2013年03月26日

4月1日からのロックアウト(職場閉鎖)が決定的に

前回投稿した、教員組合と使用者である自治体連合との衝突、そしてそれに伴うロックアウトの可能性(教員組合の労使交渉にみるデンマークモデル ロックアウトは実施されるのか)についての続報。

最近始めたTwitter(@denjapaner)では即時でつぶやいたのだが、予定されていた先週22日の最終交渉は、多くの予測通り決裂し、イースター明けの4月2日からの学校ロックアウトは決定的となった(公式には4月1日とされているが、4月1日がイースター2日目の祝日に当たるため、実質は2日開始となる。本稿でも公式報道に従い、これ以降は4月1日実施として扱う)。多くの学校がすでにイースターの休暇に入っているが、社会人がイースター休暇に入るのはこの木曜日3月28日からとなっている。ロックアウトの影響に関する報道はかなり出尽くした感もあるが、いまだ誰も経験したことのない公共部門の職場閉鎖であり(オールボー大学のヘニング・ヨアンセン教授は、公共部門で初めてロックアウトが決定的となったことをもって、「歴史的な日」と呼んでいる)、多くの人々がいつまで続くのか、両者が合意にたどり着けるのかと強く懸念している。

前回の記事では、フォルケスコーレと呼ばれる義務教育課程の公立小中学校の生徒への影響を主に扱ったが、影響を受けるのはこの学校群の教員と生徒だけではない。自治体が管轄する公立学校のほかに、国の管轄下にあるその他の学校群も多くあり、この労使交渉が3月25日に行われ、教員組合の代表で交渉役をしているアナス・ボンド―・クリステンセン(Anders Bondo Christensen)がこの機にも教員中央組織(LC)を労働者側の代表として団体交渉に当たり、対する使用者側(国)の代表としては財務省の下部組織である公共行政の近代化庁が当たった。ここでも当然のことながら、交渉は決裂し、これをもって国の直轄の下にある学校群もロックアウトされることになった。

こうした学校群には、約15%の子どもたちが通う私立・独立学校(義務教育レベル)や、多くが寄宿制を取っている9年生10年生学校(エフタースコーレ)もあり、こうした学校では一部父母の自己負担となる授業料を取っているため、ロックアウトが長期化すれば授業料の返還なども求められることになる可能性もある(各学校の理事会が独自に判断の下で行う)。また、子どもたちだけではなく、成人基礎学校(VUC)、介護士の基礎教育などを行う職業学校、生産学校に通う成人の生徒たちも影響を受けることになる。その数、およそ87万5000人。
<自治体管轄の学校群>
公立小中学校 556,660人
自治体の青年学校と寄宿制青年学校 3,809人
外国人のためのデンマーク語教育 21,761人

<国管轄の学校群>
私立・独立学校(小中学校レベル) 102,498人
寄宿制9年生・10年生学校 24,017人
技術・家庭科学校 410人
生産学校 6,098人
基礎職業教育 (介護士など) 19,000人
通常成人教育 23,029人
基礎成人教育 8,100人
成人識字教育 5,036人
職業教育・訓練 94,102人

寄宿制の学校に通う生徒は、突然住むところを失い、自宅に帰られなければならなくなるため、生徒たちは「この衝突が自分たちを人質に取っている」と感じている。デンマーク語教室に通う外国人などは、既定の期間中にデンマーク語の試験に合格しないとならないという規則があるため、ロックアウトによって長期間にわたって授業や試験が履行できなくなれば、国を去らなければならなくなる可能性さえ出てきている。

とにかく大変な規模での混乱が予想されていることが見て取れるだろう。学校にも、労働協約の拘束を受けない雇用形態で働く教員というのが約5人に1人ほどおり、この人たちはロックアウトの影響を受けることなく、職務に就くことができるというが、自治体ごとにその数や割合は異なり、何とか通常授業を行うことができるところもあれば、まったく不可能なところもある。この教員たちも(ロックアウトによって人が足りないことがあっても)通常業務で行うこと以上のことは一切行ってはならないという厳しい取り決めがあるため、少ない人数でなんとか回すというのは当然のこと、選択肢ではない。全国98の自治体がそれぞれ異なる対応をしているため、子どもを持つ親は自治体のHPを頻繁にチェックするなど対応を求められている。(このページのGoogleの地図で自分の住む自治体をズームして見つけて、クリックするとその対応がみられるようになっている)

思わぬところからイースター休暇が長引くことになり、子どもたちが喜ぶかといえばそうもいかない。夏には試験を受けて終了しなければならない生徒もいる。教育相のクリスティーネ・アントリーニ(Christine Antorini)は「どんな生徒もこのロックアウトの影響で、修了試験に臨めないといったことがないように全力を尽くす」といっているが(2013年3月24日、Avisen.dk)ことの長期化によっては生徒たちにとってグロテスクな結果も必至だ。すでに今日の報道では、民間の会社が補講を行うサービスを提供し、藁にもすがる思いの親はそれにお金を払っているなど、デンマークらしくないことも聞かれるようになってきている。前回の記事でも書いたように、国(政治家)の非介入はデンマークの労使交渉の根幹にあるため、慎重さをもって行われる必要があるが、ロックアウトの長期化と交渉の泥沼化によっては世論の流れからも避けて通れなくなるはずであり、その対応が今後も注視される。
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2013年03月19日

教員組合の労使交渉にみるデンマークモデル ロックアウトは実施されるのか

しばらく更新が滞ってしまったが、今回は教員(小中学校の義務教育課程に限定)での動きに注目して記事を書きたい。というのも、公立小中学校の改革(「新・北欧の学校」と呼ばれる)と、教員養成課程の改革が同時に行われ、それらに伴う労働条件について、教員組合と交渉相手の自治体連合(KL)の衝突が激しさを増しているからだ。話し合いは、毎週のように行われているが毎度決裂に終わっており、このままでは最も早ければ4月1日から全国の学校がロックアウトになることが警告されている。ロックアウトが実施されれば、協約の適用されるすべての教員、学校内の0年生(幼稚園)クラスの代表教員、放課後の青年学校や語学学校など、あわせて5万2000人の教員たちが職場にいくことができなくなり、生徒たちは授業を受けられなくなる。

使用者側の自治体連合が、提示する条件をのまない教員たちに対して職場を封鎖することで就労をさせずに、給与も支払わない事態にもっていくわけだが(使用者側に賃金支払い義務はない)、それに対して教員組合側は組合のストライキ用プール金を切り崩して組合員たちに損失給与を補償することになる。教員組合はとくに組織力のある労働組合で力も強いため、夏くらいまでだったら闘う資金はあると見込んでいる。これによって自治体連合側は、フルタイム換算で41,000人となる教員たちの給与を支払わずに済むため、結果として全国では一か月に16億デンマーククローネ(約265億円)も人件費を削減されることになる試算だ(Information, 2013年3月18日)。

今週の金曜日3月22日にもう一度交渉の場が予定されているが、その翌週からはイースターの休暇に入ることもあり、ここでまとまらなければ4月以降の混乱は避けられない。4月1日になってからも、さらに交渉が続けられる場合には、ロックアウトはさらに2週間延長が可能だ。それでもまとまらないものの、交渉人たちがまもなくまとまる見込みがあると考える場合には、さらに2週間と5日間ロックアウトは再延長される。それからはもう再延長の可能性はなく、5月4日から一斉に学校での授業がストップされることになる。

最も大きなダメージを受けるのはこの団体交渉の影響から突然学校が閉鎖されて、勉強することができなくなる全国60万人の子どもたち、そして彼らの行き場を探さないとならない親たちである。昼間子どもたちが学校に行けなくなれば、親が協力し合って面倒を見るか、職場に連れて行くなどの対応が求められることになる。特別の公務員規定で職務についている教員はこの影響を受けないようだが、その数は少なく、授業がなくなるのは避けられない。すでに、ロックアウトが実施された場合に備えて、子どもが学校に来られない場合の預かってくれる場所を探しておくようにという勧告もだされており、現実味は増すばかりだ。

では、教員組合側はどんな既得権を守ろうとし、使用者側からの提案の何を不服としているのだろうか。少し背景を見てみよう。以前の記事でもあげたとおり、デンマークの生徒の学力は、PISAなどの国際比較調査で芳しくなかった(「乗り越えたPISAショックと調査の妥当性」)。その後の努力で、自然科学に関する学力はいくらかの向上が見られたものの、平均程度の「きわめて平凡な」成績であり、同じ北欧のフィンランドが抜群の結果を連続して出しているのを見ていると、教育政策を行うものにとってもどかしいところもあったようだ。(青が数学的能力、赤が読解能力、緑が自然科学能力。グレーのゾーンはOECDの平均値)

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教育にGDPの7.1%を費やし(2008年データ。OECDの平均は5.9%で、日本は4.9%。Education at a glance 2011)、OECD諸国の中でも第8位に当たる大きな優先順位をつけているにもかかわらず、費用対効果がよくないことも挙げられている。これを教員が授業に費やす時間が少ないためだと、全国の公立小中学校を管轄する自治体連合は槍玉に挙げ、教員の授業時間を増やせという要求を出している。自治体連合の調査によると、教員は実際のフルタイム勤務の中で授業に従事している時間は39.6%に過ぎず、もっと生徒たちと接し、授業に従事する時間をつくることで子どもの学習意欲や学力向上といった質の向上に貢献できるとしている(KLの報告書。デンマーク語)。

教員は「就業時間規則」という規定により、校長などの管理職によって決められることなく、自ら就業時間を振り分けることができる。授業準備に費やす時間がこれだけ、といった形で決められているため、経験豊富な教員が実際にはそんなに準備に費やす必要がなくても、その分を別のことに回すといったことができない。これが生徒と過ごす時間を増やすことを阻んでいるとして、使用者である自治体連合側はこの教員だけが備えた特権を廃止し、管理職がフルタイム週37時間の割り振りを決めるようにできるようにすることを「平準化」として望んでいる。対する教員組合側は、強硬にこれに抵抗しており、交渉は泥沼化しているのが現状だ。

