2014年12月02日

「高福祉社会は就労意欲を殺ぐ」という言説

日本では、安倍首相が外国人労働者の受け入れ拡大を表明し、世界的には遅まきながら来年辺りから移民労働者が本格的に入ってくるようだ。

デンマークにおける伝統的な労働移民の歴史は、1960年代に始まっている。当時の西ドイツなどのヨーロッパ諸国に続いて、深刻な労働力不足を解消するためデンマークでも60年代、70年代から積極的に外国人労働者をゲスト労働者として受け入れてきた。労働力の供給がまかなわれるようになったら「ありがとう」と手を振って国に帰すつもりだったトルコ人らは家族を呼び寄せ、デンマークで子どもを産み育て、移民第二世代、第三世代が「デンマーク以外の民族的背景をもつ」カテゴリーで、社会問題などを扱った議論にもしばしば登場している。

そして現代の労働移民は、EUの拡大及びグローバリゼーションに伴ったものである。ポーランドやルーマニアなど、東ヨーロッパの賃金水準の低い国からの比較的低技能の職従事するケース、スペインなど南ヨーロッパの若者の失業率の高い国出身の若者が学位交換プログラムによってデンマークで限られた期間学生生活をした後、その後デンマークで技能職を得て留まるケースなどである。あるいはフィリピンから「出稼ぎ」にくるオペアの若者も数としては多いが、オペアは文化交換体験であり、労働ではないという公式見解があるため、労働移民には該当しない。

デンマークで働く外国人の従事する典型的な業種は、製造業(17,374人)、旅行業・清掃業など操業サービス(14,500人)、貿易(12,000人)、保健・社会福祉関係(11,926人)、輸送業(10,071人)、農業・林業・水産業(9,474人)、ホテル・飲食業(9,040人)である(2011年から2014年で1月から9月のフルタイム就労で換算した場合。DR.DKより)

109,000人のデンマーク人が仕事がなく、失業保険や生活保護といった国からの福祉手当を受けながら生活する一方で、123,000人分のフルタイムの職が外国人労働者に占められている現状。そこで、「外国人労働者を母国に送り返して、彼らの職にデンマーク人の失業者が就けば、大団円になる」という仮説の下に、デンマーク人失業者に外国人が多くを占める職で1週間体験させ、本人と使用者が互いに満足すれば雇用契約をするという実験をまとめた、「ガイジンが消えた日」という短編ドキュメンタリーが放映された。

2回に分けて放映された番組では、11人のデンマーク人失業者がそれぞれ、ホテルでのルームメイキング、工場での単純作業、農場でのレタス収穫・梱包といった職にチャレンジする。それぞれの職場の使用者は、意図せざるにせよ職場がいかに外国人労働者に依存したものとなっているかを口々に述べる。「外国人労働者がいなくなったら、廃業する」「彼らの労働道徳観はデンマーク人と違っていて、モチベーションが高い」。「こうした仕事に単純にデンマーク人が応募してこないだけで、デンマーク人でも能力がある人なら雇いたい」というケースもあれば、「デンマーク人は約束通り仕事に来るのか信頼に足りないことが多いから、むしろ外国人の方が安定的で助かる」といった回答もあった。

それらを証明するように、ホテルのルームメイキングをするルーマニア人の若い女性たちは、時給115DKKを稼ぎ出すためにものすごいスピードで1時間当たり3室を整えていく。結果に応じての賃金のため、のんびりしているとほとんど収入にならない。ルーマニア人メイドのリーダーを務める女性は、「軍隊にいるようなものだと思ってやらなきゃ」と細かく清掃やベッドメイキング質の管理をしながらも作業をさっさと進める。「倍速再生しているわけではありません」と画面に注が入るようなスピードで清掃をこなすルーマニア人たち。それを真似ようとするデンマーク人の3人の女性たちは不平たらたら、ヘロヘロになりながら作業をする。結局、一人は数日して腰が痛くて体がもたないと諦め、もう一人は自分にはこの仕事には向かない、自分が本来教育を受けた保育士として働きたいと悟り、最後の一人は使用者から見込みありと週25時間の保証付きの雇用契約を提示されたものの、結局「これだけストレスフルな現場で頑張って現在の福祉手当よりも低い給与では割に合わない」と辞退。

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第1回のほかの三人のうち、二人は約束の時間になっても連絡をせずに来なかった(1日目)り、3時間無断で遅刻して謝罪の言葉もなかったり(2日目)といった具合で、使用者が安定的にノルマを計画しても無責任な態度でそれらを果たすのが難しいことがあることが明らかになった。きちんとした勤務態度で、実験終了後に雇用契約を提示された残りの一人は、「ここで働くのは悪くないけれど、今受給している福祉手当と比較して、フルタイムで就労した場合との賃金の差は、月額でたった2000DKK(約37000円)ほど。それだったら割に合わないので辞退したい」との返答。番組放映後のラジオなどでのディベート番組でも、先述のルームメイキングの女性とこの工場労働者の男性が現在受給する福祉手当と比較して、割に合わないために仕事のオファーをもらったにも拘らず辞退したことが大きく取り上げられている印象だった。

第2回目は、レタスの収穫と梱包をする二人の女性と、ドイツとの国境のデンマークの町の工場で働く男性二人を題材にしている。レタスの収穫は、作業の速度や効率はまだ熟練外国人には及ばないものの、まあまあうまくいっている。しかし数日後、うちの一人がまたもや腰の痛みでギブアップ。本人には理解を示したものの、あとで「誰だって最初は腰くらい痛くなるけれど、1、2週間もやってルーティーンになれば大丈夫なものなのにね」と、少し辛いとすぐに根を上げるこらえ性のないデンマーク人をチクリ。もう一人は1週間無事にやり遂げたが、結局季節労働の現場であり、この収穫シーズンが終わると仕事はないので、雇用契約とはならなかった。

ドイツとの国境に近い町の工場で働き始めた男性二人は、デンマークであるにもかかわらず、働くのはドイツ人労働者ばかり、仕事中の説明もすべてドイツ語、昼休みにもドイツ語ラジオを聴く人、ドイツ語タブロイド紙を読む人とドイツ語づくめ。独りはドイツ語が得意なため、自然になじみ、生き生きと仕事をして、あっさり雇用契約につながった。もう一人のドイツ語の苦手な男性は、「デンマーク人のためのデンマークだろう!」と息巻き、唯一デンマーク語を理解するドイツ人と少しコミュニケーションをとるくらいで、ドイツ語攻勢に辟易している。それでも、タトゥーを入れた4児の父は正規の職が欲しいと頑張る。一週間後、この研修期間が終わり上司が近づいてくると、あえてそっけない口調で「何の用?」などと強がるが、採用を考えてもいいといわれると、「ぜひ働きたい」とはっきりと喜びを口にし、握手の代わりにハグをして感激をあらわにする。「今夜は妻を映画館に誘おう!」と喜ぶ姿は、労働に従事し、給料を手にして家族を支えるという人間本来のシンプルな願望の充足の意味を考えさせられた。

正直、失業者といっても日本の「貧困」と比べると、「福祉で生きている惨め」といっていても、何人も子どもがいて一戸建ての家に住んでいたり、緊迫した雰囲気は感じられない。この数年で求職書類をこれだけ出したが、全然面接に呼ばれない」といった恨み節がきかれるだけだ。もうじき(2年間の受給上限の)失業手当が切れてしまい、そのあとの生きるすべは生活保護しかない。(より額面の大きい)失業保険の再受給権を得るためには12か月働かなければならないので、この実験に参加した」という女性もいた。この女性は一人で子どもを育てているが、「息子は私が家にいるのがうれしいし」と、いわば失業保険を受給し続けることを目標として、今働きたがっているのだ。

結局、福祉から就労に繋がったケースはこの工場の二人の男性のみで、実験の成功率は18%。研修受け入れ先にあいさつに行ったものの、第一日目から現れさえしなかった人も二人いた。この実験から、外国人を「取り除いて」も本人たちの就労への十分な動機づけがなければ難しいことが指摘された。この「動機づけ」には、(番組製作者側の伝えたい議論材料である)福祉手当と実質手取り賃金の差を十分に大きくすることも含まれるが、それだけではなく、長いこと福祉の恩恵を受けてそれを所与のものとしている層に対して、怠け心への克己心や仕事に対する責任感といった価値を理解させることも含まれるように思われる。「低賃金できつい労働にはデンマーク人は応募してこない」という使用者の言葉、仕事のオファーをもらっても「割に合わないから」と福祉受給に留まる選択を許す余地のある制度(但し、正確には失業手当を管理している失業保険基金が、失業者の就業努力に目を配り、フルタイムの仕事を提案された場合には本人は選択の余地なく受けなくてはならない、とされているため、原則と現実のギャップというのが正しいだろう)は改善の余地があるだろう。

