっているため(医療費無料の現実と民間健康保険人気という歪み 参照)、ストライキの期間中にはさらに民間病院が隆盛し、国庫の資金と同時に公的医療システムそのものを揺るがす事態につながりつつあった。ストライキの終結後早々に、その長期化の影響から、財政大臣がこの最大1ヶ月間という待機期間保証制度を一年間凍結する宣言をし、今は、長期間の待機期間は当然のものとなった。その結果、民間病院に照会される患者の数は圧倒的に減ったというが、民間病院の助けなしにはとても捌けない数の患者が待っているため、症状の重い患者から優先して、協力し治療に当たろうという合意がされた(2008年6月25日、Politiken)

さらに、民間病院といえば、2008年8月1日には、デンマーク初の「民間」救急医療センターがオープンすることになっており、これによって医療・健康等の資源さえも、もてる者ともたざる者の差によって変わってくることが話題になっている。事故や緊急の際にかかる救急医療センターは、通常の医療と同じように無料であり、夜間・休日を問わず、診察してもらうことができる。しかし、その診療待ち時間は相当なもので、8時間などというレベルである。さらに、途中で救急車などで運ばれるような交通事故など「派手な」急患が入ると、さらに順番待ちは引き伸ばされる。泣きながら痛みを訴える子どもがいても、自分の順番を譲ったりすることはなく(デンマーク人高齢の女性は、小さな子どもが痛みを訴えているような場でも、人々が順番を譲ったりと思いやる気持ちのない様子にショックを受けていたが)、皆が耐えるようにして待っているのが常である。

しかし、例えば腕の骨が折れた時に、半日待って公立の救急医療センターに行き、経験のない新米医師に診てもらう代わりに、この度できる民間の救急医療センターに行き、2,400kr.(約5-6万円)を支払うことを選べば、20分以内に経験豊富な医師の診療を受けることができるという(2008年5月16日、Nyhedsavisen)。社会民主党、社会人民党、統一リストの左派勢力は、医療セクターへの民間の進出を非常に懸念しているようだ。日本でも、福祉・介護領域に民間が参入して歪みを生み出したコムスンの例も記憶に新しいところであるが、医療・福祉といった社会保険が保証する領域への民間参入は簡単ではない問題を孕んでいる。

国民健康研究所の健康システム研究者である、マーティン・ストランドベア-ラーセン(Martin Strandberg-Larsen)は、とくに会社を通じて民間の健康保険に加入している人々(だけ)が、こうした民間救急センターを利用することができる事情があり、これは裏を返すと、失業者、若者、高齢者、公的セクターで働く者などに同じ可能性を与えられていないことが問題であり、民間が医療セクターに入ること自体、国民健康法の「誰もが気軽に公平に医療を受けられる原則」に矛盾していると指摘している。健康大臣のヤコブ・アクセル・ニールセン(Jakob Axel Nielsen)は、民間救急医療センターの開業によって医療セクターへの公平なアクセスを阻害することは自分たちの望んでいることではないと強調しつつ、「これまでにも民間のオルタナティブが公共の効率性を引き上げてくる事例を見てきた」と説明し、公的セクターも民間を通じて学び効率を上げる可能性があることを強調している。

実際、公立の病院の労働環境はあまりに条件が悪く、ストレスフルな職場であり、現在看護師の資格を持つ者の多くが週37時間というフルタイムではなく、数時間減らしたパートタイムで働いている。その一方、看護師不足は深刻で、人手が足りないことを理由に、病院の一部が閉鎖されていたりする事態も常態化している。入院していても治療できないという理由で、1996年には10,064床あった病床も2005年には8,082床まで減らされている。人手が足りなく医師や看護師が忙しいとどうなるか、想像はつくだろう。誤診や医療ミスが生じやすくなり、医療ミスで病状が深刻化したり、次の治療を待つ待機期間中に症状が悪化して、完治不能になったりするケースもしばしば聞かれる。公共機関では医療費が無料である以上、治療ミスに対して補償が受けられるのかと疑問に思われるかもしれない。長期化する待機期間によって治療不可能になり、亡くなるケースなどが新聞で多く紹介されるようになり、補償の問題も指摘され始めた。

基本的に、デンマークでは公の処置に対しては、患者保険という不服申し立て機関が存在しており、治療ミスなどがあった際にも申し立てられるところが存在する。しかし、実際に機能しているのかというと、症状が悪化したなどでは十分ではなく、死亡して初めて補償金が出る、あるいは、明らかに悲惨なケースでの補償がされず、別のケースではされるなどその判断の基準が流動的であることが指摘されている。特に癌患者の場合には、放射線治療、化学療法など数々の治療を受けることになるが、この待機期間が長期化することによって、完治不能になり亡くなる場合が多いが、癌治療を理由として補償金を請求した案件は10件に9件が棄却される状況であり、「癌との闘い」協会の会長アーネ・ローリヘド(Arne Rolighed)は改善を求めている(2008年5月25日、Politiken)。自由党、社会民主党、社会党は、患者の権利保障について改善を提案しており、国会でも夏休み明けにも議論されることが決まっている。

上記のPolitikenの記事の補償を受けられなかったケースを紹介しよう。2006年6月28日に食道癌で別の病院へ照会されたある患者は、治療をすぐに受けることができず、家族が早期治療を求めて7月13日になって他の病院へ資料を送る手配がされる。家族の再三の督促後、8月1日にようやく初めて病院での診療となり、8月14日の化学療法、9月28日の放射線治療が予約される。8月14日に化学療法を行われるが、9月8日のスキャンの結果、癌が増殖し、放射線治療がもはや不可能なことが判明。10月16日には化学療法がもはや効果ないとされ、実験的な治療を薦められる。結果、翌年8月2日に患者は死亡、さらに8月24日には補償の請求が棄却されている。