同時に進行するのが、政府側の思惑としての「ゆとり」の廃止である。ドイツも同様のようだが、デンマークの学校もこれまでの半日制から全日制へ移行させることで、授業時間を増やすことで学力と国際競争力を高めたいという狙いである。2006年以来、7つの自治体に位置する13の学校で特例措置として全日制を導入し、学年を問わず8時から16時までの8時間を学校で過ごすようになった。(*学校教育法は16条3項は、幼稚園クラスと1-3年生までが学校で過ごす時間を、一日7時間まで(2010年以前は6時間まで)と定めている。)

そして2012年10月には、この全日制の学校がどんな成果を上げているのかを評価するため、第三者機関であるコンサルティング会社が教育省の委託を行った調査の評価報告書が刊行された(Ramboell『全日制学校評価 報告書』。デンマーク語)。同報告書は、直接学校に長くいることが学力の向上に貢献するとは結論付けられないものの、全日制の一部の学校では、ほかの全日制の学校や全日制でない学校と比べて前向きな効果もあった(なんと曖昧な!)、としている。なお、報告書の結論部分にも書かれている通り、ここで特例措置として全日制を実施した学校群はすべて(二言語児が多く在学するなど)問題のある学校だったということも併せて検討される必要があり、「学校にいる時間を長くすると生徒の学力が向上する」という単純な結論は導けない。それでも、教育相のクリスティーネ・アントリーニ(Christine Antorini)はこの結果を好意的に受け止め、「今後を見るに値する変化」として、全日制のための足場を固める準備をしている。「新・北欧の学校」というプロジェクト名で公立学校の改革を進める教育省は、学校教育法の改正も含め学校教育全体を変えることに意欲を燃やしており、そのために全日制の導入が要となることもあり、政治家も学校をめぐる労使交渉にあれこれを口を出したくなっているようだ。

しかし、フレキシキュリティのデンマークモデルとして知られる大原則に、「労使の交渉に政治家が口を出さないこと」がある。交渉がいかに膠着状態に陥ろうと、「政」は「労・使」に干渉しないというのがデンマークモデルの重要な原則であるため、これを曲げるわけにはいかない。たとえば、現在は経済産業大臣ながら、教育大臣を経験した急進自由党の党首のヴェステーア(Margrethe Vestager)は、教員組合が「改革によって授業準備の時間をとれなくなり、ディスカウントな授業になり学校の質が落ちる」といったような「神話」を作って世論を誘導していると発言している(Politiken,2013年3月3日)ほか、社会民主党の財務相のコーリドン(Bjarne Corydon)もたびたび口を挟み、教員たちに「口出しをするな!」と猛反発にあっている。

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しかし、コペンハーゲン商科大学のペーダーセン(Ove K. Pedersen)教授によると、実質の使用者が自治体であっても、結局の財源は国から自治体に交付されるものであるため、財務相がこれにある程度の利益関心をもって自治体とともにシナリオを準備をしたり、意見を述べることはこれまでもされてきたことであり、これはデンマークモデルの基盤を壊す「干渉」には当たらないとされている(Information, 2013年3月19日)。財務相を経験したシモンセン(Palle Simonsen)も同意見である(Information, 2013年3月19日)。

教員にこれまでの週に25コマ(一コマ45分)ではなく、毎日5時間ずつの週25時間を授業に充てるようにさせるというのがこの全日制以降に伴う教員への要請だが、教員側からは親の立場の人をキャンペーンビデオに起用し、「先生が準備しないで授業をしたら、質が下がってしまう」「8時から16時までなんて大変なことよ?」、「子どもたちの遊ぶ時間や余暇活動はどうなってしまうの?」「保護者が先生と話をする時間を取れなくなってしまうのではないかと心配…」といった反応を示している(記事一番下のビデオ。自動再生ですみません)。国際競争力という指標だけに動かされて、人間味や文化的な素養のない画一的な子どもばかりになってしまうことへの懸念もされている。

新聞の投書欄の教員の女性は、「1.病気で休んだ生徒を訪ねるために、日曜日に家庭訪問した。2.生徒に犬と狼がどんな生物学的分類でつながっているのかと尋ねてられて、自宅で調べた。3.親との懇談が予定よりも長引いた。」といった最近の例を挙げて、経営側に就労時間を管理されるようになると、こうしたことをする時間を見つけられなくなると現在の就業時間を自分で割り振ることができることが大切という議論を展開している。(日本の教員なら当たり前のように自分の余暇時間を当てていると思われるが、それが当たり前と思ってはいけないと労働時間の意味を自戒させられる。)

緊張状態にある労使交渉という点でも、学校教育がどういった方向に変化していくかという点でもとても興味深い今回の教員たちの団体交渉を息をのんで見守っているところだ。(続報はまた金曜日以降に載せます)

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2011年05月03日

「赤」と「緑」は両立するのか

天気がよければ、公園に集合。各自ビールを持参すること。
そんな約束がされているかのように、集まったたくさんの人々。
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…実はこれは、メーデーの集まりだ。例年コペンハーゲンにあるFælledparkenに、左派政党や労働組合がテントを張って、仲間が集う。デンマークのメーデーの現実を取材?すべく、二つの仕事の合間だったが、数年ぶりにこの公園へ覗きにいってきた。特設中央ステージでは、党首の演説が行われたり、間にはバンドの音楽が演奏される。メーデーは、デンマーク語では「国際労働者闘争の日」という言い方がされる。(ちなみに、同様に3月8日もデンマーク語では「国際女性闘争の日」とされる。どちらも、「闘争Kamp」という言葉が使われ、「メーデー」「国際女性デー」といった穏やかさよりも、確実な攻撃性が感じられる。)

コペンハーゲンを初め、国内各地で同様の集まりがされている。天候に恵まれた今年のポスターに書かれたテーマは「民主主義、自由、安心」(日本へも通じる重要なテーマだ…)。
ポスター

すごい人出で、近くの駅では乗降も大変なくらいだ。気楽な格好をした若者たちが缶ビールをスーパーの袋に詰め、友達とピクニック気分でやってきていたり、子ども連れの家族がいたりする。駅からは何らかの旗を掲げたデモ隊らしき人たちも少しいたが、政治色はほとんど感じられない。

公園の特設舞台では、司会者が時折話をしているが、人々は熱心に耳を傾けるというほどではなく、勝手にのんびり陽差しを楽しんでいる感じだ。それでも「自由党・保守党連立政権下での最後のメーデーにしよう!!」と司会者が叫んだときには、喝采が飛んだ。少なくとも政権交代を望む点では、一致しているのだろう。だがこれだけ奔放な聴衆を前に、短いスローガン的なものは響いても、党首演説などでメッセージを届けるのは厳しいかもしれない。直接は聞くことができなかったが、当日の要人の演説内容が簡単にまとめられている(Information, 2011.5.2.)

・ハラルド・ボアスティン、LO議長「労働組合は、(金融)危機を乗り越えるための解決策をバックアップしている。今よりもう少し働くことで、子どもたちにまともでいい学校環境を整えることができる。また、親たちに価値のある老後を保障することができる。自分自身にとっても、病気になったり、仕事を失ったりといった不運なことが起こってもセーフティ・ネットがあり、あなたを助ける制度となるのだ」
・ヘレ・トーニング・シュミット、社会民主党党首「自由党保守党デンマーク国民党政権は、フリッツやポウル(テレビドラマでの明らかな上流階級の登場人物名)のように、物事を四角く考えている。恵まれた人たちがさらに働かせるには、減税だけが動機づけとなる。貧しい人たちは働くよう動機づけるのは、もっと貧しくなることだけだ。でも、私たちは貧困が就労への道にならないことを疑わない。その逆だ。貧困は人々を共同体から外へ出すことだ。まず最初にすることは、初期援助と生活保護の上限をなくすことだ。貧困はこの国にはあるべきではない。2011年にも、2020年にも。」(参考記事 選ばれし移民は去り、招かざる移民は周縁に
・ヴィリー・ソウンダール、社会人民党党首「デンマークの政治はもはや右も左も違わない、というのは『賢い』コメントだ。(だが)それは間違っている。そんな人たちに最短コースを実施するのを許してほしい:右派は銀行の頭取に減税を与え、教育費支出を削った。社会人民党は多国籍企業の税逃れを止め、ノンスキルの層に教育を受ける機会を与える。そこに、まさにそこに、青と赤の違いがある。」(青は保守・自由系の赤は左派リベラル系を指す。また、参考記事 高福祉の裏にある過酷な税徴収と「いたちごっこ」
・ヨハネ・シュミット・ニールセン、統一リスト政治部門スポークスマン(実質的には党代表だが、複数の党が集まっているため、こういった肩書きとなる。2007年から国会議員の彼女は、1984年生まれであることを特記したい)
「私たちは皆、外に出て行って友人や同僚、隣人や家族に、共同体や自由、互いへの責任といったものを削る必要がないのだと伝えなくてはならない。そしてどうやって国庫の穴を埋めるのかというのが政治的な選択であることも。」
・デニス・クリステンセン、FOA議長「すべての人の週労働時間を増やすということを言っているのではない。そうではなくて、賢明な解決策を見つけることを言っており、そのなかにはもっと働くことが魅力的だったり、納得のいくものとなることもあるのだ。」 (参考記事 「毎日12分長く働けば、経済成長を適えます」

特設ステージの脇にはスクリーンもあり、登壇者が映される。「デンマークを真剣に捉えよ!今はどんな具合?」というスローガンが描かれている。低技能者の職種別の労働組合のナショナルセンターであるLOが作ったものだ。これをググルと、Facebookと連動していて、「いても立ってもいられなくなる10の事実」が挙げられている。(情報ソースはそれぞれ上記リンクに載っている)