経済状況の悪化や産業構造の変化によって、取りこぼされる人々が増えてきている今、セーフティーネットは重要性を増している。しかしそれと同時に、受け身の福祉が労働市場への復帰という本来の目標につながりにくい者となっていることにも目を向ける必要があるだろう。そのための失業者を積極的な「求職者」にする動機づけについても考える余地があることを明らかにした番組だった。
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2012年02月22日

福祉国家の「いわゆる貧困者」の家計簿

長いことブログの更新が滞っていて、情けない思いに駆られていた。書きたかったテーマがようやく固まって、ネタも集まったのでこの辺りで更新したい。

9月の政権交代を経てからも期待されたほど大きな動きはないが、主張の大きく異なる政党から構成された連立政権で、意見の一致を見るのに苦労している様子が浮き彫りになってきている。

ギリシャ・スペインを初めとするヨーロッパ各国で、深刻な財政難からの国政運営が困難を極めるなか、デンマークでは比較的「緩やかな不景気」が続いている。2011年12月現在の完全失業率は、6.1%(季節調整値)。失業者数は16万500人となっている。

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デンマーク統計局のデータによると、今日のデンマークの稼動年齢層のうちの約22%、785,000人が公的な経済援助を受けて生活している。失業者、疾病休業給付受給者、障害者、早期退職者、生活保護受給者といった人たちである。このなかには、まったく就労していない者だけではなく、公的な給与補助を受けながら障害や病気の負担にならない程度で労働に従事している者も含まれている。さらに、公共からの経済的な支援で生活している学生や年金生活者を含めれば、成人の半数以上が何らかの社会保障給付によって生活をしていることになる。デンマークの国から1銭ももらわずに、貧乏に潔く生きている私はそんなに少数派だったのか...

2011年9月に中道左派連立政権が成立したことで、2012年1月から「天井」と呼ばれていた生活保護費の支給上限、スタートイェルプ(『選ばれし移民は去り、招かれざる移民は周縁に』参照)、夫婦とも生活保護を受給するためには一定期間の就労を義務化した225時間ルールなど、生活困窮者を貧困に貶めていたとされるルールが廃止された(2012年1月より施行)。これに対して、野党となった自由党は、就業するよりも福祉給付に依存するほうが得るものが大きいため、健全な就労意欲を削ぐものであると批判し、「働くことが割に合うようでなければならない」と声高に主張している。

実際、その背景には、福祉国家の寛大な社会保障給付がある。雇用省の試算では、夫婦で生活保護を受け、子どもが二人いるケースを想定した場合、夫婦のひとりが月に29,500DKK(約44万円)の給与がもらえる職に就かないと割に合わないとされた。つまり、この額未満の給与で働くならば福祉で生きたほうが家族の可処分所得が多くなることになる。この額は、給与水準の高いデンマークでもなかなか立派な額となり、これだけ稼ぐのは楽ではないが、これほどハードルが高くなるのは夫婦は相互扶養義務があるため、ひとりが就労するともうひとりの生活保護が減額されるからである。

この野党の批判はもっともな点もあるが、恣意的な批判でもある。実際、夫婦ともに生活保護を受けているケースというのは国内で約12,000件、生活保護受給者の約10%に過ぎず、実際の生活保護受給者の多数を占めるのは単身で扶養家族を持たない者であり、この場合には福祉手当受給時と比較して就労時の収入は格段にアップするとされている。最低賃金の時給110DKKでフルタイム勤務した場合ですでに4000DKK(約6万円)、試算のような月給30,000DKKの職に就いた場合には税引き後で13,000DKKも収入が増加するとされる(DRニュース、2011年10月12日)。

こうした議論を受けて、デンマークにおける貧困とは、そして貧しい生活とは、が問われ始めた。社会民主党のウズレム・チェキッチは、デンマークの貧困環境に置かれた子どもの生活を改善することに大きく精力を傾けていた。しかし、自由連盟党のヨアキム・B・オールセンは、「こんなに豊かなデンマークで、誰もが寛大な社会保障で十分に惨めでない暮らしをしているにもかかわらず、貧困を大きな問題とする左派には吐き気がする!」と挑発したため、チェキッチ議員はオールセン議員を連れて、生活に困窮していると思われるシングルマザーの家庭を訪問し、その家計簿をテレビでも公開した。

結果は、家賃などの生活費に加え、犬の餌やタバコ代などすべて引いたあとで、手元に残るお金が5000DKK超(約75000円)となり、自宅アパートにはフラットスクリーンの大型テレビがあるなど、「貧困」とはいい難い現実だった。その後のディベートも散々なもので、その不適切な例はチェキックが貧困を強調すればするほど恥の上塗りという事態となり、左派にも右派にも呆れられる事態となった。


生活困窮者として想定されたシングルマザーの女性、カリーナの家計簿は以下のようだ。

収入 (計15,728DKK)
生活保護 9,800DKK
住宅補助 3,019DKK
母子加算、子ども手当 2,908DKK

支出 (計10,697DKK)
家賃 7,400DKK
電気代 700DKK
電話代 500DKK
ライセンス(NHKのようなもの) 196DKK
インターネット 148DKK
借金返済 600DKK
医薬品 70DKK
犬の餌 283DKK
サッカークラブ 300DKK
タバコ代 500DKK

つまり、すべて払ったあとでも、食費や交通費などに使えるお金が毎月5,031DKK(約8万円)手元に残ることになる。この家計簿は大きな議論となり、「学生辞めて、生活保護受給者になろうかな」といったぼやきが出るほどだった。学生たちは、SUという就学中の生活保障金が月々の収入で、その課税後に残る5,000DKKが毎月の生活費であり、家賃などの必要な生活費をすべて払ったあとに5000DKKが残るのに貧困なんて!と感じたのだ。

しかし、この学生の生活実態を「貧困」といえるのか。カリーナの後、大きな議論を巻き起こしたのは、ロスキレ大学の22歳の学生、ソフィー・V・イェンセンだった。彼女はPolitiken紙のディベート欄で、常にお金がなくてギリギリの自分にもう疲れた!と、自分の家計簿を公開し、学生生活の苦しさを訴えた(Politiken、2012年1月7日)。しかし、その投書は共感を呼ぶよりも、世界でも稀である、学校に通うだけでお金がもらえるという特権を持ったこの国でそれなりに生活はできる額の奨学金をもらいながら、貧困を訴えるソフィーに対して人々の批判は集中し、同紙のネット上のディベートコーナーでは2000を超えるコメントをマークし、ヴィジット、コメントともに、Politiken紙で史上もっとも数の多いディベート記事となった。

ソフィーの月々の収支は以下のようである。

収入 (計 5,181DKK)
SU(就学中の国からの生活保障金) 4,981DKK
母から 200DKK

支出 (計4,852DKK)
家賃 3,150DKK
光熱費 400DKK
電話 150DKK
保健・組合費 100DKK
インターネット 200DKK
通学定期券 460DKK
洗濯費 200DKK
ライセンス(NHKのようなもの) 192DKK

コメントの多くは、「郊外である大学のそばに引っ越せば家賃は下がるだろうし、交通費はかからなくなるだろう」「仕事を選ばず何であってもアルバイトをすればいいのに、それさえしないで文句をいうなんて、自分の選択の問題だ」といったものだ。このディベート炎上はその後ドイツのSpiegel誌で「月々700ユーロ国からもらい、希望に応じて就き400ユーロのローン真で受けられるこれで足りないってどういうこと?」と取り上げられたことで、ドイツにまで波及し、「国から0.00000ユーロしかもらっていませんが、ちゃんと学生生活をこなしましたけど!」といった200以上のコメントがつき、ドイツ人にもスポイルされたデンマーク人の「贅沢な悩み」として、批判されることとなっている(Politiken、2012年2月3日)。

こうした、自分がどのようにして社会に貢献できるかではなく、どうやって自分が国からもらえる分を取り返すかばかりを主張する精神は、「くれくれ根性」として、国内でも過剰になってしまった理不尽な要求と見られるようになってきた。PolitikenとTV2に対して行われたメガフォンによる調査によると、76%がとくに生活保護の受給者などの移転所得で生きている人が過剰な要求をしていると回答している(TV2、2011年12月24日)。