2008年4月にも、ユトランド半島のリンクーピングの病院の前で助けを求めつつも結局治療を受けることができず亡くなったドイツ人の例があり、外国語での緊急対応を含めて問題になった(2008年4月20日、Nyhedsavisen)。これは、呼吸困難になった妻を医者に見せようと病院へ車を運転してきた男性が、病院の中に入ることさえできず、しばらくして何とか看護師と話をすることができたが、そこで緊急ではないと判断され、“1時間半後に医者が来るが、「緊急相談医師」に連絡するように”と簡単にあしらわれ、最終的に医者が来たときには妻はすでに呼吸停止しており、亡くなったという事例だ。デンマークでは緊急事態の時には112番に電話をし救急車を呼ぶが、通常は救急医療センターへ行くことになり、救急医療センターが併設されているとも限らない普通の病院へ直接駆けつけることはない。また看護師が指示したように、「緊急相談医師」に電話をし、処置の仕方を聞いたり、薬局で買う薬を指定してもらうといった対応もあるが、このドイツ人の場合には外国人ということもあり、この相談の仕方も知らなかった上、病院に直接駆けつけるという通常通りではない対応だったことが裏目に出た。警察は調査の結果、病院側の対応に過失がなかったと責任を問わない決定を出したところだ(2008年7月2日、Metroxpress)。

医者不足・看護師不足が病院・病床数を減少させ、治療にかかれる患者を減らすことで、病状を悪化させたり、死亡にまで至る悪循環を招いているのがわかるだろう。こうした悪評ばかり聞いていると、民間病院や民間救急医療センターの臨機応変とした対応が、生産性を高めるとともに、競争原理から公立病院の効率性を上げるという論理も一理あるようにも思われる。しかし、そのためにはまず、公立病院で働く医師・看護師の労働環境を整え、その囲い込みと流出防止に専心しなければ、医療従事者がより条件のいい民間病院へと移って(8週間のストがもたらした成果と禍根 参照)いき、公的医療システム全体を崩壊させることにもつながるであろうことは疑いない。英語には、“Welfare for the poor is poor welfare”という言い回しがあるようだが、「貧しいものへの福祉は粗末な福祉」を当然とする市場原理を導入することは、福祉国家の前提をも突き崩すことになりうる。こうしたところからも、看護師たちのストライキは民間並みの給与の保障や労働条件の調整が求められていたが、その結末は前回書いたとおりである。東京大学医科学研究所の上昌広氏のJMMによると日本の医師数も人口10万人に対して約200人というから、これだけ騒ぎになっているデンマークの357人よりもさらに深刻な状況であることとなる。これを週80時間近くにも及ぶ労働で乗り切っているというから、ため息をついたり感心したりというところだが、デンマークでのこうした議論が示唆に富むだろう。

2002年以来、デンマーク政府は社員の民間医療保険を税金から控除する政策を打ち出して展開しているが、これが市場原理の導入を促進し、貧富の格差を生み出している(さらにいえば、多くの場合、貧富の格差は教育程度にも比例している)ことを認識し、民間と公共の医療の住み分け、あるいは共存について真剣に考える必要に迫られているといえるだろう。8月1日からの民間救急医療センターの対応にも注目していきたい。
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2008年05月30日

スウェーデン人を教育し、インド人を「輸入」するデンマークの医師不足の現実

デンマークで病気になると、まずかかりつけ医のいるクリニックへ予約を入れ(電話予約受付時間は朝の8時から9時という1時間のみで、なかなか繋がらないこともザラである)、予約した時間に足を運び診察もらうことになる。そこで、深刻な病気の疑いがあったりして、より精密な検査の必要が認められると病院へ紹介状が出され、初めて病院へかかるという仕組みだ。かかりつけ医は自分で選択し、黄色いカードになっている医療保険証にも医者の名前とクリニックの電話番号が印刷されている。

Sundhedskort.jpgこのカードの場合には、(19)99年99月99日生まれのローネ・ハンセン(Lone Hansen)さんのもので、9996という4桁が個人番号として与えられている。最後の一桁は奇数偶数で男女の別がわかり、6という偶数で終わるこのカードは女性とわかる。番号の後の“1”というのは、グループで“1”はかかりつけ医がいることを示す。上のほうに小さめに書いてあるのが、かかりつけ医の名前とクリニックの住所、電話である。

しかし、かかりつけ医も一定の数以上の患者に責任をもてないため、医者の少ない地方への引越しなどを理由としてかかりつけ医を持てない者が出てきている。Ekstra Bladetの2008年2月4日の記事によると、現在国内に67のかかりつけ医ポジションが空席となっており、これにより約10万人の患者が地元の医者の代わりに長距離を移動して医者に診察してもらうことになっているという。医者不足は今後も悪化する見込みで、現在デンマーク国内で働く3750人のかかりつけ医の平均年齢はすでに53歳であり、うち900人は60歳を越えており、退職を目前にしている。健康経済学の教授であり、健康部門センターのセンター長、イェス・スーゴー(Jes Søgaard)は、「(退職を控えた年齢層の人数に比べて)医学部の教育で育てる人数が十分でないため、2012年まで医師不足は加速する一方だろう」と述べている(雇用省のHPのプレスクリップより)。67のポジションの空きで、約10万人に影響が出るということは、一人の医者当たり1500人近くの(潜在的な)患者を持っていることになる。これでは予約受付も難しいのも頷ける。

