2011年06月27日

デンマークの東電株主と社会的責任投資(SRI)

明日、6月28日には東京電力の株主総会が開かれるが、大荒れが予想されているようだ。脱原発派の人が敢えて暴落した東電の株を購入し、総会に参加して「株主」として発言するらしいとも聞かれる。

今回の事故の処理対応で各種の非難を受けている東京電力の株を所有し、間接的に原子力発電推進を支持することは、倫理的に正しいことなのだろうか。あまり知られていないが、デンマークでも医師年金基金(英語ページにリンク)が東京電力の株式に投資している。企業の社会的責任(CSR)が声高に叫ばれるデンマークでは、株式投資にも社会的責任投資(SRI)と呼ばれる倫理規定が設けられているのが一般的である。

なお、日本語での原子力発電とSRIをめぐっての資料は、SIFJ共同代表理事、河口真理子氏による報告書が詳しく、参考になる(「原子力/原子力発電事業をいかに考えるか:SRIの立場からの論点整理〜イデオロギーとしての原子力から、投資リスクとしての原子力評価〜」)

そこで、医師年金基金の定期刊行誌では「フクシマの陰に」と題した同基金の所有する東京電力株について、説明を行った。株主総会を目前に控えたいま、関心がある方もいると思われるので、以下では全文を訳出する(『医師年金ニュース』2011年6月号、pp.6-7。こちらから全文ダウンロード可能)。
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フクシマの陰に
医師年金基金は、津波の被害に遭った福島原発の背後にある企業、東京電力の株を所有しています。以下の、年金基金の倫理と社会的投資責任についての説明を読み、当年金基金のSRI規定がなぜこうした株をブラックリストに入れるだけではなく、それ以上の処置を行うのかについて理解してください。

日本の東京電力が、世界でももっとも大きな電力会社のうちの一つであることを知る人は多くありません。しかし、それでも同社が今年の3月11日に津波による被害を受け、ボロボロになった福島原発を所有していることは多くの人が知っていることでしょう。東京電力の経営陣が受けた厳しい非難は、この大事故における不十分な危機対応に対してだけではなく、監査などの際に情報隠匿をしていたことも挙げられています。この点については、いまだに精査が継続しています。

医師年金基金は、LPIアジア株IIという投資協会を通じて、東京電力の株を所有しています。今年の初めには、同株は約1700万クローネの価値を有していました。しかし、震災後には東京電力の株価は約75%下落しました。

年金基金の方針
医師年金基金は、国連グローバルコンパクト原則を満たす企業に投資しています。同原則は当年金基金の社会的責任投資の原則、いわゆるSRI方針(記事末の表参照)の裏付けとなるものです。それに加えて、当年金基金は2009年には、国連の外郭団体であるPRI(責任投資原則)の会員となっていますが、同団体は投資決定に倫理規定を設けるという共通目標を掲げています。2010年には、当年金基金の管理者が投資してはならない企業リストは4つ増やされ、逆に2つの企業がリストから抹消されました。

なぜ、東京電力?
しかし、なぜ、医師年金基金が地球上の反対側にある企業の株を所有しており、どうやってそんなに遠くからこうした企業が当年金基金のSRI規定を満たしていると確認することができるのでしょうか?

年金基金の株部門主任スティーン・マークスが説明します。

「私たちの株式ポートフォリオである130億クローネは世界中の1500以上の株に投資されており、そのすべてが投資協会を通じて行われています。これは、リスク分散のために欠かせない配慮です。しかしながら、90%以上の株が私たちが自ら設置した投資協会にあります。これによって、株式管理者が投資を行ううえでの倫理的な枠組みを自ら設定することができるのです。これが一定程度のコントロールになります。同時に、私たちは昨年来、コンサルティング会社、Ethix SRI Advisors ABと協働しており、同社は当基金の規定を遵守するのに問題がある企業をチェックする業務を請け負っています」

Ethixの現段階での東京電力に対する調査では、年金基金のSRI規定に関連した問題があるとは認められませんでした。東京電力が抱えていた問題はこれまでの経営陣と関連してのものというのが同社の評価であり、日本の当局による同社の評価を待って、東京電力に関する積極的な対処をするとしています。

また、こちらはあまりメディア露出はされていない問題ですが、医師年金基金とその他いくつかの機関投資家は、巨大企業のサムスンに対して詳細な説明を求めました。

「将来的に問題になる可能性がある汚職があるような形跡があったため、それに反応したのです。他の投資家とともに同社に対して行った説明要請によって、同社は従業員の責任ある態度に関するガイドラインを設けました。このケースはSRI規定が(掲載企業に投資してはならないという:訳注)消極的リストを扱うだけではなく、株を所有することによって、企業の姿勢や態度に対しても働きかけるものとなることを示す好例です」とスティーン・マークスは述べています。

ほぼ全機関にSRI規定が
系統だってSRIに取り組んでいる職業的投資家は、医師年金基金だけではありません。デンマーク社会的投資フォーラム(英語ページへリンク)が今年の1月に行った調査によると、デンマーク国内にある50の大手銀行、保険会社、投資協会、年金基金の88%が2010年の段階で責任ある投資に関する規定を定義していたとされています。

医師年金基金と同様、ほぼすべての投資機関が国際憲章や環境や社会的な規律に違反するものを「捕まえる」ツールとして、ポートフォリオのスクリーニングを行っています。

年金基金のSRI規定
……
当年金基金の社会的責任株式投資に関する統括的ガイドラインは
・デンマークの当局および実績ある国際組織が具体的な国と企業に出され、デンマークで認められた要件を基準とし、
・国連の人権、労働者の権利、環境、反汚職に関する原則に従い、
・児童労働、強制労働、性差別、結社の自由といった基本的人権に違反する企業に可能な限り投資しないことを確実にすると同時に、
・国内の環境および汚職に関する法に違反する企業に可能な限り投資しないように確実にし、
・クラスター爆弾、対人地雷や化学・生物兵器を生産する企業に投資しないよう確実にし、
・タバコ生産を主とする企業に投資しないことを確実にする。

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東京電力は株主総会を非公開とするとしているが、情報の隠匿は代償を伴うものとなるのが常だ。国内だけではなく、諸外国にもこうしたステークホルダーが目を光らせていることを忘れてはならないだろう。
posted by Denjapaner at 23:03| Comment(3) | TrackBack(0) | 社会事情 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年01月03日

君主が国民に捧げる言葉の重み

2009年を迎えた。放置し続けたブログでも、訪れてくれている人がいるようでありがたいと思う。今は事情によりストップしているが、諦めずに続けて発信していきたいと考えているので、今後もお付き合い頂ければ幸いである。

デンマークの年越しは大晦日がメインで、元旦は割とどうでもいい扱いのようである。大晦日には多少なりとも慣習があり、夕方に行われる女王のスピーチを聞くこともその一つだ。1972年に即位したマルグレーテ女王は、国民に慕われる君主で、いかにもデンマークに相応しく、煙草を吸ったり、足を組んだりと、民衆に近いオープンな性格で知られている。もちろん、政治に近い発言をすることは許されないが、過去の発言からは社会民主主義的な思想を持っていると思われ、その共感的なスピーチは心を動かす。

1年間の出来事を振り返り、臣民に対して行うスピーチだが、「下々の者」に対してではなく、国民一人ひとりを労う言葉に、自らの国を誇りにする君主の姿が見える。日本の君主は、自らの国を誇りに思っているだろうか。総理大臣は人々を見ているだろうか。デンマークの女王の2008年を振り返っての言葉を、全文翻訳で紹介したい。

(ほとんどの部分で原文に忠実に訳したが、ごく一部、話し言葉として意訳しているため、語学の勉強には使えないことをお断りする)

デンマーク、マルグレーテ女王の2008年大晦日のスピーチ

今年の最後の夜になりました。赤いハートと濃い緑色のもみの木、そして輝く灯りと暖かなムードのなか、誰もができることならば家族や最も近しい人たちと一緒に過ごすクリスマスの時期が終わり、大晦日がやってきました。今夜もむしろ静けさの中でお祝いすることを願う人もいますが、大晦日はずいぶんな騒々しさでやってきます。今夜、私たちは往く年にお別れを言い、来る年に歓迎の意を伝えます。これは思いを巡らす機会です。新しく未知の物というのは、魅惑的であり、また恐ろしくもあります。子どもの頃、私たちはそうやって経験してきたわけですし、心臓に手を当てると今でもそのように感じられます。

まさに今年は、新しい年が何を運んでくるのか心配する人たちがたくさんいるかもしれません。呼吸が今にも止まりそうな深刻な世界経済の状況については、あちこちで耳にし、目にする通りで、私たちも自分の日常生活の中で、この経済危機を実感するようになることを恐れているかもしれません。当然のことながら、たくさんの人たちが自分の仕事や、家計がやりくりするのがもっと大変になるかを心配するでしょう。

私たちは、長い間、何もかもがどんどんいい方向に進み、明日がますます明るくなっていくことに慣れて続けてきました。しかし、今、それが暗い色に塗り替えられようとしています。しかし、それでも上を見上げて、外を見て、私たちの不安をより大きな視野に照らしてみましょう。

他の場所では、人々はまったく違った性質の問題群と戦っています。そこには飢餓と病気が蔓延し、苦境と戦争があります。ベンチマークの計測によると、デンマークは世界中でもっとも恵まれた国家のひとつであるとされています。この事実は、私たちが義務を負っていることを意味します。近代世界の中で、私たちは自らを隔絶して、直接自分たちと関わらない問題を解決するのは他に任せきりにすることはできません。私たちは、50年以上もの間一貫して、様々な国際的繋がりに熱心に関わってきており、デンマークは世界のたくさんの場所での開発援助に著しい成果をあげてきました。とくに、不況の今だからこそ、積極的に連帯責任を取り続ける必要があります。私たちには可能性があり、与えられるものがたくさんあります。その素地を私たちは誇りに思えるはずです。

デンマークは2009年、誰もに関わる領域で、できることを示すべきです。私たちは、国連の気候変動会議の開催国を引き受けています。これは重大な任務であり、今後も大きくなっていくであろうと思われる気候の問題に解決法を探しに貢献するには、私たちのすべての知識と経験を総動員する必要があります。環境問題を新しい可能性に変えていくことに関しては、私たちには多くの知識、経験の蓄積があります。さらに、私たちは、様々な利害を持つ人々が視点を伝えあい、互いの意見を譲りながら、みんなの納得する結果に至らせることに、長い伝統を持っています。

デンマークは経済危機にあっても、依然として豊かで、安心できる社会です。いくつもの世代が長い時間をかけて築き上げたものがあり、その基礎は何よりもまず人間的な資源です。勤勉さ、上機嫌、親しみやすさとペアになった現実的な感覚です。

