書かなくてはならないことは、たくさんある。ちょうど1年前の首相の交代劇から、少しずついろいろなことがまた変わってきている。更新しなかった期間の空白を埋めることも必要だが、それは今後の各記事を通じて補う機会もあるだろうだから、とりあえずは先を急いで、本題に入ってしまうことにする。
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コムーネ(地方自治体)の連合組織である全国コムーネ連合(KL)が、新しい会長を選出した。ホーセンス市で市長を務める、社会民主党のヤン・トロイボー(Jan Trøjborg)だ。彼は、1993年から2001年までの社会民主党政権下で、6つの大臣ポストを経験している社会民主党右派の中堅政治家である。
その人物が、高齢者福祉の領域に利用者負担の原則を導入することを提案し、物議を醸している。税ストップ(変質する普遍主義と福祉の「ムチ」に反撃する市民たち 参照)を政権の大原則に置き、2010年1月からは新たな減税策も実施したばかりの現行政権にとって、課税による収入増は望めない。収入増が見込めないにもかかわらず行った減税によって、政府は250億クローナ(約4000億円)の減収が見込まれており、これらの補填は公共支出の削減で果たさなければならない。そのうち、135億クローナはコムーネ(自治体)の支出を抑えることになっている(2011年から2015年までのコムーネの削減目標は310億クローナとされている)。公共支出の「ゼロ成長」という言葉を使い、これ以上支出を増やさないことにも必死だ。
コムーネは、義務教育課程の小中学校、老人ホームといった地域福祉を管轄しており、支出削減は即、福祉の悪化につながる。しかし、どこかで財源を獲得しないと同じ福祉のレベルは保てない。こういった事情が背景となり、トロイボーの「裕福で、生活に余裕のある高齢者はホームヘルパーの掃除サービスにお金を払うべき」という提案が出てきた。一市長としての発言だったなら、それほど大きくは取り上げられなかったであろうが、コムーネ連合の会長というコムーネの総意見を代弁する立場となるポストについたところであったため、この発言は重要視された。
この提案は、政界では彼自身の社会民主党を含め、各党から激しい反対にあったが、意外にも数日後の世論調査では、国民の58%が、裕福な高齢者がサービスの一部を自己負担することに賛成という結果が出た。すると、ラース・ルケ・ラスムセン首相は「それが社会民主主義の総意なら、考慮する必要がある」(Politiken, 2010.3.15.)と答弁し、今後、利用者負担を考慮する可能性を示唆した。
トロイボーの提案と世論のバックアップを受けて、急進左党はさらに具体的させた収入制限つきの提案を出した。これは、配偶者がない単身の高齢者の場合、国民年金を含めた収入が年間に281.000 クローナ(約500万円)を超える場合、一緒に住む配偶者のいる高齢者の場合には年間328.000クローナ(約574万円)を超える場合に、ホームヘルプは自己負担で受けるようにすべき、というものだ(Politiken, 2010.3.28.)。この提案の基準を採用すれば、7人に1人が自己負担を迫られることになる。
裕福で払える者に負担を強いるという論理は、一見すると社会的公正を追求する社会民主主義にかなっているように見えなくもない。しかし、ここで問題とされているのは、社会民主主義の大前提である普遍主義が脅かされる点だ。デンマークが福祉国家として確立する前の1950年代には、年金の受給資格を持ちながらもそれを使うことなく、貧しい生活をする高齢者は85%にも上っていたが、受給者は半数程度にとどまっていた。福祉は「帽子をかぶったご婦人たち」がお金と暇を使って恵んでやるという、惨めなものとしてとらえられたためだ。こうした反省を含めて、1970年代に誰もが恥じることなく享受できる権利として普遍主義に基づいた福祉制度が成立した。
現在は、一律同額ではなく、収入上限や収入による受給額の増減もあるが、この普遍主義原則によって、何らかの事情で自らの力で稼ぐことができない「弱い時期」に、奨学金、国民年金、失業給付、傷病給付といった社会保障で誰もがサポートされるようになっている。そして、このことで、高齢者福祉の領域でも当然の権利としてホームヘルプなどの介護を無料で受けるものとなってきた。そのため、ここで一部の恵まれた層に利用者負担を強いるという提案は、デンマークが福祉国家として築いてきた価値を根底から覆すものとなる。
現在は、裕福な年金生活者となっている人たちは、これまで労働市場で長く働き、平均以上に税金を納め、福祉社会の財源に貢献してきた。そのうえで、さらに貯蓄までしてきた彼らからさらに利用者負担で福祉費用を徴収しようというのは二重取りとなる。現在も、たとえば老人ホームの家賃(介護自体は無料だが、介護用品やクリーニング代、食費などは別途請求される)は部屋の大きさではなく、どれだけの貯蓄があるかによって決まるなど、連帯的な制度は存在している。それに加えて、こうした現役時の「約束と違う」制度を導入するのはデンマークの福祉のあり方自体を揺るがすものとなる。
トロイボーの前任であった、コムーネ連合の前会長のエリック・ファブリン(自由党)はこの提案に賛成で、それだけではなく、医師の診察を受けるたびに診察料を請求できるようにすべきだ、という提案をしたところだ。それに対して、医療を所轄する広域連合レギオンの会長、ベント・ハンセンは医療の利用者負担の可能性を否定せず、前向きに検討すべきとしている(DR nyhder, 2010.3.25.)。同記事によると、新しく内務・保健大臣に着任したベアテル・ホーダー大臣は現在のところ、この医療領域での利用者負担原則に懐疑的のようだ。
福祉の普遍原則が、福祉社会確立の上で果たした役割は大きい。今の段階では幸い、まだ国民の間でその認識が強いため、すぐにたがを外そうという議論にはならないが、新自由主義的の影響は人々の意識にも浸透してきている。しばしば新聞にも引用され、福祉の意味を問い直すときに使われる表現をここでも引用し、デンマークの普遍主義原則が果たしてきた福祉の意義を確認したい。
Welfare for the poor is poor welfare.(「貧しい者のための福祉は、惨めな福祉だ」)