雇用大臣のメッテ・フレデリクセンは、社会民主党の同僚の言葉を引いて、「社会民主主義は、生活困窮者に対して、生きる“糧”を与えたが、生きる“目的”を与えてこなかった」と反省している(Politiken、2012年2月20日)。雇用大臣としての彼女が責任を負うデンマークの喫緊の課題は、特に114,000人に及ぶニートの若者(15歳から29歳。2011年11月)の教育による底上げと就業支援によって、公的福祉で生きている人々に成人としての働くことの誇りと喜びを与えることであるという。本記事は長くなったため、これらをどうして適えていくのかという雇用大臣の見解に関しては、再度稿を改めたい。
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2010年11月17日

福祉ただ乗り撲滅のための29手

福祉を充実させると失業者の就労意欲を殺ぐ、ただ乗りをするフリーライダーが増える、という批判がある。日本でも半年ほど前に、子ども手当が導入されたときに、実在しない海外在住の子どもを不正申告する外国人に対しても手当を給付していたことが、現行政権に対する批判に上がっていた通りだ。寛容な福祉政策とその甘さを狙う不正受給は、残念ながら切っても切れない関係になっている。(「福祉 フリーライダー」のキーワードで、こんなでたらめな記事が上位に上がってくる実態に愕然とするが。)

2010年11月に出されたばかりの2012年度の財政法案は、今は何よりもまず外国人政策が話題になっている(結婚条件は、金に学歴、語学能力、フルタイム就業… 参照)が、それだけではない。緊縮財源の中でも比較的大きな予算(720万クローナ、約1億1520万円)がつけられたものとして、福祉不正受給の取り締まり強化が挙げられる。

不正受給は外国とつながっているケースも多く、国内だけの対策で取り締まれるものではない。外国と関連しての福祉不正受給には、母国にいながらデンマークの福祉を受給している外国人のケースもあれば、デンマークで障害年金手当の受給資格を得てから秘密裏に外国に移住しているデンマーク人のケースもある。そのため、とくにスペイン、トルコでは、不正受給者を見つけるという任務遂行のためのタスクフォースを発足させ、タイやモロッコでもパイロットプロジェクトが同時に始められた。これに加えて、デンマーク政府は空港でのコントロールを三倍に強化するなど、29の手管を使ってこうした不正受給を減らす意図を示している。税務省はこれによって、30-40億クローナ(約480億円から640億円)が回収を見込んでいる。

こうした国外と関連しての不正受給と同時に、国内で不正受給をするケースも数多くある。事実上はパートナーと一緒に生活しながら、ひとり親世帯に対する児童福祉手当や住宅補助を受けている場合、あるいは闇で働き税金を申告することなく働きながら無職と申告して生活保護/失業保険給付を受けている場合などである。こうした不正受給を減らすために、多くの自治体が、不正受給している疑いがある人物を知っている場合には、通報をするようにと呼びかけている。コペンハーゲン市でも12月から試験的に、ボタンひとつで匿名で不正受給者の通報を可能とするページを設けることが決定されている(2010年11月3日、Politiken)。これは、春に4週間に試験的に実施した「通報ボタン」で82件の通報があり、そのうち44件が信憑性があるとして詳細な調査が入ったことを受けてのものである。金融危機を受けて、多くの福祉領域が削られる中、自治体から各種手当を不正受給している隣人を寛大に見過ごせなくなり、役所へ通報するといったケースが増えていることが背景にある(2010年7月25日、Politiken)。

不正受給を減らすことは、規律と信頼に根ざした社会を構成する上で重要なことといえる。しかし、その一方、「手段」として匿名での通報・情報提供が奨励されていることが、かつての東ドイツのような隣人を監視し通報するような「監視社会」を築くという批判がでている。保守リベラル系シンクタンクCeposのチーフ法律家のヤコブ・ンチャンガマは、現在もすでに年金生活者が長期にわたって海外に在住する場合に届けを出さなければないことを例に挙げ、「福祉国家が絶え間ない管理と監視を生み続ける傾向にあることを示している」とコメントを発表し、こうした傾向が強まっていくことに懸念を示している(2010年11月7日、DR.dk)。

社会権や情報保護の専門家も、通報者のプライバシー保護の観点(多くの自治体で現在の匿名情報提供は完全に守られておらず、個人データ保護法に違反しているという)や、潔白な人を巻き込む可能性から懐疑的だ。潔白であっても「クロ」と判定されると、その人は上訴しなければならないが、実際にこうしたケースに巻き込まれるのは社会的に弱い立場の人であることを考えると、上訴などをする経済的、心理的、身体的な余裕をもたない場合も多く予想される。

自治体は世帯収入や家族関係などの状況をすべて把握することはできないため、こうした状況が変われば個々人が届け出ることが義務付けられている。しかし、実際にはグレーゾーンに当たるケースも少なくない。シングルマザーで各種手当を受けていたが、そのうちに恋人を見つけ、住所を登録しないままに一緒に暮らすようになるケースなどである。ともに生活している実態が明らかになれば、児童福祉手当から、住宅費補助、子どもの保育所での保育料免除など各種の手当が取り消される。しかし、恋人の住所を移さなければ、継続しての受給は難しくない。…こういったケースを隣人が通報するというのが、一番多い通報実態のようだ。しかし住所を移さずに、週に何度か遊びに来る程度ならばいいのか、どこまでが完全に独立した経済と呼べるのか…。線引きは簡単ではない。

2010年10月11日のPolitikenは、ある若い女性が隣人に通報されたことで自治体から調査を受けた結果、福祉手当の不正受給をしていたとして、離婚以来受給してきた額に相当する100,000クローナを自治体に返還するように判決を受けたケースを掲載している。彼女は、16歳のときに出会った相手と結婚したが結局うまくいかずに離婚し、二人の子どもの共同親権を持っている。子どもは二週間ごとにどちらかの親の元へ来る生活で、子どもを預かっているほうが車を使えるようにしようと、自家用車は元夫婦の二人で共同所有している。さらに、子どもの父親が子どもを預けにくるときに、どうして両親が別れたののかを理解しない子どものために、一緒にいるところを見せるとして二週間に一度食事をともにしている。これらをもって、自治体は離婚の実態がないと判断し、福祉手当の返還を命じた。現代的な家族の姿から生まれた、「かなり黒に近いグレーゾーン」のように思われるが、彼女の有罪無罪よりもここで挙げたいのは、隣人からの匿名の通報によって事実が発覚した点である。彼女は、誰が通報したのかを今も知らない。「自宅にいるときにも誰と食事をしているのか、いつ帰宅したのかなどを誰かに見張られている気がして、一日中カーテンを引いている」という彼女の不安に満ちたコメントは、まさに「監視社会」を示している。

信頼に基づいて誰もが高額の税金を納め、必要とする人に届けるために福祉があることを鑑みると、それを悪用する人がいることは大きな問題だ。しかしそのため、それを議論の基盤としてこうした監視社会を強要する装置が働くことは、苦しくもやむをえない選択となっているようだ。監視社会を所与のものとするか、ある程度の抜け穴を許すか、自分たちの望む将来をどこに置きたいのかを考えるべき時にきている。
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2008年09月08日

変質する普遍主義と福祉の「ムチ」に反撃する市民たち

失業給付を受ける条件として、毎週4件の求職が義務付けられていることは、若者ホームレスへの関心の高まりと彼らへの「本当」の対策 においても詳述したが、この規定によって、失業給付の受給者はもちろんのこと、雇用者側にも強烈な不満が高まっている。求職活動というのはそもそも真剣なものであり、数だけこなせばいいという論理では到底図りえるものではない。こうした生産性だけで図る論理の結果は、不誠実な求職活動、つまり就職する気もないのに応募をして、結局職に就かないものとなる。義務だけを淡々を果たすことに追われる求職者はもとより、そんな書類も深刻に受け止め検討する雇用者側にとっても膨大な時間とエネルギーの無駄となるためである。

