2014年06月10日

包括(インクルージョン)の課題 特別支援学級から通常学級へ

『日本教育』平成26年6月号、pp.24-25より掲載。

デンマークの包括教育
 今、デンマークの学校教育のなかで注目されている概念に、「包括(インクルージョン)」がある。障害などの有無によらず、どんな人でも共同体の参加者となる権利をもつというものである。1994年にサラマンカ宣言が出されて以来、包括教育は重要なテーマとされてきたものの、特別支援学級の生徒は通常学級と交流がないなど、孤立・隔絶が指摘されることもあり、より抜本的な包括への試みが求められていた。

 近年、自閉症、注意欠陥性障害、アスペルガーといった診断を下される生徒が増えるに従って、特別なニーズをもつ生徒への対応の拡充が迫られ、特別支援学級に通う生徒は2010年には生徒数全体の6.9%を占めていた。これにより、特別支援教育へ使われる予算は、年間130億DKK(約2600憶円)に上るようになり、公立学校の年間予算の3分の1を占めるほどにまで膨らんでいた。

 生徒を特別支援学級に送るのは、通常学級に入れるよりも格段に高コストのうえ、特別支援学級に通っていたという過去は生徒にとっても後のスティグマとなり、将来的なパフォーマンスにも影響することがわかってきた。こうした背景で、政府は2012年4月に学校教育法に「包括」条項を導入し、これまでの特別支援教育対象者の定義を変えて、特別支援教室に通っていても、週に9時間以内であれば「通常」の生徒と同様とみなすようにした。さらに、政府と自治体連合は、特別支援学校、特別支援学級に通う生徒の数を2015年までに4%未満に抑えるようにという具体的な指示を出した。教育大臣は、この変更を特別支援学級にかけていた費用を削減する目的ではないと強調しているが、特別支援学級に通う生徒を5.6%(2012年)から4.6%にするだけで14億DKK(約280億円)の節約につながるという試算もあり、大きな支出削減が見込まれる。2013年末の段階では、特別支援学級に通う生徒は5.1%にまで下がっているとされ、あと一息のようにも見える。

 「包括」は、これまで特別支援学級に来ていた生徒も通常学級に取り込んでいくというように使われる。発達障害や特別なニーズをもつ生徒も区別せずに通常学級に取り込み、教員が「授業の差異化」といった努力をすることで、生徒がおのおのの発達段階に応じて適切な課題を与えられて伸びていくことを目指す。93年の学校教育法の改正によって、この「授業の差異化」が基礎原則とされるようになった。授業の差異化は包括とも近い概念であるが、包括は授業だけではなく、子どもがどんな風に過ごしているかといった価値をも含むのに対して、授業の差異化は純粋に学習内容を指している。

「快適で満足した状態」を目標に
診断つきといったレッテルで区別することなく、誰もが共同体の一員となり、肩を並べて学ぶ。理念として聞こえはいいが、受け入れた通常学級側ではきちんと授業の質が担保されるのだろうか。ある調査によると、新卒教員が「十分な準備ができていない」と感じる最たるものが、まさにこの「授業の差異化」であり、そのため近年の教員養成でも重視されている。鍵となるのは個々の生徒の「学習目標」、「評価」、「フィードバック」をしっかりと行うことというが、なお難しい課題だ。

 政策先行で目標づけられた包括教育だが、現場の実情を詳らかにするため、2013年から3年間、国内98の自治体のうち12を対象として、教育学研究者による追跡調査が行われ、中間報告が出された。しかし結果は残念なものだった。ある自治体では、2012年に特別支援学級を撤廃し、そこに通っていた230人の生徒のうち174人を普通学級へ包括したが、授業中の叫び声や周囲の生徒の学習妨害、殴り合い、教員のストレスによる欠勤といった多くの問題が生じていることが示された。こうした結果に伴って、この自治体では子どもの学習環境を懸念して、親が公立学校から私立の学校へ転校させるケースまで散見されるようになってきた。すでに2014年夏の新学期から、この自治体では私立の学校が二校開校される予定になっているが、公立学校を忌避して転入してくる生徒が多いためとも見られ、包括の政策が最終的にはうまくいくのか、そもそも包括は望ましいことなのかと疑問が呈され、メディアでも議論となっている。(注)デンマークでは私立学校であっても、運営予算の八五%程度が公費で賄われるため、保護者の授業料負担もそれほど重くなく、教育理念に賛同する人が一定数集まり、基準を満たせば親たちが新しく学校を立ち上げることは比較的易しい。

 包括のテーマで、政府の挙げている目標は三点ある。より多くの生徒が普通学級の授業に参加するようにすること、義務教育修了試験の成績で、02以下の生徒を減らすこと、学校で生徒が快適で満足した状態を維持することである。(注)EUの基準に合わせた7段階の成績基準であり、12、10、7、4、02、00、-3でつけられ、いわばA、B,、C、,D、Eに当たり、02が合格最低ラインでそこに至らない場合には不合格となる。言い換えるならば、一つ目が特別支援学級からの移転、二つ目が通常学級の生徒の学力底上げ、三つ目が学力以外の、子どもが学校で過ごす時間の質の担保ということになる。

 「快適で満足した状態」とは冗長な訳であるが、英語で言えばwellbeingに当たるデンマーク語で、毎日心晴れやかに学校や職場に通い、快適に一日を過ごすことを意味する。政策主導の下、外から下から押し上げて「一つの共同体」を構成することはできるかもしれないが、この三つ目の課題、質の担保がまさに難点となる。政策目標とするのは容易でも、実現に向けて努力が迫られるのは現場の教員側である。この夏に施行される学校改革を含め、政策主導の変化に戸惑う教員も多く、年長者は早期退職を検討さえしているとも聞く。違いに寛容な社会の形成が支出削減の言い繕いにされるかは、教員たちに力量にかかっている。
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2013年09月16日

「豊かな寄り道」 デンマークの生産学校の今

日本の若者の教育から労働への移行を応援する人々の間で、数年来デンマークの生産学校の実践に注目が集まっており、私自身も例年、視察に行く機会に恵まれている。日本から熱いまなざしが注がれるのに反して、デンマーク国内での扱いは、よいものではない。その実践や現場の努力は見るに値するものがあるが、政策上は優先順位を下げられるばかりである。訪問を通じて年々強く感じられる「有用性」を目指した成果主義などをよくまとめた新聞記事を見つけたので、休日を使って全文を訳出した。なお、本記事タイトルの「豊かな寄り道」は先日の視察の際の、心に響いた参加者の方の感想である。

訳出記事の出典である日刊紙インフォマシオンは、数々の優れた議論を載せている新聞で、他紙がネット上の閲覧も次々と有料化する中、無料で全文公開(しかも当日あるいは翌日から)という鷹揚さである。4週間試し読み無料や、学生の購読料は半額などの特典もあるのでぜひ購読者を増やして、今後も頑張ってほしい新聞社である。

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「私たちは最大でひとつのごみ箱でなければならない」

政府が中等教育への入学(成績の)要件を厳格化したら、そこからこぼれ落ちる若者が出るということは誰も話さない。代替として準備されている生産学校は魅力的にありすぎてはならない。なぜなら、回り道を必要とする若者のためにお金を払う人はいないからだ。
メッテ・リーネ・トーロップ記

