赤ブロックの野党はいよいよデンマーク政治の牽引役の交代を現実的と見て、来る政権獲得時の経済政策を練り始めた。来る次期政権は、社会民主党党首のヘレ・トーニング-シュミットをデンマーク初の女性首相と据え、社会人民党と単一リスト党の三党連立となる見込みだ。90年代の社会民主党政権では、赤ブロックと青ブロックの中間に位置する急進左党と連立してきたため、もし政権交代が実現すれば、初めて社会人民党や単一リストという赤ブロックの社会主義者たちも本格的に政策実行に影響力を持つことになる。
2007年の前選挙の際には、国会の179議席のうち赤ブロックは72議席、対する青ブロックは89議席(14議席はどちらにも非所属。残りの4議席はグリーンランドとフェロー諸島に2議席ずつ与えられており、外される。)を獲得し、赤ブロックが負けている。しかし3年ほど経った今の世論調査では、次期選挙では勝算が見込まれている。メガフォンとTV2が2010年4月23日に実施した調査では、社会民主党と社会人民党はそれぞれ45議席、30議席を獲得して、赤ブロックの中核となると見られている(ともに赤ブロックを構成する単一リストは7議席を見込まれている)。(ただし、このサイトではいくつかの世論調査の結果が比較できるようになっており、必ずしもすべての調査で赤ブロックに勝算があるわけではないようだ。)
現行政権は、240億クローナの財政赤字を訴えており、これを135億クローナの公共支出の削減によって適えることを目指しており、地方財政にもかなり厳しい改革を促しているところだ。それでも足りない、残りの105億クローナをどこから捻出するかは、2010年の夏以降に公表されることになっている。こうした財政難の背景には、世界金融危機だけではなく、2010年1月からの税制改革でとくに富裕層を対象としての減税を行い、(試算によると195億クローナもの)税収が激減したことも大きく関連している。赤ブロックの野党は、富裕層優遇の減税策が、結果として一般国民への福祉サービスの悪化などさまざまな弊害を生み出しつつあることを強く批判している。
現政権の経済政策を批判する赤ブロックは、自分たちが政権についたらどのように経済回復を図るかを具体的な提案として出したところだ。福祉サービスの悪化といった痛みを伴った改革ではなく、国民の一人一人が経済回復に貢献するようにと提示された代案、「フェアな解決策」である。(写真は、左が社会民主党党首のヘレ・トーニング-シュミット、右が社会人民党党首のヴィリー・ソウンダール)
現政権の解決目標である240億クローナの倍以上となる、400から450億クローナの財源を確保し、赤字を解決するという触れ込みだ。こうした政策群の一部を紹介したい(金額は、財源確保の見込み額。全文はこちらのPDFで読める。デンマーク語)
・国民全員が週に38時間労働をする。140億クローナ。国民が働き、納税することは国の税収増につながる。そのためには、若者の労働市場参入を早め、中高年の退職を遅らせ、勤労層がより長く働くことに誘因を作る必要がある。「福祉から労働へ(ワークフェア)」など、失業者を労働市場にゆり動かす方策は現行政権も散々出しているが、赤ブロックの野党の案は、普通の労働者にもっと働いてもらおうというシンプルなものだ。すべての労働者が、法定労働時間を週37時間から1時間増やして38時間働く、つまり週5日労働で一日あたり12分間長く働くようにするという提案だ。当然、働いた分の給与はつく。公共セクターの大きいデンマークだからこそ、こうした提案が成り立つともいえる。
・奨学金改革により若者の教育機関を半年短縮。20億クローナ。
・産業支援の見直し。
・失業給付を時代の趨勢にあったものに。給付期間を4年間2年間へ。60億クローナ。
・教育保障と生涯学習機会の充実。
・早期退職年金の変革。掛け金の引き上げなど。
・税改革。年収100万クローナ以上の層への更なる課税。タバコ、高脂肪・砂糖含有率の高い食品への高課税など。約170億クローナ。