事実1:たった2年間で159,000の雇用が失われたこと。民間産業では7人に1人の雇用が失われ、南デンマークの広域連合(医療を所轄)では5人に1人が職を失った。
事実2:政府の税制改革(2010年1月実施)によって、LO組合員の平均的な家族は年間3,500クローナ(約6万円)の可処分所得を失い、さらにと経済再建パッケージ(「解雇天国」を下支えする、デンマークのフレキシキュリティの揺らぎ 参照)による福祉削減の影響を含めると、失われる可処分所得は年間で7,300クローナ(約10万円)にもなる。
事実3:2013年には、削減プランによってさらに6000人が貧困へ落とされることになり、学生を除くと2001年以降で貧困層は50%増加したことになる。
事実4:失業者が2年間で2倍に。現在、活性化中の人も含めると167,000人が失業。これに加えて、失業保険給付も生活保護も受けていないために数字に表れない失業者がさらに70,000人ほどいる。
事実5:過去10年間の減税が福祉削減につながっている。3回の税制改革と税ストップは520億クローナまで公共財政を緊縮させたが、こうした減税策がなければEUの収斂基準(経済再建パッケージの背景にある)も問題なく満たすことができていた。
事実6:7,386人の若者が実習受け入れ先がない。昨年よりもこの数は約6%多く、そのため若者は実習を受け入れてもらうための活動を必死でするか、進路を転換しなくてはならない。(参考記事 デンマークの職業教育・訓練を支える背景
事実7:政府の決定した公共支出の「ゼロ成長」は地域自治体の職員を10,000人削減することだ。高齢者の数も増えるなか、保育・高齢者福祉といった核になる福祉領域が削られる。(参考記事 介護や医療の領域に忍び寄る受益者負担
事実8:失業保険手当の給付期間は半分になる一方で、長期失業者の数は増大。いまや53,000人が長期失業者(注:1年以上失業していること)となっているが、最長給付期間が2年間へ半減され、権利保障は縮小している。(参考記事 74.5歳まで現役でいられますか
事実9:若者が何者にもならないで失われている。2010年までに95%が中等教育を修了するという目標は果たされないまま、いまや青年の20%が義務教育しか修了していないという事実に近づきつつある。専門教育を受けていない青年は、失業へとまっしぐらだ。(参考記事 実践経験での学びは理論学習に駆逐されるのか
事実10:1クラス当たりの生徒たちがどんどん増えている。1993年以降これほど1クラス当たりの生徒数が多かったことはなく、この傾向はどんどん強まっている。

人が集まれば、食べ物・飲み物が売れる。そんなお祭り感覚で、ソーセージ屋台やビール売り、タイ料理ファーストフードやピザ屋まで出ている。通りで売っているようなペルーやメキシコの物売りも便乗して出ている。公園の中で、新聞らしき物を勧めている人がいたのでくれというと、10クローナという。買ってみたら、「社会主義労働新聞」とある。国際社会主義者青年部というところが出しているらしい。

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その後、テントの一つに近づいてみると、そこでは別の新聞を無料でくれた。こちらは、「労働者」というもので、共産党が発行しているものだ。今なら3週間(?)無料購読できるキャンペーンをしていると誘われたが、まずは読んでからと断った。火曜日から土曜日までの週に5日間毎日刊行され、(ほぼ)日刊紙として成り立っているデンマーク随一の「赤い新聞」だ。この辺りのテントは赤い旗や中国・北朝鮮の旗を掲げていたり、共産党関連のコーナーのようだ。そばでは、レーニンの本など、「関連図書販売」コーナーもあった。


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5月1日をデンマーク語で言うと、デン・ファーステ・マイden første maj。この「マイ」という語が英語のMEに当たる語migと同じ音であることから、「私が一番først mig!」といったエゴイズムの蔓延を批判的に嘆く声ともに聞かれることも多い。当日のPolitiken紙の風刺画は、社会民主党党首ヘレ・トーニング(「社会主義者がグッチのバッグを持つなんて」と揶揄されるが、彼女は都市のインテリは左派であるという現代性を象徴するような若い女性の社会民主主義者だ)と社会人民党党首ヴィリー・ソウンダールが、赤い旗に映る自分の顔を見ているもので、秋の選挙に向けた有権者の自分への反応を気にしていることを描いたものだったが、似た絵は前にも見た記憶がある。個人主義は尊重される国でも、エゴイズムは忌避される。「共同体」と「連帯」がキーワードとなる、デンマークの赤ブロックで、ビールを飲みながらゆっくりと「自分第一になっていないか」と問いかける催しが、この年に一度のメーデーであるといえる。

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デンマーク人の友人は、私がメーデーの記事を書くことを冗談交じりに告げると、Fælledparkenでのこの集まりが大嫌いだといって、「赤は同時に緑にはなれない」と名言を残した。ビールを持って楽しんだ後、ゴミの散乱がひどいからという。確かに、臨時トイレの設置などもされていたが、昼間から園内で用を足す男性の姿なども見られ、ゴミの散乱もあわせるとそのマナーの悪さは想像がつく。大晦日の花火の狂乱の狼藉(郵便ポストにも花火を投げ込まれないように封鎖されるのが常識だ)もひどいものだが、こうしたところに「緑」(環境に優しい)と両立できない「赤」の狭量さがあるのかもしれない。(とはいっても、例えば統一リスト党の英語名は、Red-Green Allianceであり、環境へ対する配慮もあるはずなのだが)
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2011年03月01日

74.5歳まで現役でいられますか(改訂全文)

『週刊エコノミスト』3月1日号(2011年2月21日発売)の「導入難しい北欧型雇用モデル」という小さな特集(?)に、「自己責任の拡大で試される社会の“連帯”」と出した記事を書かせて頂きました。2011年元旦に首相が早期退職年金の廃止を宣言して以来、国内で大きな議論になっている、政府と労働組合側の「対決」について扱っています。

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次号が発売されましたので、記事のもととなった原稿(実際の二倍くらい分量)を転載します。

試されるデンマーク労働運動の連帯
デンマークでは、使用者にとっての弾力的な雇用flexibility(雇用hireと解雇fireが比較的容易)と雇用者にとっての安全網security(失業時の寛大な失業給付と職業教育・訓練)が基盤を作り、フレキシキュリティの語が1990年代から労働市場政策の基礎を築いてきた。失業者の就労能力を高めるための再教育訓練による活性化政策が注目されがちだが、それ以上に、在職者の技能維持・向上のための在職者訓練が労働市場教育(Arbejdsmarkedsuddannelser:AMU)と呼ばれて、積極的労働市場政策の重要な機能を担っている。

90年代の失業率が高かった時代に、国は失業者を積極的に労働訓練へ送り、職業技能を高めるための教育機会に投資した。こうした教育への投資を含んだ労働市場政策はデンマーク・モデルと呼ばれ、社会民主党政権下で確立した。これが2001年秋の自由党・保守党政権への交代から金融危機直前までの好景気と完全雇用の実現に弾みをつけたといわれている。

しかし、2008年秋の金融危機の影響はデンマークにも及び、リーマンショック以降、これまでに国内で18万4000の職が失われたとされる。フレキシキュリティのモデルは、好況時を前提として考えられており、今回のような世界的な不況下で適用されることを想定していない。失われた職のうち、低技能の仕事は景気が回復しても戻ってくる見込みは薄い。そこで職業訓練によって専門技能を向上させるか、別の領域で専門性を獲得しなおすことが求められるようになる。労働組合側と二大野党の社会民主党・社会人民党は、来るべき知識社会に対応した就労能力を労働者に習得させるため、とくに高等教育を受けていない層に対して積極的に予算を配分して職業訓練を受けさせることに積極的である。2011年秋に予定される国政選挙で政権交代が実現すれば、誰もに最低13年間の教育(10年間の義務教育と3年間の後期中等教育)を保障するよう拡大する見通しだ。

2001年に社会民主党が下野して以来、自由党・保守党政権が導入した市場原理に則ったツールにより、世界でも最も格差の少ない国とされているデンマークでも少しずつ格差が拡大してきている。雇用領域でも、公の責任領域は縮小し、歴史的に大きな力を持ってきた労働組合の影響力も弱体化させられてきている。

世界的恐慌にも関わらず、予定されていた2010年から税制改革による減税を断行した政府は税収減による緊縮財政のため、消極的労働市場政策による給付にも縮小を迫られた。そこで実施されたのが、失業手当の受給年限の短縮である。雇用保険加入者への失業手当の給付期間が、2010年7月からは最長四年間から二年間へと縮小された。そして二つ目がスウェーデンやノルウェーにも見られないデンマーク独自の制度、早期退職年金の廃止である。これは、失業率が高かった1979年に、高齢層から若年層へ労働人口をシフトさせる目的で導入されたもので、雇用保険と別に早期退職用基金に30年以上加入しており、まだ働けるにもかかわらず国民年金受給開始年齢(現在は65歳、段階的に67歳に引き上げ)前に早期退職する者に対して、最長五年間、最大で失業手当給付額の91%を支給するものである。労働市場からの引退を前提としているため、失業手当に準ずる給付を受けつつも、就労支援のための活性化政策に加わる必要はない。

この政策は、完全に体にガタがきてしまう前に退職し、孫や家族とゆっくりした時間を持ちたいと考えていたデンマーク人の希望に合致し、とくに低技能の体を使う職種の人々を中心として大きな支持を集めた。現在は12万人ほどが早期退職年金を受給しており、これは労働人口全体の4.5%に当たる。そのために、デンマーク人の労働市場からの引退年齢の平均は、61歳を少し超えたところに留まっている(同制度を持たないスウェーデンやノルウェーでは、それぞれ平均63.5歳、64歳となっている)。これに加えて、デンマークの若者は教育を修了するまでに時間をかけるため、労働市場に入るのが平均28.6歳と極めて遅い。これらの事実をあわせると、現在のデンマーク人は生涯に32年ほどしか就労していないことになる。労働市場委員会をはじめとする多くの専門家が、これでは国の財源がもたないとして、若者に対する学業修了を推奨すると同時に、早期退職年金の撤廃を勧告してきた。同年金は国庫へ毎年160億クローナ(約2560億円)の負担を強いている。しかし、すでに基金には110万人が払い込んでいることもあり、この改革に手をつけることは多くの有権者からの不支持に直結しかねず、保守・革新どちらの政党にとっても大きなタブーとなってきた。