アイア・ソフィア・コヴェリー・チュランは、政府のこれからやってくる中等教育改革を巡るディベートにほとんど登場しない種類の若者の一人だ。彼女のケースは成功例の一つだというのに。彼女のケースは、来る中等教育改革において政府が入学に際しての成績要件を導入しようとしていることで、職業学校に今後入学できなくなる見込みの若者に別の道を示すことができるのだが。
16歳の時に、アイア・ソフィア・コヴェリー・チュランは両親の元を出て、御しきれない創造性のアカデミー、アフックで勉強する必要があった。彼女は、そこで生徒として、経済的な支援を受けながら、これまでいつも将来仕事にしたいと考えていた創造的なことをしながら力をつけていくことができた。今、彼女は19歳になり、来月からコペンハーゲンの芸術学院で勉強を始めることになっている。
「アフックでは、自分にいい考えがあって、それに熱心に取り組むのであれば、先生たちは自分にそれをやらせるためにどんなことでもしてくれるとわかりました。その後に役に立った人との出会いもたくさんありましたし、のちに自分の活動へのフィードバックや良いアドバイスをくれるような、先生や進路カウンセラーたちとの緊密な関係を築くこともできました。まだそんなに大人じゃない時に、(先生たちが)そんな風に真剣に取り合ってくれるというのはサイコーです」と、最近アニメーションに興味を持ち、インスタレーションアートを作っているアイア・ソフィア・コヴェリー・チュランは述べる。
生産学校やその他のインフォーマルな教育は、アイア・ソフィア・コヴェリー・チュランのように教育制度をまっすぐに進むのではない、つまり中等教育に進む準備ができていなかったり、それをドロップアウトしたりした、少なからぬ数の若者たちを助けるものになっている。
こうした教育課程の目標は、若者に中等教育に進学する準備をさせることや、一般的な仕事に就かせることである。
(職業学校への)入学要件が厳格化されるのであれば、こうしたタイプの教育がもっと用意されている必要がある。ポリティーケン紙によると、政府は(若者が)成績要件を満たさなくて入学できる道を二つ用意するとされている。一つの可能性は、生徒がすでに実践の場所を確保している場合だ。もう一つの方法は、面接と入学テストだ。しかし、実際にはこの制度は、目的とするグループのごくわずかを入学させるに過ぎない、つまり中学校の国語と数学の試験で最低一つは2がついているような(成績の悪い)グループは入れないことになる「抜け穴」となるという。
「入学要件の導入というのは、中学校を卒業しても中等教育課程に入ることができない若者をたくさん生み出すことにほかなりません。でも、新しく課されたこの要件を満たさない人たちにどんなことが起こるのかというのは、今の段階では何ともいいがたいのです」、ロスキレ大学の教育研究者のレーネ・ラーセンはいう。
こうした(学力的に)弱い生徒たちに焦点が当てられないことに、ノアブロにあるオーガニック生産学校の校長であるシセ・カールセは悪態をつく。
「職業学校からドロップアウトする46%の人たちの声は、どこにも反映されないのです。労働市場に参画する準備ができていることが何よりも大切であり、それに向けていつだって努力しなければならないとそんなことばかり言っている。どんな人も中流階級の若者であることが期待されている。政府は、読み書き算ができる子のことしか考えていない。ちゃんとやっていけて、ちゃんとした文化的な教養も身に着けた子たちのことです。でも、休息が必要だったり、何らかの事情によって(社会的に)排除されたりしている子たちはどうなるのです?」と彼女は言う。

回り道の必要性
教育大臣のクリスティーネ・アントリーニは、長い間待望されていて、ようやく導入されるフレックス教育が、(職業学校に)入学要件を導入することによって中等教育に入学できなくなる若者たちに向けた教育になると考えようとしている。だが、その教育の中身についてはまだ大臣は明らかにしておらず、メディアにもまだほとんど流れてきていない。しかし恐らくのところ、既存の教育制度のなかから様々なモジュールを組み合わせるようなものになると予想される。
加えて、義務教育を終えてから職業学校にすぐ入学する最も若い生徒たちには、「若者年」あるいは「基礎年」といわれる基礎課程が導入されるようになるといわれる。その一方で、職業経験のある比較的年を取った生徒たちは急いで修了することになる。
しかし、いずれにしてもこうした新しい可能性は既存の教育のうえに構築されることになる。しかしそれでは、将来の進路を明確にするための休息やオルタナティブな形の教育を必要としている若者には何も変わらない、とオーフス大学教育学部准教授のソーアン・ランガヤーは主張する。ソーアン・ランガヤーによると、学力と労働市場への準備ができていることへのフォーカスが通常の教育制度の中でますます強まり、そのことがさらに多くの若者を立ち上がれなくしている。こういった人たちが必要としているのは、人生の方向性を見つけ出すための休息を得ることなのだが。
ソーアン・ランガヤーは、制度というものがいわば自身の問題を作り出す要因の一部となっていると主張する。
「生産学校は、一種のセカンドチャンス・スクールなのです。(学校と同様に)目標に向かっている側面はありますが、もう少し緩い制限があり、もう少し小さめの学級で、施設らしくない。だから、生産学校は中等教育からのドロップアウトの問題の中で中心的な役割を担うのです。だが、こういった種類の寄り道を避けるべきだ、という人もいるわけです」
オールボー大学の若者研究センターのノエミ・カツネルソンは、政府の進める政策の傾向に同様のものを見る。
「以前の(自由・保守党連立)政府は、特別な若者のために特設された、個々人のコースに焦点を当てていました。新しい(社会民主党連立)政府はすべての若者に通常の教育制度に入学させており、すべての人が何らかの能力を身に着けなければならないと考えているように見えます」と彼女は言う。
生産学校はこの間に、もっと多くの生徒を得たいというメッセージを出している。教育省から2009年に発表された最新の数字では、生産学校に通った若者の3分の1がその後に通常の教育課程に入ることに成功したとされている。生産学校2010年発表のものは、当時の78校の生産学校のうち61校にアンケート調査をしたもので、生徒の41%が直接何らかの形の教育課程に進学したとされている。
「何かをやってみて、自分の人生で何をしたいかが明らかになるまでにとても長い時間がかかる若者もいるのです。こういった人たちは、急がせてダメにしてしまうのではなく、意欲を与えてくれるような効果のある中間ステージに立つ必要があるのです。ますます多くの若者がこうした社会のプレッシャーの中で、いいところを見せなければならないというプレッシャーがあまりないモラトリアムを求めているのです。生産学校は小さな寄り道でもありますが、前への一歩となりうるのです」とソーアン・ランガヤーは言う。