不足しているのは、かかりつけ医だけではない。医者全般に不足が続くが、中でもとくに専門医の不足も深刻である。専門医は現在国内に約12,000人いるが、うち3,700人はやはり2011年までに退職する見込みで、デンマークにいる医師の約30%は60代であるという。とくにコペンハーゲン近郊から離れた、地方でその傾向は深刻である。北ユトランド半島では、専門医にかかるまで7ヶ月かかり、またリーベという小都市では、かかりつけ医の診察を受けるまでにまず数週間の待機期間があるという。専門医を教育するには、最低でも14年かかるため、外国人医師への就労ビザ取得の優遇や積極的なリクルーティングを通じ、これまでに1500人の病院勤務医、うち500人の専門医を外国から招いているというが、それでも到底追いつかない。

自身も耳鼻咽喉科の専門医であるアスガー・ユール(Asger Juul)は、この原因を80年代の全く間違った教育政策で医学部の学生数を減らし、将来に医師の数が不足することを見越せなかったためとし、さらにまだ60歳の経験豊富な医師(「シルバーグレーの黄金」)たちが、60歳を機に退職、あるいは勤務日数を減らす傾向が高まってきていることを厳しく批判している。彼によると、専門医の数を人口比で比べると、それでもデンマークはインドの5倍もおり、もともと病気の罹患率や死亡率の高い第三世界の国から「優秀な医師をデンマークに呼び寄せる」という理屈は、第三世界をさらに搾取する新しい植民地主義だ、と喝破している。また、こうして招聘されたインド人の医師たちは、5年から7年経ったら感謝とともに本国に帰されることになっているそうで、「せめて契約の時にそのことは本人たちに知らされていることを願おう」と皮肉っている。(2007年10月16日、Berlingske Tidende、「私たちは医師のために発展途上国を干している」)。

彼も指摘しているように、今後5年から7年で医師不足を満たすだけの医師養成が完了されるのかに疑問を感じるし、「本国に帰す」というのは、裏返すと「働けるうちは協力はしてもらうが、老齢になった時にデンマークの福祉の恩恵は受けさせない」という政府の姿勢であり、非共感的で無責任だと言わざるを得ない。60年代にトルコなどからゲスト労働者を招聘した際に、労働力だけを入れ、「刈入れ時」が終わったら「出稼ぎは終わり」と帰すつもりだったのが、結局は母国の家族呼び寄せ、第2世代・第3世代の誕生と、移民がデンマーク社会の一部を構成するようになったことを負の教訓としているようだ。

ここまでで見えてくる問題点は、国民の医療アクセスが制限されていること(さらに、そこに地域格差があること)だが、それだけではなく、将来の職業に結びつく人材の教育・養成の需要と供給のアンバランスも重要である(高等教育と職業のアンバランスについては、進学状況から見える現実 においても指摘している)。当然のことながらデンマーク産業界は、歴史・哲学などの人文科学よりも、不足する医師やエンジニアなどを埋めるための自然科学分野への進学を勧め続けているが、大学修士組合は人文科学の修了生の失業率も順調に低下していることを挙げ、「人文学の学生は複雑なものを分析して、自立して考える能力に長けている」と、自然科学のみを科学と見るような風潮に反発している(Magisterbladet, nr.9)。こうした「目に見える生産物」のみを科学とするような傾向については、国は、芸術のパトロンであり続けられるのか でも指摘しているので、一読されたい。

では、国は医師不足を解消するため、医学部は新規の学生へ門戸を広げ、たくさんの医学生を量産しているのかというとそうでもない。現在デンマークで、医学部があるのはコペンハーゲン大学、オーフス大学、南デンマーク大学の3つのみであり、医学部の人気はとくに女子の間で高いが、当然のことながらもっとも高い成績を要求されるため、厳しいハードルとなっている。その一方で、北欧諸国の大学の間では協定があり、互いの学生が自由に移動できる上、スウェーデン語、ノルウェー語とはお互いに理解できるため、別の国で教育を受けるという選択肢も生まれ、2006年の段階で医学部の学生の28%がスウェーデン人、ノルウェー人となり、デンマーク人学生が簡単には養成課程に入れないことも問題になった。

原因は、各国の成績評定の基準の違いから、スウェーデン人の学生の高校卒業時の成績をデンマークのものに換算するとその過程で齟齬が生じ、実際よりも高い評価になり、スウェーデンの医学部に入学するには足りない成績でデンマークの医学部に合格できたためである。医学部や獣医学部に、国が非常にお金を投入して人材を育成するにも関わらず、医学部学生の26%、獣医学部学生の50%近くが卒業後には母国で活躍するスウェーデン人であり、デンマークでの医者不足が解消されないことは、大きな矛盾であった。上記、進学状況から見える現実 でも載せた12のスケールという、国際的に互換性のある新しい成績システムの導入で、こうした外国人にとって有利になるような不公正は是正されるとされ(2006年9月15日、Politiken)、実際に制度が動きだし合格者がはっきりした2007年の夏には、科学大臣ヘリエ・サンダー(Helge Sander)は、前年度に医学部に入学したスウェーデン人は314人だったものが、今年度は172人へ、獣医学部は前年度の78人から34人へと減少したことを報告している(科学・技術・発展省HP、2007年8月3日)。EUのルールのため、スウェーデン人学生を○%に抑えるといった、割り当てはできないようだ(2007年7月27日、Jyllands Posten)が、優遇を外したことで、結果的にデンマーク人学生に機会の平等を与えたことになる。国際化、労働市場の流動化とはいえ、入学して勉強を始めた学生を追い出すわけにも行かず、彼らに対するデンマークでの教育は続けられている。デンマーク国民の税金で、彼らを教育し、数年後に教育を終えた頃、留学生らは母国へ帰るというのはやはり不自然であろう。