それがついに2011年1月、ラスムセン首相が年始のスピーチ(下記ビデオ参照)で、早期年金の段階的撤廃を宣言したため、国内では大きな議論が巻き起こった。政府は、このままでは高福祉を守る財源がないとし、今後のさらなる平均寿命の延びとそれを支える労働力不足を見越して、高齢者を含めた誰もが働き、納税することによって福祉を守ると主張する。早期退職年金の撤廃は、国民年金の受給開始年齢とも関わってくるため、それにも着手することが決められた。2006年の「福祉協定」において、国民年金受給年齢は2024年から段階的に67歳に引き上げることが決まっていたが、この予定を早め、すでに2019年から実施して68.5歳まで引き上げることが提案されている。これが成立すれば、例えば77年生まれの私は今後ずっとここで働いたとしても70.5歳になるまで、2011年生まれの新生児は74.5歳になるまで国民年金を受け取れなくなり、デンマークはヨーロッパでも最も引退年齢の高い国となる。LOのHPに年金受給年齢の計算機が掲載されている。自分の誕生日と働き始めた年齢を入れると、自動的に計算される仕組みだ。

2010年12月のデータでは、国内の失業者は16万2000人にまで増えており、失業率は6.1%である。ここで60歳以上の高齢者を労働市場に留めることは、さらなる失業を増やすことにつながりうる。現在、早期退職年金を受給している人の多くが建築現場や介護といった低技能で、体を使う職についていたものである。もともと高くない賃金だったために、最大で失業手当の91%という給付額を抵抗なく受け入れ、腰の痛みといった多少の不具合が出始めた体を休めるために早期退職をしている。その一方で、大学教育を受けたような高所得者は、賃金も高いため、早期退職せずに働き続けることが多い。現行政権の政策もあり、教育程度と健康状態、医療へのアクセスは関連を深めており、低技能労働者の平均寿命は高学歴の労働者よりも短いというデータがある。

2010年の税制改革によって減税の大きな恩恵を受けたのは高所得層であり、低所得の低技能労働者に対する減税は限定的だった。高所得層に対する減税によって福祉予算が削られるようになり、そのしわ寄せが低技能労働者の人生終盤の豊かな引退人生を取り消す形で断行されようとしていることに、大きな不満が高まった。失業を解消するために必要なのは教育であり、再教育を助けるための資金であるというのが労働組合側の主張である。

そのため労働組合側は、何としても早期退職年金を守ると大きなキャンペーンを張り始めた。低技能労働者の労働組合のナショナルセンターであるLOは、「71歳になってまだ、一日に600個のレンガを積むことができますか(レンガ工)」、「71歳になってまだ、一日24件を訪ねられますか(ホームヘルパー)」とキャッチコピーをつけたポスターを作製し、世論を喚起した。2月には職域を超えて国内全土の労働組合の職場代表を集めた会議を開き、5000人の職場代表が集まるという史上まれな労働者の連帯運動が始まっている。

2月初めには、国内各地で早期退職年金撤廃に反対するストライキが行われている。昨年秋に、フランスで年金受給年齢の引き上げ決定が若者のストライキを巻き起こしたように、デンマークでも多くの労働者が職域を超え、連帯して労働者の福祉を守ろうとしている。社会的弱者に対しても生活の質を保障するために、社会全体で支えていこうとしたこれまでの連帯の原則が、福祉に依存する「お荷物」を自分が支える必要はないという個人主義的な経済自由主義の自己責任原則に押されてきており、社会の連帯が再び試される時期に来ている。

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2010年12月18日

「解雇天国」を下支えする、デンマークのフレキシキュリティの揺らぎ

一部で注目を集めている、デンマークのフレキシキュリティ(使用者にとっての柔軟な雇用フレキシビリティと労働訓練や失業保険手当などで労働者にとっての安全網セキュリティを適えた条件の造語)の基柱となっている職業教育や青年の教育課程から就業への移行という領域でも、金融危機後、大きな予算削減が実施され、変化が起きている。2010年夏前に発表された「経済再建パッケージ」と2011年1月から施行される「新活性化法」が、その要因だ。

AMU(「労働市場教育」)と呼ばれる職業訓練は、今年2010年に満50周年を迎えている。継続教育・職業教育は、中等・高等教育の修了者の多くないデンマークでは、就業後の教育機会として重要な意味を持っており、労働者の技術・能力向上は使用者の利益にも適うために、職場との連携の下に熱心に行われてきた。EUから出されたレポートによると、2007年には何らかの継続職業教育に参加してる者の割合は29.2%にも上っており(教育省プレスリリース、2009年6月14日)、他のEU諸国と比べても格段に高くでていた(同年のEU平均は9.7%)。職業と関連しない余暇教育の領域では、景気とは関係なく締め付けは強まって予算は減らされる一方だった(リベラルな教育の危機 参照)が、職業教育の領域では、これこそがフレキシキュリティ、そして経済成長の鍵として、熱心に行われているように見えた。

2008年秋の金融危機後、失業不安が高まる中でも一時帰休制度などを利用して、労働者を解雇する代わりに「国からの支援金で職業訓練の機会を与え、職能を高めより有能な従業員を育てる」ケースも増えていた。職業教育を受けていたのは2007年には41,500人だったが、経済危機を介して2008年には63,900人、2009年の上半期にはすでに36,400人となった(Information、2009年10月27日)。これらに加えて、失業者増加に伴い、失業期間中の就業能力活性化(アクティベーション)と呼ばれる職業訓練コースの費用も嵩み始めた。当然のことながら、これらの教育投資に伴って国の支出は増加する。

2010年に出された「経済再建パッケージ」という名の予算削減案では、失業手当の給付期間がこれまでの半分の二年間に短縮されるなど、雇用と教育の領域でも多数の予算削減が決定された(拙著『デンマークの光と影 福祉社会とネオリベラリズム』で詳述)。そのなかで、これまで学校からドロップアウトした青年たちの一時的な受け皿として機能してきた生産学校も、標的となった。生産学校は、生徒が給与をもらいながら少人数制のワークショップ形式で学ぶ学校だ。商業・工業高校や何らかの仕事から脱落して来た若者を、進学あるいは就業へつなぐ機能が期待されている(実効性は約6割とされる)。しかし政府は、「中等教育課程をドロップアウトしたからといって、それだけで生産学校へ行く必要はない」として、入学者を制限することを決定した。また18歳以上で自宅から通学する生産学校生徒の給与も、フルタイムで就学する学生のSUよりも高額であるため、これと同水準にするとして約46%の減額が決定されている。これは中等教育修了者を95%にするという(実践経験での学びは理論学習に駆逐されるのか 参照)目標を達成する上でも、向かい風となる決定となる。近視眼的に見ると高くつく生産学校だが、問題のある若者たちに対して早期に支援することで、彼らが将来的に生活保護や障害年金を受給し、国の福祉に依存する存在になることを予防している機能もあると、生産学校協会のレナート・ダムスボ・アナセンはいう(Altinget.dk, 2010年11月24日)。

成人の教育期間中の生活保障となる成人奨学金(SVU)も、支給期間が制限されるようになり、基礎教育履修の場合はこれまでの80週間から40週間へ、継続・職業教育履修の場合には52週間から40週間へと短縮されることが決まった。

さらに2011年の財政法案では、職業教育のための予算を、これまでの15億クローナの予算から3分の1に当たる5億クローナを減らすことが決定された。そのひとつに、成人教育センターでのコースへの参加は、優先順位をつけるとして、中等・高等教育をすでに修了している人や年金生活者は、自己負担が求められるようになったことが挙げられる。これまで、高校レベル(HF)の1教科だけを受講する場合、1セメスターで600クローナ(約1万円)の自己負担だった。夜間教室や余暇・趣味関連の学習(「ムダ」と「文化」の境界 参照)等の気楽さとは異なり、こちらは期間終了後の試験受験が義務付けられている。今後の自己負担となる額は、科目やレベルによって異なるとされているが、1セメスターあたりで10,000-12,000クローナ(約15万から25万円)にはね上がることになった。

日本の新卒者とも共通する、新卒者の就職難も深刻な問題だ。デンマークでも自分の専門を生かして就職するには、卒業後最初の1年間が肝心であるという。専門と関係のない職に就くと、その後専門を生かした職に就くチャンスが減るという。しかし、金融危機の影響で、2009年6月には卒業後1年経ってもまだ失業中の者が12,9%、専門外の仕事に就いた者が5〜10%ほどいるという結果が出ている(大学修了者組合ACの調査。Altinget.dk,2010年8月9日)大学は教育をするはいいが、就業支援を十分にしていないという非難の声もある。現在のところは、景気によって就職は左右されるため、就職状況に応じて(褒章としての)補助金を出すのは適切ではないとされているが、大学の責任を問われ始めている(Altinget.dk, 2010年12月16日)。

失業期間中の「活性化(アクティベーション)」と呼ばれる就業支援教育コースは、その有効性は置いておいても、失業中に次の職へ備える技能向上機会として機能しており、フレキシキュリティの根幹を成すものだった。しかし、この失業手当受給者に与えられた、自分の選んだ教育コースを六週間受ける権利も脅かされつつある。失業者の就業支援は自治体のジョブセンターの役割だが、こういった教育コースの費用はのちに国から自治体へ還付されるようになっていた。2010年までは同費用の75%が還付されたが、2011年1月からはこれが30%になることが決定された。この背景には、民間の失業者支援教育プログラムを提供している企業が、ろくに役に立たないようなコースを多数実施し、「自分の内なる青い鳥を探そう」だの、「レゴブロックを積み上げて、自分を表現してみよう」といった有象無象のコースに多額の公金が使われたことに批判が高まったことがある。これらによって、活性化教育コース自体が疑いの目で見られるようになってしまった。