新しいチャンス
ノアブロゲーデ32番地にあるエコ・カフェは中庭の奥まったところにある。(ここは)オーガニック生産学校の一部だ。何もかもが高品質で輝いている。真っ白いテーブルクロスの上に載せられた焼きたてのチョコレートコーティングされたケーキから、壁のガラスのモザイク模様、キッチンで湯気を上げているランチの品々まで。
「木を使って仕事をするのが大好きなんです。中学校では大していい成績ではありませんでした。でも、手を使って何かをすることはできたんです。すでに中学校の段階で、自分はこれで評価されたいと決めたんです」、と大工のコースに参加している21歳のアンドレアス・ルノウ・ハンセンはいう。彼は注意欠陥障害を持っていて、他の生徒とうまくいかなかったり、教員の数が足りないために十分なサポートを受けられなかったために、ヒレロドの工業学校をドロップアウトした。
生産学校の大工コースでは自分自身のプロジェクトをもっており、より多くのサポートを受けつつも、もっと自立してそれらに取り組むことが許されている。アンドレアス・ルノウ・ハンセンは、これによって、ヒレロドの元の学校に戻って教育課程を修了するに不足していた二つのプロジェクトを終わらせるチャンスをもらったため、(生産学校に行ったことを)成功と感じている。
アンドレアスはこの学校にすでに数か月通っていたが、16歳のマルテ・ソマールンドにとってはこの日が初めての登校日だった。彼は9歳のころからプログラミングをしていて、職業学校のウェブインテグレーターの課程に通っていたが、ほかの生徒たちが自分よりも年上で、授業に自分とは違う期待を抱いていた。
「僕は彼らとは違うところにいるのを感じました。僕自身は、大麻乱用や、統合失調症の診断を受けた過去から抜け出した今、これから新しい友達を得て、人生にエンジンをかけてくれるものとしてこの教育を必要としていました」、とマルテ・ソマールンドはいう。彼はいろいろなところでこの生産学校と共通点を持つオルタナティブな環境で育ったため、このオーガニック生産学校を選んだという。
「でも僕のように田舎の街出身の人にとっては、生産学校に通うことはタブーなんです。負け組ってことになってしまうから」と彼は言う。
「そう、本当ですよ。でも生産学校は負け組の学校じゃない」アンドレアスが話に割って入る。「先に進むためのエンジンをかけるもの、可能性なんです。本当の世界が動いているやり方とうまく連動したものを学ぶところなんです。すごくたくさんの人がわかっていないけどね。ここでは本当にたくさんの自立性、時間やサポートを得られます」
マルテ・ソマールンドの進路カウンセラーは彼に10年生の試験を受けてほしいと考えていたが、マルテ自身はそれができるとは思えなかった。彼はむしろ、特設された中等教育コース(STU)の入学許可を待つ間に、生産学校に通いたかった。
「実は、(何をしたいと)声を上げることが大切なんですよ」アンドレアス・ルノウがマルテに向かって言う。「君は9歳の時からプログラミングをしていた。もちろん教科書に載っている知識もいいけれど、必ずしもそれだけが評価されるものじゃない。(だけど)高校の教育が扉を開けるための唯一の方法になるときもある」
アンドレアス・ルノウ・ハンセンは生産学校に登校しないと給料が天引きされることを説明してくれた。それでも、彼もマルテ・ソマールンドも、給料をもらうためだけに生産学校に通う人もいると同調した。
「生産学校を厳しくしすぎないように気をつけないとならないでしょう。それによって、(目標である中等教育を修了するまでに却って)より長い時間がかかってしまう人もいますから」とアンドレアス・ルノウは言う。

金勘定の考え方
それでも、アンドレアス・ルノウもマルテ・ソマールンドも生産学校に入学を許されたということを喜ばなければならないだろう。
というのは、中等教育の入学要件が厳しくなるとこうしたオルタナティブな教育への必要性が増すだろうと専門家が見込む一方で、政府の財政予算案では生産学校は1億3500万クローネの削減を迫られているためだ。
それに加えて、インフォマシオン紙で以前に伝えたとおり、若者側に準備ができていないにもかかわらず、自治体が彼らを職業学校に送っているという批判もある。職業学校では国がこうした若者の教育費を払うが、生産学校やダウホイスコーレ(通学制のホイスコーレ)の場合には自治体が教育費を支出しなければならないためだ。
最近ではコペンハーゲン市が、青年ガイダンスセンターに若者を生産学校に入学許可を出す場合、経済面での配慮をするようにと求める通知を出していたことが明らかになった。これによって、コペンハーゲン市で生産学校に入学許可という判定を受けた若者は1年間で17%強も減少している。
こうして社会的に排除された若者が、再び負け組としてプレスティージのない教育に落ち着くことになる、とオーガニック生産学校のシセ・カールセ校長は見る。
「これまで過去14年間、生産学校とそこに通う若者たちは様々なものを取りあげられ続けてきました。旅をしてはいけない、創造的にありすぎてはいけないといわれ、常に金のかかるものという文脈で語られます。こうした価値の置き方というもの全体が、若者にも(ネガティブな)影響を与えます。自分たちにちょっとだって期待する人なんてどこにもいやしない、と考えるのです。先日、一人の若者が、生産学校に来るよりも福祉の世話になるほうが実は魅力的だ、と私に言いました。要求されたレベルを満たすことのできない人がなぜ、軽蔑と好奇の目に晒され、より厳しい環境や経済状況に置かれなければならないのでしょう?」 シセ・カールセは、彼女自身若いころ、教育を修了するまで、いくつかの寄り道を必要としていた。彼女は、しっちゃかめっちゃかな子ども・青年時代を過ごし、何年もの間、教育という形に自分自身を入れて考えることができなかった。
「でも、80年代はそれでも全然違いました。シュルター(首相)は素晴らしく、あのころの若者はもっとずっと自由度が高かったのです。もう少しで自由主義者になるほどでした。就労プロジェクトに実験的なものをたくさんの予算をつけたのです。こうした背景で生産学校が大きく育ちました」
しかし、今日の生産学校はどう見ても魅力的ではないと、彼女は認める。
「生産学校は最大で一つのごみ箱でなければならず、学校に来ていいのは最大限に意欲のない生徒たちだけです。生産学校や生徒が密かに誇りに思っているのは、生産学校にお金を払う自治体が学校が魅力的になりすぎるのを恐れているということです。ひどい扱いを受けているグループがいます。こうした人たちが成功を必要としているのです。今の状況を改善するために戦っている人たち、ここから一歩外に出ると資源が足りていない人たちです。こうした人たちにはむしろ、場と承認を与えるべきなのに。これはひどいパラドックスです。」
ソーアン・ランガヤーがこれに補足する。「この議論全体の障害は、(青年の)中等教育への良い移行を実現するために社会が資源を使うのかということなのです。生産学校はもっと多くの生徒を入れさせる代わりに、自治体の金勘定の考え方に異議を唱えようとしています。しかし、入学要件を満たさないような若者のために誰がお金を払うべきなのでしょうか?」

*****
生産学校とは
・生産学校の目的は、「実践に根差した学習環境を作り、それによって若者を中等教育修了あるいは労働市場の通常の仕事に就かせる能力を身に着けるようにさせること」である。
・デンマークには全国に82の生産学校がある。
・生産学校の生徒は25歳未満で、その多くが中等教育をドロップアウトしたか、いまだに中等教育に進学する準備ができていないかである。
・在学期間はそれぞれだが、年間を通じて入学を受け付ける。一つの生産学校で、最長で一年間までしか在学できない。
・生徒の数は、すべての生徒が一年間通ったとしたら何人になるかとして計算される(「年間生徒」)。2012年の年間生徒は、7569人。
・2013年には生産学校全体の運営予算には7億2270万クローネがつけられていたが、2014年の提案では5億8770万クローネになっている。

出典 生産学校協会、2014年予算案、DR
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2011年03月20日

デンマークの職業教育・訓練を支える背景

東日本大震災で被災された方々、そして今も不自由な生活に耐えながら暮らしていらっしゃる方々に、心からお見舞いを申し上げます。震災当日は、デンマークのメディアでの報道もかなり大きな扱いで、友人知り合いからも家族の安否を気遣う問い合わせが相次ぎました。