2008年9月2日のMetroXpressの記事にはそんな不満が「皮肉な現象」として結実している様子を描かれている。何と失業給付受給者たちが、こうした失業保険の条件を締め付ける大本である、雇用省の大臣ポストにこぞって応募しているのだ。「今の大臣よりも、自分のほうが職務を果たす能力がある!」と名乗りを上げて、現在の大臣クラウス・ヨート・フレデリクセンを挑発しているのである。当然、大臣ポストに空きがあるわけでもなく、公募しているわけでもないのだが、そんなことはお構いなく、過去6ヶ月間に220通の応募書類が届いているという。真剣なものも不真面目なものもあるが、応募してくる以上一つ一つ誠実に対応しなければならない、と雇用省チーフコンサルタントのスザンナ・ブルーン(Susanne Bruun)は述べ、それぞれにすべからく丁重な対応をしていることを印象付けている。記事には大臣のコメントは取れなかったとあるが、「失業者たちが大臣をからかう」という見出しで、大臣の反応が見もの、という扱いなのはいうまでもない。

また、同日同紙の別の記事では、大学で修士課程を終えたばかりの学生が、修了からやりたい仕事を見つけるまでの求職期間中に、真剣にやりたい職を探すことと、給付金を受けることの間で葛藤を経てきたことを描いている。絶対やる気のない仕事に応募して、どうやったら面接に呼ばれないで済むかを考えるという無意味…。ようやく彼は就職を決めたが、この仕事は給料の一部に国の補助金が降りるため、この週に4件の求職という要件は就職後にも免除されず続いているという。就職してなお、37時間フルタイムで仕事に加えて、週に4件求職書類を送り、コムーネのジョブセンターの就職アドバイス面接に行くというのは、明らかなシステムの欠陥であることが、事例を通じて指摘されている。

怒っているのは、失業給付金を受けている失業者たちだけではない。ろくに就職する気のないものからの応募書類を真剣に検討し、面接を重ねる雇用者側も当然不満を募らせている。こちらからの反撃は、応募書類の偽者の送付先を確保する形で行われた。応募書類をメールで送ると、「応募ありがとうございました。あなたのプロフィールに適合する仕事はありませんが、政府が週に4通の応募書類を書くことを要件としているうちは、またこちらに応募していただいて結構です。」と返信が来る。これは通信関係の会社で、まったくやる気のない応募者の書類選考などに時間を使わざるを得ないことへの反抗として行われている。この挑発を行っているハンス・ストックホルム・ケァー(Hans Stokholm Kjer)は、自分がもし失業者なら、絶対に首相に手紙を書き、雇用大臣の職に応募すると同記事でのインタビューに答え、苛立ちを顕わにしている。

さらに、このところ失業給付をめぐっては、支給額を上げて給付時期を短くするという議論も熱を帯びてきており、現在の最長4年間から短縮される可能性が十分にでてきた。しかしながら、これは、再就職先の見つけやすい高学歴の者が、短期間の再就職までの期間に、「できるだけ失業保険の掛け金の元を取る」ためのものであり、なかなか再就職先を見つけられないような社会的弱者に対する配慮が欠けているという批判も出ていた。

こうした議論がこのところさらに熱くなってきている。2007年12月に政府が設置した労働市場委員会が、不足する労働力と福祉を維持するための資金などを検討し、その報告が2008年8月28日に出されることになっていたためである。当初1年半かけて検討されるはずだった課題は、首相の要請に応え急遽今、出されることになったようだ。そこで出された提案は、課税率を上げないで済ますために、早期退職者年金・失業給付金といった福祉手当の受給期間・対象者を減らし、財政を緊縮するというものであった。2008年8月27日のPolitikenによると、今後の福祉支出を捻出していくと年間140億クローナ(約3000億円)が不足するという。労働市場からの早期退職を現行の60歳から62歳に引き上げる、失業給付金の最長受給期間を現在の4年間から短縮するなどの方法で、労働市場に残らせたり、新たに参入させたりして、納税による財源を確保しようというのがその意図である。所得税課税率をこれ以上は上げないという「税ストップ」を実現したばかりの今、何とか別の手で財政を確保しようという意図がみえる。

労働市場委員会の議長を務めた、社会福祉研究センター長のヨアン・スナゴー(Jørgen Søndergaard)によって出された提言は、少し前に議論されていた「失業給付金支給期間を短縮し、代わりに給付額を上げる」というものよりも、さらに一歩進んだ厳しいものであり、期間の短縮は今すぐに行い、さらに支給額の増額は行わないというものだった。こうした緊縮財政によって、10億クローナを捻出し、残りの4億クローナは、疾病給付金や障がい者年金から捻出しようと年末頃にまた新たな議論になるようである。

失業給付金の最長受給期間は、1994年には最長7年であったが、漸次短縮され、現行の政権になった2001年からは4年間であり、変わっていない。この最長給付期間は、ヨーロッパの他国と比較してかなり長く、短縮する余地があるというのが議論である。ベルギーは最長給付期間の規定がなく、アイスランドが5年間となっているが、それ以外はノルウェーも2年、スウェーデン・ドイツなども軒並み1年程度であるようだ。しかし、こうした受給条件を強化しても、14,000人の失業者のうち、たった5000人程度が揺り動かすことにならず、実際にこの政策によって職に就く(ことができる)者はせいぜい3000人、1000人が何らかの教育課程に入って奨学金を受給、あと1000人は疾病給付や生活保護といった他の公的支援に頼ることになるだろうと見込みさえ出ている(2008年8月28日、Politiken)。

またSP協定と呼ばれる、補助的年金の強制加入制度も再導入が検討されている。SPは「特別年金積み立て」の略で、動労者が給料の1%を年金として強制的に納め、65歳を過ぎての退職後の生活の将来的な蓄えとするというものである。これにより政府は50億クローナの公的支出を抑えることを狙っている。SP協定は、1997年に一度導入されたが、2004年に留保・凍結されそのままになっていた。これを年度末の留保期限切れを機に延長せずに再導入するというのが政府の提案である。この強制積み立て制度は、個人消費を控えさせるのみならず、裏を読めば、今後の公的年金が不十分になることを前提として拡充策に走っていると見られ、反対されるべきものである。消費者の購買行動を停滞させるとして非常に評判が悪く、金融機関の利益団体である財政諮問委員会も、SP協定は完全に廃止せよと求め続けている他、200の企業から成る保険と年金協会も、SP協定は経済の低下を加速させると批判的である。テレビ局DRによると、野党の社会民主党、社会人民党に加えて、デンマーク国民党も含めた過半数がSP協定に反対であると報じており(2008年9月8日)、成立は危ぶまれる方向になってきた。

デンマーク国民党は、移民排斥の党として知られるが、実は福祉給付には非常に前向きであり、高齢者や低学歴(つまりは低収入の職の従事者)に多くの支持者を抱えている。政策を通すためには過半数を構成する必要があり、こうして党によって異なる立場からの賛否は連立政権にとっては命取りになる。今回の提案には、閣外協力をしているデンマーク国民党が厳しいノーを突きつけ、そのため過半数を確保することで法案の不成立を狙う野党の社会民主党と社会人民党がデンマーク国民党に協力を持ちかけている。今のところ、彼らは野党と手を組む方には行かずに、与党政府に自分たちの言い分を聞いてもらい、妥協に持っていく思惑のようである。

上記の、労働市場委員会は、失業給付金の最長受給期間を個々人の経済的な状況によって決定することも提案しており、普遍主義に支えられてきた福祉国家のスローガンが変質しようとしていることが見て取れる。恵まれないものに向けた「慈善」としての福祉から、労働市場に参画しているといった条件によらず、誰もに与えられた「権利」として普遍主義に基づいてきたデンマークの福祉政策は、改革の名の下に削減されていく傾向だ。7年間近く好況に踊らされてきたところで、最盛期は過ぎ、「これでパーティは終わり」と冷や水を浴びさせられる状況になっている。2009年の国庫財政予算案が出たところだが、その鍵を握る財務大臣のラース・ルッケ・ラスムッセン(Lars Løkke Rasmussen)は、先日の予算案提示の際に、若い頃はボーイスカウトにいたと述べ、デンマークの経済を、「数年間燃え続けてきた焚き火のようなものだ」と喩え、「煙高く上げる炎は消えたところだが、燻っている火がまだ中に残っている。これをそのまま吹き消すか、森に行って薪を取ってきて、後で焚き火でご飯を作るようにするかどちらを選ぶかだ。」と述べ、今手を打って今後も「燃え続ける」手筈をつけることの必要性を強調している(2008年8月27日、Politiken)。