医師に限らないことだが、未曾有の好況と労働力不足のため、議論は外国からの移民たちとシルバー世代の労働力活用に至っている。ついに国内の失業率は1.7%になり(2008年5月30日、Politiken)、失業者は数えるほどだ。建築現場などでは人材の不足からポーランド人を雇用する会社が多く、彼らに対する権利の保障や優遇策を整備することで、国としても労働力を確保することに必死である。さらに、熟年層に労働市場に残ってもらうための税制優遇策なども次々と提案され、国会で話し合われている。現在の高齢者への年金や福祉手当は、いわば収入がない者をサポートするシステムであり、労働市場で活躍していて稼ぎがある高齢者にとっては、「割に合わない」気分にさせられるためである。所得控除額を増やす、1946年から1952年に生まれた者で給料の一定基準を満たす場合には、65歳まで勤続すれば最大10万クローナ(約230万円)のボーナスを出すなど、労働市場にいることを魅力的と感じさせるための様々な施策が前向きに審議されて、早ければ2009年からにも施行される勢いである。

医師不足はすぐには解消しそうにない問題だが、それ以上に技能ある人材を国内で育てるための教育の現場を充実させることも急務といえるだろう。医学部の設置はすぐにできる課題ではないかもしれないが、国から授業料が支給され、奨学金(SU)をもって外国で学ぶことも可能となった今(海外大学の設置に見るデンマーク産業界の野心 参照)、アメリカやイギリス等の英語圏の大学で教育を受けた若い医師たちが、将来にデンマークで戻ってきて活躍する可能性も期待できるのかもしれない。(恐らく現実には、例えばアメリカで教育を受けて医師になれば、給料水準の高いアメリカに留まって就職する可能性が非常に高いと思われるが。)こうした学生たちの外国での授業料を国が支給してでも優秀な人材を育てて、デンマークで就職してもらうというのは、日本では信じられないことだが、実はデンマークのような小国にとっては安価で賢明な策なのかもしれない。
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2008年05月27日

幸福な国に住む、不幸な親と不幸な子ども

薬物の氾濫については、以前にも若者の暴力事件と関連して、若き現代版ヴァイキングの暴挙 において挙げたが、デンマークでの薬物濫用による死者はヨーロッパでも最も多く、その適切な対応が求められている。

デンマークでは、薬物依存の治療にメタドンという鎮痛剤を使っているが、これを廃止し、ブプレノルフィンへと変えることでもっとたくさんの患者の命を救うことができるだろうと記事になっている(2008年5月28日、Politiken)。ブプレノルフィンは、危険性も少なく、フランスでは90%の薬物中毒患者の治療に使われているが、他の薬剤とともに混合して服用すると抗酒剤を服用しての飲酒のように具合が悪くなったりするうえ、最初はあまり効かないため、患者に敬遠される傾向があり(10%ほどの治療に使われるのみ)、そうした問題のないメタドンが処方されることがほとんどだという。しかし、メタドンは依存性が高く、ヘロインから抜け出すよりも難しいとさえ言われ、日本では販売されていないようだ(Wikipediaより)。

上記Politikenによると、デンマークでの2006年には薬物依存患者の死亡者数221人のうち、92人がメタドンや、メタドンと他の薬物との組み合わせによる中毒症状が原因であるという。現在、治療を受けている患者は国内で約6000人おり、これまでも健康管理庁は依存性の低いブプレノルフィンをヘロイン依存の治療を希望する患者への最初の選択肢とするよう、勧告を出してきた。しかし、ここでもデンマークの「当該本人の意思尊重」の原則が響き、弊害を生み出しているようだ。

コペンハーゲンコムーネの社会医局長である、ピーター・イーイェ(Peter Ege)は「私たちの優先事項は、薬物濫用者に治療を受けさせ、治療を継続されることです。もしも薬物濫用者がメタドンを希望するといえば、それを与えます。もう一つのもの(ブプレノルフィンを指す)は原則的なものです。人が嫌だと拒絶すれば、それを強制することはしません」と言い切る。スレーイェルセやエスビャー、ヘルシンウーァコムーネでは、医者の判断でブプレノルフィンを処方しており、それでもほとんどのケースでうまくいっている、とコペンハーゲンコムーネの対応を批判している。

健康管理庁は、2,3年のうちにノルウェーやスウェーデンと同じレベルの30−50%がブプレノルフィンでの治療になるように希望しているが、これまでの文化を変えるのは難しく、さらに一回の服用に使うメタドンが6−8krであるのに比べて、ブプレノルフィンは約33krに上るため、躊躇があるのかもしれないが、結局のところ国がコムーネに対して還付するため、コムーネの出費とはならない。社会部門市長(市政の構造については、コペンハーゲンの病気がちな公務員たち を参照されたい)のミケル・バーミング(Mikkel Warming)も、麻薬中毒者たちがブプレノルフィンを希望しなかったり、その治療を受け続けることができなかったりするのであれば、メタドンが処方されるべき、と回答しており(Nyhedsavisen、2008年5月26日)、医者たちだけではなく、市の方針としてもより安全なブプレノルフィンの処方によって薬物中毒による死者を減らす意図はないようだ。

こうした薬物中毒や鬱病、暴力や犯罪行為などによって、子どもが危険に晒され、親としての管理能力が見なされると、子どもはコムーネによって保護され、養護施設や里親に預けられる。しかし、施設で育った子どもたちが起こす暴力事件などもしばしば取り上げられ、児童福祉とはいえ、生みの親と離れた環境で暮らすことの難しさを感じさせる。ちょうど先週、養護施設に入っていた16歳少女が暴力事件によって懲役6ヶ月を言い渡されたところであるので、少年犯罪と刑罰との関連も含めてここで取り上げよう。なお、少女による暴力事件は、1996年には27件であったが、2006年には137件と5倍以上に急増しており、メディアでもしばしば取り上げられ始めているテーマである。