目を疑うような悲惨な現状に、デンマーク在住の日本人も深く胸を痛めております。友人がデンマークの赤十字を通じて義援金を送ることができるアカウントを作ってくれました。デンマーク在住で円での送金が難しい方はこちらから、あるいは周囲の人々への呼びかけをよろしくお願いいたします。

また、今週末にはデンマーク在住のアーティストによるチャリティコンサートも行われる予定です。周囲ともお誘いあわせの上、どうぞご来場ください。
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東日本大震災が発生して、日本中で多くの事情が一変してしまった感もありますが、現場に駆けつけることができない私たちもまた、復興支援に向けての課題を共有していくことができたらと願っています。

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国土社から発行されている雑誌『教育』2011年4月号に、「デンマークの職業教育・訓練 デュアルシステム実現を適える背景」と題した文章を書かせていただきました。アマゾンでは地震の影響からか取り扱いがないようですが、BK1では購入可能です。
雑誌教育 2011年4月号.jpg

雇用能力開発機構が指揮を執って進めている「日本版デュアルシステム」ではドイツのデュアルシステムを基にして考えられているが、デンマークでも長く同様の教育方式がとられている。職業学校(専修学校・各種学校)での教育課程が座学と実習を組み合わせるものとなっていることで、職業的レリバンスの高い教育を行っている。これは若者に対する教育だけではなく、非伝統的学生といわれる成人の再教育の際にも適用されることで、人生の途中で専門を変更したいと考えた成人の「セカンドチャンス」の実際的支援となっている。

教育とは本人のみならず、国にとっても大きな投資であり、その間の生活保障をしてなお、支援したいものである。そのため、デュアルシステムでの教育の際にも座学中、実習中を問わず生活保障があるが、その根拠は(座学中は学生の立場で、国からの「奨学金SU」、実習中は研修生として、研修受け入れ先からの「実習生賃金」)それぞれとなる。こうした実習を伴う教育課程の場合には、実習先が実習生を雇用し、実習生用賃金を支払う。実習生が座学のために学校に戻っている間にも払っている給与を受け入れ企業側に返還してくれる基金制度が、実習受け入れを支えている。

上記原稿では、紙幅の都合もあり、日本の読者の文脈に落としていく努力を怠ったままになってしまった反省はあるが、デンマークの教育制度の概要やこれまで知られてこなかった企業内実習をかなえている基金「使用者実習返還基金」の存在などについて言及した点に意味はあるかと思っている。実習受け入れ先を見つけるのが難しいのはこのところ、デンマークでも同様に問題となっているが、国や制度がいかなるかたちでデュアルシステムの実現に臨んでいるのかという点で、日本への示唆にも富むと思われる。関心のある方に読んで頂ければ幸いである。
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2010年05月01日

「教育ではなく、政治プロジェクト」 無益なナショナルテスト

日本でも、ちょうど2010年4月20日に全国学力テストが実施されたところだ。今年は抽出式になったようだが、それでも実質の参加率は高くでたようだ(リンクは文科省発表の都道府県別の参加状況。PDF)。今年からデンマークでもナショナルテストが実施された。デンマークは、世界でももっとも学校教育費の高い国のひとつとされる。EUの平均である、GDPの5.2%を大幅に上回る、8.5%を基礎教育(義務教育課程)に当てている(2002年)。これだけ投資をしているのだから、その成果を実証すべきという、政界からの要請があった。

このナショナルテストは、2006年に政府と閣外協力政党のデンマーク国民党、社会民主党の合意によってもたらされたもので、ようやく今年実施に至った。2010年2月から順次実施され、4月30日をもって最後の生徒たちが終了した。コンピュータ適応型テスト、CATと呼ばれ、個人の回答に合わせて次の問題が変化していく。このCATの技術を取り入れて、このナショナルテストは開発され、数々のトラブルを乗り越えてようやく実施に至ったところだ。総計で1億から2億クローナ(約18億円〜36億円)もの費用がかかったとされている。

しかし、イギリスのナショナルテストが、破綻寸前と批判されているのと大差なく、デンマークのものも実施早々、大きな批判が相次いでいる。Politikenが526校の校長に調査したところ、58%が「このテストはもともと教員が認識していた生徒の得手不得手を裏付けているに過ぎない」と回答し、「このテストが役に立つ」と回答したのは4分の1に過ぎなかった(Politiken、2010年4月28日)。8割の校長が、こうした全国テストは中央が各学校をより強く管理下に置こうとしていることの現われだろうと認識している。

小2から(小5を除いた)中2までの各学年を対象としており、以下のような科目で実施される。生徒のレベルに適応しながら問題が提示され、どんな学力レベルの生徒が受験しても、50%の正答率となるように作られている。
小2 国語
小3 算数
小4 国語
小6 国語、算数
中1 英語
中2 国語、地理、生物、物理/化学
現首相のラース・ルッケ・ラスムッセンはテストの結果を教育省のHP上で公表すべきだとしているが、教員・研究者・官僚のだれも総じて無意味な競争を激化させるとして、公表に反対の方針だ。公表に賛成しているのは全国校長のわずか3%に過ぎず、92%が反対(5%はどちらでもない)している(2010年4月30日、Politiken)。

首相は、2010年恒例の元旦スピーチで「360度のチェック点検」という用語を使い、小中学校をしっかりと管理することでその質の保障をすることを目標に掲げている。このためのタスクフォースが教育関係者で結成されており、2010年6月3日、4日の成長フォーラムの場でその成果を発表することがすでに決まっている。

2001年に発足した現行自由党保守党の連合政権は、「ゆとり教育見直し」ともいえる、生徒の学力強化を重視しており、2001年から2009年までの間に義務教育法を28回も改正している。以下は、主な重要な改正の主なものである(2010年1月5日、Information)。

2003年
・幼稚園クラスを含めた学力強化
・国語と算数の授業時間の増加
・拘束力を持った授業目標
・生物科の試験科目化

2004年
・地理科の試験科目化
・二言語児に対する言語刺激

2005年
・自治体の境界を越えての自由学校選択
・外国語としてのデンマーク語の授業の強化

2006年
・ナショナルテスト実施による授業改善、結果レポート公開による質のコントロール
・学力により重点を置いた小中学校の目標の明確化
・学校領域での自治体の責任の明確化
・生徒一人一人の計画、質のレポート
・国語と算数の授業時間増加
・学校管理庁と学校評議会の導入

2007年
・小中学校での中等教育に向けた早期の進路指導
・10年生クラスの目標設定

2008年
・教育義務を10年間へ延長
・放課後の学童保育の目標と内容の明示化

2009年
自治体の学校に対する責任のさらなる明確化

「ゆとり」をなくし、PISAのような国際学力調査で好成績を収めることができるように、主要科目を重点化しているのがわかるだろう。

PISAで好成績を収めたフィンランドでは、教員養成には大学院の修士号を要し、5年がかかるが、デンマークでは教員養成大学での4年間のみだ。PISAの結果から、フィンランドに倣って現行の教員養成を5年間の修士課程での教育とすれば、このナショナルテストを実施するよりもさらに費用がかかるため、それに比べれば安上がりとされていた。だが、こうした校長たちもいうように、「テストを行うだけでは生徒は賢くならない」。とくに結果の公開は、競争の激化から悪夢のシナリオへつながりうる。