政策に翻弄される市民の反撃は、さまざまな形で顕在化してきているが、それも今後の経済の状況次第では自重される流れになるかもしれない。高額納税者の所得税軽減という形でもたらされた緊縮財政を、失業者、年金生活者といった社会的弱者が受ける福祉の削減という形で減らすことは、格差を拡大させることになり、間違った方向であることを忘れてはならない。
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2008年08月03日

若者ホームレスへの関心の高まりと彼らへの「本当」の対策

前回の福祉国家の片隅の貧困と増加する若者ホームレス では、アルコールや薬物の乱用が世代を連鎖して貧困を生み出し、若者ホームレスが増えている現状を扱ったが、折しも、フース・フォービというホームレスの作る冊子の2008年7月号が、若者ホームレスを扱い、さらに若者・子どものホームレスに対する熱い関心をテーマに取り上げている。

この「フース・フォービ」はイギリスや日本で売られているビッグ・イシューと同様に、ホームレスの自立支援を目的として販売されているもので、デンマークでは1996年から始められた。20kr.(約500円)のワン・コインで駅ホームで買え、そのうち8kr.が販売者(ホームレス)の収入となる。この冊子の存在は国民にも深く浸透しており、広く知られているし、大学や省庁などのまとめ購読による財政支援で、運営的にもうまくいっているようだ。年間に12冊刊行され、個人では年間340kr.(サポート会員は540kr.)、協賛事業者は組織として1800kr.を年間に払うことで、定期購読としての支援がされている。

特に今月の記事は、学校の生徒たちがホームレス問題に高い関心を寄せている実態、18歳未満の増加する若者ホームレスたちなどの生の声や実際に援助してもらえる先の方法など、テーマ的にも非常に充実しており、40ページほどにぎっしりと書かれた記事は、どれも紹介したいほど面白い。例えばある記事は、学校の総合的学習としてホームレス問題を議論させたり、招かれたホームレス体験者に子どもたちが率直な質問をぶつけたり、実際にホームレスの人々に作った食事を提供してみたりと、横断的で実際的に貧困やアルコール・薬物依存など、社会の問題を考える機会を与えている。こうした機会は、ただ記事として紹介されるだけではなく、積極的な取り組みとして「関心がある学校には出前講座に伺います」とコンタクト先を載せ、今度の紹介の機会にまでつなげる情報源ともされており、教育プログラムとしても興味深い。

ホームレスの住居協会によると、ホームレスの人々の生計は、50%が精神障害者年金を受給、22%が生活保護か失業給付を受給、23%は就業していることによって立てられているという。ホームレスの約半分を占める精神障害者年金というのは、身体的、精神的、社会的な事情で自活できない場合に給付され、日本での精神障害者保健福祉手帳の給付のようなものである。給付額は2008年水準で、単身の場合には月額15,232kr.(約40万円)、パートナーがいる場合には12,947kr.(約30万円)であり、配偶者に年金額以上の収入がある場合には、受給額が減らされる。条件は、デンマーク市民権を持つ国民であること、デンマークに住所を持つこと、15歳を超えてから過去3年間デンマークに住んでいること、の三点である。これらの人々は労働市場へ「復帰の見込みの(ほとんど)ない」養われる者となるため、国はこの受給対象者を増やさないようにしている。

これに対して、通常の失業者は市のジョブセンターに求職者として登録され、週に4件の求職活動をしなければ失業給付金は停止される。また、生活保護は申請時に10,000kr.以上の財産を持つ場合には、家はもちろん、テレビやコンピュータなどの資産をまず売らないと受給権はない。その点からも、失業給付は「就労意欲も(潜在的)能力もがあるが、(一時的に)事情によって適わない」者をサポートするシステムとしてあることといえる。そのため、権利に安住させない「尻叩き」が常に行われる。日経新聞の記事「再挑戦できる国、デンマーク」でもこの2008年2月から始まった「週に4件の求職活動をしないと給付停止」についてはアメとムチの「ムチ」として触れられているが、それが効果を挙げているという文脈で扱われている。しかし、デンマーク語で「週に4件出願」というキーワードでグーグル検索をすると、出てくるのは「週に4件の出願条件を廃止せよ」という論調ばかりであるし、開始時から非常に反対意見が多かった。理由の一つは、動機付けもなくその気もない求職活動をすることが、求職者にとっても雇用者側にとっても時間の無駄を招くという極めて合意的な事情である。

元ソーシャルワーカーのグンヴァ・アウケン(Gunvor Auken)は、こうした若者のホームレス問題に対して、25歳未満の生活保護が国からの奨学金であるSUを基準として支給されていることが、生活保護受給者の若者の生存ぎりぎりラインに満たない生活を招いており、これは将来的に精神的な問題を抱えて精神障がい者年金をもらう者を増やしているようなものだ、と断じている(2008年7月30日、Information)。SUをもらう若者たちには、学業の傍らに働いたり、学資ローンを借りたり、安価な学生寮に入ったりといった方法で、その上に資金を増やしたり、支出を減らしたりすることができるが、生活保護の受給者はそういった権利も持たないことを上げている。

2008年7月26日のInformationでは、さらに23歳のベニーというアイスランド人の青年ホームレスとのインタビューをもとにしている。18歳の頃からホームレスをしている彼は、アルコール依存である。上記のような「尻叩き」に対応して職に就くことができずに、結局1年半前に生活保護を打ち切られ、それ以来朝5時に起きて道端に転がっている空のビール瓶やプラスチックボトルを集めて、保証金回収からお金をもらい、それを「中身の入ったビール瓶に変える」という生活を続けている。ビールを15本ほど飲んだところで、ようやく指の震えが止まり、あとは午後まで眠って、一時的な生活センターの仲間たちとテレビを見て過ごす。そんな彼の望むのは、「何でもいいから楽な仕事をして、世界中を船で旅して回ること」だ。これ以上紹介しても、同じになるので割愛するが、2008年7月31日の記事のクラスという27歳の男性もこれまでの若者ホームレスと同様に同じである。アルコール・薬物への依存が貧困線にいる若者の間でどれほど蔓延し、それがまた次の世代に連鎖していくかということを実感する。幼いときからアルコールを飲むようになった者ほど、その後アルコールの問題を抱えるケースが多いという。2008年7月25日のInformationの記事でも、アルコール依存患者の自助グループAAに相談をする人の数が、10,000件からたった二年間で、12,000件ほどまで増えていること、相談の電話が自身のアルコール問題を抱えた10歳の子どもから来ることさえあったことなどが載っている。

アルコール・薬物問題という自身の弱さから来る問題を抱えた者は、「自己責任」に起因されやすく、むしろこうした若者たちにそれでも月に10万円も生活保護が出たり、精神障がい者年金の受給資格を手に入れてしまえば生涯、年金が月額40万円ほども給付されるというのは、日本から見るととんでもない「甘え」とみなされるだろう。それだけ、日本では自己責任の言説が身体化されているということでもあるわけだが、デンマークの若者たちが権利を自明のものと捉え、庇護されることを当然とした「甘え」を備えていることも事実である。そうした批判は、こうした生活保護や障がい者年金の受給者という社会的弱者に向けられて顕在化することが多いが、実に批判されるべきは、もともと自分自身への甘えを許してしまうデンマーク人の精神構造と教育・しつけにあるのではないか。日本は何か辛いことがあったときに、「石の上にも三年」「明けない夜はない」と辛抱を重んじる文化だが、デンマークでは、「する気がしない(Jeg gider ikke...) 」「なら止めてしまいなさい(Så lad være!)」といった言い回しを聞くことが実に多い。こうした日常が積み重なった結果が、教育課程から安易に落ちこぼれたり、やりたくないことはやらないまま、ずるずると自分を受け入れてくれるところを探して、薬物やアルコールに現実逃避をする道になっているように思われる。

「大変なこともあるけれど、生きるために辛抱しなければ」といった当然の耐性さえも備えず、「この仕事は大変だから、止めて失業手当で暮らそう」と誰もが考えたら社会は回らない。こうした辛抱のない精神的構造がフットワークの軽い政策を次々と生み出している一方で、本人たちの気づかないところで社会的弱者に回される若者を生み出している。自立心を育てる教育と「甘い」家庭のしつけの間に でも触れたが、デンマーク人は精神的な自立を適えている一方で、我慢強さがないことで、その場限りの生き方をする単純な若者が増えている。若者ホームレスや貧困の背景として、こうした耐性のなさが挙げられることを考えると、「(彼らを貧困から救うために)給付額を増やす」といった議論や「(働かないのだから自己責任で)給付基準を厳しくし、受給者を減らす」というどちらの議論も、根本的なところにある、“なぜこうした若者が生まれているのか”という問題を解決することなく、社会的弱者の存在を是として受け入れるものとなり、論理も破綻することがわかるだろう。
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2008年05月25日