マリア(紙上の仮名)は、貧しいものの幸せに育っていた少女だったが、母親が鬱病を患い体調を壊していたため、12歳の時養護施設に移された。そこで他の若者と出会い、互いに暴力を振るうような「暴力の文化」を体得していく。4回警察に補導され、裁判にもなったが、刑罰対象の年齢を下回っていた(処罰対象となる最低年齢はデンマークでは15歳)ため、処罰は受けていない。それから1,2年は新しい友達もでき、コンタクトパーソンの援助などもあり、まともな生活だったが、それも母親の癌が発覚し病状が進行するにつれ、悲しみから自暴自棄になり、街に出て飲み歩くようになった。そして、2007年8月のある晩、女友達と一緒にグループで出かけると約束していたのに、自分のアパートにいてやって来ない一人の少女に腹を立て、罰を与えることにし、他の6人の少女らとこの19歳の少女に暴力を振るった。タバコで額を焼き、腹を蹴り、唾を吐きかけ、身体や口にトマトケチャップをかけた。ズボンや下着を脱がせ、携帯電話でビデオを撮り、片方の眉毛を剃り落とし、ボールペンで身体に「売女」「キモイ」などと書き、屈辱を味あわせ、暴行は3時間にもわたった(2008年5月26日、Nyhedsavisenより)。

こうした具体的なケースを聞くと、日本の少年犯罪の凶悪さと同じように、深刻な様子がわかる。犯行に加わった、他の15歳から18歳までの少女たちにも3ヶ月から6ヶ月の懲役が言い渡されたが、このうちの複数の少女たちが養護施設に住んだことがあることがわかっている。彼らは、飲酒も薬物摂取もしていなかったというが、それが逆に怖さを増す。もう今や、癌だったマリアの母親は亡くなり、彼女は「自分がやったことで無罪放免とされるいわれはない。与えられた刑罰を受ける」と控訴しない意思を示している。この事例は、家庭環境に恵まれなかった子どもたちに対する公のサポートが整備されていても、結局その行く末がこうした現実に繋がることを示し、いたたまれない気持ちになる。

Politikenは、やはり鬱病と人格障害を患っていたために、その後新たな治療によって症状の改善が見られたにも関わらず、8歳と4歳の子どもを取り上げられた母親の例を紹介している。今、この女性は毎月2回の週末しか子どもに会うことができないといい、悲しい顔をした母親の大きな写真を掲載している(Politiken、2008年5月4日)。子どもを手元から失ったことによって、鬱病が悪化したであろうことさえ想像させられる不幸な女性の顔だ。

こうした例を受けて、コペンハーゲンコムーネでは新たに「家族を中心に」というプロジェクトを立ち上げ、家族の今持つ機能を最大限に生かすことで、施設に預けられる子どもを減らすことを試みている。これは2005年から2008年まで社会省によって支援されているプロジェクトで、その目的は1.家庭から引き離される、恵まれない子どもや若者の数を減らすこと、2.社会的に弱い立場にある、子どものいる家庭に対しての公的支出を減らすこと、3.こうした弱い立場の子どもがいる家庭の、より大きな社会的統合を適えること、とされている。

Politikenによると、子どもを引き離さねばならなくなるだろうと警告を受けた93の家族がこれまでにプロジェクトに参加し、85%の家族が子どもを引き離さなくてもよくなり、さらにうち29%は、案件自体を見守る必要がない状態にまでなったという。これは、親と子の関係がきちんと機能するようになったと公的に機関に見なされ、コムーネの支援を受けなくて済むようになったことを意味している。子どもに自信が芽生えるようになり、家族、学校や施設でも元気に過ごせるようになったと報告されている(2008年5月4日、Politiken)。

これは、これまでは、家族の抱える「問題」にのみ焦点を当てていたものを、家族がどういった目標を持っているのか、何が家庭でうまく機能しているのかといったポジティブな側面にも焦点を当てるようにしたことによる。これによって、コムーネの関連支出も34%も減少した。これまでの伝統的な方法で家族を引き離すことのないよう、問題解決を図ってきたグループでは、成功率は58%であり、支出減にいたってはわずかに4%というから、この新療法の効果は高いと注目されている。プロジェクトに関わっているソーシャルワーカーで社会学者のトーヴェ・ホルムゴー・ソーアンセン(Tove Holmgaard Sørensen)は、きちんとした母親になるにはどうしたらいいのかがわからなかった若い母親が、プロジェクトを通じて自信を取り戻し、娘との関係を回復することになった例を挙げて、その効果を説明している。子どもを社会で育てるという認識が、家庭への公権力の介入を通じて、時に双方にとって「要らぬお節介」になっていることを見せる例として興味深い。

最後に、少年犯罪の低年齢化に伴っての刑事対象処罰年齢の引き下げに関する議論を紹介しよう。上記のように、デンマークでは15歳だが、2月の国内全土での放火や若者の暴動などを受けて(ムハンマド風刺画の残り火と未熟なテロ法制の危険性 参照)、処罰年齢を12歳にしてはどうかという議論が起こった(2008年3月5日、Nyhedsavisen)。デンマーク国民党は引き下げに積極的である。ヨーロッパでは、16歳(スペイン)、15歳(デンマーク、イタリア、ノルウェー、スウェーデン)、14歳(ドイツ)、12歳(オランダ)、10歳(イギリス)、7歳(フランス)と、かなり低年齢の者も処罰する国が多い。Norstatが行った調査によると、55%が引き下げに賛成、41%が反対の立場だったと拮抗しているようでもある。論点は、早いうちから処罰をすることで将来の再犯を未然に防げるのかという点に向けられ、慎重に議論されているようである。