失業者を教育コースに送る代わりに、企業での研修や給与補助を得ながらの就業などをさせる場合には(その後の就職につながる可能性が高いため)、自治体は国から50%の還付を受ける。こうした誘因によって、自治体は自腹で失業者の技能向上のための教育を受けさせることを避けるようになる。同時に、教育コースの費用にも上限が設けられ、大きな機械を使ったりして多額の費用かかるコースには参加させられないことになった。

2011年1月から新活性化法が施行されるが、国会での法案は何とかクリスマス休暇前に通過したものの、現場は混乱を極めているようだ。雇用大臣のインガ・ストイベアは、規則が新たになり、いくつかの自治体は不利になってくるため、2013年までは国から自治体へ補償金を出すとした。しかし、実際には都市部重視で地方との格差を広げるための政策となるという非難もある(Information,2010年12月15日)。27の自治体のうち8つは、補償を受けたあとのほうがより多額の損失がでることがわかった。たとえば、ユラン半島のエスビャー市は、新活性化法の施行により、1080万クローナを失うことになる。が、そのための特別の補償制度を適用することによって、総額1570万クローナを失うことになるという(Information,2010年12月17日)。「自治体も混乱している」としているだけで、詳細についてはまだ明らかになっていない部分も多いが、性急な法案成立をさせたために不備が出てきていると見ることができる。

限られた予算をどのように優先順位をつけて配分するかで、職業教育に関してもかなり渋い時期に来ているといえる。フレキシキュリティの根幹といえる労働者の再教育の部分を削ったツケはきっと将来に巡ってくる。労働運動経済評議会の分析によると、現在と比較して2019年までに45,000人の専門教育を受けた労働者と、105,000人の高等教育を受けた労働者が不足する一方で、90,000人が専門性に欠けるために職にあぶれるとされている。そのため、デンマークの職業学校の理事と13の継続職業教育中央カウンシルはこの財政法案による政府の削減案に強く反対している(Altinget.dk, 2010年12月15日)が、長期的な視点を持たずに教育に投資するのは難しいようだ。
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2008年06月19日

8週間のストがもたらした成果と禍根

2008年4月16日に始まった看護師たちのストライキは、8週間以上も続き、6月13日にようやくとりあえず終結した。キャンセルされた検査や手術は40万件近くに及び、これらの「行われるはずだった治療や手術」に追いつくだけで、1年近くかかる見通しが出ている。このため、財政大臣ラース・ルッケ・ラスムッセン(Lars Løkke Rasmussen)は、通常は1ヶ月以内としている「治療待ち期間保証制」(医療費無料の現実と民間健康保険人気という歪み参照)を2009年7月までの1年間、凍結することを決定した(2008年6月14日、Politiken)。これによって、1ヶ月を超える治療待ち期間になっても、公費で民間病院出の治療を受けることはできなくなり、患者側にもしわ寄せがくることになる。

デンマーク看護師協会の代表コニー・クルコー(Connie Kruckow)と、医療制度を管轄している広域連合の会長であるベント・ハンセン(Bent Hansen)とが折衝案を求めて会談を開いたが、結局のところ話し合いは譲り合いなく決裂し、会談のあとも合意まで数日を要した。「ストライキ用のプール金は7億クローナある」と強気だった看護師協会も、8週間と長期に亘るストライキについに資金の底がつき、早期の解決が望まれていたところで、ようやく決着したことになる。ベースアップ12,8%の約束を15%にするための戦いだったわけだが、最終的な合意はほんのわずかの上昇、13,3%であった。それでも、看護師たちはこれで平常に戻れるということで安堵しているようであり、これまでの溜まった仕事を片付けることに専心しなければならない。

リーダーたちの合意は、これから6月25日に改めて組合員の間で投票によって、賛否を問われることになるが、いずれにしても賛成票で固まるだろうというのが大勢の見方だ。さらに、看護師たちは、再びなくなった組合のストライキ貯蓄金を埋め合わせるために、通常の組合費に加えて、月に375kr.づつを半年間払うことになっており、たった0,5%の昇給しか勝ち取れなかったことは、個々の看護師にとってはストライキのために支払った額と勝ち取った額を考えると、12年4ヶ月働かないとペイしないとユランス・ポステンの試算(2008年6月18日、Politiken)は示しており、単純に賃金面で言うとストライキが成果を挙げたとはいいにくいようだ。今後も働き続ける若い世代のためには良かったかもしれないが、今後12年も働く予定のない年配の世代にとっては「払い損」となったことになる。

なぜここまで看護師たちが一生懸命になって15%ものベースアップを要求していたのかは、以前の記事、第3波女性運動としての意味を持つ賃上げ交渉 で詳しく述べたが、今回の「平等な給料」というスローガンは、1.男女間賃金格差の問題(同じ看護師の男性女性で給与は変わらないが、看護師や介護福祉士、保育士など、女性のしめる割合の高い職の給料が、エンジニアなど男性の占める職の給料に比べて低いため、結果として、男性がより多くの給料を手にしている現実がある)2.同レベルの職業教育の給料格差の問題(資格を取って職業に専門職として就業するまでに、同じ教育期間を要する場合も、給料に格差がある)、3.公立と民間の格差の問題(とくに看護師の場合には、公立の労働条件は民間医院に比べて格段に条件が悪い)を総合しての掛け声であった。

新任として公立病院・施設で働く看護師の月給は、平均して23,953kr.(納税前、各種手当なし)であり、それに比べて市役所などの事務で働く者は25,187kr.であるという。時給に直すと、公立病院の看護師が年金への積み立てを含めて175kr.稼ぐのに対し、民間病院の看護師は23%多い、227kr.稼ぐ。こうした事情により、30%もの公立病院の看護師が、「とても高い確率で」あるいは「高い確率で」看護師を辞めるか、民間に移ることを検討しているという統計がでていた(デンマーク統計局)。

しかし、デンマークの公立病院の看護師の月給24,000kr.というのは、兄弟国、スウェーデン、フィンランドと比べると少しも惨めなものではなく、スウェーデンでは16,000kr.、フィンランドでは18,000kr.だというから、15%の達成目標は難しいと見られていた。『今日の医療』という雑誌の2008年4月4日の記事によると、医者はあまり共感的ではないということだが、コメントを書いている看護師と結婚している医師は、25年公立病院で働き、3年前に非常勤看護師リーダーに転職した妻の状況がこれまでなかったほどに好転した(週に4日フレックスタイムで働き、給料は30%上昇など)ことを説明し、公立病院で働く看護師の待遇を改善するストライキに共感を示している。

FOAのストライキでは、最終的に介護福祉士は13,91%、介護福祉ヘルパーは13,2%、補助保育士と自宅保育士が13,64%という値を勝ち取り、5月7日に終結している。

リージョンと看護師協会との合意と同時に、FOAの後からストライキに加わってFOAの合意の後もストライキを続けていた、保育士協会BUPLも同じ2008年6月13日に地方行政連合会(KL)と合意した。12,8%から13,2%への上昇での合意であった。ここで合意がされなければ次の週の火曜日からのロックアウトの警告が出されており、決行されれば一日につき4000万クローナ(9億円程度)の出費を余儀なくされるところであったため、BUPLにとっても最終的にやむにやまれぬ決断の時だった。また、子どもを持つ親たちにとっても、ロックアウトは非常に大きな痛手となるため、ここで決着がついたことは大きな安堵をもたらした。上記のユランス・ポステンの試算では、この保育士たちの得たものと支払った代償は8年3ヶ月の仕事をしてようやくペイするということだ。

公立病院で働く看護師の待遇に世間の議論を向けさせた点、共感を引き起こした点からいうと、昇給の0,5%という数値は大きくないにしても、ストライキの一定の成果と見ることもできる。とくに、若い世代から組合を通じての共闘に感じるところがあったのか、少し前にストライキを終えていたFOAには1年間で7000人もの新組合員、保育士組合のBUPLも同様に1200人の新入会員を獲得したと報道された(2008年6月19日、Politiken)が、これは一般に労働組合からの脱退者が増えている(2007年だけで、LOの統括する17の労働組合から、総計35,000人もの脱退者が出ている。職種別労働組合については、賃上げ闘争のストライキの陰にある労働組合の力 参照)なかで歴然とした違いを見せ付けている。

看護師や保育士たちといった当事者だけではなく、患者、妊婦、保育園に通う子どもたち、老人ホームの高齢者たち、そしてこうしたケアを要する人を抱えた家族を含めたすべての市民にとって、今回のストライキは不自由な思いを感じながら、ようやく乗り越えたものであった。払った代償はかなり大きかったが、政治家たちの介入することなく、最終的解決に至ったことで、労働政策の「デンマーク・モデルが実効性のあるものであることを証明した」と社会民主党党首のヘレ・トーニング・シュミット(Helle Thorning-Schmidt)は6月5日の憲法記念日のスピーチで述べている。国際競争力と経済成長を適えつつ、労働市場の流動性を備えるデンマーク発・フレクシキュリティのモデルは、世界の注目するところとなっているが、長期にわたり膠着状態を続けたストライキを通じても、その強さを見せ付けたようだ。

ストライキが終結した今は、平常に戻ったことに感謝するばかりで、残した禍根についてはそれほど現実味がないが、程なくして医療セクターでの問題が噴出してくることが予想される。労働者の権利の保障と、市民サービスの享受というバランスがうまく取れて初めて、理解と共感の得られる要求となる。サービスという言葉の内容の非常に薄いデンマークだが、仕事の質の向上なくして、賃上げ要求ばかりを出すようであってはならないだろう。看護師協会、保育士組合BUPLともに、程なく6月25日の組合での投票で再びストライキに入るか、最終合意にいたるかが決定される。
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2008年05月29日