コペンハーゲンの病気がちな公務員たち

病気の時、あるいは子どもが病気になったとき、給料を天引きされる心配なく、仕事を休むことができるのは、やはり福祉国家を実感させられる例だ。しかし、その反面、病気を理由とした欠勤が多すぎることが問題になっている。

コペンハーゲン・コムーネの管轄の46,000人の公務員(保育施設や小中学校、老人ホームのスタッフなど、コムーネから給与が支給される者をすべて含む)は、昨年平均して21日間病欠であったという。21日間というと、丸一か月分の勤務が「病欠」によって失われたことになる。これによって市民のために使われるべきであった、8億3000万クローナ(約200億円)が労働者の疾病給付に消えた。「疾病欠勤の多くは、経営改革に関わっている」とコペンハーゲン・コムーネの経済部門管理長のクラウス・ユール(Claus Juhl)はいい、経営陣が職員を簡単に休ませてしまうことにも原因があると見る。職員が必要なのは、仕事ぶりに対する「承認」であり、それが十分でないため、モチベーションも下がり、病欠が多いのだというのが彼の認識である(2008年5月19日、Politiken)。これに対して、コペンハーゲン市総市長のリット・ビャーゴー(Ritt Bjerregaard)は、現在の市の統治構造を問題として、構造そのものを改革することで、この多すぎる病欠問題に対応する提言をしている(2008年5月23日、Politiken)。

コペンハーゲンは市の規模が大きいため、1998年1月1日から、意思決定までの過程を短縮することを目的として、全体を7つの独立した部門に分け、それぞれの部門の長を「市長」として置く特別の構造をとっている。7つの部門は、経済、子どもと若者、文化・余暇、健康とケア(保育・介護)、技術と環境、社会、雇用と統合であり、総市長のビャーゴーが経済部門の長となっているため、市内の公務員全体の給与等も管理している。彼女によると、分立した構造のためにトップにいる役所の職員たちは、市民や市で働く公務員たちのために働くよりも、政治家(市長や市民代表といった選出された者)に仕えるのに忙しいという「絶望的な」行政状況で、「それぞれの部門が同じ仕事をしている」という。しかも、7つの部門のうち、2つの部門の市長だけが社会民主党所属だが、残りの5つはそれぞれ5つの政党であるため、各々が違った主張を通して協力が難しいであろうことは想像に難くない。彼女はこれを、ノルウェーのオスロ市のように、市議会の形式にすることを提案しているが、国会での承認といった煩雑な過程が必要となり、政府はそうした予定はないことから、実現は難しいと見られている。

オーフス大学の行政学教授である、ヨアン・グロンゴー・クリステンセン(Jørgen Grønnegård Christensen)は、このコペンハーゲン市の「横の連携のない行政形態」を批判しているため、リット・ビャーゴーの案に賛意を示しているが、これによって病欠を減らすことができるかどうかという点に関しては懐疑的である。

国内の他の都市と比較して、コペンハーゲン市が特別に欠勤が多いため話題になっているわけだが、いずれにしても傾向としては病欠の問題は全国的であり、官民を問わずに共通している。民間企業でも同様に、病欠中の給与は保障されており、公務員と自営の者に対してはコムーネから、民間で働く者は雇用者とコムーネから給付金が支払われる(雇用者からの給与が補償されない場合には、最初の15日間は雇用者、その後はコムーネが給与を補償する)。

疾病給付金は、雇用者が定められた給与を病欠期間中の分を支払わないという決定を出した時に給付され、その条件は、デンマークに在住していること、収入から税金を納めていること、(その職場で13週かつ120時間以上就業していること等、自営の場合には過去1年間のうちに6ヶ月以上働いていたことの証明など)雇用が一定の条件を満たしていること、病気やケガなどを理由として一定期間、勤務先で就業することが不可能になったことである。受給額は、通常の収入によって前後するが、被雇用者の場合は、最高額で週に3,515kr.(約8万円)かつ時給95kr(約2000円)であり、自営の場合には、最低で週に2,343kr.(5万円強)が補償される。この金額は2008年の水準であり、毎年1月に改訂される。これに課税されるため、この金額が支払われるわけではないことに注意されたい。

労働運動商業カウンシルによって2008年1月24日に発表されたデータ(PDFファイル)によると、疾病給付の受給率が前年度と比較して、11.7%も上昇し、受給者は平均して9万人強となり、この数は失業者の数さえも上回っている。とくに、1年以上病欠で欠勤している長期疾病給付の受給者は、35%以上も上昇し、さらに増えている。単純にデータからいうと、「病気・ケガにより働くことができず、福祉給付で生活をする者が激増している」ということになる。

例えば、事故などで障がい者になり、一生涯、労働市場に参画することが不可能と診断されると、疾病給付金(コムーネから支払われる)から、障がい者年金(国から支払われる)の受給へと切り替わるが、申し込みのあった案件を処理するまでに時間がかかり、長期に亘る待機期間の受給が疾病給付金の支出を押し上げているとも言われている。コムーネと国からの合計した疾病給付金は140億クローナ(約3000億円)に上り、本来子ども、高齢者といった領域に使われるべきだった予算が、就労可能人口の福祉手当に費やされているわけである。

労働環境リサーチセンターによると、「労働者一人につき、1年間に7日の病欠が妥当」という目安があるというが、もちろん業種、年齢、性別など様々な条件で何が「妥当」かは変わり得るし、ケガや病気も業務によって勤務可能かどうかは異なるため、雇用者側は、国内平均である「一人当たり年間11日の病欠」を目標として設定するべきだ、としている。

1年間の病欠の後も、職場復帰する率はデンマークではたったの32%であり、これはスウェーデンの53%と比べても極めて低い(労働状況に関する企業の情報システムHPより)。そのため、政府は労働市場庁を通じて『病欠−共同責任』というレポートを出して周知を図ったり、公共のオフィスに可動式の机(腰を痛めないようにという配慮)を導入したり、会議などの際にチョコレートなど甘い菓子の代わりに、果物などを提供する予算をつけたりと予防面にも力を入れている。

病欠を届ける場合には、医師による証明がいるなどいくらかの手続きがあるが、病欠中に解雇してはならないという既定があるので、療養が長期に亘っても解雇にはつながらない。風邪などの短期間の欠勤の場合も、労働者を守るための厳しいルールがあり、例えば昼間12時までに次の日の仕事に来られる場合には本人が職場へ連絡する、といった規定があり、雇用者側は病気の者に「明日来られるか」といった問い合わせをしてプレッシャーをかけてはならないという規定があり、これが労働者の権利として守られている。

子どもが病気の際も、一日目から給料はそのままで休むことができる。こうしたシステムは、人間は病気になるものだ、そうした弱い時には助けが必要なのものだという共感的な立場に立っているが、財政としてはなかなか厳しいところにあるだろう。

UrbanはSvensk Dagbladetを引用し、スウェーデンが疾病給付受給者を減らすためにこの7月1日から適用される新しいルールを成立させたことを報じている(2008年5月22日、Urban)。記事によると、現在病気・怪我を理由として欠勤しているスウェーデン人のうち、少なくとも4万人がこのルールによって給付金を受ける資格を失うことになり、それにより国庫は2011年までに135億デンマーククローナ(約300億円)を削減する見込みだという。現在、スウェーデンでは18万7000人が疾病給付を受けているが、職場復帰に対してプレッシャーをかけることで、2011年にはその数を6万人は減らす予定だ。人口規模や社会システムの近い、近隣北欧諸国の決定はしばしば参考にされるため、デンマークでも今後スウェーデンの例に倣って受給者を減少させる議論が高まることは容易に想像される。

世界一幸せな国と抗鬱剤消費の関係 でも触れたが、とくに、うつ病など治療に時間のかかる病気に罹った際に、その療養必要性が勤め先に認められ、生活の糧が与えられているのはどれだけありがたいことかと思う。病気の者は、失業中であっても求職活動等の義務を負うアクティベーションに参加しなくてもいいため、受給は安易にされ、悪用されている面もあると聞くこともあるが、治療が長期間に亘る場合などは、役所の職員と面談をして、いつ復職できるかなど具体的な相談をすることも盛り込まれ、単純に受給できるわけではない。疾病給付金は、労働者の権利として非常にありがたい反面、制度として継続させるには非常に多くの予算を必要とするところに難しさがあるといえよう。「生産性」の議論からいっても、疾病欠勤は大きな問題である。順調に回復し、職場復帰するまでの辛い時期の生活の糧というのが福祉の大義名分である以上、休職後の職場復帰率を高め、病人を「病気のまま」にしておかず、復職へモチベーションを見出させることが今後も重要な課題となるだろう。
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2008年01月14日