裕福な家庭の親が子どもを結果のいい学校へ移し、(たとえば、移民やその第二世代の割合が多く、試験問題の理解度が十分ではないために)悪い結果となった学校には、転校をする余裕のない家庭の子どもだけが残る。教員も同様に「悪い学校」を避けることによって、成績だけではない、貧富の差、民族的マジョリティー・マイノリティーといった別の条件での二極化が進む。次第に、結果を出さない学校は公からの補助金を減らすといった措置で、「悪い学校」にいった生徒は中等教育やその先のチャンスがよりつかみにくくなる…。

ナショナルテストによって、学校側がよりよい成果を上げるために、学力だけにフォーカスした授業を行う懸念もだされている。そうした教育法は、「生徒」というコマを使って教員が行うゲームに堕すものとなる。すでに、移民・難民の家庭から来た子どもたちを多く抱えた学校が、デンマーク人の民族的背景を持つ者がよその「白い学校」に移ることで、よりその度合いを強めていることは周知の事実だ。コペンハーゲンのある地域では、二言語(デンマーク語以外の言葉を母語とする)子どもが98%を占めるところもある。

こうした社会事情に対抗するように、小学校以前の保育園・幼稚園の頃から統合(インテグレーション)を、というイニシアティブで、コペンハーゲン市では民族的背景を考慮して一定の割合となるようしたうえで、子どもの受け入れをすることを決定したところだ。小さなうちから子どもに「社会で一緒に生きているのは、(民族的背景が)デンマーク人だけではない」と慣れさせるという社会民主党と社会人民党からの提案が通った形となる。保育受け入れの待機リストは長いため、空きができたときの提案を断るとまた別のリストの一番下に加わって待つことになる。自由党の市議会委員であるセシリア・ロニングは、こうして自由選択を廃しても、結果的には民間の保育施設を増やすことになるだけだが、左派はそれを望んでいるのか、と挑みかかっている(2010年4月26日、Politiken)。確かに、選択肢の拡大というリベラルの原則は、医療の領域でも民間産業の流入と繁栄を招いた(本ブログの医療問題カテゴリー 参照)。その経験から言えば、結局、資源を持つ者が新たな選択肢を見つけだすことは必至だろう。

乗り越えたPISAショックと調査の妥当性でもあげられたことだが、デンマークは客観的調査に反映されずとも、これまでの教育のやり方で培ってきた創造性や自律といったよさを再認識して守っていくべきだ。教育省は「使えない」ナショナルテストを実施して成果を計るよりも、教員の一斉退職問題やなお不足する教員志望者のことを考えてしかるべきだろう(進学状況から見える現実 参照)。私には「360度の点検チェック」とは監視社会を実感させる恐ろしい言葉に響くが、子どもを信頼しないようでどこに着地するのか気になる概念だ。6月の報告書が出たら、また追って記事にしたい。
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2010年04月23日

教育から就労へ 就業経験の意味

近年、日本では青年の教育課程から就業への移行をどのように適えるかが注目されるようになっている。本田由紀氏の著書や濱口桂一郎氏のブログでもしばしば言及されるように、日本の高校や大学の教育が職業レリバンスが薄いことが、不安定な雇用の根にあるように思われる。この点においては、デンマークは他の欧米諸国と同様にジョブ型であるため、教育課程を通じて得た「専門知識」と就く業務(ジョブ)が密接に結びつきを持っているといえる。法学を学んだら、(誤解を恐れずにいえば、「たかだか」修士号を取っただけで)法律家と呼ばれ、弁護士や法律家になる道のほか、省庁の法令を扱う責任を持った職に就いたりする。同時に、「大学に進学する=(最低で)5年間かけて修士号を取る」という決定が、将来に就く職業と直結してされるものであることを物語っている。

それでも、一世代前に比べれば、現代の青年たちは断然に高い教育を受けるようになっており、大学もだいぶ大衆化してきた。高校や大学への進学率を調べようとしたが、出てくるのは「修了率」ばかりで日本とのフォーカスの違いがわかって興味深い。「進学」よりも肝心なのは「修了」という結果というわけだ。

2008年現在で、デンマークの人口の最終学歴は以下のようになっている。(教育省のレポート
デンマークの人口の最終学歴分布(2008年)

情報なし 2%
基礎教育(日本の中学校修了)25%
中等教育(日本の高等学校修了)44%
 −うち、普通高校・商業高校・工業高校課程9%
      専門学校などの職業課程 35%
高等教育(日本の短期大学、大学・大学院修了)29%
 −うち、短期高等教育(原則2年間。日本の短大修了)6%
      中期高等教育(原則3年半から4年間。日本の学士号修了)16%
      長期高等教育(原則5年間+3年間。日本の修士号・博士号修了)7%
この割合は、過去10年ほど大きく変わっておらず、とくに中等教育を最終学歴とする修了者の割合は変わらない。基礎教育修了の割合が高等教育修了者の割合に年々少しずつ移り、最終的に2008年の段階で10年前に比べて5%ほど増えた結果が上記である。「大学へ行く」という選択が、日本に比べて圧倒的に大きな意味を持つことを実感させる。

高等教育では入学後の修了率は70%から80%ほどであるが、中等教育は中退者が非常に多く、問題となっている。2007年のデータで、中退者の割合は、普通高校17%、大検課程28%、商業高校20%、工業高校27%、職業学校(専門学校)50%にも上っている(労働運動経済評議会レポート「数千の若者が職業教育からドロップアウト」)。そのため政府は、2010年には青年の95%が中等教育を、50%が高等教育を修了するようにと目標を掲げて、さまざまなキャンペーンをしてきたが、状況ははかばかしくなく、目標達成は非現実的と見られてきた(関連記事 実践経験での学びは理論学習に駆逐されるのか)。これまで、子どもは常に親の世代の受けた学歴の平均を追い越し続けてきたが、現在の青年世代は初めて親世代の学歴平均を超えない世代になるとまでいわれている(デンマーク産業連合の会長、ハンス・スコウ・クリステンセンのインタビュー、2010年4月21日、Politiken)。高等教育の進学率は、女子が53%であるのに対して、男子は37%しか進学しない。そのため、高校卒業資格、大学入学資格を得ながら、卒業後4年経っても高等教育へ進学していない6万人の若者に対して、地元の進路指導センターから揺り動かしの手紙を送り、進学へ背中を押す試みもしている。前年度にはこの手紙によって、600から900人の若者の進学への決断を後押ししたとされている(教育省HP、2010年2月5日)。

また、青年たちに数々の学び方の選択肢も提示している。そうした選択肢のひとつが、生産学校である。生産学校とは、通常の中等教育課程での理論学習についていくのに困難を抱えるような青年たちに対して、実社会とつながった何かを「生産」し、同時にその「仕事」に対してささやかながら給与を与えることで、同じ関心を持つ仲間や信頼できる大人(「親方」のような教員)と出会い、職業に就く喜びを感じられるようにする趣旨の教育施設である。分類的には、中等教育の職業学校(専門学校)課程に入る。