こうした財産を私たちは守っていくべきです。こうしたものこそ、困難がやってきたときだけではなく、どんな時代にも必要なのです。そのため、私たちが恩恵を所与のものとして受け止めたり、ともに生きる人々の話を、単なる片づけ仕事として扱ったりするべきではありません。受け取る権利のあるものを受け取る際にだって、やはりお礼を言うことはできるのです。微笑をたたえて、「ありがとう」の言葉を持って、受け取ることができるはずです。このことで、簡単に物事を円滑に動かすことができるようになります。

私たちの社会では、互いに深く助け合っており、日常生活が成り立つためにはたくさんの人々の助けに支えられています。これには、子どもたちに読み書きを教え、彼らの世界を広げてくれる、学校の教師が当てはまります。お年寄りやハンディキャップを負った人々を訪ねて回り、彼らの日常生活が機能するようにしてくれる、ホームヘルパーが当てはまります。職業意識から、そして心遣いから、私たちの安心を保障してくれている、看護師や警察官が当てはまります。そしてさらには、市民のために、重大なことから些細なことまで支援や助言をしてくれる、国や市町村の職員たちが当てはまります。こうした人たちの努力に対して、私たちは感謝すべき理由がいくらもあり、私はこの今年最後の夜に、彼らの仕事に対して感謝の意を伝え、よい年となることを願います。

今年も、大切な人が、家から、デンマークから遠く離れた場所で過ごさねばならず、今晩その人がここにいないことに寂しさを抱えた家庭がたくさんあることでしょう。

この点で私はとくに、世界各地の兵士たちを思い、とくに何よりもアフガニスタンに派兵されている人たちを思います。ここで彼らは、高い能力と大きな勇気を持って任務を遂行し、何があっても、絶えず大きな責任意識と上機嫌で乗り切っています。彼らは私たちの賞賛を受けるに値し、その行いに感謝します。そのため、皇太子にとって、ヘルマンド地方にデンマーク兵士たちを訪ね、その地での彼らの生活を個人的に垣間見たことは、喜びでした。今夜、彼らは私たちの思いの中にいるのですから、この機にそこで犠牲となった人たちのことも思い起こし、そしてまだ悲しみと恋しさに心を痛めている、残された人々のことを考えましょう。

今夜、私の新年の挨拶では、すべての防衛、国内警備、治安警備に対しても、ここデンマークで私たちの安全と安心のために日々努力してくれていることに感謝を示したいと思います。

デンマークが自らの観点を明確に主張し、私たちの文化や背景に根付いた考えを擁護することには、代償が伴います。これは、外国でデンマークのために働く人々にはよくわかるはずです。このことは、パキスタンのイスラマバードにあるデンマーク大使館やホテルが爆弾テロの被害に遭ったように、近年目に見えるようになりました。残された家族と傷ついた人々に、共感と同情を送ります。

ヘンリック公と私は秋にタンザニアを訪れる、大きな経験をしました。そこでもまた、世界の離れたところで人々の生活状況改善のために尽くしている、たくさんのデンマーク人のうちの幾人かに会う機会を得ました。彼らは、私たち誰もが誇りに思えるような、賞賛に値する努力をしています。こうした人たちの仕事、またとくにそれぞれの人たちにとって、よい年となるよう願います。

新年の挨拶を、外国にいるすべてのデンマーク人、そして海上で大晦日を迎えなければならないすべての人々に送ります。ここで、海上保安船、アブサロンとその乗船員にも、温かな挨拶を送ります。

南シュレスヴィヒのデンマーク人に私の挨拶を送ることができるのはいつでも喜びですが、数ヶ月前にシュレスヴィヒで新しくデンマークの高校が開校する行事に参加するという嬉しく華々しい経験をした今年は、いつにも増して喜ばしく思います。シュレスヴィヒの人々が、今もデンマークの遺産を支持すると同時に、自分たちが土地の尊重された市民であることを示す、美しい証左でした。

今年も、フェロー諸島の人々のことを思い、本年私や私の家族が経験した、フェローの人々とのたくさんのよき邂逅を思いだします。皆さんにとってよい年となりますように。

この秋に、グリーンランドは11月25日の国民投票で大きな決定を下しました。デンマークとグリーンランドの間の関係に新しい基礎が築かれる、6月21日のグリーンランドの日に訪問するのが楽しみです。デンマークとグリーンランドの間に、緊密で信頼に基づいた関係が続くのを期待しています。グリーンランドの社会と、それぞれの家庭にとって、よい年となることを願います。

私の家族と私にとって、2008年は忙しい年でしたが、何よりもまず、ヨアキム王子とマリー王妃の結婚を祝うことができ、喜びにあふれた年でした。シャッケンボー城の周りだけではなく、国中が私たちの息子と彼の若き花嫁のためにひとつになったことは、私たちの心を温かくしました。ヘンリック公と私、そして家族全員が、今年一年の間に国内・外で出会ったすべての温かき歓迎に対して、感謝を送ります。

さて、旧年はもうほとんど行過ぎました。まもなく、私たちは2008年のカレンダーの最後のページを破り捨てます。新しき年、2009年が始まります。この年は何をもたらすのでしょうか?新たな不安?新たな挑戦!家族や一緒に働く人たちとの新しいよき経験。もしも来る年にもっと冷たい風が吹くのならば、私たちが一緒に立ち向かい、微笑と感謝を持って、援助の手を差し伸べうる人たちの存在に気づくことが課題となるかもしれません。どんな人も私たちにとって意味があるのですから。

それぞれの人々にとって、良き、喜びあふれた新年となりますように。

デンマークに神のご加護を。


posted by Denjapaner at 06:18| Comment(2) | TrackBack(0) | 社会事情 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年07月26日

福祉国家の片隅の貧困と増加する若者ホームレス

湯浅誠氏の『反貧困』(岩波新書、2008年)を読み終えたところだ。実体験に即した説得力のある事例に日本の労働環境の苛酷さと搾取の現状はここまできているのかと胸が詰まり、ぐいぐいと引き込まれつつも、読み進めるのが辛かった。成人の社会生活を構成する最も重要な一面である「働き方」の問題は、やはり厳しく問われなければならない。デンマークでも、国内における貧困問題が語られることはあるが、その質や議論は日本と異なる。それでも、生活保護水準や最低賃金の議論、ホームレスの議論など、経済的資源に恵まれない者の、同じ問題を語り合っているように思われる。デンマークのメディアにおける批判的議論ではどのような文脈で取り上げられ、とのような批判にさらされているのかを紹介してみよう。

この数日(2008年7月22日、23日、26日)、Information紙では、増加する若者ホームレスの問題を取り上げて、特集している。取材の背景となっているのは、デンマーク社会福祉研究センターによる2007年の調査である。デンマーク国内で5,253人のホームレスがおり、そのうち1300人ほどが30歳以下の若者であるという。参考までに、日本での「公式」のホームレス数は25,296人(2003年厚生省調査)というから、ホームレスの定義や統計の出し方が異なるにしても、単純に日本とデンマークの人口差を勘案すれば、デンマークには日本の4倍ものホームレスがいることを意味する。日本のホームレスの平均年齢が55,9歳と高齢男性が中心であるのに比べ、デンマークでのホームレスの構成率は、18-24歳が13%、25-29歳が11%、30-29歳が26%、40-49歳が28%、50-59歳が15%、60歳以上は5%となっているため、30代・40代が中心であり、30歳以下の若者も4分の1を占めていることになる。こうした事情で、今回の特集記事は、若者がホームレスのなかで目立った割合になっているにもかかわらず、公的機関が若者をターゲットとして問題解決に当たる対策を立てていないことを批判する文脈である。

こうした若者ホームレスが増える背景には、やはり薬物やアルコールの氾濫が大きいようだ(若き現代版ヴァイキングの暴挙、および幸福な国に住む、不幸な親と不幸な子ども 参照)。SFIの「デンマークのホームレス状況」というレポートによると、45%はアルコール依存、33%はハシッシュなどの麻薬依存、13%は薬物依存であるとされ、さらにホームレスのうち30%は精神疾患を患っている。そのほかの理由としては、家を追い出されたり、刑務所から出所したといったものも含まれる。ホームレスのうち半数は1年以上も定住所を持たず、30%は2年以上ホームレス状態であり、20%はホームレスになって3ヶ月以内であった。

多くの場合、ホームレスは大都市に集中しており、コペンハーゲン市でも、ホームレスのための17の施設が用意されており、合計すると749人分の24時間生活センター、458人分の日中生活生活センターなどの保護センターがあり、睡眠、必要最低限の栄養、シャワー等の衛生管理などが適うようになっている。しかし、こうした公的簡易宿泊所の利用費用は、一泊朝食付きで83kr.(約2000円)であり、一ヶ月には2500kr.(6-7万円)になるため、若いホームレスたちには到底支払えない金額であるという。そのため、「ソファー・サーファー」(ネットサーファーのように、友人や知り合い宅のソファーを借りて次々と回っている状態)をしたり、野外で眠ったりという状態を余儀なくされている。25歳以下の若者に対する生活保護は、課税前で5,940kr.(約14万円)ほどであり、こうした保護センターの部屋は最低限の食費を入れると月に3,600kr.ほど、食費を入れなくても2,100kr.ほどになるといい、他の収入がなければなかなか払いづらい金額である。そのため、「ソファー・サーファー」になっている者が40%を占めるという。こうした「本格的ホームレスの“予備軍”が表に出てきて、公道で眠ったりするのもまもなくのことだろう」とホームレスのための全国組織、SANDのアスク・スヴァイストロップ(Ask Svejstrup)は記事で述べている。

2008年7月23日のInformationでは、19歳のホームレスの青年、エディ(ネット上の記事ではイェンスとなっている)のライフヒストリーとインタビューが紹介されている。エディが7歳のときに両親が離婚し、エディは父親に、弟は母親についていくことになった。エディの父親は薬物およびアルコール乱用者であり、そのため半年後には父方の祖父母に預けられた。その後、親権は母親に移ったため、母親の元へ帰ることになるが、母親が恋人を見つけるたびに引越しを余儀なくされ、小中学校は7回変わったという。10年生(事情により中学校を一年オーバーして4年目の最終学年)のころには学校を諦めざるをえなくなる。義理の父親に言われた言葉がトラウマとなり、学校でも常に手に汗をかき、授業に集中できなかったという。