国は、芸術のパトロンであり続けられるのか

前回の記事、「ムダ」と「文化」の境界の論点でもあったが、そもそも生産性の高いもの、国際的競争力のあるものだけに価値を認めてきたら、その国家は、文化の薫りさえない「生産工場」になってしまうのではないか。人間の営みの中で、文化こそがさまざまな彩を持って歴史を形作ってきた。文学、哲学、音楽、絵画、彫刻、スポーツ…こういったものを、「生きていくのに不可欠のものではないから」という理由で、「目に見える科学」に比べて存在価値を下げたうえ、(贅沢な)趣味のものと嗜好品扱いすることで受益者負担原則を当然のものとするような傾向は、無味乾燥な生産工場への道だ。

デンマークでも、新大学法の実施によって、独立行政法人として経営の視点で大学が運営を図っていくようになったことは、「授業料無料・奨学金つき」大学における学問の自由にも書いた。このことによって、学生の集まりにくい学部やなかなか卒業しない学部への締め付けが強まり、成果の見えにくい人文科学系の学部は淘汰されていく危険性もある。

先日の記事でも、リンクだけは載せたが、研究・科学省大臣の出した声明は、まさに成果重視の傾向が余りにもはっきりと見えた記事だった。デンマーク語だったので、抄訳を載せよう。

「最も優秀な研究者たちへより多くのお金を」
科学大臣 ヘリエ・サンダー(Helge Sander)

来る数年の間、政府は研究と発展への年間の投資額を三分の一、増資する。その目標は、公の研究の質を世界で最も優れたものと比較・計測することができるようにすることである。そして、競争強化によって、より多くの補助金が最も優秀な研究者と研究環境に与えられるように保障することである。これは、大学の補助金にも適用され、2009年から2010年までの間、研究・教育・知識の普及という3つの鍵パラメータによって大学の質を計測する、新しいモデルに則って一部は配分されることになる。

大学間での競争も促進し、より質が高いと認められた大学は質が低いとされたところよりも多くの補助金を手にすることになる。研究文献指標は、国内的にも国際的にも効果を認められているため、これを取り入れる。社会科学・自然科学等の研究分野によって、論文発表の伝統は異なるが、65の研究部門グループが、それぞれ分野ごとにどのジャーナルや出版物が指標に加味されるべきかをノミネートする形で多様性を保障するようにすることで、こうした批判をかわせるものと考えている。

それに加えて、このモデルはまず著作物や論文記事をすべての分野で共通の質の目標としている。さらに、代案としては引用回数によるものがあり、その研究者が何度引用されたか、別の研究者の記事に参照されたかという基準を用いるが、これはまだ社会科学の分野では引用をチェックするデータベースシステムが十分でない。だが、まもなく引用の指標も拡張することができよう。元々から確立された研究分野ばかりが、新しく芽が出たばかりの分野を犠牲にすることで認められるような危険もあるが、これについては少なくとも1年に1回、ジャーナルや提案を見直すことで危険を回避する。

政府が以下の目標に立っていることは何の疑いもない。:最高の質のものを調達する大学に対して、その報いを与えるということだ。
…実証主義的なもののみを「科学」と決めつけるような傾向は、ますます強まってきている。

文化・余暇活動に対して、国家の支援が厚いことは、前回の「ムダ」と「文化」の境界で触れたが、未曾有の好景気により労働力不足に悩まされる現実によって、それも壊されようとしていることが、話題になっている。週に37時間のフルタイムの仕事ではなく、30時間以下のパートタイムの仕事をもち、それゆえの低所得を理由にした生活保護手当のようなもの(ダウペンゲ。詳しくは福祉国家の失業給付の現状と未来を参照)の一部給付を受けている32,000人が今回のターゲットとなっている。

これに対して、雇用大臣のクラウス・ヨート・フレデリクセン(Claus Hjort Frederiksen)は、労働力不足のさなかに、このシステムは金になるので悪用している者が多いとし、受給資格の制限を厳しくしようとしている、と1月5日のPolitikenは報じている。この「補助的ダウペンゲ」を受給しているのは、職業的には教員と保育士が圧倒的に多く、例えば、週に29時間働く保育士のケースでは、月々3,199kr(7万円程度)が給付されているという。公になっていないデータだが、雇用省によるとこの給付金を受けている者のうち、フルタイムの仕事を探しているのはたったの3分の1とされている。給付金を受けるためには、それぞれの要件があり、求職をすることは重要な要件のひとつだが、それらが何らかの事情で果たされないまま、楽な稼ぎ口となっているという批判である。

現在、正規雇用されてパートタイムで働いている者に対しては、最長で52週間の補助的ダウペンゲ給付が受けられることになっているが、それに対して例えば、非常勤代理の者やパートタイムのコンサルタントなどは、無期限で給付を受けられるというシステムが管理の「抜け穴」となっているため、特にこの辺りを是正することを予定しているようである(正式な発表は、調査後の1月半ば以降になる見通し)。大臣は、受給者とシステムを悪用する雇用側とが「邪な同盟」を組んでいると、厳しく批判している。

興味深いのが、公のシステムの中の管轄が違うからという理由で、お金の出所を争っている点だ。保育士や福祉施設のヘルパーなどの場合、忙しい時間帯には人を配置し、忙しくなくなったところで帰宅させることで、人件費を浮かせる。彼らの人件費は、雇用者となっているコムーネ(市町村)から出ている。そして、この労働者が十分な時間を働かない/けないことで所得が低い分を埋め合わせる、補助的ダウペンゲが国の財源から給付されるという仕組みだ。

実際に、失業している者が給付を受けるためにするべき要件はたくさんある。
・コムーネのジョブセンターに、求職者として登録すること
・前日の告知でフルタイムの普通職に就くことができる
・自分が請けられると思われる仕事はどんなものでも積極的に探すこと
・アクティベーションに参加すること、ジョブセンター、失業保険、あるいは必要に応じてその他の機関との面談や相談に参加すること

さて、この記事が「文化」の意義から書き出しで、この低所得給付に至ったのは、この給付対象に対しての制限を強めることで、文化を創る芸術家たちの生活が危うくなるという批判があるからである。2008年1月6日のPolitikenによると、この規制によって、音楽家、ソリスト、俳優といったアーティストたちは自分の芸術キャリアを諦めて、全く違う分野の能力を活かさない仕事に従事せざるを得なくなるかもしれない、と芸術家組合は警告している。

デンマークアーティスト組合のリーナ・ブロストロム・ディデリクセン(Lena Brostrøm Dideriksen)は、「もしも芸術家たちが、この補助的ダウペンゲを受給する可能性がなければ、彼らはリングにタオルを投げ入れることを強要されて、自分たちの芸術家としての仕事を諦めなければならなくなる。」と危惧する。この組合には1500人の会員がおり、およそ1000人が失業保険でカバーされ、少なくとも半数が補助的ダウペンゲを受給していると見積もられており、国からの経済的補助が生活の足しとして大きく機能していることが窺われる。

これに対して、クラウス・ヨート・フレデリクセンは、失業給付金制度によって文化の興隆を支援するのは自分の役目ではない、とつれない。社会民主党の労働セクションの責任者であるトマス・アデルスコウ(Thomas Adelskov)もまた、「芸術家たちに失業給付に対する特別な需要があるのであれば、自分たちで失業保険組合を作ればいい」、とこれまでのシステムを温存することには前向きではないようだ。

2008年1月12日のPolitikenでは、コペンハーゲン大学で音楽の非常勤講師をしている、モーテン・イェルト(Morten Hjelt)が、雇用大臣に向けて批判的に書いた手紙が掲載されている。彼の主要論点は、、「授業料無料・奨学金つき」大学における学問の自由にも簡単に触れたが、保障もなく非常勤講師を搾取する大学の構造である。彼は、専門教科でのフルタイムの仕事を与えられることなく、何年経っても年金や休暇の保障もないパートタイム雇用に甘んじなければならないというのに、さらに補助的ダウペンゲの受給期間を制限されようとしている点に憤り、彼のような立場にはデンマークの労働市場の特徴であるフレキシキュリティーが全くないことを論じている。