日本でもニートや引きこもりと関連し、このデンマークの生産学校が注目されるようになってきた。しかし、デンマーク国内では生産学校は話題に上げられたり、一般の人々の間で知られている存在ではない。同時に、そんなに簡単に「美しい実践」として理想化できるほど、扱いやすい生徒たちでもない。たとえばある生産学校では、半分以上がハシッシュ(大麻)を常用しており、多くが精神的病気を患っている。しかし、こうして教育課程に足を入れてくれた若者は、修了率を上げるための前提となる。そのため、問題を抱える彼らの心のケアに力を傾注し、彼らの中途退学を防ぐことへも力を入れ始めている。青年進路指導センター長のフィン・ランベックは、「現在中等教育課程に在籍している青年たちが、皆修了することができれば、95%の目標達成も難くない」としている(2010年4月19日、Altinget.dk)。そして、2010年4月23日のラジオ報道では、2008年夏から3年がかりで始められているコペンハーゲンの生産学校でのプロジェクトについて触れられた。コペンハーゲンにある4つの生産学校で、ソーシャルワーカーやサイコロジストと協力して、無料の心理相談を導入するなどの生徒の心のケアに重点を置く試みだ。現在までに350人がこのサービスを利用し、うち半数がすでに教育課程を順調に進んでいるという(2010年4月23日、DRニュース)。こうした中等教育課程からの「脱落」を防ぐイニチアチブに費用がおり、積極的に実施されているのを見ると、国が高い教育程度を備えた国民を育てることに熱心かがよくわかる。

デンマーク政府は、中等・高等教育の修了率を高めるとともに、労働市場へ入る年齢を若返らせることを熱心に行ってきた。以前にも書いた(参照記事 リベラルな教育の危機)ように、デンマークの若者は教育を修了し、労働市場に入るのが非常に遅いため、(税収の面から見ても)社会にとって損失となっている。そのために教育を早く修了する者に(成績に下駄を履かせるような)ボーナスをつけたりしてきた。しかし、この政策方針に従った若者が「損」をする結果となったことも報じられている(2010年4月13日、Politiken)。

デンマークの高等教育修了者は、学業を修了してもすぐに仕事を見つけられない場合が多い。そのために、失業保険も新卒者に対しては優遇措置があり、通常は一年経過しないと受給できない失業手当が、卒業後2週間以内に入れば一ヵ月後からすでに最高受給額の82%が受給できる措置があるほどだ。この保険があることによって、安心感から選り好みしているのかもしれないが、新卒者の失業率は平均33%にも及ぶ(院卒者組合のHPより、PDFファイル)。
2008年1月から2009年6月に修了した新卒者1863名の失業率

政治学・行政 22%
心理学 25%
商学 30%
工学 31%
映像・メディア学 33%
デンマーク語 34%
図書館学 36%
歴史学 38%
生物学 40%
哲学・思想 41%
建築学 50% 
 −−総合平均 33%
しかし、大学院修了者組合が出した調査報告書、『自由選択、それとも自由落下? 教育から就業への移行』によると、さっさと高等教育を修了した者よりも、学業に余分に時間をかけながらも専門科目と関連のある職場でアルバイトをしていた学生のほうが、就職に有利なことが明らかになっている。この調査は、3051人の学位取得者、修士学生にとったアンケートと、12の専門分野で78人のインタビューを組み合わせている。専門と関連のあるアルバイトをしていた者の場合には、73%が就職へ効果があった一方、専門と関係のないアルバイトをしていた者は就職へ効果があったのは57%に留まった。

考える間もなくひとつの教育課程から次へ課程へと進学せざるを得ない、日本の学生にとっても示唆深いと思われるので、結論の一部を挙げよう。

・在学中の専門科目と関連したアルバイトは、修了後に失業するリスクを減らす。
・学業を修了する前に求職活動をすべき。
・外国でのインターン経験や留学経験は、(実は)失業リスクを減らさない。
・専門科目と関連のあるアルバイトをすることは、高い成績を取ることよりも就職に有利に働く。
・学生が専門と関連した仕事を得る障害となるのは、職の実情の理解不足と、ポスト不足である。
・学生が修了前に求職をする障害となるのは、修士論文の提出へ向けたプレッシャー、求職書類の受付期間の短さ、自分の能力が労働市場にどんな風に適合するかに対する無理解である。
・学生の多くはそれぞれの教育機関の就職ガイダンスには満足しているが、より早期のガイダンスを希望している。
・就職ガイダンスはすべての専門分野で利用できるものではなく、一般労働市場における能力よりも、研究職へ就くための能力に重点を置きすぎている。
・金融危機は、学生や修了者の求職活動に特別な意味をもっていない。

求職の際に提出する書類には、成績表とともに、専門分野に関連した(輝かしい)就労経験が載った履歴書が求められる。そのためには、大学の授業を熱心に履修して好成績を修めるだけではなく、実践経験が重要だということになる。日本のように、就職活動を理由に授業へ参加しなくても単位が取れるということはないが、デンマークの大学もまた、カリキュラムで職業とのレリバンスを追求していくという課題を抱えているといえる。中等教育・高等教育を問わず、将来の職業を見据えた専門性の確立と、そのためのキャリアガイダンスが求められている。

ひらめき前回の記事(高福祉の裏側にある過酷な税徴収と「いたちごっこ」に追記しました。ご関心があればどうぞ。
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2008年04月04日

職業短期大学の発足とペダゴジーの範疇

デンマークに視察にやってくる日本人の間でも、教育・福祉に対する関心は高い。しかし、グローバリゼーションの波を受けて、ヨーロッパとの規格統合や、国際的競争力の向上等を図る必要に迫られ、高等教育の現場でも組織的な変革がどんどん進んでいる(「授業料無料・奨学金付き」大学における学問の自由 参照)ため、その変化の流れを掌握するだけでも大変である。そこで、教育システムの紹介として、新しく2008年1月に発足した、職業短期大学について書いてみたい。

この学校は、英語ではUniversity Collegeと訳され、大学が研究を目的として基本的に修士(5年間)以上を養成する機能・目的を持つのに比べて、それほど長くない期間(3年半)に、職業と関連した実践を重視しつつも理論面でも充実した教育を行うことを目的として、教育機関を統合する案が出され、それが2007年6月1日に国会で承認されたのを受け、2008年1月から機構として成立した。これまで、高等教育というと大学での修士が基本になっていたデンマークに、ヨーロッパの他国と互換性が効くようにとの配慮から、学士の学位が導入されたことを受けている。国民の教育程度を測るのに、高等教育の学位を持っている者の割合とされるため、他国との比較がしにくく、学士を導入しないと一見しデンマークでは教育程度が低いと映るためでもある。

この職業短期大学は、これまで、継続教育センター(CVU)など中期継続教育機関として機能してきたものと、教員養成大学などを国内8つに統廃合し、様々な職業を養成する学校として発足させたものである。ここでは、学校教員、ディプロマ・エンジニア(工科大学で取得される「シビル・エンジニア」と呼ばれる学位は、この上に2年間つく教育課程でレベルが高い)、看護師、ペダゴー(主に保育士。後に詳述)、理学療法士、ソーシャルワーカー、助産師、手話通訳者など、実に多岐にわたる職業が、(言ってしまえば)同様に3年半ほどの教育期間だという理由で一つの機関に集約されたことになる。修了すると、それぞれの学科の専門に応じて、「職業学士」という学位が授与される。しかし、学科ごとにあまりに専門性が異なるので、評価機関が、職業短期大学に対する評価・勧告を出すにしても、全体を総括した一般論に留まってしまっているという批判も耳にするが、正式な評価はこれからだろう。

ここで養成されるペダゴー(pædagog)という職業は、基本的に保育士であり、幼稚園・保育園で子どもを相手にする者が大部分だが、その細分化された中には、障がい者や社会的弱者に対する教育的支援をするソシアル・ペダゴー(ソーシャルワーカーに近いところもあるが、社会教育士とでも訳せる。後述)、アウスペニングス・ペダゴー(リラックス・運動療法士。作業療法士に近いようだが、それは別に存在するので、異なるようだ。)という職業もあり、単純に保育士という言葉では包摂できない職業であり、これ以降はペダゴーと書く。今回は、このペダゴーを例にとって、その教育がどのように行われるかを見てみよう。