非寛容な宗教的シンボルの禁止が招く「頭脳流出」の愚行

顔のない裁判官に判決を言い渡される日 でも挙げたように、法廷でのスカーフの着用を巡ってこの数週間、デンマーク国内で大きな議論を繰り返されていた。移民・難民・統合省の大臣ビエテ・ロン・ホーンベック(Birthe Rønn Hornbech)が「政治家はこの件に介入すべきではない」、と大手新聞Politikenに長文の批判的コラムを寄稿し(2008年5月14日、Politiken)、さらにデンマーク国民党の人種差別的な政策に対する批判を繰り広げたことで、政府の方針に賛成していない大臣として「イエローカード」が出され、首相からも厳重注意をされた。その後、大臣は政府の方針に反対するものではないと保身に入ったが、元々リベラルな思想の持ち主で女性として警察という組織で高い地位まで上り詰めた彼女にとって、どれだけ政府の方針と協調できるかが今後の去就を決めると言ってよい。政府の方針に苦虫を噛み潰している左派は、2007年の11月に彼女が移民・難民・統合省という多くの議論を呼ぶ省の大臣に就任した時、大きな期待を持って見守っていたが(省庁改組と改名の裏にある意図 参照)、むしろ今まで期待に反して彼女が沈黙を守っていたため、ようやく本領を発揮してくれるのでは、という実感をもって受け止められたところもある。

こうした国会を初め、メディアでの活発な議論を経て、政府は裁判所でイスラム教の女性のスカーフを初め、宗教的シンボルの着用を禁止する決定をし、統合大臣ホーンベックはそれに反対票を投じないと表明した。この法廷におけるスカーフ禁止の決定は、思いがけず他のヨーロッパ諸国からも支持され、これからの国会審議で法律が成立する可能性が高まってきた。

支持を表明したのは、二つの裁判官協会であり、一つは世界70ヶ国から構成される国際裁判官協会、もう一つは35のヨーロッパの国々からなる、ヨーロッパ裁判官協会である(2008年5月21日、Politiken)。TV2のニュースによると、国際裁判官協会の最高裁判所裁判官であるスロヴェニアのマヤ・トラトニック(Maja Tratnik)は「例えばムスリムの女性裁判官が頭に被ったスカーフといった宗教的シンボルは、この裁判官が法それ自身ではなく何か別のものを象徴しているという信号を与え得る。このことは、市民に裁判官の完全な中立性に対して疑念を抱かせかねない」と述べ、デンマークから始まった宗教を法廷に持ち込むことを禁ずる議論を歓迎し、今後の他国の決定へも影響を与えそうだ(2008年5月20日、TV2Nyhederne)。法務大臣であるリーネ・エスパーセン(Lene Espersen)によると、現在のところの決定は、裁判官のみに適用され、法廷にいる市民裁判員といった他の「社会を反映する人々」に禁止は適用されないようだ(2008年5月14日、Jyllands Posten)。

デンマーク国民党はこうした国際的なバックアップを、ムスリムの社会への表出を禁じる場を拡張する好機と捉え、「学校で教師がスカーフをしているのは、女性を抑圧された存在として教えることになるため、学校でも禁止すべき」と提案し(2008年5月19日、DR)、さらにはすべての公務員まで拡大すべきだ、とデンマーク国民党の統合部門スポークスマンのピーター・スコーロップ(Peter Skaarup)は主張している。デンマーク国民党だけなら驚くには値しないが、先には社会民主党の議員ヘンリック・ダム・クリステンセン(Henrik Dam Kristensen)までもが同じ提案を出している(顔のない裁判官に判決を言い渡される日 参照)ことからも、左派までも巻き込んで現実味のある議論となっていることが窺われる。

しかし、スカーフの着用を禁止したところで、ムスリムの女性たちは諦めてデンマークのやり方に従い、キャリアを選びはしない。Politikenは、「スカーフは仕事よりも重要」という見出しで、ムスリムの女性たちにとって、キャリアを持つよりも宗教を選ぶというアンケートの結果を報じている(2008年5月26日、Politiken)。Politikenが教育機関に現在在籍しているか、修了しているムスリムの女性を対象に行ったこの調査は、216人が回答し、うち65%が日常生活でスカーフを被っていると答えた。さらにこの65%の女性たちに「雇用者側がスカーフを被らないことを希望した時に、それを承知する可能性はどの程度か」を質問したところ、回答は、(承服することが)「かなりあり得る」0%、「あり得る」2%、「あり得ない」3%、「絶対にあり得ない」95%というはっきりした結果が出ている。スカーフ着用を踏み絵としても、彼らは信仰を諦めないのだ。

ロスキレ大学のリセ・ポウルセン・ガラル(Lise Paulsen Galal)はこの調査に対して、「とくに教育の高い女性は自らの権利についても十分に意識しており、デンマークのような国に住んでいる以上、信仰の自由に対して要請を出していいことを十分に認識している」ため、驚きには値しない、と述べている。実に60%以上の者が、禁止が現実になったら外国へ移り住むことを想定しているといい、残った者はただ家に留まるか、イスラム原理主義グループに加わるのではないか、と人種平等協会のハリマ・エル・アッバシ(Halima El Abbasi)は危惧する。

せっかく国が長い年月をかけて育ててきた移民第二世代が、こうした狭量な決定によって教育を終えた後、労働市場に参加することなく国を離れるのはまさに資源の無駄としか言いようがない。Politikenが同日発表した調査でも、実に3分の2のムスリムが教育を修了後、外国へ移住するだろうと回答している。「教育を修了した後、外国に移住する予定ですか?」という質問事項で、「かなりの程度あり得る」27%、「ある程度あり得る」39%、「あまりあり得ない」9%、「全然あり得ない」14%、「わからない」11%という回答となっている。調査の詳細については900人に質問し、315人から回答を得て、回答者は女性が68%男性が32%であり、75%はデンマークで生まれ育った者であったといい、「十分な代表性はないが傾向を指摘することはできる」調査である。 

そして、さらに移住を検討している者に対しての、「なぜ移住を検討するのか」という質問(複数回答)では、「家族の関係で」9%、「より良い仕事の可能性/給料/専門と関連した教育があるため」36%、「価値観の議論で自分がデンマークで十分受け入れられていると感じられないため」81%、その他24%となっており、その疎外感を露わにしている。こうした排他的な「雰囲気」は、スカーフを被ったムスリムだけではなく、民族的マイノリティとして感じている者を巻き込んで将来への不安と反感を生み出している。

コペンハーゲン商科大学の学生たちのディベートのうちから、歯科学を学ぶ学生であるムラット・グゼル(Murat Guzel)の発言を引用しよう。「僕の両親はトルコから来たけれど、僕が長期休暇に行っても、そこが自分の“家”とは感じない。でも、その感覚はここ(デンマーク)にはある。僕の妻は日常的にスカーフを被っていないけれど、それでもムスリムの女性の仕事の可能性を制限しようという話になると、どうしても議論に影響される。だから、トルコへ移住して働くことも考えている。もしも1年半前にトルコに移住するかと聞かれたなら、一生涯しない!と答えただろうけれど。でも、今、自分の福祉と信教の自由との間で優先順位をつけなければならないジレンマに立っている。そして、今この瞬間は、(優先順位は)後者に傾いている」

去年の秋に、インドから一人当たり1000万円を払って、27人の医者を「輸入」した(2007年10月19日、DR)現実等を考えると、歯科医といった教育に時間も資金もかかる学生を育てておいて、ようやく最後に国外へ脱出してしまうというのは大きな国家的財産の損失と言ってよい。選ばれし移民は去り、招かれざる移民は周縁に で指摘したように、高い教育を受けた優秀な人材は国内で必要とされており、科学・技術・発展省大臣のヘリエ・サンダー(Helge Sander)も、知識社会・科学立国を目指している(海外大学設置に見るデンマーク産業界の野心 参照)が、それを惹きつけるだけの魅力的な国になりきれていない。

不足している医師の数を充填するために、2008年9月からはこれまで18ヶ月だった医師研修生期間を12ヶ月に短縮することが決まっているが、当然のように十分に知識を身に付けていない医師を現場に送ることになりかねないと学生からも現場からも不安の声が聞かれる(2008年5月28日、Information)。適切な教育期間を縮めることはできない以上、今いる学生を大切に育てるのが急務だろう。こうした宗教的に不寛容な政策は、政治が予想する以上に痛い代償を支払うことになりそうだ。他への理解を備えたマイノリティーを育成し、労働市場に送ることこそが、国家にとっても若い世代にとってもプラスになるはずだ。寛容の価値観を誇ってきたはずのデンマークが、今いる移民・難民、あるいはその次世代を社会的に排除し、その結果、不本意に福祉手当によって生きる失業者を生産したり、国が20数年もかけて育ててきた若く優秀な人材を海外に送り出すような愚行はナンセンスである。
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2008年04月29日

膠着した労使交渉でも尊重される、メイデーの意義

労働生活という成人の日常生活の基礎が、デンマークでどのように築かれているのかを見る上での一例として、今回のストライキをテーマとして扱っているが、さらにはその社会民主主義の歴史的背景や経済との結びつきも見えてくる。もう少し「特集」を続けよう。

ストライキ開始からちょうど1週間が経った頃に前回の記事をアップしたが、その頃からすでにデンマーク国内全体の98のコムーネを統合する、地方行政連合会(KL)の方から、全面ロックアウトの可能性が示唆され始めていた(2008年4月23日、Berlingske Tidendeほか)。ロックアウトとは、雇用者側が職場を閉鎖することで労働者を締め出し、全体への給料を不払いにする、雇用者側からの労働争議の際の武器である。ストライキを行っていた組合員の給料は組合側から補償されていたが、ストに参加していない組合員の給料はこれまで通り、雇用者側から支払われていた。しかし、ロックアウトが実施されれば、こうした組合員の給与を全額、組合が補償しなければならなくなり、いくら潤沢な資金を用意して臨んでいるとは言え、打撃は免れない(今回のストライキの運営資金の話は、第3波女性運動としての意味を持つ賃上げ交渉 で詳述)。