上記の養護施設の例でも同様だが、とくに年のいかない子どもの場合、施設に入れることが、社会からはみ出してしまったものを「取り除く」ためではなく、十分な状態に「育てて」社会に帰すための機能を担って欲しいと感じさせられる。暴力を学ぶ場ではないはずだが、なぜ見過ごされてきたのだろう。厳罰化の議論よりも、予防やそのための施設の機能の見直しが十分になされる必要があるだろう。
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2008年05月16日

世界一幸福な国と抗鬱剤消費の関係(2)

「世界一幸せな国」として、デンマークに関心を寄せている方が多いようだ。誰もが幸せになりたくて、世界にある「幸福な国」からそこへ至る鍵を掴もうと検索しているのかと思うと、このブログが単純にその鍵を差し上げられないことは胸が痛むところもある。

それと同時に、「自殺」というキーワードで当ブログに見える方もいる。北欧は自殺が多いという言説があるからだろうか。増加する抗鬱剤の服用については、以前の世界一幸福な国と抗鬱剤消費の関係 において触れ、その有意に見える相関関係を示唆したが、無論「日本でももっと抗鬱剤を処方すれば、幸せになる」という極論に至るつもりはない。ただ、成人の2割が自殺を真剣に考え、周囲に自殺をした人がいる者が3割にも達する今、精神的疾患を個人的な問題に片付け、周囲に悩みを漏らせない環境より、サポートをしてくれる医療が必要なようにも感じている。

人々が他のどの国の人々よりも幸せと感じている一方で、抗鬱剤の消費(鬱病患者の他にも、抗鬱剤は性欲を低下させるとして、施設で暮らす障がい者や高齢者などに必要以上に投与している傾向も指摘されている)や、アルコール・薬物の乱用者・中毒者が多い現実もある(青少年のアルコール・薬物との関係は、若き現代版ヴァイキングの暴挙 を参照されたい)。ストレスとともに生きていかなければならない現代で、精神的な病気になることをタブー視せず、吐き出していく様子は、内に籠もって自らを破壊してしまうより、「幸せ」なのか。

北欧の国は冬の日照時間が短いため、鬱になる者が多く、自殺も多い。とくに暗く長い冬から春に向かう頃が一番多いらしい、などとまことしやかに話され、それなりに信憑性もある。フィンランドは群を抜いて自殺件数が多いし、デンマークでも1980年頃に自殺件数が非常に多かったのは事実である。しかし、それを頂点として、順調に数を減らし、今はピーク時の4割程度にまで下がり、現在は、とくに自殺が社会問題として取り上げられることはない。

まずはグラフで1922年から1999年までの推移を追ってみよう。

selvmord.wnm.dk.jpg クリックで拡大。縦の軸は、人口10万人当たりの自殺者の数。男性(青線)が常に女性(赤線)の2倍から3倍の数であるが、両曲線はほとんど並行していることが見て取れる。




もう少し詳細に、年齢ごとに見てみよう。1981年をピークとして順調に減少しているのがはっきりとわかる。

selvmord_phixr.jpg クリックで拡大。左の縦軸は、年齢別。上より「総計」「0歳」…「85歳以上」となる。右は太字が年号であり、そのすぐ下にあるのは、総計自殺者数(表はデンマーク統計局のデータよりDenjapanerが作成)。2005年はこの時点で集計済みデータではなく、最終的には628人だった。

80歳以上という高齢者を除いて、すべての世代で劇的に数が減少しているのがわかるだろう。自殺が社会問題であった70年代末にオーデンセ大学の精神病研究と関連して設置され、福祉省(当時は社会省)の傘下になっている独立研究機関、自殺研究センターの研究課題を見ると、現在は「高齢男性の自殺率をどのように抑えるか」という研究に推移しているのがわかる。

デンマーク国内で、現在およそ1日当たり2人が自殺をし、裏にはその10倍の数の自殺未遂者がいるという。精神科医のビャーネ・ハンセン(Bjarne Hansen)は、「自殺は周囲を罰するため」「自殺未遂は(その後に気遣うよう)周囲を操作するため」と言われることがあるが、実際の調査によると、自らの命を絶つことで不条理を告発するといった「周囲を罰する」ケースはごく稀であるし、自殺未遂はその後20年にも亘って繰り返される惧れが続くので、自殺未遂者を慎重に扱う十分な理由があるとして、これらを「誤った神話」と断じている(Information、2003年6月24日)。彼は、健康な人を幸せにはしないが、病気の人の鬱にある状態を正常に持っていくことはできるとし、ラッキー・ピル(幸福の錠剤)と呼ばれる抗鬱剤が80年代以降の自殺者の減少と関係があることは疑いがない、という。

上記記事が書かれたのは5年前だが、つい先日2008年4月15日にオーフス大学から発表されたばかりの調査では、抗鬱剤の消費と自殺者減少の相関関係はこれまで言われてきたほど強いものではなく、自殺数減少に抗鬱剤が貢献している割合はほんの10%であった、と発表した。以前のスウェーデンの調査でも、25%と出ていたらしいが、彼ら自身が行った調査では50歳以上の自殺者のうち、抗鬱剤を服用し鬱病の治療を受けていた者は、5人に1人だったという。