上述のように、ペダゴーの養成期間は職業短期大学における他の学科と同様に、3年半である。半年を1期として、7期に分かれ、以下のように現場での実習と学校での学びを繰り返す。(以下はペダゴー養成のものであるが、恐らく職業短期大学で行われる他学科の3年半の教育もほぼ同じ経過だろう。)2001年9月以降から、ペダゴーの教育も職業学士を授与するものへと変わり、学位を出している。

第1期 20週間の学校での授業
第2期 12週間の実習と8週間の学校での授業
第3期 26週間の実習
第4期 20週間の学校での授業
第5期 20週間の学校での授業
第6期 26週間の実習
第7期 20週間の学校での授業

こうして、教室で理論を学ぶばかりではなく、実習と省察、理論学習を繰り返すことで、実戦に即したスキルを備えた人材を育てるというのがデンマークの教育システムの伝統である(しかし、理論学習が強化される傾向にあることは、実践経験での学びは理論学習に駆逐されるのか でも指摘した)。

また、ペダゴーの養成課程に進学を希望する者が減っていることも、進学状況から見える現実 に載せたが、この職は老人介護などと同様に言葉の面でハンディキャップを負う移民にとっては、職を得やすい場でもある。こうした資格を備えない者も、ペダゴー助士として、非正規雇用の形態で働いているのが普通である。

デンマークでは、教育が無料であることは知られているが、むしろ無料はいうまでもなく、教育はステップアップのための投資期間であると捉えられる。学生となって教育を受ける期間は、働いてお金を稼ぐことができないため、その損失給与を「補償する」ため、多額ではないが生計を立てられる程度の奨学金(SUと呼ばれる。リベラルな教育の危機 参照)が支払われている、というのが私の解釈である。そのため、この3年半の期間の間、例えば親元から離れて暮らす者の場合、毎月10万円ほどが奨学金として支払われ、さらに第3期と第6期に行われる実習期間は「生徒の給与」と呼ばれ研修期間中の給与(月額約8.000kr、18万円程度)が出る。そして、このSUという奨学金は、在住年月や国籍などの要件を満たせば外国人であっても受給できるので、移民にとってデンマークで教育を受けるモチベーションにもなっている。

この職業「ペダゴー」のうち、ソシアル・ペダゴーの紹介をしたい。省庁改組と改名の裏にある意図 にも書いたように、デンマーク語で「社会(social)」という言葉は、社会福祉を意味する場合が多くある。旧Socialministriet(社会省)を初めとして、Socialraadgiver(ソーシャル・アドバイザーというのが直訳だが、ソーシャルワーカーのこと。日本の社会福祉士のように医療的な裏づけよりも、司法的な支援に重きを置いているように思われる)、socialpaedagogik(社会教育)など。社会的弱者に対する支援という要素の強い言葉である。そのため、ソシアル・ペダゴーの扱う案件も、障がい者、ホームレス、薬物乱用者、親のアルコールや薬物問題によって施設に入っている子どもなど、多岐にわたる。ADHDや自閉症の子ども、発達障害を抱える者(成人・児童、双方を含む)、精神病患者、ホームレスなどのケアに、このソシアル・ペダゴーが関わり、他の公的支援期間と協力しながら、人々の自立した生活を支援している。日本の精神保健福祉士の領域をカバーしているといえるだろう。

先日の記事 納税者である売春婦は、犯罪者になるべきか のコメント欄にオアゾーさんから頂いた質問にあった、「障がい者教育のプロ」というのは、このソシアル・ペダゴーが該当するはずである。この質問への回答を考えていて、そのインスピレーションからこんなに長い記事を書いてしまった。ソシアル・ペダゴーの障がい者に対する性教育(あるいは、性へのアクセスの機会)についての話も書きたいが、回を譲ることにする。

ソシアル・ペダゴーの根底にある職業上の倫理と理念は、以下のように定められている(HPより)。この理念からは、福祉というよりも、教育と政治的な意思さえも感じられる。

・一人ひとりが、日常生活、社交的な集まり、社会生活に積極的に、そして同等の価値を持って参加する能力を獲得する、あるいは回復することを支え、助けること
・彼らなりの専門性で社会の議論に貢献することで、社会における社会の公正さを実現すること
Pedagogicという言葉は、古代ギリシャ語の「子どもを導く術」から来ているといわれるが、英語でも「教育学上の」という形容詞として現在も使われ、古くはpedagog(ue)という単語も「教師」を意味するものとして使われたらしい。これが今、デンマーク語で保育士から運動療法士、精神保健福祉士辺りまでをカバーしてしまう概念として使われていることが興味深い。ただ人間に学習の機会を提供するだけではなく、教育が心理学や福祉とも結びつくことでより包括的にその可能性を実現していることに興味を覚える。

ウィキペディアの社会福祉士の項に、以下のような記述がある。

(前略)現在は保健医療分野におけるソーシャルワーカーの基礎資格としても認知されてきており、将来的には保健、医療、福祉の分野に止まらず教育、産業、司法分野においての活躍も期待され、横断的かつ包含的なソーシャルワーカーの国家資格として発展していくことが期待されている。(強調は引用者)

日本では、教育学というと学校教育ばかりを考える傾向があるが、ペダゴジーの解釈から、社会教育の総合的(interdisciplinary)な研究の姿と今後の教育学の幅広い応用可能性が見えてきたようだ。
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2008年03月04日

海外大学設置に見るデンマーク産業界の野心

「駅前留学」という言葉は、まだあるのだろうか。サテライト授業などで「お茶の間留学」に取って代わられたかもしれないが、2007年10月に経営破たんした英会話教室のNOVAも07年3月末時点の教室数が925で、受講生が約41万8000人だったというから、国際化の時代に適応した語学能力をつける需要は実感されているのだろう。テンプル大学に見られるような、海外大学の日本校もそれなりに人気があるようである。ウィキぺディアによると、2005年2月からは海外大学日本校として認められたため、学割の定期券なども適用されるようになったという。

同じ流れで、デンマークでも外国資本の大学をオープンさせて、優秀な学生・研究者を国内に留めようという提案が、科学・技術・発展省の大臣であるヘリエ・サンダー(Helge Sander)の主導によって勧められている。現在、デンマークの大学は統廃合の結果、南デンマーク大学、オーフス大学、オールボー大学、コペンハーゲン大学、ロスキレ大学というこれまでの5つの総合大学に加えて、デンマーク工科大学、コペンハーゲン商科大学、コペンハーゲンIT大学の専門大学を含め、8つで構成されている。以前に、「授業料無料・奨学金つき」大学の学問の自由にも書いたとおり、これらの大学では授業料は無料であり、大学には修了する学生の数に応じて国からの補助金が下りる(一定の基本額にプラスして、人数に応じた金額が加算されるため、通称タクシーメーター金と呼ばれる)ため、大学は経営と同時に「生産性」(研究成果の公刊数、学位の授与数など)の高さが求められる。