2007年に母親に家を追い出された後は、複数の保護施設で過ごし、対社会恐怖症とうつ病と診断されたが、抗鬱剤は処方されず、結局一週間で施設から追い出された。その頃は、4ヶ月アンフェタミン依存を続け、7キロ痩せ、骨と皮だけになった。その後、コペンハーゲンにある生産学校(給料をもらいながら、職業に結びついた技能を学べる若者向けの学校)へ行くはずだったが、コペンハーゲン市内に住所がないため、叶わなかった。そして、今は過去2ヶ月間ノアブロの保護施設で暮らしているという。住所がないため今はもらえない生活保護をもらい、アパートを借りて学校に行き、仕事を見つけるのが当面の目標だ。「今の自分のような姿ではなくて、まずアパートを借りて仕事を見つける。父には自分がしてきたような腕に注射をしたりしている姿じゃなく、僕がしっかり生活している姿を見せてやるんだ!」というが、今の自分が満足の行く生活をできていないこと、そして社会に対して以上に自分自身に対しての不満が大きいことを物語っている。今の彼の、「宿泊所でテレビを見て、ジョイントを吸い、他の住人とおしゃべりして…という“ゾンビかロボットのような生活”」を終わりにするためにも、ハシッシュなどのへ依存を克服し、仕事や学校といった真っ当な人生を始めるつもりだ、とインタビューは結ぶ。…彼はたったの19歳なのである。

こうしたエディの生育を聞いていると、機能不全家族において親から十分な愛情を受けずに育った子どもが、結局貧困環境に陥るという現実は、前記の湯浅誠のいう「人間関係の“溜め”」がない状態が、結局福祉国家の福祉政策を以っても十分に掬い取れず、世代間の貧困の連鎖を招いている現実を示しているといえる。福祉の隙間に落ち込んでしまった若者たちが、ホームレスとなり、こうした公的センターで年長の「ベテラン」ホームレスなどと深く関わることで、さらに薬物中毒やアルコール依存が深化したり、女性たちがレイプされたりという話もよくあるようであり、若者のみ、あるいは女性のみを対象とした施設や支援システムを確立することが喫緊の課題となっている。

教育/資格がないために仕事が見つけられず、貧困に陥るという状況に特化すると、デンマークでは(日本での自衛隊のように)給料をもらいながら技能を身につける職業学校のような職業訓練施設が数多くあり、この好況の中では就職も難しくはない。精神疾患や薬物依存などを抱えての挑戦は簡単なことではないが、それでも再チャレンジの機会は与えられているところに日本との違いはある。その点で、日本経済新聞の7月9日の「再挑戦できる国、デンマーク」の記事で紹介されたことは事実だが、そうしたシステムの想定しないところにおり、福祉をもっても十分に掬い取れないこうした人たちも背景にいる事実を併せて知っておきたい。

ホームレスは住居を持たないが、国民登録(日本の戸籍登録)は誰もがされているため、登録先のコムーネを通じて生活保護は受けることはできるようだ。上記のエディの場合、別の土地から流れてきたため、コペンハーゲンでの受給ができないケースのようだが、生活センターの上の階にある会社の夜間清掃アルバイトをしたいと話しており、彼を救う道は出てくるだろう。たった19歳というこんな若者が、犯罪を犯したり、病気になったり、何らかの形で障がい者になったりすれば、刑務所、病院、障害年金など、いくつもの形で結局国がその費用を負担することになるのだ。彼らの自立を支援し、若い力を労働市場で活用し、税金を納めることが結局効率性を追う議論においても、長期的な視野で生産性が高いという結論になる。ホームレスシリーズとして、生活保護やホームレスの実態については次回の記事に詳述する。
posted by Denjapaner at 22:30| Comment(0) | TrackBack(1) | 社会事情 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年06月09日

ビタミンAを与えるか、地球環境を救うか

世界で知られたデンマーク人で、もっとも評価の分かれる人物といえば、ビョルン・ロンボルグ(Bjørn Lomborg デンマーク語ではビョアン・ロンボーと発音する)であろう。環境問題の懐疑派として知られ、"The skeptical environmentalist"(デンマーク語の原題は『世界の本当の状態』が、英語で『懐疑的環境主義者』と改題された)は、多数の言語に翻訳されており、日本語でも『環境危機をあおってはいけない』として刊行され、賛否を巡って大きな反響があったようだ。



2004年のタイム誌で「世界でもっとも影響を与える100人」に選ばれ、最近はまたForeign Policyにも「現代のもっとも偉大な知性100人」に選ばれたビョルン・ロンボルグ(本人の英語ホームページ)は環境学者でも何でもなく、オーフス大学で統計学を教えていたこともあり、統計学者とみられる向きもあるが、大学で受けた教育は政治学であり、政治学者というのが正しい。2007年に出た最新刊の“Cool it!”は、デンマーク語を初め、各国語にどんどん訳されている最中であり、日本語版もこの6月に出るようだ。(追記:刊行されたので、以下にリンクを貼っておく。洞爺湖サミット前に出たこともあり、それなりの注目も浴びたようだ。)


彼の主張は、一言で言うと「地球の環境は言うほど悪くない、資金が限られているのだから、環境問題よりももっと費用対策効果のいい別の問題に焦点を当て、投資すべきだ」ということである。日本での彼の著書に対する批判としては、産業技術研究所の奥修の批判が具体的で信頼に足るが、彼によると日本での批判的な声は多く聞かれないようだ。ロンボルグの議論の正当性はリンクを参照されたいが、本稿では彼の母国であり、彼の主宰するコペンハーゲン・コンセンサスの開催国である、デンマークでの議論を紹介したい。

前掲書『世界の本当の状態』がデンマーク語で1998年に刊行され、2001年にその英訳である『懐疑的環境主義者』が刊行されるやいなや、賛否を巡る議論は世界に伝播した。それを受けて、2002年2月にデンマークの生物学者である、コー・フォー(Kåre Fog)がロンボrルグ批判の中心的人物となり、その著書の科学的妥当性を評議委員会に提訴した。この経緯は、日本語のWikipediaでもざっと追うことができる。「ロンボルグの主張は処罰に値しない」という最終結論は、デンマーク語を初め、英語でも発表されるなど、国際的な注目を集めた。2003年になってからも640人もの科学者が直接ロンボルグのケースには言及しないまでも、「科学の妥当性を守る」こうした科学的妥当性調査委員会の価値について署名を集めている。今でも、コー・フォーは「ロンボルグの誤り」というウェブサイトを持ち、英語で精力的に批判を繰り広げている。いずれにしても、ロンボルグがかなり嫌われているのは間違いないようで、主観的だが、私の周りでも大学教授が「その名前さえも口にするな、虫唾が走る!」と言うのを聞いたことがある。

2005年2月からはロンボルグはコペンハーゲン商科大学で、特にコペンハーゲン・コンセンサス(コペンハーゲン合意)のプロジェクトのために働いている。第一回の2004年に「もし目の前に500億円の予算があったら、何に使うべきか」と議論しあったコペンハーゲン・コンセンサスから4年経ち、コペンハーゲンで二回目の2008年コペンハーゲン・コンセンサス(CC08)として、ノーベル賞受賞者5人を含む一級の経済学者たち8人を呼んでの会議が5月25日から30日まで行われていた。日本でどれほどの注目が集まっていたかはわからないが、とりあえずその議論の結論とデンマークで批判的議論を中心にレポートする。会議は、ロンボルグのよき友だちであるとされる、アナス・フォー・ラスムッセン(Anders Fogh Rasmussen)首相がオープニングスピーチを行い、外務省が開発援助のための予算、1200万クローナ(3億円弱)を財政支援しているため、政治的な性格を免れない。

2004年のコンセンサスでは、500億ドル(約5.3兆円)という京都議定書の半分に当たる予算があれば何ができるか、というテーマで議論を展開したものである。彼らの結論は、発展途上国のエイズの問題を最優先課題となり、京都議定書や炭素税といった地球温暖化対策は優先順位の最も低い課題と位置づけられた。2006年にもニューヨークのユニセフで、国連大使たちとCC06という会議が行われたようだが、コペンハーゲンではオリンピックのように、4年ごとに開催する意図のようである。今回は、ジャグディーシュ・バグワティーフランソワ・ブルギニョンフィン・キドランド(2004年ノーベル経済学賞)、ロバート・マンデル(1999年ノーベル経済学賞)、ダグラス・ノース(1993年ノーベル経済学賞)、トーマス・シェリング(2005年ノーベル経済学賞)、バーノン・スミス(2002年ノーベル経済学賞)、ナンシー・ローラ・ストーキーの8人をエキスパートとして迎え、大気汚染、紛争、病気、教育、地球温暖化、栄養失調と飢餓、衛生と水、援助と貿易障害、テロ、女性と開発という10のテーマに分かれて、論文を発表し、それを論議しあった。

CC08のホームページから、2008年5月30日に出された報告書によれば、彼らの結論は以下のようになったようだ。以下の合計は、187.5億ドルとなり、それを4年間拠出すると、合計は予算の750億ドルになる。

@発展途上国の栄養失調の子どもへのビタミンAと亜鉛の供給 6000万ドル
B鉄とヨードの摂取による栄養補給 2億8600万ドル
C子どもの免疫強化の徹底 10億ドル
D穀物栄養価の強化 6000万ドル
H地域に根ざした栄養促進 7億9800万ドル

E学校での寄生虫駆除やその他の栄養プログラム 2700万ドル
F就学費用負担の減少 54億ドル
G女子の就学奨励と向上 60億ドル
I女性の再生産役割への支援 40億ドル

J心臓発作への緊急処置 2億ドル
Kマラリアの予防と処置 5億ドル
L肺結核患者の発見と処置 4億1900万ドル

Aドーハ開発アジェンダ 0ドル
○の中の数字が、会議の提案する、費用に対しての便益の高いプロジェクトの優先順位である。分野がまたがっていて見にくいため、ここでは報告書から順序を入れ替え、栄養関連・教育関連・疾病関連・貿易に分類し分かち書きしている。教育の支出が傑出しているのが見て取れる。つまり、栄養失調の問題は、それほど費用をかけずして費用以上の効果が期待できる、「燃費のいい」プロジェクトなので優先させるべき、と結論付けられている。

各紙の反響は、まちまちである。Politikenは自紙のウェブサイトで、読者に開発支援のために何が大切かを投票してもらい、その結果がコペンハーゲン・コンセンサスの提案と全く異なるものであったことを報じている(2008年5月30日、Politiken)。表は読者のつけた優先順位で、括弧の中の数字は、コペンハーゲン・コンセンサス参加者の優先順位である。

1位 より良い調理コンロ(23位)
2位 ディーゼル車に粒子フィルターを装着(27位)
3位 平和維持軍(18位)
4位 紛争の際に軍による解決努力をより短期間にする(-)
5位 肺結核に対する努力(13位)
6位 マラリアに対する努力(12位)
7位 子どものための栄養プログラム(9位)
8位 教育支援(8位)
9位 CO2の削減(-)
10位 CO2の研究と削減(14位)
11位 塩へのヨード添加(3位)
12位 食品への鉄分添加(3位)
13位 アフリカでの井戸採掘(16位)
14位 浄水(15位)
15位 発展途上国への自由貿易(2位)
16位 より自由な移住(-)
17位 協働強化(-)
18位 軍努力の向上(-)
19位 女子教育(8位)
20位 女性への小規模融資(22位)
記事中から母数は明らかではないのが難点だが、いずれにしても身の回りの日常生活を整えることに焦点が当てられているのが興味深い。

