しかし、かかりつけ医も一定の数以上の患者に責任をもてないため、医者の少ない地方への引越しなどを理由としてかかりつけ医を持てない者が出てきている。Ekstra Bladetの2008年2月4日の記事によると、現在国内に67のかかりつけ医ポジションが空席となっており、これにより約10万人の患者が地元の医者の代わりに長距離を移動して医者に診察してもらうことになっているという。医者不足は今後も悪化する見込みで、現在デンマーク国内で働く3750人のかかりつけ医の平均年齢はすでに53歳であり、うち900人は60歳を越えており、退職を目前にしている。健康経済学の教授であり、健康部門センターのセンター長、イェス・スーゴー(Jes Søgaard)は、「(退職を控えた年齢層の人数に比べて)医学部の教育で育てる人数が十分でないため、2012年まで医師不足は加速する一方だろう」と述べている(雇用省のHPのプレスクリップより)。67のポジションの空きで、約10万人に影響が出るということは、一人の医者当たり1500人近くの(潜在的な)患者を持っていることになる。これでは予約受付も難しいのも頷ける。
不足しているのは、かかりつけ医だけではない。医者全般に不足が続くが、中でもとくに専門医の不足も深刻である。専門医は現在国内に約12,000人いるが、うち3,700人はやはり2011年までに退職する見込みで、デンマークにいる医師の約30%は60代であるという。とくにコペンハーゲン近郊から離れた、地方でその傾向は深刻である。北ユトランド半島では、専門医にかかるまで7ヶ月かかり、またリーベという小都市では、かかりつけ医の診察を受けるまでにまず数週間の待機期間があるという。専門医を教育するには、最低でも14年かかるため、外国人医師への就労ビザ取得の優遇や積極的なリクルーティングを通じ、これまでに1500人の病院勤務医、うち500人の専門医を外国から招いているというが、それでも到底追いつかない。
自身も耳鼻咽喉科の専門医であるアスガー・ユール(Asger Juul)は、この原因を80年代の全く間違った教育政策で医学部の学生数を減らし、将来に医師の数が不足することを見越せなかったためとし、さらにまだ60歳の経験豊富な医師(「シルバーグレーの黄金」)たちが、60歳を機に退職、あるいは勤務日数を減らす傾向が高まってきていることを厳しく批判している。彼によると、専門医の数を人口比で比べると、それでもデンマークはインドの5倍もおり、もともと病気の罹患率や死亡率の高い第三世界の国から「優秀な医師をデンマークに呼び寄せる」という理屈は、第三世界をさらに搾取する新しい植民地主義だ、と喝破している。また、こうして招聘されたインド人の医師たちは、5年から7年経ったら感謝とともに本国に帰されることになっているそうで、「せめて契約の時にそのことは本人たちに知らされていることを願おう」と皮肉っている。(2007年10月16日、Berlingske Tidende、「私たちは医師のために発展途上国を干している」)。
彼も指摘しているように、今後5年から7年で医師不足を満たすだけの医師養成が完了されるのかに疑問を感じるし、「本国に帰す」というのは、裏返すと「働けるうちは協力はしてもらうが、老齢になった時にデンマークの福祉の恩恵は受けさせない」という政府の姿勢であり、非共感的で無責任だと言わざるを得ない。60年代にトルコなどからゲスト労働者を招聘した際に、労働力だけを入れ、「刈入れ時」が終わったら「出稼ぎは終わり」と帰すつもりだったのが、結局は母国の家族呼び寄せ、第2世代・第3世代の誕生と、移民がデンマーク社会の一部を構成するようになったことを負の教訓としているようだ。
ここまでで見えてくる問題点は、国民の医療アクセスが制限されていること(さらに、そこに地域格差があること)だが、それだけではなく、将来の職業に結びつく人材の教育・養成の需要と供給のアンバランスも重要である(高等教育と職業のアンバランスについては、進学状況から見える現実 においても指摘している)。当然のことながらデンマーク産業界は、歴史・哲学などの人文科学よりも、不足する医師やエンジニアなどを埋めるための自然科学分野への進学を勧め続けているが、大学修士組合は人文科学の修了生の失業率も順調に低下していることを挙げ、「人文学の学生は複雑なものを分析して、自立して考える能力に長けている」と、自然科学のみを科学と見るような風潮に反発している(Magisterbladet, nr.9)。こうした「目に見える生産物」のみを科学とするような傾向については、国は、芸術のパトロンであり続けられるのか でも指摘しているので、一読されたい。
では、国は医師不足を解消するため、医学部は新規の学生へ門戸を広げ、たくさんの医学生を量産しているのかというとそうでもない。現在デンマークで、医学部があるのはコペンハーゲン大学、オーフス大学、南デンマーク大学の3つのみであり、医学部の人気はとくに女子の間で高いが、当然のことながらもっとも高い成績を要求されるため、厳しいハードルとなっている。その一方で、北欧諸国の大学の間では協定があり、互いの学生が自由に移動できる上、スウェーデン語、ノルウェー語とはお互いに理解できるため、別の国で教育を受けるという選択肢も生まれ、2006年の段階で医学部の学生の28%がスウェーデン人、ノルウェー人となり、デンマーク人学生が簡単には養成課程に入れないことも問題になった。