調査グループのアネッテ・エアランセン(Anette Erlangsen)は、「国際的な調査が、自殺に至るまでに75%の人が鬱状態にあることを感じていたことを示す一方で、私たちの調査は自殺をするまで治療を受けていなかった、非常に大きな集団がいることを明らかにした。お年寄りが悲しい状態であるのは当たり前の生活の一部ではないのだから、高齢者に(医者が恐れることなく)もっと鬱病の診断を出すことを指摘することが大切だ」という。この調査は、鬱病の診断を増やすことで、救える命があることを明らかにすると同時に、これまでの30年近くに亘る自殺数減少の原因が別にあるとも示唆している。

国による自殺数のデータは様々であり、統計データを公開したがらない国も多々ある。そんな中で、積極的にデータを公開し、問題と向き合い対処してきた姿勢は評価されて良い。超過労働や不安定就労といった社会構造や企業体質に起因して鬱を発病した者さえも自己責任という言葉に片付けるような風潮はなく、こうした形で「透明性」や「公開性」を確保することで人間が弱いものだということを認め、病気と診断して庇護することに繋がるのだとすれば、抗鬱剤を大量投与しても(薬代は自己負担だが)、人々は幸せになれるのかもしれない。
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2007年12月11日

世界一幸福な国と抗鬱剤消費の関係(1)

2006年に発表されたイギリス、レスター大学の心理学研究者エ−ドリアン・ホワイトによる、世界の幸福度調査(日本語で読めるものは、このリンクが見やすい)で、デンマークが第一位に選ばれたことは知られているかもしれない。この調査に基づけば、日本の幸福度は第90位であった。この調査では、健康、富、教育が幸福度に大きく影響するということであり、小さな国のほうが幸福度が高い傾向が見られるという(健康トレンディ参照)。

個人的には、こうした国際比較を含んだ量的分析にはやや懐疑的である。日本人はそもそもこういった質問調査に馴染まず、「幸福ですか?」と聞かれて、単純に「はい」と答える国民性ではないと考えている。「幸福ですか」と聞かれようと、「幸福ではありませんか?」と聞かれようとも、結局、中庸を好んで答える人が多いのではないだろうか。10のスケールがあっても、0や10という極の答えをする日本人はほとんどおらず、6や7で謙虚に自分の幸福度に満足を示す例が多くでるように思われる。

さて、そんな幸福な国デンマークだが、OECDの「図表で見る世界の保健医療2007(Health at a glance 2007)」によると、ヨーロッパ諸国では抗鬱剤の使用が激増しており、中でもデンマークの処方量は2000年から2005年までの5年間で70%以上増加し、OECD諸国で二番目(一番はアイスランド)となったことが報告された。デンマークでは、抗鬱剤は通称「ハッピー・ピルズ」と呼ばれ、陰鬱な気持ちを取り除くためによく処方されるようだ。

人口1000人当たりの一日の抗鬱剤の処方数を見てみると以下のようになる。(Politiken、2007年12月10日の図を参考に作成)デンマークの増加数が一番の伸びを示していることと、アイスランドの圧倒的な処方数に注目されたい。

国名      2000年   2005年   増加数
デンマーク   35      60      25
アイスランド   66      90      24
オーストラリア 46      67      21
スウェーデン  48      66      18
フィンランド   36      52      16
ノルウェー    41      52      11
フランス      40      50      10
イギリス      38      47       9
ドイツ        21      29       8    

Ugebrevet A4の記事では、スポンサーなき医師団(国境なき医師団のもじり)のインガ・マリー・ルンデ(Inga Marie Lunde)のコメントが引用されている(Ugebrevet A4、第43号、2007年12月10日)。印象的なので、そのまま引用しよう。「これまでこれほど失業率が低かったことはかつてないし、これほどの福祉が充実していたこともないし、これ以上の好景気だったこともない。それなのに、かつてなかったほど多くの国民が精神的な問題を抱えている。」

抗鬱剤は、濫用による副作用として、攻撃的になったり、不安、精神異常や自殺誘発にもつながる惧れがあることも報告されているという。コペンハーゲン大学薬学部のクラウス・ミュルドロップ(Claus Møldrup)は、(社会規範によって)、南ヨーロッパの国々では北欧の国々に比べて、精神疾患が受け入れられにくい土壌があることを指摘し、また国内に抗鬱剤を生産する大きな企業があることを考えられる理由としてあげている。

Politikenは、国連の人間開発指数によって、アイスランドが「世界一住みやすい国」に選ばれたばかりであることをあげて、この抗鬱剤消費との矛盾を考察している(2007年12月10日、Politiken)。

新聞等の記事を見る限りでは、医師たちの論調は「これまで適切な診断が行われず処方されてこなかったケースが適切に処方されるようになったため」「現状にようやく追いついた」といったものであり、近代病であるストレスや、暗い北ヨーロッパの地域病であるとも言える鬱病とは長くリラックスした付き合い方をするのが賢明と捉えているようだ。タブーからの解放を「進んでいる」と見るのであれば、現代の状況の中で精神を患っても薬の処方で乗り切るというのは「先進国」という考えなのかもしれない。世界の自殺率を見ると、上位に位置する国は東欧・ロシア系の国が高いようだが、上位に入っているOECD加盟国ではハンガリー(5位、ちなみに処方数は23)が挙がるくらいで、上の表にあげた国々で自殺率が比較的高いのは、フィンランド(15位)、フランス(19位)くらいである。抗鬱剤の処方と自殺率には相関関係があるようである。自殺率が高い社会は問題を抱えているのだろうが、多量の「ハッピー・ピルズ」の使用によって、世界一幸せな国民に選ばれたのならば幸せといえるだろうか。人間の繊細さと技術の発展のバランスの取り方に疑問が残る。
ラベル:医療 福祉国家
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2007年11月13日