会議の結論を明らかに批判しているのは、InformationとIngenørenである。Informationは、以前のコペンハーゲン・コンセンサスの参加者で経済学者である、デンマーク国民教会援助(人道援助NGO)の国際部長、クリスチャン・フリース・バック(Christian Friis Bach)を引用し、単純な費用便益分析を通じて待ったっことなるタイプの問題を同列に論じているため、間違った方向に行ってしまう、と断じる。彼は、「アフガニスタンでの戦争と母乳保育のキャンペーンを比較することはできない。太陽の輝いた天気とリンゴのケーキを比べるようなものだ」と皮肉り、「第三世界の貧困層に投資することが割に合うのだということに焦点を当てたことは良かったが、この優先順位では、おなかを空かせた子供たちにビタミン剤を配給したものの、空腹を満たす米がない、なんてことになりかねない」と批判している。さらに、優先順位だけではなく、分析自体も十分ではないとロスキレ大学経済学助教授のトーキル・カッセ(Thorkil Casse)は批判している。彼によると、この分析はネパールの小さなケーススタディを使い、それを世界中の貧困に苦しむ人口に正比例させているというが、ネパールの食、チリの食、アフリカの食など生態は全く異なる。こうした批判は、単純な対投資効果を分析する手法は、世界の優先課題を解決することには使えず、さらに対象となっている人々の実際の思いをよそに、経済学者が何が大切かを決めるのは民主主義的ではない、というところへ至る。前述のクリスチャン・フリース・バックは、ロンボルグの「経済サーカス」(パフォーマンスと見世物というニュアンス)と切り捨てている(2008年5月31日、Information)。

Lomborgcirkus.jpg 言われてみるとサーカスの座長に見えてくるビョルン・ロンボルグと、開発大臣のウラ・トーネス(Ulla Tørnæs)。ちなみにロンボルグは公に知られたゲイで、ベジタリアンである。

Ingenørenは、会議へ参加した、イギリス・バース大学の経済学教授であるアニール・マーカンジャ(Anil Markandya)のの発言、「気候問題の優先順位が一番低くなるという、まさに恐れていたことが的中してしまった」を引用し、さらに「このリストは各政府が何かのプロジェクトに資金を拠出するならば何ができるかに特化しており、気候変動といった不確定要素を負ったり、民間セクターの配慮も要するようなものを無視している」という彼の批判から、結論に対する懐疑派の声を描いている。(Ingenøren、2008年5月30日)。

この会議の政治的な効力と、今後の開発援助へ向けた実際の優先順位への影響が気にかかるところである。2004年の会議の結論で導かれたのは、エイズ・HIVへの対策であったが、この会議の成果かどうかはともかくとして、以来エイズ・HIV予防に関する投資は爆発的に増大したが、結局アフリカのひどく被害を受けている地域には大きな改善がされることもなかったという(2008年5月31日、Information)。こうした点から言うと、世界の経済学者の知能を結集してまで出された結論が、何の影響も与えないということは考えにくい。デンマークの政府は、首相・開発大臣を初め、現役閣僚も会議へ顔を出していることから考えても、この結論を「よりよい世界の構築」のために使いたいという意図はあるだろう。開発大臣である、ウラ・トーネスはこの提案を受けて、会議の結論をもっとじっくりと見てみたいと述べ、実際にユニセフの子どもの栄養のために回すことになっている、5000万クローナ(1億2000万円程度)がある、と早くも具体的な予算の配置を考えている様子である(2008年5月30日、Politiken)。すぐに実行に移されることはないにしても、デンマークでの予算配置に影響してくる可能性は十分あるだろう。

しかしながら、2009年12月にコペンハーゲンで開催される、第15回気候変動枠組条約締約国会議(COP15)に向けて準備を進めている、気候・エネルギー大臣のコニー・へデゴー(Connie Hedegaard)は、CO2の排出削減を最重要課題と挙げており、政府の方針が「環境よりも途上国の栄養補給へ」というアジェンダでは国際社会に対して齟齬が出る惧れがある。コペンハーゲン・コンセンサスは、コペンハーゲン商科大学が行った国際会議であり、政府の方針を(必ずしも)反映するものではないということなのだろうが、この先への影響力も考慮しなければならないだろう。デンマークではこれまで、特に社会民主党のイニシアチブもあり、風力発電に対する財政支援なども多く行われてきたが、2001年の政権交代から風車設置に対する補助金が下りなくなった。それでも、市場原理に基づいてうまく運営されている自治体もある(コペンハーゲン便りの2008年5月の記事を参照されたい)が、いずれにしても環境に対する優先順位が以前と変わってきており、さらに政治的な問題として扱われつつあることは間違いない。

やはり、こうした双方にいい顔をした政府の方針に突っ込みたい気分は覚えるもので、2008年5月16日には(たった45分間のようだが)、環境相コニー・へデゴーとビョルン・ロンボルグの論戦が行われたようである。しかも、議論リーダーとしては、やはり本記事に上げたロンボルグ批判派のクリスチャン・フリース・ベックが就くということであるから、かなり面白かったのではないかと思うのだが、その後テレビ、ラジオにも流され、記事にもなったようだ。Berlingske Tidendeによると、気候に対する対処が必要なことは双方ともに同意しているが、それを「今すぐに(コニー・へデゴー環境相)」とするか、「長い目で見た時に(ビョルン・ロンボルグ)」という違いということである。5月になってから記録的な暑さが続き、歴史に残る連続日照時間を記録しているデンマークでも、気候に明らかに何かが起こっているようにも実感されるが、あと100年はもつでしょうからと考えるのと、今一人ひとりが何とかしなければと考えるのと、どちらが正しいのかは「太陽のみが知っている」のだろう。
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2008年05月19日

大きな政府の自己責任論の行方

大きな政府が国民を庇護するデンマークでも、自己責任論はしばしば語られるが、社会民主主義の土壌を備える国内では、市民の理解が得られにくいため、必ずしもすぐに規制緩和・民営化という流れではなく、新保守主義的な道徳観の問題と繋がることが避けられないようだ。

「(生活の)質革命」と名づけられたリフォームの一環で、2006年11月に出されたレポート(PDFファイル)では、既に「自由選択、使用者の主体的な参加、個人の責任」が既にテーマとなっており、国内全土から自由に病院や保育施設、老人ホームなどを選択することができるようになった。また、デンマークでは、大晦日に女王が年のまとめのスピーチを、元旦に首相が新年のスピーチをするのが慣例となっているが、2007年新年のアナス・フォー・ラスムッセン(Anders Fogh Rasmussen)首相のスピーチでも、「青年の家(市民の声を届け、効果を挙げる民主主義のあり方(2) 参照)」を巡っての若者たちの暴動を受けて、「自己責任」「家庭の責任」という言葉が強調された。

そして最近では、自由党のクラウス・ヨート・フレデリクセン(Claus Hjort Frederiksen:現 雇用大臣)が中心となり、 福祉国家における自己責任を議論するキャンペーンを始めた。1年前に彼が、高齢の親が老人ホームに入るときに、壁の色を塗り替えたいなら家族が自分ですればよい、と言い出したときは、自己責任論から家族の道徳を強く説いたと解され、国民はその議論に強く反発した。そこで、フレデリクセンは論理を転換し、今度は現行政府自らの支持層である、「豊かな層」への自己責任論を持ち出すと報じている(2008年5月18日、Politiken)。

雇用大臣でもある、クラウス・ヨート・フレデリクセンは、大きな政府が何でも面倒を見てくれることから、自分で何ができるかを考えてみることもせずに、公にサポートを要求するような無責任な国民を生み出す傾向が出てきている、と危機感を抱き、福祉大臣カーン・イェスパーセン(Karen Jespersen)、文化大臣ブリーアン・ミケルセン(Brian Mikkelsen)、健康・予防大臣ヤコブ・アクセル・ニールセン(Jakob Axel Nielsen)、教育大臣ベアテル・ホーダー(Bertel Haader)、外務大臣ペア・スティ・ムラー(Per Stig Møller)らとともに、2008年5月19日に「私の責任」というシンポジウムやディベートで構成された会議を開催した。会議の終わった今は、HPは、自己責任論の議論フォーラムとなり、大臣たちのエッセイが載せられると同時に、その賛否アンケート、感想などを自由に投稿できるフォームとなっている。2008年5月19日現在では、大臣たちのエッセイは3分の2ほど、反対票に入っており、彼らの視点が共有されているというわけではないようだ。

先日、社会民主党のメッテ・フレデリクセン(Mette Frederiksen)が提示した「9つのテーゼ」(格差縮小へ、北欧社会民主主義からのヒント の終わりで少し触れている)でも、社会民主主義の伝統的な価値観である、「義務ないところに権利なし」を強調したことも相俟って、左派右派を問わず、より良い福祉国家を築く上での合意を作るために、どこまでが国家が責任を負うべきかという議論が展開するキャンペーンになった。

政府を構成する自由党・保守党の面々も、「一番肩幅の広い者が一番の重荷を背負う(豊かな者が他より多く負担する)」という、クラシカルな社会民主主義の原則は変えるつもりはなく、また公的セクターを縮小する意図もないと強調している。しかし、フレデリクセンの挙げる例は、豊かな層から貧しい層に回すというよりは、道徳と自己責任といった新保守主義の論理に見え、これまでのところ特別新しい視点は読み取れない。

例の一つは、小学校の教師からで聞いたもので、ある父親が朝7時に出勤し、夜7時に帰宅するほど働きづめ(デンマークでは非常に長時間労働と強調している)なのに、帰宅して子どもの宿題の面倒を見なければならないのはひどい、と子どもに宿題を課したことで教師を責めたという。こうした立派な仕事を持ち、長時間働いて、稼ぎもいい親は税金をたくさん払っている自覚から、国からもそれに応じた対応を受けるべきだと要求を出すが、こうした自己責任を理解しておらず、非難すべきだとする。日本で言うところのモンスター・ペアレントの議論と通じるものだろうか。その裏に「高い税負担があるのだから」という理性があるだけ、不条理な要求ではないのかもしれないが。

日本語の「自己責任」という言葉に込められた論理、「自業自得」「因果応報」という文脈よりは、デンマーク語の「自己責任」という言葉は、同じ用語を使っているものの、「他人/公への必要以上に拡大した依頼心を減らして、自分でできることは自らの力で適えるべき」という「強い者の(援助なしでの)自立」を謳っているように感じられる。