2008年の9月より、外国の大学へ留学するデンマーク人の学生も、この国からの補助金をもっていくことができるようになる。つまり、デンマークで就学していたら支払われるはずだった国の予算が、外国で勉強するという決断をした者にも、それを外国の大学での授業料に充当することが可能になるということである。それだけではなく、上述記事にも書いた誰もに与えられるSUと呼ばれる奨学金(世界一高い奨学金といわれる)も、そのまま持っていくことができる。こうして、国内では養えないようなさまざまな教育分野・レベルの人材を育てることができるよう応援することが可能となった。

今回のヘリエ・サンダーの提案は、この外国で学ぶ際にも宛てられる予算なのだから、それをデンマーク国内の外国資本の私立大学に与えることを可能とすれば、スタンフォード大学といった有名な一流大学のデンマーク校を国内に開校する誘因になるのではないか、という思惑である。2007年秋の時点ですでに、デンマーク産業界は「健全な競争原理が働き、デンマークの大学の国際的な研究交流も強められる」と賛意を示した(Dansk Erhverv 2007年9月)。教育費の無料を長く国是としてきたデンマークには、現時点では私立大学はないが、受益者負担原則を伴った私立大学が市場に入ることにより、よりよい研究者・学生の獲得のために公立大学までも競争原理を働かせるようになり、授業料の自費負担を導入せざるを得なくなる可能性さえも孕んでおり、大きな方針転換となる。ちなみに北欧の私立の大学は、1909年にスウェーデンのストックホルムに設立されたストックホルム経済大学だけであり、ここも国の監督の下に学生に授業料を課してはならないとなっているため、人数に応じて国から支払われる補助金で運営されている。

2007年の7月にこの外国の私立大学設置に関しての提案が出された際には、与党である自由党と保守党、そして支援政党であるデンマーク国民党の同意により、国会での過半数の賛成を取った。(2007年7月10日、Berlingske Tidende。研究政策アーカイブ)デンマーク学生連合会(DSF)の副会長で教育政策部門担当のイェッペ・ムルヴァド・ラーセン(Jeppe Mulvad Larsen)は、外国大学の支部を私立大学としてデンマーク国内に作ることによって、デンマークの大学の経済状況を悪化させ、そのことによって大学の質自体も下げることになることを懸念する(ロスキレ大学HPニュース、2008年1月3日)。

しかし、国内留学という国際交流はそれだけには留まらない。ヘリエ・サンダーは、中国の大学と友好を結んで、学生の受け入れなどにも非常に熱心であったが、ついには中国にデンマークの大学を作るというアイディアまで着手し始めた。中国における国内留学プロジェクトである。2008年2月29日のInformationは、この件を「中国大臣」と皮肉った記事を載せている。中国では、毎年600万人が入学し、大学生の数もこの1997年から2005年の間に、320万人から1560万人となった。こうした学生数の伸びなどからみて、「デンマーク大学」を設置し、そこで教育を受けた中国人学生に対して、デンマークへ一時留学させたり、すでに中国でのビジネスに着手している340のデンマーク企業と協力したインターン制度やコラボレーションなどを行うことを計画しているという。

2008年2月28日のBusiness.dkでは、ヘリエ・サンダーは、中国においてデンマークが目に見える存在であることがこれから重要になったくることを強調した上で、そのための大学設置の意義を主張し、すでに中国での大学設置を決定したイギリスやアメリカの後を追う。社会人民党の学究部門担当のヨナス・ダール(Jonas Dahl)は、政府が大学での研究に予算削減を要求し続ける一方でこうした外国での計画に着手しようとしていることに疑問を示している。上記のInformationの記事では、あるジャーナリストが「大学設置に当たって中国の人権問題をどう考えるのか」という質問をしたが、「外交問題は外務省へ聞いてくれ」と逃げられたことも載せている。

近頃の日本でのチャイナフリーと対をなして、どのように中国のなかで存在感を高めていくかに専心している大臣の様子は興味深い。2006年には250人以上の学生ビザを持って入国した中国人が行方不明になり、実に3人に2人が入国以来姿を消すという話があり、それは日本が経験してきたこと(酒田短期大学の例など)と同じでもあるが、小国の生き残りをかけた、産業界の狙うグローバリゼーションがどこへ行き着くかは今後を見るしかない。
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2007年10月20日

廃止された教育政策は、世界の見本

書きたいことは色々あるが、なかなか滞っていて進まない更新だが、応援するように(?)毎日覗いてくれる方がいるので、少しずつ書き進めていきたい。(詳細について知りたいテーマなどがあれば取り上げますので、コメントに書いてください)
このところ、考えているテーマは、デンマークの医療現場の現状、デンマーク人著名環境学者のこちらでのメディアでの取り上げられ方、そして廃止となったグループ試験の動向などである。

グループ試験というのは、デンマークらしい試験の仕方として、長い間根付いていたが、新自由主義に流される政府の方針の中、個人の貢献度を測ることを目的として2005年秋に廃止が決定され、2006年以降順次廃止されていった。デンマークでは、中学3年生までは一切試験らしき試験はなく、中学校の卒業試験からはこれまでは13のスケールで成績が付けられてきた(このスケールも変更されたことは前項参照)。大学での成績も、同様に13のスケールで付けられてきたわけだが、とくにオールボー大学、ロスキレ大学といった、新しい教授法で学生と共に斬新な教育観を作ってきた大学では、Project-based workと呼ばれる、課題を自ら発見・解決し、それをグループで調査・研究することでレポートを協同で作り、提出する方法をもって、重要な授業としてきた。そして、大学側もこの教授法により、自ら課題を見つけ、解決する力をつけたクリエイティブな力を持った学生を育てることで知られており、これは就職の際も卒業生は企業側から歓迎される等の効果を生んでいた。

しかしながら、現行政府は個人の学力や貢献度を測るのに、グループ試験ではわからない、レポートを書くにしてもその個人が○○ページから××ページまで執筆したということを明らかにすべきだ、といった主張で、グループ試験自体を廃止してしまった。多くの学生たちが反対し、デモンストレーション(2006年5月2日にはデンマーク全国の6箇所で同時に開催され、6万人以上の学生が集まった)をしたり、署名を集めたり(4万2000名が集まった)したが、なしのつぶてだった。

それが、今日になって世界中の各国から、グループ試験(グループワーク)が、学生の創造的な力を高める上で企業で開発をするチームなどに貢献していくといった理由から、注目を集め、オールボー大学に視察団が押しかけるという皮肉な結果となっている。オールボーでプロジェクトグループ試験という課題に取り組んでいる、アネッテ・コルモスによると、この点においてオールボーは「世界的に知られて」おり、「南アフリカの人がオールボーがどこにあるかを知っているほどだ」という(2007年10月19日Politiken)。インドのカルカッタ大学からデンマークをモデルとするよう視察に来ている例がIngenioeren(2007年10月19日)に紹介されているが、インドだけではなく、本文中からも「政府が枠組みだけではなく、教育の内容にまで干渉してくるというのは考えられない」というコメントを残しているアメリカやオランダ、オーストラリアの例もあり、リベラルな教育の危機は一層感じられるといってよい。ブラジル、中国、タイ、マレーシア、サウジアラビア、ロシアといった各国からも視察団が来ているという。

指示されないと何をしてよいかわからない「指示待ち人間」が増えているといわれる日本でも、グループでの作業経験から、創造性を備えた若手の育成が望まれるのではないか。この点においては、もはやデンマークから習うことはできないのかもしれないが、個人の業績・貢献を偏重することで失われるものがあることへの教訓となっているように思う。
posted by Denjapaner at 05:52| Comment(0) | 教育政策 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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