原因は、各国の成績評定の基準の違いから、スウェーデン人の学生の高校卒業時の成績をデンマークのものに換算するとその過程で齟齬が生じ、実際よりも高い評価になり、スウェーデンの医学部に入学するには足りない成績でデンマークの医学部に合格できたためである。医学部や獣医学部に、国が非常にお金を投入して人材を育成するにも関わらず、医学部学生の26%、獣医学部学生の50%近くが卒業後には母国で活躍するスウェーデン人であり、デンマークでの医者不足が解消されないことは、大きな矛盾であった。上記、進学状況から見える現実 でも載せた12のスケールという、国際的に互換性のある新しい成績システムの導入で、こうした外国人にとって有利になるような不公正は是正されるとされ(2006年9月15日、Politiken)、実際に制度が動きだし合格者がはっきりした2007年の夏には、科学大臣ヘリエ・サンダー(Helge Sander)は、前年度に医学部に入学したスウェーデン人は314人だったものが、今年度は172人へ、獣医学部は前年度の78人から34人へと減少したことを報告している(科学・技術・発展省HP、2007年8月3日)。EUのルールのため、スウェーデン人学生を○%に抑えるといった、割り当てはできないようだ(2007年7月27日、Jyllands Posten)が、優遇を外したことで、結果的にデンマーク人学生に機会の平等を与えたことになる。国際化、労働市場の流動化とはいえ、入学して勉強を始めた学生を追い出すわけにも行かず、彼らに対するデンマークでの教育は続けられている。デンマーク国民の税金で、彼らを教育し、数年後に教育を終えた頃、留学生らは母国へ帰るというのはやはり不自然であろう。
医師に限らないことだが、未曾有の好況と労働力不足のため、議論は外国からの移民たちとシルバー世代の労働力活用に至っている。ついに国内の失業率は1.7%になり(2008年5月30日、Politiken)、失業者は数えるほどだ。建築現場などでは人材の不足からポーランド人を雇用する会社が多く、彼らに対する権利の保障や優遇策を整備することで、国としても労働力を確保することに必死である。さらに、熟年層に労働市場に残ってもらうための税制優遇策なども次々と提案され、国会で話し合われている。現在の高齢者への年金や福祉手当は、いわば収入がない者をサポートするシステムであり、労働市場で活躍していて稼ぎがある高齢者にとっては、「割に合わない」気分にさせられるためである。所得控除額を増やす、1946年から1952年に生まれた者で給料の一定基準を満たす場合には、65歳まで勤続すれば最大10万クローナ(約230万円)のボーナスを出すなど、労働市場にいることを魅力的と感じさせるための様々な施策が前向きに審議されて、早ければ2009年からにも施行される勢いである。
医師不足はすぐには解消しそうにない問題だが、それ以上に技能ある人材を国内で育てるための教育の現場を充実させることも急務といえるだろう。医学部の設置はすぐにできる課題ではないかもしれないが、国から授業料が支給され、奨学金(SU)をもって外国で学ぶことも可能となった今(海外大学の設置に見るデンマーク産業界の野心 参照)、アメリカやイギリス等の英語圏の大学で教育を受けた若い医師たちが、将来にデンマークで戻ってきて活躍する可能性も期待できるのかもしれない。(恐らく現実には、例えばアメリカで教育を受けて医師になれば、給料水準の高いアメリカに留まって就職する可能性が非常に高いと思われるが。)こうした学生たちの外国での授業料を国が支給してでも優秀な人材を育てて、デンマークで就職してもらうというのは、日本では信じられないことだが、実はデンマークのような小国にとっては安価で賢明な策なのかもしれない。



インドの人が若いうちに海外で5〜7年勤務した後「感謝」して元の国に戻すということ、それだけを見たら、ひどく見えますが、いまや世界中の先進国で医師・医療関係者が不足し、それは次の数年だけで解決できる問題ではないので、スウェーデンが要らなくなったら、周辺国が高給で彼らを雇うと思うので問題ありませんよ。いまや私の居るイギリスは外国人医師の獲得に躍起になっています。日本と同様、高齢化社会を目前に控え、かつ国内で医療関係者の育成が進まないことも原因でしょう。医者に関わらず、外国人頭脳労働者の給与水準が現地の方々のそれとかなりの差が有ることから、社会問題にもなっています。もし、スウェーデンが5〜7年、インド人医療関係者に現場経験を与え、より経験を積ませてあげた後に、外国に手放してくれるのでしたら、きっとヨーロッパおよび医療関係者不足の国々としてはもろ手を揚げて歓迎することでしょう。そして、インド人を初め外国人の滞在を良しとしないのが、スウェーデンの現状ならば、その他の喜んで受入れてくれる国に移動したほうが心地よく暮らせると、インドの方々もお考えになるでしょうし。
今回の記事を拝見して思いました。