公的援助の縮小は当然、公的支出の削減と表裏一体であり、それが安易で安上がりな労働力としてのボランティアに至る危険性は、「優しくない」高齢者の家族は、温かな時間の担当 でも指摘した。そこでも触れた、カーン・イェスパーセン福祉大臣の提案は、「家族の暖かさを取り戻そう」というものであり、今回のクラウス・ヨート・フレデリクセン雇用大臣の提案も「公共の場にごみをポイ捨てせず、一人ひとりがゴミ箱に入れるようにしよう」といった公衆マナー・道徳面に訴えているように見える。

一人ひとりがゴミをゴミ箱に入れれば…というごみ捨ての問題などは些細なことに思われるが、実際はコムーネがたくさんの人員を雇い、道路の清掃などをしているため、これが適えば費用はかなり削減される。とくに、大晦日の夜は、個人が市内で打ち上げ花火などを上げまくり、「祭の後」の元旦には至る所にごみが散乱し、自転車用の道路も真っ直ぐに進めないほどだ。「どうせ明るくなった頃、誰かが片付けるから」と空きビール瓶や花火の残骸などが転がっている様子を見ると、公共心に欠けるという議論は理解できる。しかし、片付ける者がいるから放っておくのか、放っておくから公の責任で片付けざるを得ないのか、卵と鶏の議論になってしまう。

労働組合(LO)系のシンクタンク Ugebrevet A4は、「刷新だって?『自由選択』という名で資源がある者にのみサービスを提供することは、格差を拡大させ、社会の現状を10年後退させることになる」と、自己責任の論理を厳しく批判している(Ugebrevet A4、2008年5月19日。)この記事の終わりでは、「デンマークにはかつて、こうした不合理な議論に対抗していった社会民主党の社会大臣がいた。「個人の選択自由は、市民としての責任完遂とほとんど関係がない」と当時自由党を批判し、インタビューに答えていたのは、カーン・イェスパーセン(Karen Jespersen)である。」と、通称「政界のカメレオン」が今、与党・自由党の福祉大臣としてこの会議に参加していることを痛切に皮肉っている。

成人市民の行動に対して、どこまで政府は介入をするべきなのか。そして何が個人の責任で、何が共同体の責任なのかという点を議論するために設置された「私の責任」フォーラムでは、大臣のエッセイ、市民の投書などに対する議論のほか、プレスリリースや絵葉書を送る機能などもあり、市民を取り込む案がうまくとられている。

ansvaret.jpg きれいな色のカードとともに、中に書かれた文章も4種類あり、ここには「自分の子どもに24時間目を配っているわけにはいかないんだから、警察がいるんだろう? 何があなたの責任で、何が共同体の責任? mitansvar.dkでディベートに参加しよう」と書いてある。

1.あなたの子どもが教育を受けるのに、責任を負うのは誰? ( )あなた自身 (  )国家
2.デンマークの家庭で水を節約するのは誰の責任? (  )家族 (  )環境大臣
3.デンマーク国民の消費が地球にどう影響するかは、誰の責任? (  )市民 (  )国家
4.失業者に仕事を見つけるのは誰の責任? (  )失業者自身 (  )国家
といった具合に、具体的シチュエーションを挙げた質問を「国民投票」で問うたりもしている。(彼らの主張が、「本当に国の責任なのか?」と問う議論であることはいうまでもなく、誘導的な質問とも言える)

ただ、肝心のクラウス・ヨート・フレデリクセンがいう、「持てる者から回す」という自己責任の論理ははっきり見えない。このままでは、裕福な者は、累進課税で高い所得税を払っているのに、さらに自己責任を強調されて悪者扱いされている(上記HPの議論における一市民、PSM氏のコメントより)、と政府支持層の自由党離れさえ起こしかねないのではないか。「ずるいコウモリ」となって野党第一党である社会民主党の支持層を取り込もうとしつつ、隠された意図が市場原理であれば、与党自身の足元を掬うことになるだろう。
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2008年04月01日

『フィトナ』と、言論の自由の「人質」になったムハンマド風刺画

2008年3月27日にネット上で公開された、反イスラムの短編映像『フィトナ(Fitna)』のなかに、デンマークのムハンマド危機を引き起こした、爆弾のターバンを巻いた預言者ムハンマドが使われているということで、公開前からデンマークメディアでも話題となっていた。この映像を作ったのは、オランダの極右と見なされる自由党の党首である、ヘアト・ウィルダース(Geert Wilders)である。ようやく議論も収束した感があるので、この辺でまとめてみたい。

ウィルダースが、「ムハンマド危機の際に、表現の自由を掲げて毅然とした態度を取った、デンマークのラスムッセン首相を尊敬する」といったメッセージを送ったため、アナス・フォー・ラスムッセン(Anders Fogh Rasmussen)首相も無視してはいられず、まだ見ていないとしつつも3月18日に官邸を通じて公的コメントを出した。

このコメントによると、ラスムッセン首相及びデンマークは表現の自由を大切にするが、ヘアト・ウィルダースが描く価値観や視点を共有するものではなく、これとははっきりと距離を置くとし、信仰や民族的背景によって一定のグループの人を悪者とするような発言、振る舞い、表現を非難する、としている。

メディアでこれだけ話題になりつつも、「実はそんな映像は存在せず、エイプリルフールで騙している(公開前)」(Nyhedsavisen、2008年3月27日)、「エイプリルフールの嘘だったなら、天才的なのに(公開後)」(デンマーク国民党渉外部、ソーアン・エスパーセン、2008年3月31日、Information)、といった論調も数多く見られた。

映像が公開された今、批判は「必要のない挑発に過ぎない(アナス・フォー・ラスムッセン首相)」、「普通に、ちょっとできの良くないドキュメンタリーフィルム(ソーアン・エスパーセン Søren Espersen、デンマーク国民党、渉外担当)」、「ナチスのプロパガンダ映像に似ている(モーンス・イェンセン Mogens Jensen、社会民主党、文化部門担当」「別の文脈で描かれたイラストを恣意的に悪用している。表現の自由とは関係なく、著作権上の問題だ」(ムハンマドのイラストを描いたクアト・ヴェスタゴー Kurt Westergaard。ユランスポステンへのコメント)といった具合で、大きな反響を持って迎えられたというよりも、予想されたように単純にイスラム教に悪意を持って、恣意的に別番組からの映像を切り貼りしたもの、といった流れに代わった。

イスラム化を止めよ!」という組織は、オランダ、ドイツ、フランス、ポーランド、ロシアなどの国々と連携をとっており、デンマークでも盛んに活動をしている。ここで、問題の映像のリンクが貼られていたとのことでメディア議論の遡上にも挙がっていたが、結局Live LEAKという映像を載せた会社で、社員を危険に晒すような脅しがあったという理由から取り除かれた。Youtube(18歳以上の年齢確認あり)など、いくつかの場で、映像は公開されていたが、また4月1日になってこのサイトにも復活したようだ。この「イスラム化を止めよ!」の会は、裁判でムハンマド風刺画を自分たちの運動のために使ってはいけないという決定を下されたが、この映像は自分たちで作ったものではないから、という理由でムハンマド風刺画を含んでいる映像を彼らのHPに掲載している。

Stop islamiseringen.bmp「絵が気に食わないなら、家に帰れ!」というプラカードを掲げる「イスラム化を止めよ!」の会長、アナス・グラバース Anders Gravers。




オランダ政府は、11月にこの映像『フィトナ』の存在が明らかになってから、その公開を未然に防ごうとしたり、政府はこの見解を支持するものではないことをたびたび強調して、オランダ製品のボイコットなどを巻き込む、第二(三)のムハンマド危機を防ぐ対応をしてきていた。そのため、ムスリムの反応はかつてのムハンマド危機と比べると非常に穏やかだといわれるが、それでもかつてオランダの植民地支配を受けたインドネシアのムスリムの間では、非常に大きな怒りをもって受け止められ、オランダ大使館の前で「ウィルダースに死を!」と求める大規模なデモが行われたことを報じられている(2008年4月1日、Information)。

上記のように、自由党のアナス・フォー・ラスムッセン首相は、この件に関しては左派勢力と意を同じくし、「ただイスラム教徒を不快にさせる挑発」と批判したが、デンマーク国内の右派ではウィルダースに対してポジティブな反応もある。例えば、ムハンマド風刺画を掲載した、ユランス・ポステン紙の文化部門の編集者であるフレミング・ローズ(Flemming Rose)は、自身のブログで『フィトナ』について、「そんなに論争になるべきことか?むしろ、選出された国会議員であるウィルダースが、宗教イデオロギー批判をしたために脅迫を受けることのほうが論争になるべき対象ではないのか」としている。彼のブログによると、デンマーク人女性作家カレン・ブリクセン(Karen Blixen: 50kr札の肖像にもなっている国民的作家)も、1939年にイスラム教をナチズムに喩えるエッセイを書いているそうだ。

この編集者のブログは、英語で書かれていることからしても、対外的な影響などを自覚した上であり、確信的だ。また、デンマーク国民党党首のピア・ケアスゴー(Pia Kjærsgaard)も、首相の「見ていないし、見るつもりもないが、ただの挑発だろう」という発言に対して、「頭を藪に突っ込んで」事実を見ないようにしていると批判し、また起こりうる事態なのだから、ここで議論の対象として取り上げることが必要だ、とする。連立与党を組んでいる保守党のスポークスマンである、ヘンリエッテ・ケアー(Henriette Kjær)も、「『フィトナ』は、西側諸国の深刻なテロ措置の裏にあるイスラム原理主義を描いている」とし、原理主義者や過激派に誤解されている表現の自由も、恐れずに表現の自由としないと、なし崩し的になる、と厳しい対応を進めることを強調する。こうしたウィルダースの映像に対する反応の温度差が、自由党・保守党・デンマーク国民党(補佐)の連立政権を揺るがすのではないかという見方も出ている(2008年3月29日、Information)。

3月15日にオランダのティルブルグ大学でハーバマスが講演を行った際に、ウィルダースの映像『フィトナ』についてのコメントを求められ、彼は、憲法など法律上の事柄と政治的な事柄を区別することが大切であり、法廷で厳正に判定される必要があると述べた。価値観の問題に政治が口を挟むのは議論を盛り上げこそすれ、解決の道がないことを見越した卓見といえよう。ヨーロッパにおける三権分立の機能の尊重に関しては、拙稿ムハンマド風刺画の残り火と未熟なテロ法制の危険性においても記したが、他の権力から独立した機関がその専門性に基づいて厳正に判断を行うことへの信頼があるからこそ、こうしたコメントになるのであろう。日本で中国人監督による『靖国』の上映が自粛、そして全館中止されたというニュースが聞かれたが、この点においては『フィトナ』が前評判にもよらず、公開されたことに意味があるという、新同盟党首、ナサー・カーダー、(Naser Kharder)のコメントが、日本の現況への批判として響くだろう。『靖国』の件の批判については、kojitaken氏の「きまぐれな日々」を参照されたい。