病院や学校といった福祉サービスを悪化させることなく、経済を回復させる、「フェアな解決策(クリックすると自動的に彼ら党首の呼びかけが始まるので、音声に注意。デンマーク語の音に興味がある人はどうぞ)」と名づけられたこの提案は、2010年5月11日に発表され、それまで伝統的に抵抗政党として予算案に必ずノーを突きつけていた単一リストからも賛成を得る見通しが出された(Politiken, 2010年5月15日)。
労働市場参入の年齢を半年早めることで税収を増やすというのも一案とされている。デンマークでは、若者が教育課程をなかなか終えず、労働市場に入る年齢が他のヨーロッパ諸国よりも高い。将来的に、高等教育を受けた高技能の労働者の不足が見込まれているが、それと同時にこうした労働者を育てていると、彼らは30歳近く(28.2歳、2008年)になってしまうという一面がある。高等教育を半年早く終える(現在の大学教育は修士課程で3年の学士と2年間の修士課程となっているが、これを4年半で抑える)ことが提案されている。修了予定年限で終えれば20.000クローナ、年限より早く終えれば受け取れるはずだった残りの奨学金がそのままボーナスとして支払われる、などと具体的だ。2009年から実施されている、高校卒業から2年間以内で進学すれば、高校修了試験の成績を1.08倍にするという取り決め(実戦経験での学びは理論学習に駆逐されるのか 参照)も、有効期限を1年間に限定する提案が出されている。
それと同時に、高等教育の部分的な自己負担原則が提案された。こうした市場原則のツールが、社会民主主義を謳う赤ブロックから出されていることは非常に興味深い。この背景には、教育費が無料のデンマークで高等教育を受け、社会から恩恵を受けながら、高い税金を払うのを避けるためにアメリカなど他国で就職し、将来的に納税という形で還元しない者が増えていることがある。法人レベルでの税逃れについては以前に記事にした(高福祉の裏にある過酷な税徴収と「いたちごっこ」 参照)が、個人レベルでも高課税を逃れる策を練っている者はやはりいるものだ。今回の赤ブロックからの提案は、こうした人たちは自分で教育にかかる費用を負担せよ、という警告となる。
福祉コミッションによる『将来の福祉:私たちの選択(報告書はこちら)』で出された提言を基に考えられたこの案では、受益者負担という言葉の代わりに、「修士デポジット」と呼称している。月々の奨学金の代わりに、最後の年度は無利子のローンを出す。国内で就職する者は、就職後の給与から自動的に控除され、ローンが返済されるため財布を痛めない。一方で国外に出る者にはローンが残り、返済を迫られるようになるという筋書きだ。修了後、1,2年外国で働いてみたいという若者の意欲はそがないように、5年の猶予年限を設けることが提案されている。
しかし、これらはまだただの公約であり、両党はまずは選挙に勝ってから実現に向けて働きかけるとしている。当然ながら、国民が週1時間多く働くことで、140億クローナの税収増につながるというのは「実体をつかみようがない、理論上の数値にすぎない」(デンマーク国民党、クリスチャン・チュールセン・ダール。2010年5月12日、Politiken)という批判もでている。とはいえ、“皆さんが毎日12分長く働けば、福祉を悪化させることなく経済を回復できるのです”という文句は、実に具体的だ。そのくらいなら自分も協力できる、実現してもらおうじゃないか、という気にさせられる。
これまで歴史的に労働時間短縮を実現するために働きかけてきた労働組合側も、そういうことなら1時間多く働こうじゃないかと賛意を示している。PolitikenとTV2の行った調査では49%が週38時間労働に賛意を示し、反対は34%に留まっている(Politiken、2010年5月12日)。ノンスキル職の労働組合連合であるLOの代表のハラルド・ブアスティンは、野党との協力を確約している。(そうはいいつつも、翌日13日木曜日が祝日だったために、14日金曜日を休みを取り、4連休とする人が多く、多くの公共機関が稼動していなかったことが指摘されている。働くと言っているそばから、休みを取っているデンマーク人…
実際にこの公約が、経済回復にどれだけ効力を持つかはわからないが、誰もが週1時間労働時間を増やす、という労働者の連帯を基にした社会民主主義の原則に帰ったのは興味深い。こうした具体策がどれだけ有権者にアピールしたかは、次の選挙で明らかになるだろう。