医療費無料の現実と民間健康保険人気という歪み

国政選挙の投票日である。即日開票だが、結果が出るまではまだ10時間くらいあるだろうから、選挙についてはここでは触れない。落ち着いた頃、識者による選挙戦の分析などが出てくるだろうから、それを待ちたい。

選挙戦で何が興味深いかというと、各党のマニフェストである。何を実現目標として掲げているかを見ることで、「福祉国家の今」にどんな問題点があるのかが一望できると個人的に思う。争点は色々あるが、とくに今回挙がっている中で気に懸かったのは、医療制度と学校の教育環境の問題である。長くなるので、ここでは医療に関する争点を取り上げよう。

日本でも知られているように、デンマークでは医療は無料であるが、医薬は分業であるため、薬は薬局で購入することになる。歯科や耳鼻咽喉科といったごく一部の専門医を除いては、どんな体の不調であっても、まず診療所へ行き、自分のかかりつけ医に見てもらい、薬を処方してもらうか、診療所では手に負えないようなケースの場合には紹介状をもらって病院にかかることになる。つまり、かかりつけ医は担当の患者の健康情報に関して全てを管轄することになる。「病院にかかる」と簡単に言うが、現実には治療の順番が回ってくるまでに非常に長く時間がかかるため、待機期間中に亡くなる重病患者なども少なくないということで、政府は治療待ちの期間に対する保証を始めた。この保障に対する実効性等が、改めてまた与野党の福祉改革の争点として上げられている。以下、この治療待ち機関保障について、振り返ってみよう。

2002年の春に国会では病院法を改正することを決定し、2002年7月1日を持って自由病院選択制を取ることが可決された。かかりつけ医から公立病院に回されてきた患者は、8日以内に病院から治療までにかかる待機期間の見込みを知らせ、それが2ヶ月以上の見込みの際には、患者は民間の私立病院で治療をすることを選択でき、その費用は患者の住むアムト(県)が負担する、というものである。形成美容等の手術(費用も必然が認められない場合は、自費負担)、精神疾患、代替療法、実験段階にある治療、不妊・避妊治療等は、この待機期間保証の対象にはならない。また、アムトは2007年1月1日を以ってリージョン(地方)という大きな単位に改変されたため、現在は、病院はリージョンの管轄となっている。

この「治療待ち期間保証制」を土台として改正が重ねられ、2007年10月1日からは、原則として、期間保証が最長で1ヶ月(検査期間の最長2週間を除いた期間)と短くなった上、かかりつけ医が病院に紹介状を出した時点で、その病気に対する検査・治療を行うことができる国内の全ての公立病院と提携している民間病院から自由に選択し、かかることができることになっている。かかりつけ医は患者の病院選択について助言をすることができるほか、リージョンにもアドバイザーがいる。そのため、住んでいるところから遠いところに位置する病院での待機期間が短い場合には、交通費は自己負担となるが、大抵はそちらにかかることを選択することになる。癌やその他、生命の危険がある場合にはこの期間保証はさらに細かい規定があり、早期治療に取り組もうとはしている。しかしながら、この2007年10月1日の法改正でさらに寛容な保証が行われることで、癌治療だけでもさらに16億クローナ(400億円程度)の公費負担が余儀なくされると見込まれている(2007年9月30日 Berlingske Tidende)

しかし、病室の数は限りがある上、医者、看護師が不足している状況にも関わらず、政府の規定のためにどんどん入院患者を受け入れざるを得なくなるとどうなるだろうか。…結果としては、病室が空かないまま病院の廊下にベッド置き、死を前にした癌患者がそこに寝かせられて入院生活を送る現状がある。2007年11月6日のPolitikenによると、フレデリクスベア病院の内臓疾患病棟では25人の患者が病室に、4人の患者は廊下に入院している状況が載っており、患者はその入院生活のプライバシーのなさ、先への不安などを語っている。

また、労働組合系のシンクタンク、Ugebrevet A4は、2001年の政権交代によって、現在の中道右派政権になって以来の民間病院の急成長振りをまとめている。疾病保険danmarkでは、すでに加入者は国民全体の4割にも当たる200万人を超えているし、保険会社TrygVestaは来年一年で100万人が民間健康保険に加入するであろうと予測しているという。それに加えて前述のように、公の治療費で民間病院で治療する患者も増えているのである。つまり、2001年の政権交代後の6年間で、
*4倍のデンマーク国民が民間健康保険に加入
*3倍の税金が民間医療セクターに投入
*2倍以上の患者が、税金を収入源とする公の治療費負担で、民間病院で治療
という現実が生まれたことがわかる。

新自由主義的政策の推進によって、公的システムに対する不信を募らせた国民が、結果的に民間に頼って受益者負担を甘受していること、そして結果的に「小さな政府」の方向にを進めているのが見て取れよう。また別の機会に投稿することになるが、現行政権下では大学の独立行政法人化も行われたし、近年の日本と共通した傾向が明らかである。こうした事情から、公的システムに対する不信と福祉充実を大きな争点として、今回の選挙が白熱しているため、今日は有権者たちが手に汗を握って、今後の国の行く末を見守ることになるのだろう。

*注
入院してしまえば治療費はもとより、食事なども無料で供される。そんな中で民間疾病保険が何をカバーできるのか疑問に思われるかもしれない。前述、疾病保険danmarkでは、保険タイプにもよるが、例えば一番身近なものだと、(18歳以上の成人は)治療費のほとんどが自己負担となる歯科治療、予防接種、眼鏡・コンタクトレンズ作成等に関しての補助金が支払われる。
posted by Denjapaner at 20:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 医療問題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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