アラビア語研究者の視点から見た、映像『フィトナ』におけるコーランの恣意的な翻訳については、榮谷氏のブログ、アラビア語に興味があります。に詳しい。このブログによって、そもそもターバンを巻いているのはシーク教徒で、アラビア人であるムハンマドをこのように風刺するのはおかしいという指摘も紹介されており、西欧からの視点がいかに他文化の内部理解にまでつながっていないかが実感される。こうして、あの危機を巻き起こしたムハンマドの風刺画が、作者の意図も文脈も超えて、政治的に西欧社会の言論の自由の「人質」あるいは「踏み絵」として使われてしまうような詭弁に、憂慮を覚えるのである。

実物の映像を見たい方は、ここから
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2008年03月09日

納税者である売春婦は、犯罪者になるべきか

3月8日の「世界女性の日」は、日本ではあまり知られていないが、恐らくデンマークでは誰もが知っている日なのではないだろうか。当日だけではなく、その数日前からメディアでも「活躍している女性」の記事が増えたり、話題に上ることが多くなる。今年は、たまたま土曜日に当たっているため、表参道の国連大学は3月10日にイベントを移したようだが、日本でもこうした機会を増やし、せめて1年に1回くらい、性別を焦点にした視点で現状の問題を振り返ることは意義があるように思う。

今回の「世界女性の日」を機に、このところデンマークで話題になっていることの一つに、売買春の規制がある。スウェーデンでは、売春は違法ではないが、買春は犯罪とされる。それに対して、デンマークでは売買春は合法である。もっとも、デンマークで正式に合法とされたのは、1999年の刑法改正以来であるが、現実にはもっと前から公然とされていたという。つまり、この売春合法化によって、デンマークでは18歳を超えていれば、売春婦たちはその売り上げを主要収入とし、自営業者と同じように確定申告をして所得税を納めることになっているし、50,000kr以上(120万円程度)の収入になる場合には、買春の支払いの際に消費税に当たる25%の付加価値税も課されるということである。(しかし、いわゆる「法に合致した職」というものでないので、労働市場法の失業給付等に関しての条項は適用されない)。

コペンハーゲン中央駅の裏の通りやその近郊では、いかにもな感じの露出の多い服装の女性たちが客待ちをしており、それを値踏みするように車の中から眺めて声をかける男性を見ることもある。しかし、路頭に立つ娼婦はそれほど多くなく、ほとんどはマッサージサロンのようなところでサービスをしているという話である。2008年3月7日のPolitikenによれば、デンマークでは14%の男性が「これまでに買春行為を行ったことがあ」り、そのうちの66%は「1回から3回程度」と答え、33%が「定期的に買春行為をする」と回答した。

売春婦たちは外国(多くの場合、東ヨーロッパや、アフリカ、東南アジアといった国)から来た/連れてこられた外国人であることも多い。4500人から6000人ほどいるうち、約2000人が外国人で、そのうちの半分は東ヨーロッパからの女性である。そうした中で、稼ぎを元締めに供出するシステムや、人身売買、薬物中毒、脱税、元締めや顧客からの暴力といった、犯罪と関わることが多いとされ、こうしたことから心的トラウマ(PTSD)を患う元・現売春婦たちも多いという。

こうした事情から、世界女性の日(デンマーク語では、「世界中の女性と連帯を感じながら、闘う日」という感じで、女性という性に纏わりついた不利益・不平等を是正するために「闘う」日という要素が強い)と関連づけて、売春を非合法化させようという勢力と、自らの意思で産業に従事している「幸せな娼婦たち」、そしてその中間の「売春婦たちに年金や疾病保険の権利を与えよ」という権利保障派とが議論を重ね、デモンストレーションなどを行っていたのである。(こうした権利を保障するために売春を合法化し、一定の成果を挙げたとされる国にオーストラリアがある。ウィキペディア「売春」、「諸外国の事情」の項参照)

デンマーク女性協会では、「男性よ、(この問題に関する、自分の)意見を明らかにせよ」、というキャンペーンを行い、「今こそ買春を禁止せよ!」と、たくさんの関連団体との協同により、3月8日に市庁舎前からクリスチャンハウン港までのデモンストレーションを企画した。彼らの主張は主に、1999年に買春を非合法としたスウェーデンを例に、デンマークででは合法であるために、性産業に従事する/せざるを得ない女性の数が増えている(90年代初めには1500人程度だった娼婦たちが、現在6000人近くまで膨れ上がった)と論じ、これに法的規制をかけることによって、貧困から抜けられない女性や外国から連れてこられ性奴隷のようにさせられている女性を救う、解決の糸口とすることである。こうした主張はフェミニストたちから根強い。

彼らの集計によると、2000年から2007年までのデータで、買春を@規制している国、A規制していない国、B完全合法化している国、では、性産業に従事する人の数に明らかな差が出ると示している。(数値は人口100万人当たりの売春を行っている女性の数)
@規制している国 スウェーデン 220
A規制していない国 ノルウェー 585 (2008年から規制が行われる決定がされた)
          デンマーク 1111
B完全合法化している国 オランダ 1687
            ドイツ 4854

それに対して、2008年3月7日のPolitikenでは、実際に性産業に従事する7人の女性たちが、こうした規制の動きに対応するために、自分たちの利益団体を発足させホームページを開設したことを受け、各メディアを呼んでインタビューに応じた様子を報じている。ホームページでは、実名あるいは匿名で20代から60代までの(ほとんどがデンマーク人だが、外国人も数人)女性たちが、時には写真や似顔絵とともに、年齢やこの職業に従事している期間、誰かに強制されているかといった質問に率直に答え、自らの意思で行っている職業を法規制によって突然に犯罪者にされてしまうことに対する厳しい批判と反論を行っている。こうしてみると、日本の風俗産業などが若い少女たちに媚びさせて成り立っているのに対して、デンマーク(あるいはヨーロッパ)では黒いエナメルのブーツに革のミニスカートといったクラシックな「淫靡なイメージ」で売っているという違いに驚く。

「売買春容認派」の上記のホームページ、「反対派」のキャンペーン・パンフレットを参考に、双方の論理を見てみると、結局数多くの論客を備えた、「買春規制派」の主張の方が、明らかに事実を俯瞰した上で可能性と解決策を提示しており、「自分の意思で職業として、誇りを持ってやっているのだからいいではないか」という程度の底の浅い反論は裏づけが弱いことが明らかである。現場の声を聴くようにというのは尤もだが、「反対派」の現状から出発して、規制が始まったら、現在性産業に従事している外国人への居住ビザの問題をどうするかといった建設的な視点から、障がい者の性の権利といった少数者の必要を「人質」にして、自分たちの欲望を正当化しているという幅広い議論は、一考に値する。

確かに、デンマークでの売買春の議論では、障害を負った人々や老人の性へのアクセスの観点から、その必要を説く論が根強くある。公の補助金で障がい者が買春を行うことの正当性はしばしば議論の的にもなっているが、それでも、買春をしたことのない男性のうち51%は、障がい者のために娼婦は必要だと考えているともいわれる。しかしながら、実際には買春をする男性のうち、83%は恋人あるいは妻を持ち、シングルの男性は17%であり、しかも買春が性を享受する唯一の機会だと答えたのはたったの8%であり、71%は買春が「可能だからする」と回答したとクラウス・ラウトロップ(Claus Lautrup)は指摘している(引用は上記PDFより)。また、特別な対応にして優遇する政策は、逆に障がい者の健常者と同様に健全な恋愛や結婚をする能力を否定することになるという価値観の議論もある。

こうした事情を鑑みると、売買春の違法化がすぐに性産業の撲滅につながらないことは当然であるが、それでも望まない形で産業に従事している女性を救済する手段として、トラウマを負う女性に対する心理的・社会的なサポートなどを進める施設・制度の充実とともに、法的な介入も求められている時かもしれない。
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2008年02月19日

ムハンマド風刺画の残り火と未熟なテロ法制の危険性

しばらく国外に出ており、デンマーク国内のニュースに疎くなっていたが、ネットで2月14日のヤフーニュースを見て唖然とした。もうリンクは切れているので、コピーしたものを貼り付ける。
【ロンドン=本間圭一】デンマークからの報道によると、同国の主要紙は13日付紙面で、イスラム教預言者ムハンマドの風刺画を一斉に掲載した。

 ロイター通信は、掲載紙は大小計15紙に上ると伝えた。

 2005年にイスラム世界で暴動が広がるきっかけとなった風刺画の再掲載は、イスラム教徒の新たな反発を招く恐れもある。

 同国の治安当局は12日、風刺画を描いた画家殺害を計画したとして、中部オーフス近郊で、モロッコ系デンマーク人1人とチュニジア人2人の計3人を拘束。各紙はこの殺害計画発覚に抗議し、再掲載に踏み切ったものとみられる。

 風刺画は爆弾の形状のターバンを巻いたムハンマドを描いたもので、同年にデンマーク紙ユランズ・ポステンに掲載されたため、ムハンマドをテロリストに見立てたと反発するイスラム教徒の暴動が各地で広がり、50人以上が死亡した。

 同国紙は以後、原則掲載を自制してきたが、主要紙ベーリンスケ・ティダネは今回の掲載について、「新聞が旨とする言論の自由を守るためだ」と主張している。

最終更新:2月14日1時52分 (2008年2月14日 Yomiuri Onlineより)
…イスラム教徒の暴動が各地で広がり、50人以上が死亡した?デンマーク国内で50人が暴動で死亡するなど、どう考えても前代未聞である。慌てて、デンマークの新聞各紙のHPを見るが、そんな騒ぎは起こっていないようである。

事実は、「オーフス近郊で、05-06年のムハンマド危機の際の風刺画を書いたクアト・ヴェスタゴー(Kurt Westergaard)の殺害を企てたという理由により、モロッコ系のデンマーク国籍の者が1名とデンマークに滞在許可を持つチュニジア国籍を持つものが2名拘束された」ということであった。

そして、各紙がこの拘束事件の背景として記事を改めて書く際に、問題の風刺画を13日に一斉に改めて掲載したというようである。風刺画掲載は、クアト・ヴェスタゴーが中心になっていたし、最も反感を買っていた爆弾に見立てたターバンを巻いているムハンマドを描いたのは彼であったが、当時ユランスポステンに掲載されたものは12枚の画が12人の作家たちによって書かれていたため、それだけを「問題の風刺画」とすることはできない。あの騒ぎは、誰にとっても忘れられない体験となったが、それでもなお今回の全国の新聞で一斉に掲載するという措置は、「皆でやれば怖くない」的な取り決めの下に言論の自由を掲げる各紙が掲載に踏み切ったように思われ、そうした点を個人的には子どもじみた安易で軽率な対応であると思う。

しかし、今までのところ、この再掲載によって再びイスラム諸国で大々的なデンマーク製品のボイコット等に発展した話は聞かれず、一部の国々でデンマーク国旗を燃やしたり、大使館の前でデモンストレーションをしたりということがあった程度であったことが報じられていた(2008年2月15日、Politiken)。