福祉国家の失業給付が厚いために、却って人々の労働意欲を殺ぐという議論は経済学でもクラシカルなものである。しかし現在は、かなり頻繁にアクティベーションが行われており、眠っていて給付が受けられるというほど楽ではない。「建築科を出たのだけれど、建築家としての仕事がないから失業保険で生きている、非常に低い手当で不満だ」といった記事も時々新聞に載る。こうした記事には、甘っちょろい若者のプライドに腹が立つというのも正直な気持ちだが、少なくとも結果として、異なった働き方を支える制度の不備を埋め合わせる役割を担っていた、この補助的ダウペンゲは必要な役割があるように思われる。もしも、雇用大臣が補助的ダウペンゲの受給期間を限定するなどの決定を出すとすれば、例えば、上記の芸術家たち、非常勤大学講師たちなど、多様な働き方に対応して支援をするシステムを別に構築する必要があるだろう。
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2007年09月20日

失業対策は、社会的弱者への締め付けか

以前の記事で失業(給付削減のための)政策として「300時間ルール」というものが導入されたことを述べたが、この政策が現実にはほとんど実効性をあげていないという批判的記事がPolitiken(2007年9月20日)に出た。

コンタントイェルプと呼ばれる、市からの生活保護給付金(詳細は、上記リンク記事参照)の受給資格者を減らすことで、より多くの失業者を動機付けて労働市場に送ろうというのがこの「300時間ルール」の大義であった。しかしながら、発効して数ヶ月が経った今、どれだけ効果があったかどうかが厳しく問われている。Ankestyrelsen(「上訴庁」とでも訳されるか、社会省の下部組織であるが、独立している庁・局といったものに当たる)によって出された報告書によると、この施策の実施後には、9000人の生活保護受給者がその権利を失うことを警告され、その結果、2%の者が正規労働に就き、11%が時間給労働に就くことになったが、それと同時に、大部分の者たちが意図しなかった方向、労働市場と逆の方向に向かうという結果になったという。つまり、30%が病気や育児、マッチグループ5と呼ばれる、労働市場で働く能力が全くないと見なされるグループ(つまり生活保護も剥奪されない)に所属をするという結果となり、8%は精神障害者年金を受給をすることになった。このマッチグループ5というのは、重度の疾病等を理由に働くことが免除される「聖域」グループであり、今回このグループに入れてもらうために、自分の病気を実情よりも重く申告したものもいたのではないかとコペンハーゲン・コムーネの担当者は見ている。

与党である自由党のイェンス・ヴィビャー(Jens Vibjerg)は、「どんな場合も、システムの抜け穴を通る人がいるであろうことは否定できないが、このルールが機能するための責任とツールを持つのはコムーネだ」と強調し、成功だと見るのに対して、急進自由党と社会民主党は明らかな失敗と見ている。エリザベト・ゲデイ(Elisabeth Geday)は、こうした施策よりも職業訓練や給与補助金を与えることが、結局失業者にとって適当な仕事を見つけることになるのではないかと提案している。今回の施策の施行後、ちょうど400人が生活保護給付金の受給資格を失ったという。

デンマークでは、次々と新しい政策が出され、法律も変わるが、メディア全体がそれを批判的に検証する姿勢を常に持ち、その結果、効果がない/失敗だったとわかれば、またすぐにそれを改めるようなフットワークの軽さがある。人口500万の国なのでできることであり、日本で同じことをしようというのは難しいだろうが、いずれにしても「施策の批判的検証」という点は日本のメディアに大きく欠けている点だと考えている。(なぜ社会事件ばかりを取り立てて大きく騒ぎ立てる傾向があるのだろうか。)

まだ実施後間もないこともあって、今回の批判を以ってすぐにこの「300時間ルール」が改正されるとは思われないが、もともと波乱含みのままスタートしたルールだけに、今後の道行きは怪しくなりそうだ。
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2007年07月26日

福祉国家の失業給付の現状と未来

デンマークでは失業率は、ヨーロッパでは極めて低い方に位置し、その傾向は好景気にある現在、さらに強まっている。2007年5月の最新のデータでは失業者は、フルタイムの仕事で見た場合に99,600人となり、これは労働力全体の3.6%に当たる。この失業者に対して、どのような福祉給付をしているのか見てみよう。

まず第一に、失業時の福祉手当としては2種類のものがある。ダウペンゲと呼ばれる失業給付と、コンタントイェルプとと呼ばれる生活保護給付である。生活保護給付は妊娠や病気といった事情により労働に従事することができないものに対して、コムーネ(市)からなされ、基本的に誰もが受給する権利を持っている。それに対し、失業給付は、A-Kasseと呼ばれる失業保険に加入しているものに受給権があり、この保険費用は被雇用者が給与から引かれている。そのため、失業給付金の方が給付額が高いが、いずれにしてもどちらか一方しか受給できない。

例えば、この失業給付の受給権については、「病気、(育児)休暇を理由にして受給を請求するまでに、少なくとも13週、かつ計120時間以上、職場で働いていたこと」「自営の場合には、少なくとも6ヶ月以上自分の会社を経営していたこと」を課している。病気を理由とした失業給付は、18ヶ月間に渡り52週間を上限として支給される。そして、その額は、一週間に 3.415,00 kr.(7万円強。課税前)を上限としている。

生活保護給付については、地元の職業安定所に登録すること、就職のための努力を十分に重ねること、失業中の生活をカバーできるだけの資産を所有していないことを条件に支給される。最初の6ヶ月の支給額は以下の通りである(月額・課税前)。25歳未満で親と住んでいる場合は2.786 kr.、実家を出ている場合には5.773 kr.、そして妊娠している場合には8.959 kr.、扶養家族のいる場合には11.904 kr.が2007年の水準となっている。25歳以上で実家を出ている場合には、8.959 kr.、さらに扶養家族がいる場合には11.904 kr.となる。

こうした失業時の福祉手当の受給者を減らし、一人でも多く労働市場に人々を送り込むことを政府は「成功」と呼ぶわけだが、そのために数々のアクティベーションを行っている。雇用能力を高めるためのコースに参加することを初めとして、職安で回してもらえる仕事に対して、積極的な態度を見せないと受給額を減らされるなどといった罰則があり、特に30歳未満の者に関しては訓練教育を中心とした厳しいものとなっている。

このところ語られる施策では、2007年4月1日に発効した「300時間ルール」が挙げられる。これは、夫婦のうちどちらか最低でも過去2年間に300時間以上働いていない場合に、片方の生活保護給付金を失うというものである。2年間で300時間とはそれほど厳しいようでないように見えるかもしれないが、これまでは150時間の限度となっていたので、それに比べるとどれだけ急激に締め付けが始まったかがわかる。現実に、困難に窮するのは病気で働くことのできず、子どもを持った移民の家族である。

2007年7月9日の日報Informationによると、この300時間ルールという施策によって生活保護を失う者のうち、実に92%をデンマーク以外の民族背景を持つものであり、さらに75%の生活保護受給者が病気であったか現在も病気を患っているという。つまりこの政策は暗に、移民に対してデンマーク国民が税金から支払った福祉を享受させないために、打撃する目的で作られたか、あるいは少なくともそういった効果を挙げているといえる。

さらにInformationの記事によると、エスビャーコムーネの事例によると、63%の生活保護受給者は、3人かそれ以上の子どもを持つ移民であり、トラウマに悩まされる難民であったり、母国での教育を十分に受けていない移民であったり、病気がちであったりし、到底働ける状態にないという。この政策に批判的なエキスパートは、このことにより離婚・別離が増えたり、子どもたちの生育状況にも支障をきたすことを危惧している。

デンマーク語の教育の機会はどの移民にも与えられるが、母国で教育を十分に受けていないものにとっては、新しく言葉を習うという以前にその前提がないものも多い。しかしながら、現実には清掃等のノンスキルの仕事に従事しようにもコースを取った証明書といったものが課され、デンマーク語のまったくできないものにできる仕事はほとんどないという。

福祉国家の高額の失業手当により、就業のモチベーションを失うといった点も、日本の研究で言われていたように思うが、その権利も「眠っていて与えられるもの」ではなく、常に揺り動かされているものであることを思い知る。
posted by Denjapaner at 06:21| Comment(0) | 社会福祉 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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