実際、デンマークでも、ロックアウトの警告はしばしば行われるが、実行に移されることは稀のようだ。上記Berlingskeの記事では、FOAの議長である、デニス・クリステンセン(Dennis Kristensen)は、もしもロックアウトが実行に移されるなら、KLのトップ交渉人のマッズ・レベック(Mads Lebech)は本当に嫌なやつだ、と感情的に怒りと警戒を表明している。なぜなら、ロックアウトの実施は、政府に早期解決への圧力をかけることに繋がり、結果として労使間で済ますべき交渉を、第三者である政府が介入して、法で解決を図ることになるからである。

明日でストライキ開始から丸2週間を迎える今日になっても、全面ロックアウト実施の実現性は高まるばかりのようだ(Copenhagen Post、Denmark.dkからの転載、2008年4月23日)。しかし、現在でも「生命に危険を及ぼさない」と見なされる業務は放置され、病院での手術延期などはもちろん、福祉施設の高齢者たちも2週間入浴介助を受けられず、自分でできなければ歯磨きさえもしていない状態だという(だからこそ、これまでなかったほど頻繁に、家族が高齢者を老人ホームに訪ねる姿が見られるという皮肉な効果を生んでいるとも聞かれる)。こうした状態でロックアウトを行えば、彼らの生命さえも脅かすことになり、確かに政府の介入は免れないだろう。ロックアウトの実施警告は、4週間前に行われることが法律で決まっているため、たとえ行われるとしても実施は5月に入ってからになる。また、KLの議長であるエリック・ファブリン(Erik Fabrin)も、「自分にとってメイデーは“神聖なる日”ではないが、それでもなおロックアウトの警告をこの日の前に出すことは考えられない。対抗パートに敬意を払っている」と述べ、警告が5月1日以降になることを示唆している(2008年4月28日、Berlingske Tidende)。

ストライキを主催しているFOAの側も市民の理解と協力を得ることに慎重であり、大学で学生相手に事情を説明するためにメンバーを送ったり、緊急ホットラインを設置したりして、市民の共感を持続させる努力をしている。こうした効果もあってか、1週間前に70%ほどであった市民のストライキ支持者の数は何と80%ほどにまで上がっているという調査があり、「長引けば、どれだけ共感が続くか怪しい」と見られた雲行き(民主主義が育てる労働者の権利への理解 参照)は、むしろいい意味で裏切られている。2008年4月27日のPolitikenによると、設置されたホットラインは、それまでの6日間に75件の問い合わせがあり、そのうちのたった11件が影響を心配する市民からであり、残りはストライキを応援する声、FOA組合員からの問い合わせなどであったという。迷惑を被ったと怒り・悲しみの声を想定していたが驚いたとホットラインの担当者ミー・アナセン(Mie Andersen)は述べ、「でもそうした声は来週は避けられなくなるだろう」と想定する。

双方の交渉がかなり膠着状態に陥っているのは事実で、ベア12.8%の予定を介護福祉士に対して13.9%まで上げると妥協した案を出されたにも関わらず、それを撥ね付けて、15%を一歩も譲ろうとしないFOAの姿勢も交渉を難しくしている。金曜日の会合の際には、ロックアウトに懐疑的だったKL理事のデンマーク国民党の会員が、意を翻し賛成に回ったことで、ロックアウト警告発令に賛意を示すものが過半数になった(2008年4月29日、Politiken)。ロックアウトの実施によって、20万人を超えるすべての組合員の給料を補償するとなると、程なく用意された資金も心許なくなってくる。

シニア総研レポートの北欧通信では、1899年のデンマークで7ヶ月に渉って繰り広げられた壮絶な労働争議について触れている。確かに、この際の9月協定の影響は大きく、労働市場の憲法として1960年まで機能し、1960年に現在の主協定が制定されたが、それも9月協定の大枠を超えないものであると言われる。そして、この1899年以来、政府はできるだけ介入をしないようにしてきており、35年前の大きな労働争議の際には政府の介入なく、双方が再び交渉のテーブルについたこともあったと、オールボー大学の研究者ヘニング・ヨアンセン(Henning Jørgensen)はいう(2008年4月27日、Politiken)。しかしながら、何しろ35年前にそんなこともあった、という程度で、こうした大きな労使衝突が政府の介入で終わるのは、恒例のことのようだ。

日本では、ゴールデンウィーク中だからという理由で連合系のメイデーは前倒しになったりしているようだが、やはり年に一日、世界中の労働者が結束する日ということからも、前倒しはナンセンスな気がしてならない。デンマークでも、今年はキリスト教関係の祝日にたまたま当たっており、従来の半休が全休となるが、恐らくコペンハーゲンの「みんなの集合場所」である、Fælledparkenに集まる人数は、渦中のストライキの影響もあり、例年より多いのではないかと思われる。当然、社会民主党、社会人民党、デンマーク国民党の党首のスピーチは耳目の集まるところであり、メイデー後のKLや政府の対応から目が離せない。

そして、日本でのメイデーの歌は、「聞け万国の労働者」という歌らしいが、世界ではやはり、「インターナショナル」である。何と82ヶ国語で歌われているようだ(さすが『1900年』の国、イタリア発信のホームページには、日本語版Wikipadiaに載っていない日本語の歌詞まで含めた、82ヶ国語の歌詞が読める。)。一つのメロディが、翻訳された各国の言葉で世界中で5月1日に歌われるというアイディアは、考えるだけでも美しい。ちょっと“音痴”だが、各国語の歌をつないだ、Youtubeの力作を紹介して、メイデー前の記事としたい。


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2008年04月23日

第3波女性運動としての意味を持つ賃上げ交渉

2008年4月16日に始まったFOA主導のストライキも、今日で1週間を迎えた。FOAのHP上のリンクからは、ストの雰囲気を味わう「フォトアルバム」を見たり、「ストの歌」を聴いたり、トレードマークの赤い手(働き「手」を増やせと意味で、「もっと給料を!」と書いてある)をダウンロードして自分で白いTシャツにプリントしたりできるような機能を載せ、共感する者に更なる動員をかけている。

看護師、放射線技師、臨床検査技師、助産師といった職種の人々のストライキによって、デンマーク全土の病院で、検査、治療、手術等が丸一週間もキャンセルされ続けており、まだ続いていく見通しである。それと同時に、国内全土ではないが、保育園・幼稚園のヘルパー、福祉施設の介護福祉士たちもストを決行し、高齢者は入浴介助やベッドメイキングなどのサービスを一切止められ、最低限の援助だけ受ける状態を甘受し、子どもを持つ親は仕事を休むか、職場へ連れて行くことを余儀なくされている。

しかしながら、これだけの不便を余儀なくされていても、10人に7人がこのストに共感的であることは、民主主義が育てる労働者の権利への理解 においても述べた。男女平等がある程度達成されたデンマークにおいても、看護、介護、子どもの世話という領域は、伝統的に女性の仕事であり、以前よりは流動化しているものの、現在も「女性の職域」であることは明らかである。今回のストライキは、これを全面に出し、「実質のところ、これらの職における賃金が(同じ教育期間を要する別の職種と比べて)十分に高くないのは、女性の能力が男性と同等と認めていないことに当たる」と今回の賃金アップの要求が、女性の地位の向上にもつながる意義を強調している。

1週間を目前にした昨日は、各戸へもカラー冊子を配布して、FOAは更なるサポートを呼びかけている。普段は、社会民主党を初めとする左派勢力とは意見を異にするデンマーク国民党も、デンマークの高齢者の介護などの問題になると、殊に視点が優しくなり、今回のストも社会民主党(党首ヘレ・トーニング・シュミット:Helle Thorning Schmidt)、社会人民党(党首ヴィリー・ソウンダール: Villy Søvndal)、デンマーク国民党(党首ピア・ケアスゴー: Pia Kjærsgaard)は理解と支援を表明している。与党へ閣外協力をしているデンマーク国民党と、野党第一党の社会民主党、そして今回の選挙で大躍進を遂げた社会人民党が集まれば、この争点においては過半数を構成することができる。そのため、FOAも積極的にこれらの政党の支持層を取り込むことに躍起になっている。

billedet.jpgFOAのストへの理解を求める冊子に載っていた風刺画。(政治家を醜く描くことは慣れたもので、こうした絵を見ているとムハンマドの風刺画の背景が理解できる。)歳を取って、三人で老人ホームに座っている。左は社会人民党のヴィリー・ソウンダールで、「俺は言っただろう?だからあの時、あいつらにもっと給料を上げるべきだったんだ…」とつぶやいている。真ん中は、デンマーク国民党のピア・ケアスゴー、右は社会民主党のヘレ・トーニング・シュミット。壁には、「サービスの告知 食事とオムツの取替え 1日1回(食事介助と同時に)、風呂 2週間毎、掃除 3週間毎、買い物 家族が行うこと」と痛切な貼り紙が貼られている。


しかし皮肉なことに、こうしたストライキが公的セクターの病院自体を潰していくことになるという論調も見られる。2008年4月21日のJyllandspostenの記事によると、医療を担当するリージョン(広域連合)の会長であるベント・ハンセン(Bent Hansen)は、公立病院がこうしたストによって麻痺している間に、患者たちは民間の病院に押し寄せる現象が続いているが、さらに4週間以内の治療を保証する「治療待ち時間保証制」(医療費無料の現実と民間健康保険人気という歪み 参照)によって公庫負担で民間の病院にかかることになり、長期的に見て、結果的に公的セクターが縮小されることに繋がることを危惧している。この新聞の読者層が、ユラン半島の保守層ということを鑑みても、ストを早期終結させ、小さな政府によって国庫の負担を減らしたいという思惑が見える。