冒頭の読売ニュースの記事は、恐らく前回のムハンマド危機の際の、外国での暴動とその被害について触れている(デンマーク国内で死亡者はでていない)と思われるが、言葉足らずで誤解を招く内容になっていたようである。こうした点からも、「うちがわ」から発信することの重要性を感じている。留守をしていたため、少し発信が遅れたが、また記事は書いていくつもりである。

さて、ではデンマーク国内では、イスラム教徒たちの反応はなかったのかというと、そうではない。2月15日の金曜日から週末を越え、とくに移民的背景を持つものが多く住む地域(とくに、コペンハーゲン北西部のノアブロと呼ばれる地区)で、若者たちによって毎晩のように学校や車に放火されるという事件が相次いだ。金曜日から土曜日にかけては185件、土曜日から日曜日は103件、日曜日から月曜日にかけては88件という膨大な数の放火事件が国内の複数の場所で繰り返されたのである。コペンハーゲンコムーネは、今回の火災等によって損壊したものを建てなおすのに、市の財政から2500万クローナ(約6億円)の支出を余儀なくされると見積もっている。一般の市民の車に放火されたものなどは、必ずしも保険が降りるとは限らず、とんだ災難になったケースもあると聞く。

メディアは、今回のムハンマド風刺画の再掲載との関連を騒いだりしていたが、現実には組織的な事件というよりも、便乗にして悪乗りした者も多かったようである。ようやく火曜日、2月19日になって、ノアブロ地区の若者たちから、オープンレターとしてメディアに出された手紙(2008年2月19日、Politiken)によって、今回の放火事件がムハンマドの再掲載とは何の関係もなく、警察による人種差別的な尋問やボディーチェック、そしてその際の人権を踏みにじるような対応に怒りをためてきたことが告発された。彼らも、学校に放火することなどは、まったく行き過ぎたことで本意ではなかったとしているが、こうした行動を中年の男性によって唆されたことも書かれており、この事件を契機として警察官の移民たちに対する対応を見直す必要に迫られていくようになっていくと思われる。

さて前置きが長くなったが、本稿ではムハンマド風刺画事件よりも、デンマークにおける「テロとの闘い」を巡って浮き彫りになってきた、テロ法制の浅い裏づけやそれに対する国内の議論が非常に面白いので、それを追ってみたい。

この画家の殺害未遂事件で拘束されたのは、前述の通り、モロッコ系のデンマーク国籍を持つ者1名と、デンマークに滞在許可を持つチュニジア人2名である。デンマークでも、アメリカでの9.11を受けて、テロ措置法案(通称「テロ・パッケージ」)がすぐに提案され、2002年に成立した。これにより、デンマーク国籍を持つか、外国籍かで対応が大きく変わることになる。つまり、今回の事件の容疑者のうち、デンマーク人は警察の取調べを受けたあと、警察の監視の下に釈放され、司法による判断を待つことになるが、チュニジア人は有罪・無罪を問う裁判を受ける権利も与えられないままに国外追放になるのである。そのため、一部の国では国に到着するなり逮捕され、苛烈な拷問や死刑が待ち受けている可能性さえあり、そうした点に人権的観点から配慮が要請されている(こうした拷問や死刑に瀕する惧れが認められる場合には、人権的観点から、国外追放は留保される)。

今回のチュニジア人のケースでも、拷問に遭う可能性があり、容疑者たちは「人を殺すなど夢に見たこともない」と無罪を主張しているにもかかわらず、裁判にかけられることもなく、証拠も一般には公開されないまま国外追放という手段で解決を図ろうとしていることに、問題はある。しかも、行政・立法・司法という三権の分立は民主主義の根幹であり、それぞれが互いを監視しあうことで公正さを保つことを原則としているが、今回のような国の安全を脅かすテロのケースでは、その監視機能が働かず、公正さに欠くのではないかというのが議論である。こうした議論が出てくるところに、ヨーロッパの立憲政体の成熟を感じさせる。

今回の焦点は、デンマークの外国人法の25条と45条のbである。
*25条
以下のような場合には、外国人は国外に追放される。
1)その外国人が、国家の安全に対して危険となると見なされる場合
2)その外国人が、公的環境の治安、安全、健康に対して深刻な脅威となると見なされる場合
*45条b
案件への当法の適用措置を巡っては、難民・移民・統合省大臣が、法務大臣からの決定を考慮した上で、その外国人が国家の安全に取って危険と見なされるかどうかを判断する。そして、この判断が案件の処遇の際の基盤とされる。

どのようなときに、人は国家にとって脅威と認められるかは恣意的な解釈が可能であり、さらに最終的な判断をし、国外追放を決定するまでに裁判等の過程を経ずに大臣の一存で決定されてしまうのである。しかも、この立法に関しては、現難民・移民・統合省大臣である、ビエテ・ロン・ホーンベック(Birthe Rønn Hornbech)は法案の成立当時に、議員として在任していたため、当時の立法、今回の実行(行政)と判断(司法)で三権を一手に掌握していたことになり、三権分立の大原則が脅かされていると、2008年2月16日17日のInformationの記事において、コペンハーゲン大学のオーレ・エスパーセン(Ole Espersen)はこの処遇を批判している。

彼によると、デンマークでは大臣が国会議員であることは珍しいことではなく、その点に特筆すべきことはないが、その二権に対して、最終的監督機能を果たすべき司法の入り込む余地を与えていないこのテロ法制は、憲法63条に反しているという。また、彼はデンマーク治安警察(PET)の扱う情報は、極秘とされるため、守秘義務を負う裁判官等にも提示できないという理由はおかしい、とも指摘する。

こうして、図らずも全権を掌握した渦中の人、ビエテ・ロン・ホーンベック自身は、この役割を極めてクールに受け留めており、法案成立当時もその成立を喜んではいなかったし、今もその気持ちは変わらないと述べたが、こうした形でメディアの前でシステムに対して疑問を呈したことは、パフォーマンスとしては失敗だったとオールボー大学のクラウス・ホーン・イェンセン(Claus Haagen Jensen)はいう。このことによって、彼女は所属政党である自由党や政府の支持者に対して、不誠実だと印象付けてしまった。むしろ、冷静に受け止め、さっさと不適切と思われる法を改正してしまうべきだったというのが、彼の批判である。

まだ成立から浅いテロ法制は、今後も法案が通過したときには予想していなかったような事態に直面したり、その見直しを迫られる場面が多々でてくるだろう。その際に、当該案件を所轄する大臣として機敏に対応し、誰もが納得する民主的な方法で判断をしていくのは簡単なことではない。先例のなかった現実に直面した時にそれをコントロールするのは、三権の分立によるコントロールであると同時に、マスコミ等を通じた世論の力であることも実感させられた一件であった。

数日しての記事だが、イスラム諸国での反発を扱ったものが増えてきた。2008年2月27日には、パレスチナのハマスの子ども番組が、着グルミを着たピンクのウサギを使って、「アラーの意思」として風刺漫画を描いたクアト・ヴェスタゴーを殺すように扇動したり、デンマーク製品をボイコットするように呼びかけていたことを各紙が報道した。(この映像はYoutubeでも見られる。英語の字幕つき)カラフルな子ども向けの番組の中で、「対談」する子どもとウサギの会話を通じて、「この騒動のすべてのきっかけを作った漫画家は犯罪者で、どんなに隠れようともきっと見つけ出して殺してやるんだ」とパレスチナの子どもたちを「洗脳」する様子は、不気味である。

また、この風刺漫画家の妻は幼稚園で働いているが、この問題を重大視する両親たちによって、彼女が仕事に来ないように言い渡される事態になるほど、問題の拡大への懸念は広がっている(Copenhagen Post、2008年2月28日)。

風刺画の再掲載から10日以上経った今になって、イスラム諸国での反発が報じられるようになってきた。ヨルダンでは国旗が燃やされ、デンマーク大使館を閉鎖するよう要求する大規模なデモンストレーションが行われたことを報じている(2008年2月28日、Politiken)。

スーダンでは、「世界最悪の独裁者ランキング」連続3年1位のオマル・アル・バシール(Omar Hasan Ahmad al-Bashīr)大統領によって、デンマーク製品をボイコットするように呼びかけがされた。デンマーク国会は、スーダンの戦後処理と、教育プロジェクトのために、2億クローナ(約45億円)の支援を計上しており、こうした呼びかけをするような国家に支援を続ける意味があるのかを、デンマーク国民党は外務大臣に問うたという。外務大臣であるペア・スティ・ムラーは、「誰を支援して、誰を傷つけているのかを見なければならない。我々はスーダン政府に対して援助金を送っているのではなく、ダルフールや南部スーダンでの平和へのイニシアチブを支援しているのだ。」と、援助停止を解決策としない答弁をした(2008年2月27日、Copenhagen Post)。目先の苛立ちに感情的に動くのではなく、自分たちの援助は市井の人々を支えているのだという信念は、デンマークが人口1000人当たり2420kr(約5万円)という世界第3位(1位はオランダ、2位はノルウェー。アムネスティ・インターナショナル調べ。冊子アムネスティ、2008年2月号、33ページ)を裏付ける人権大国であることを感じさせる。

1年半ほど経って…風刺画の本物はこちら
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2008年01月09日

北欧の男女平等にも、例外あり

北欧の国々というと、高福祉とともに、女性が強く、男女平等が高い程度で実現されていることで知られている。世界初の民選の女性大統領は、アイスランドのヴィグディス・フィンボガドゥティル(Vigdís Finnbogadóttir)であったし、「ムーミンママ」の愛称を持つ、フィンランドのタルヤ・ハロネン(Tarja Kaarina Halonen)も、二期当選を果たし、在任中である。スウェーデン、ノルウェー、そしてデンマークでも同様に、女性の政治家の活躍はめざましい。デンマークで11月に行われた選挙で、もしも野党の社会民主党が勝っていれば、党首のヘレ・トーニング・シュミット(Helle Thorning Schmidt)が、デンマーク初の女性首相となっていた。

ノルウェー・スウェーデンといった他の北欧諸国にも見られるが、デンマークにも男女平等省があり、1999年7月1日に初めて首相によって、男女平等大臣が任命され、現在は9月以降、カーン・イェスパーセン(Karen Jespersen)が福祉大臣と兼任で務めている(参考記事 省庁改組と改名の裏にある意図。)デンマーク語の"ligestilling"という言葉は、「平等化」を意味するため、差別撤廃であれば男女だけではなく、人種、宗教などもターゲットにしてもよさそうなものだが、実際には「平等化=差別撤廃」というだけで、暗黙の了解として男女差別をなくすことを意味している。例えば、この男女平等省の「(男女)平等とは何か」を見ると、このように書いてある。

歴史的に見ると、デンマークでの男女平等もまた、選挙権、教育を受ける権利、女性自らの身体へ権利(中絶や避妊)といった基本的な権利を求めて、女性の戦いとして始まったものであり、そのためそれらの権利を満たした今となっては、男女平等はもはや男と女の戦いとは見られない。性別に関わらず、人々が希求する人生を生きるためのすべての可能性と自由を保障するための、女性と男性との共同プロジェクトなのである。
(以下は略すが、この後、男女は同等の価値があり、デンマークの民主主義社会において、同じだけの可能性と影響力を持つことが必要であり、直接的・間接的差別をなくすことを政府が目指す、といった目標が掲げられている)

さて、そんなデンマークだが、年末以来、「ある」職業の女性たちに対して、男性の同僚があからさまな差別をしていることが明らかになり、議論になっている。この「ある職業」とは、教会の牧師である。2007年12月27日のPolitikenには、929人の女性牧師に対して行った調査の結果が掲載され、それによって現状が明らかになった(回答者数は470名)。男性牧師が女性牧師に対して挨拶のための握手を断ったり、女性牧師の立った祭壇を汚れたものと発言し、一緒に働くのを拒否された等の回答が集まった。

「女性の牧師なんて認めない」といった男性牧師の発言を、回答者の40.3%が複数回、18.2%は一度聞いたことがあるそうである。宗教の世界では良くあることだが、女性は「不浄なもの」とされているため、男性牧師が女性の代理で来る際にも、女性牧師の使う聖書等に手も触れない、また聖体拝領の儀式を行う場合に、その女性牧師のを使わず、ワインボトル等の道具を新しいものにする等の嫌がらせがあることを、国営テレビのDRも報じている(2007年12月27日)。

デンマークは、女性が牧師の職に就くことを可能にした最初の国の一つであり、1948年には早くも3人の女性牧師が誕生したというが、当時、周囲の反応は反対する声が強く、女性を牧師にするならば教会から離脱するという者さえもあり、フュン島のハンス・ウルゴー(Hans Ølgaard)が国内で唯一人、女性にも職業を解放することに賛意を示したという。現在は、デンマークの女性牧師は全体の約40%を占めるようである。マーモア教会の牧師であるミケル・ヴォル(Mikkel Wold)は2008年1月8日のInformationにおいて、メディアが騒ぐほどこの女性差別の問題は大きいものではなく、「最近は何でもかんでもに一家言をもち、何にでも口を挟む風潮だが、その自分の意見について知識を持つことは流行っていないようだ」と苦言を呈している(余談となるが、この新聞のネット記事は、読者がコメントを入れられるので、反響がわかって面白い。この記事に対しても、7名がかなり長いコメントを残している)

デンマークの国教は、ルター派プロテスタントのキリスト教であり、国民教会(Folkekirken)と呼ばれている。2005年1月1日現在で約450万人の信徒(全国民の83.1%に当たる)を抱える。最近、外国から王室へ嫁いできたプリンセスたちは、改宗が求められた。デンマークは非常に世俗化しているため、毎週日曜日に教会に行くといった敬虔な信徒は多くないと思われるが、幼児洗礼、14歳の時の堅信礼、結婚式、葬式等は、人生の中で宗教と関連した大きな行事として大切にされている。信徒たちは、毎月収入の1%弱(1%から、コムーネ毎に控除額があるので、それぞれ計算されるが、2008年の平均では0.88%)を教会税として収め、国民教会はその税金と利子、国庫からの補助で運営されている。トップには、女王・教会大臣・国会を掲げ、その下にいる監督(変な訳だが、英語でのbishopをプロテスタントではこう呼ぶらしい。違ったら教えてください。)や牧師で構成されている。

この騒動が起こってから、牧師の上司に当たる監督たちが年明けにミーティングを開き、差別が行われないようにしっかりと指導することが決められたようである。日本の宗教界でも、女性の待遇は変わらず厳しいことを明かす本の出版もされているようである。浄土真宗本願寺では女性僧侶は約30%、住職は約2.5%(2000年)曹洞宗女性住職は4.3%(1995年)という状況を見ると、宗教界の男女雇用機会の均等はやはりデンマークの方が整備されているとは言えるようである。

一般的にいって、宗教の世界は、既存の科学・学問的な論理だけではアプローチしにくく、改革が進みにくい現実があるのはどこも同じである。男女平等が達成されているとする、デンマークでの教会の現実が見せてくれた男女平等の「例外」は、その点を裏付けるむしろ興味深いものであった。これからの変化を聞くのが楽しみである。
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2007年12月19日

若き現代版ヴァイキングの暴挙

酒を飲み航海に出て、略奪や植民をしていたヴァイキングは北欧の海賊だが、1000年以上経ってもアルコールや薬物の濫用によって、暴力行為・犯罪を起こすケースは末裔たちに引き継がれている。(もちろん先祖の血がどうのなどというつもりはなく、ただの話のスタートです)

デンマークでは、日本のように喫煙や飲酒などに関して「20歳から」という明確な規制はなく、法律上は「16歳未満の若者に対してアルコール飲料を販売してはならない。販売した場合には店舗側に罰金が科せられる」(数年前まで15歳未満であったが、ヨーロッパの比較調査の結果、デンマーク人青少年のアルコール濫用があまり酷い現実を晒したため、16歳に引き上げられた)ということと、「レストランやバーなどは18歳未満の若者に強いアルコール飲料(ライトビール程度ならOK)を提供してはならない。した場合には、提供した側と買った/頼んだ/飲んだ者に対して罰金が科せられる」という点だけである。つまり、16歳未満であっても親が買ってきたアルコール飲料を自宅(両親の裁量に任されている)で飲んだり、上級生に買出しに行ってもらって仲間内で飲んだりしている分には全く規制はない。

デンマークの若者のアルコール消費に関しては、以下のようなエピソードが挙げられる(保健管理庁のデータより social & Hälsovårdsnytt参照)。

*1984年には15歳のデンマーク人のうち、毎週飲酒をしていると答えたのは、男子の15%、女子の20%であったが、1998年には男子46%、女子38%まで上昇した。
*30%のデンマーク人の子どもは人生最初のビールを11歳の時に飲んでいる。
*早期の「アルコールデビュー」は後年、大量のアルコール消費につながる危険性を高める。
*中学校3年生のうち、17%の少年と12%の少女がすでに成人の適正限界量とされる週に男性は21単位、女性14単位を上回る、大量のアルコール消費をしている。
*中学校3年生の大量飲酒者のうち、5人に4人は12歳あるいはそれ以前に飲酒を始めた。
*アルコール大量消費をする者は、学業も振るわない。
*11歳の少年のうち20%は酔っ払ったことがある。
*11歳の少年のうち20%は先月1ヶ月の間に飲酒をしたことがある。
*デンマークの親は子どもに対してアルコールを導入するのが早い。
*中学校3年生の男子のうち20%は、飲酒のため喧嘩をしたことがある。
*中学校3年生の少年のうち10%超が、飲酒により警察と問題を起こしたことがある。
*中学校3年生の少女の5%と10%の少年がアルコールが効いている状態で車やバイクを運転したことがある。

こうした飲酒行動に加えて、薬物の濫用が青少年の間で広がってきており、メディアでも大きく取り上げられている。アルコールや薬物が効いている状態で青少年が犯す暴力事件がメディアを賑わすようになってきたからである。このところ大きく取り上げられているのは、15歳の少年が偶然に通りかかった48歳の男性を殺してしまったオールボーでの事件である。オールボーでは、エクスタシー1錠はほんの20krで買えるという。

とくに近年、エクスタシー、コカイン、アンフェタミンといった覚醒剤は、デンマークの青少年に人気らしい。90年代半ばにはコカインは、お金持ちしか手に入れられない高級品だったが、この2年から5年くらいの間に覚醒剤の価格は急激に下落したため、放課後のアルバイトなどで働いたお金で簡単に買えてしまうと、オーフス大学に所属する、薬物等中毒研究所所長のマズ・ウッフェ・ペーダーセン(Mads Uffe Pedersen)はいう(Politiken、2007年12月19日)。Politikenによれば、500mlのビールをお店で飲むと45krかかるのを目安として、エクスタシー1錠はコペンハーゲンでは50-70kr、フュン島では40-50kr、コカイン0.3gは200kr、アンフェタミン0.2gはコペンハーゲンで50kr、フュン島では20-40krで買えてしまうことを挙げ、いかに若者の間で安易に「いい気分になる」代替手段となっているかを危惧している。

過去10年の間に15歳から17歳までの若者による暴力事件の検挙数は3倍になった。傾向としては大都市よりも、地方都市のほうが若者のアルコール・薬物の濫用は酷く、とくに15歳から17歳までの人口1000人当たりで比べた際に、フュン島のフォーボーという街では検挙された者が人口1000人当たりのべ28,6人となり、最悪の数ということがわかった。これに対して、コペンハーゲンは7,9人、第二の都市オーフスは4,9人となった(Politiken、2007年12月17日)。

この原因について、犯罪学者であり法務省研究部門長である、ブリタ・キュスゴー(Britta Kyvsgaard)は、地方都市で薬物の氾濫を原因として他の犯罪間でも拡大していったのではないか、また大都市に住むのには非常にコストがかかるため、社会的に問題を抱えた家族は金銭面から地方都市に住まざるを得ず、それが地方都市での暴力事件などの犯罪につながったのではないか、とこうした原因を分析している(2007年12月17日、Politiken)
 
オールボーで男性を殺した15歳の少年は、暴力行為の後、自分の携帯電話で瀕死の被害者をビデオに撮影していたという。これまでは、「相手を倒したら終わり」だったものが、倒れただけでは飽き足らずその上さらに暴力を加え、致命傷を与えるような非常に凄惨な傾向にあるといわれる。SSPと呼ばれる学校・社会・警察の協力に基づいた(「風紀・青少年健全育成」といったもの)では、青少年によってなされた犯罪で、アルコール・薬物が関わっていなかったものは記憶にないというほどにだという(上記Politiken)。

こうした薬物・アルコールが簡単に手に届くところにあり、コントロールが十分でない現実は、とくに影響を受けやすい青少年にとっては深刻な状況といえる。アメリカやフィンランドで起こったような銃による犯罪は、まだデンマークでは起こっていないが、ここ数週間のうちには郊外での銃撃事件も重ねて発生しており、青少年の犯罪と重なれば学校での無差別発砲事件が起こってもおかしくはない。

犯罪と貧困の相関はよく指摘されている通りであり、デンマークも例外ではないが、豊かになったデンマークの内部に抱える貧困層がアルコールや薬物の手によって罪を犯し、社会の逸脱者となっていくサイクルは残念である。親がアルコールを子どもに「導入する」のもかなり早い時期だといわれるデンマークだが、法規制ならずとも何らかの形での規律化は必要なのではないだろうか。
posted by Denjapaner at 22:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 社会事情 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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