このストライキの期間中、労働者の賃金は労働組合によって補償され、その支出は一日当たり3500〜4000万クローナ(約8億円)にも上るといわれるが、資金不足を理由にストを終わらせることはないと、看護師協会の会長であるコニー・クルコー(Connie Kruckow)は強気である(ネット・ビジネスニュース、2008年4月22日)。「資金の蓄えは、7億クローナ(約150億円)ほどあるし、さらには不動産を売却したり、借りる当てもある」としている。看護師協会は、このストライキ期間中、毎日1500〜2000万クローナほど支出しており、このFOAの闘争は、10日で2億クローナ(約50億円)もの補償を要している。来週の4月29日からはさらに12,000人が新たにストライキに参加することが決まっており、支出は10日で3億クローナ(約70億円)とアップすることが見込まれている。FOAのストライキ用の資金は10億クローナ(約230億円)といわれているから、その堂々とした「戦いぶり」には圧倒されると同時に、いかに「本気で」「勝つつもりで」問題に対峙しているかがわかるだろう。

2008年4月23日のPolitikenでは、今回のストがどこから発祥し、どういった背景をもっているかを描いている。それによると、ユラン島の西部にあるホルステブロ・コムーネの片田舎の厳しい現実が見て取れる。

老人ホームの忙しい毎日。お昼休憩の合間に、同僚たちとその労働条件の厳しさについてこぼす。折しも、同僚のうち3人が近所の窓ガラス工場でノンスキルの仕事をすることにしたと、辞職した。これによって時給が20kr(約500円)もアップするという。自分たちは、教育を受けて誇りを持って高齢者の世話をしているのに、何のスキルも要しない仕事に転職すると給料が増えるのか。

納得がいかず、職場の会議にかけ、意見を聞く。同じ不満を抱えている。別の部署では?やはり同じだ。別のホームでは?同じ状況だ!こうして、コムーネ全体で一つの結論に達した。…もうやっていられない。
こうして、2007年6月17日にコムーネ全体で労働条件の改善を求めて12日間にわたるストを行い、全土へ広がった。そして、2007年10月2日の国会開会に合わせてのデモでは5万人から9万人(主催者によってデータは異なる)を集め、ここで「もっと働き手を、もっと給料を!」のスローガンが書かれた赤い手のプラカードが初めて日の目を見た。(民主主義におけるデモンストレーションの影響については、市民の声を届け、効果を挙げる民主主義のあり方(2) を参照されたい。)

FOAの代表であるデニス・クリステンセン(Dennis Kristensen)は、今回のストを第3波女性運動として歴史に残るものになると意義付ける(2008年4月23日、Politiken)。第1波は100年前(ちょうど数日前に100周年を迎えた)に女性が参政権を勝ち取った時。第2波は1970年代に労働市場に参入した時。そして今、賃金などの条件から、男性と同価値であることを認めさせるとき。

確かに、EUの分析機関ユーロスタットの調査によると、デンマークの男女間賃金格差は、2006年現在で18%に上り、2001年には15%であったことから見て、拡大しているという。そして、これはEU諸国の中でも16位という低い地位であり、ポルトガル、ポーランド、エストニアなどよりも男女賃金格差は大きいことが指摘されている。同一労働同一賃金はほぼ達成されているデンマークの公的セクターで、一方の性が占めている職種の賃金がもう一方の性の占めている職種と比べて十分でないことを理由として、構造的男女差別という点に着目したことは大きく、またそれなりの勝算も望めるのではないだろうかと個人的には思っている。今後、どれだけストライキが長期化するかどうかはまだ様子を見る必要があるが、最終的な判断の影響は賃上げという表面的な問題だけではなく、社会における女性の権利にまでも及ぼすものになるという見方ができるだろう。
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2008年04月16日

民主主義が育てる労働者の権利への理解

さて、予定された医療・福祉セクターを中心としたストライキもいよいよ明日からに迫ったわけだが、始まる前からかなりの影響が予想され、それにどう対応するかということがメディアでも扱われている。その規模、人々の反応なども日本人の目から見ると非常に興味深いので、ぜひ紹介したい。

まずは、このストライキの規模の大きさが理解される必要がある。予定されたストライキは、看護師、介護福祉士、保育士、駐車禁止管理人(日本と同様、警察から民間委託された市の仕事)、助産師、理学療法士などを巻き込み、5万人規模である。人口500数十万人の国にとって5万人を巻き込んでのストライキは、人口比で言えば、日本で100万人を集めたストライキと同等となる。(2008年4月15日のPolitikenは、10万人までに達すると予測し、1998年以来の大きなストになると見込んでいる。実際は蓋を開けてみないとわからないが、そうなると日本で言う200万人規模とある。)国内すべての病院で4万人の看護師が一つに会し、深刻に生命の危険を伴う科を除いて、ほとんどすべての科で完全に業務をストップする。その他、FOA(労働組合の一つ。労働組合については、賃上げ闘争の裏にある労働組合の力 参照)の組合員のうち、35,000人をアクティブに巻き込み、うち23,000人が明日は仕事に行かないことを決定しており、残りの12,000人は4月28日から在宅となる準備ができているという。

今回のものではないが、1年前のストライキの際の映像はここから見られる(スローガンは「もっと働き手を、もっと給料を!」)。思えば、ほぼ最初の記事 高課税率というけれど…数値で見ると?でも、ちょうど介護福祉士のストライキの時期で、この件を簡単に扱った。

今回の賃上げ要求の事情としては、とくに看護師の場合には、「同一教育期間・同一賃金」(私の造語だが)がある。看護師になるには、職業短期大学で3年半の教育を受ける必要がある(職業短期大学の発足とペダゴジーの範疇 参照)が、同じく3年半かかる教育の別の職業よりも賃金が低いことを理由にしている。前述記事に書いたとおり、デンマークでの教育は後のステップアップのための投資としての「雌伏の期間」の側面を持っているため、同じ投資をして別の職業の者がより多い見返りを得ているのはおかしい、というのが彼らの主張である。さらに、公セクターで働く看護師は、民間の病院で働く看護師よりも条件も給料も良くないため、看護師の公から私への移動が始まっており、このままの悪条件では、元々不足している看護師不足により拍車がかかり、公共の医療を提供することが難しくなるのではないか、という人々の不安と危惧が背景にある。

また、老人介護などに当たるSOSUと呼ばれる介護福祉士も体力的にも非常にきつく汚い仕事でなり手が少ないにも関わらず、さらに低賃金が拍車をかけていることから、高齢者自身へのより手厚い福祉を提供するためにも、よい条件で働いてもらえるよう環境を整えるべきだという議論が交わされている。

公のセクターの実質の雇用者となる財務省(実質的には財務大臣であるラース・ルケ・ラスムッセン:Lars Løkke Rasmussen)と労働組合との間で、30万人の公セクターの給料の交渉が行われ、今回の交渉の結果では既に12,8%という歴史的にも稀に見る高いベアが今後三年間約束されたところであり、これに公立学校の教員や事務に従事する人々は納得したところだった。しかし、看護師たちは十分な野心と自信を持っており、上記同じ教育期間の別職業と対峙するために15%の賃上げを約束させようとしているのが、今回のストライキの様子だ。12,8%の賃上げが約束された、ということの大きさを考えてみれば、それでいてさらに「怒っている」ストライキの大きさはちょっと奇異にさえ写るかもしれない。

しかし、今回のストライキの意図は少なくとも3つある。一つは、雇用者側と、まだ納得しきっていない12,8%という数字を交渉を続けつべく、再び交渉の場に持っていくことである。そして二つ目は、高齢者介護や病院での看護といった古くから主に女性が活躍してきたフィールドで不当に低い賃金となっていることを理由に、男女賃金差別の緩和という側面も備えている。そして3つ目は、来るメイデー5月1日を前に、国庫・公庫からのより多くの支出を予算案として確保したいという思惑である。

そして、当然ストライキとなれば、病院や老人ホームでのサービスの低下、スタッフ不足、保育園の閉鎖は予定されるわけであるが、それであっても人々の間にこのストライキの政治的意味が理解されており、共感を持って受け止められていることが非常に興味深い。2008年4月15日のPolitikenのネットニュースでは少なくともこの介護福祉士のストライキに関しては10人に7人がもっともな要求だと共感的であり、女性のフィールドである看護や介護が賃上げされるべきだというのには10人に9人までもが、「至極当然」あるいは「同意できる」こととしていることを報じている。しかしながら、このストライキが2週間を超えるような長期戦になれば、どれだけ共感が長続きするか怪しい、とオールボー大学の労働市場の研究者、フレミング・イプセン(Flemming Ibsen)は言う。

首相、アナス・フォー・ラスムッセン(Anders Fogh Rasmussen)の言うように、病気の人を「人質」にとっての給料の交渉という状況は、感心したものではない。しかし、今回の個々のケースの要求が正当なものがどうかということは問わずとも、人々の意見を見ると「労働者の権利」としてのストライキが確立していることを感じさせ、思い入るところがあった。賃上げはもちろん労働者としての飽くなき要求であり、もっともであるが、その手段の正当性と主張の根拠は当然求められる。いずれにしても、権利としてのストライキ、労働運動が実感されているところはデンマークの歴史に根ざした知識であり、学ぶところが多いように思う。

先日発表された「民主主義の規範」(101ページの民主主義の金科玉条 に詳述)にも、生徒に民主主義の歴史を教えるために、労働運動を扱うこと、またそれらを事前に導入するために、例えば音楽の授業で労働者の歌を習うことを推奨している。日本の労働運動の歴史でも同様に、うたごえ運動が見られたが、それを現在の小中学校で音楽の授業に導入することを国が推奨するというのはやはり現実感がなく、程遠い世界にあるように思われる。社会民主主義の伝統と歴史、そしてその現在への影響をこうした姿に垣間見ることができるのである。

今週は、このストライキを契機として、労働状況を追ってみることをテーマとして報告していきたいと考えている。
posted by Denjapaner at 08:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 労働政策 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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