2008年05月29日

非寛容な宗教的シンボルの禁止が招く「頭脳流出」の愚行

顔のない裁判官に判決を言い渡される日 でも挙げたように、法廷でのスカーフの着用を巡ってこの数週間、デンマーク国内で大きな議論を繰り返されていた。移民・難民・統合省の大臣ビエテ・ロン・ホーンベック(Birthe Rønn Hornbech)が「政治家はこの件に介入すべきではない」、と大手新聞Politikenに長文の批判的コラムを寄稿し(2008年5月14日、Politiken)、さらにデンマーク国民党の人種差別的な政策に対する批判を繰り広げたことで、政府の方針に賛成していない大臣として「イエローカード」が出され、首相からも厳重注意をされた。その後、大臣は政府の方針に反対するものではないと保身に入ったが、元々リベラルな思想の持ち主で女性として警察という組織で高い地位まで上り詰めた彼女にとって、どれだけ政府の方針と協調できるかが今後の去就を決めると言ってよい。政府の方針に苦虫を噛み潰している左派は、2007年の11月に彼女が移民・難民・統合省という多くの議論を呼ぶ省の大臣に就任した時、大きな期待を持って見守っていたが(省庁改組と改名の裏にある意図 参照)、むしろ今まで期待に反して彼女が沈黙を守っていたため、ようやく本領を発揮してくれるのでは、という実感をもって受け止められたところもある。

こうした国会を初め、メディアでの活発な議論を経て、政府は裁判所でイスラム教の女性のスカーフを初め、宗教的シンボルの着用を禁止する決定をし、統合大臣ホーンベックはそれに反対票を投じないと表明した。この法廷におけるスカーフ禁止の決定は、思いがけず他のヨーロッパ諸国からも支持され、これからの国会審議で法律が成立する可能性が高まってきた。

支持を表明したのは、二つの裁判官協会であり、一つは世界70ヶ国から構成される国際裁判官協会、もう一つは35のヨーロッパの国々からなる、ヨーロッパ裁判官協会である(2008年5月21日、Politiken)。TV2のニュースによると、国際裁判官協会の最高裁判所裁判官であるスロヴェニアのマヤ・トラトニック(Maja Tratnik)は「例えばムスリムの女性裁判官が頭に被ったスカーフといった宗教的シンボルは、この裁判官が法それ自身ではなく何か別のものを象徴しているという信号を与え得る。このことは、市民に裁判官の完全な中立性に対して疑念を抱かせかねない」と述べ、デンマークから始まった宗教を法廷に持ち込むことを禁ずる議論を歓迎し、今後の他国の決定へも影響を与えそうだ(2008年5月20日、TV2Nyhederne)。法務大臣であるリーネ・エスパーセン(Lene Espersen)によると、現在のところの決定は、裁判官のみに適用され、法廷にいる市民裁判員といった他の「社会を反映する人々」に禁止は適用されないようだ(2008年5月14日、Jyllands Posten)。

デンマーク国民党はこうした国際的なバックアップを、ムスリムの社会への表出を禁じる場を拡張する好機と捉え、「学校で教師がスカーフをしているのは、女性を抑圧された存在として教えることになるため、学校でも禁止すべき」と提案し(2008年5月19日、DR)、さらにはすべての公務員まで拡大すべきだ、とデンマーク国民党の統合部門スポークスマンのピーター・スコーロップ(Peter Skaarup)は主張している。デンマーク国民党だけなら驚くには値しないが、先には社会民主党の議員ヘンリック・ダム・クリステンセン(Henrik Dam Kristensen)までもが同じ提案を出している(顔のない裁判官に判決を言い渡される日 参照)ことからも、左派までも巻き込んで現実味のある議論となっていることが窺われる。

しかし、スカーフの着用を禁止したところで、ムスリムの女性たちは諦めてデンマークのやり方に従い、キャリアを選びはしない。Politikenは、「スカーフは仕事よりも重要」という見出しで、ムスリムの女性たちにとって、キャリアを持つよりも宗教を選ぶというアンケートの結果を報じている(2008年5月26日、Politiken)。Politikenが教育機関に現在在籍しているか、修了しているムスリムの女性を対象に行ったこの調査は、216人が回答し、うち65%が日常生活でスカーフを被っていると答えた。さらにこの65%の女性たちに「雇用者側がスカーフを被らないことを希望した時に、それを承知する可能性はどの程度か」を質問したところ、回答は、(承服することが)「かなりあり得る」0%、「あり得る」2%、「あり得ない」3%、「絶対にあり得ない」95%というはっきりした結果が出ている。スカーフ着用を踏み絵としても、彼らは信仰を諦めないのだ。

ロスキレ大学のリセ・ポウルセン・ガラル(Lise Paulsen Galal)はこの調査に対して、「とくに教育の高い女性は自らの権利についても十分に意識しており、デンマークのような国に住んでいる以上、信仰の自由に対して要請を出していいことを十分に認識している」ため、驚きには値しない、と述べている。実に60%以上の者が、禁止が現実になったら外国へ移り住むことを想定しているといい、残った者はただ家に留まるか、イスラム原理主義グループに加わるのではないか、と人種平等協会のハリマ・エル・アッバシ(Halima El Abbasi)は危惧する。

せっかく国が長い年月をかけて育ててきた移民第二世代が、こうした狭量な決定によって教育を終えた後、労働市場に参加することなく国を離れるのはまさに資源の無駄としか言いようがない。Politikenが同日発表した調査でも、実に3分の2のムスリムが教育を修了後、外国へ移住するだろうと回答している。「教育を修了した後、外国に移住する予定ですか?」という質問事項で、「かなりの程度あり得る」27%、「ある程度あり得る」39%、「あまりあり得ない」9%、「全然あり得ない」14%、「わからない」11%という回答となっている。調査の詳細については900人に質問し、315人から回答を得て、回答者は女性が68%男性が32%であり、75%はデンマークで生まれ育った者であったといい、「十分な代表性はないが傾向を指摘することはできる」調査である。 

そして、さらに移住を検討している者に対しての、「なぜ移住を検討するのか」という質問(複数回答)では、「家族の関係で」9%、「より良い仕事の可能性/給料/専門と関連した教育があるため」36%、「価値観の議論で自分がデンマークで十分受け入れられていると感じられないため」81%、その他24%となっており、その疎外感を露わにしている。こうした排他的な「雰囲気」は、スカーフを被ったムスリムだけではなく、民族的マイノリティとして感じている者を巻き込んで将来への不安と反感を生み出している。

コペンハーゲン商科大学の学生たちのディベートのうちから、歯科学を学ぶ学生であるムラット・グゼル(Murat Guzel)の発言を引用しよう。「僕の両親はトルコから来たけれど、僕が長期休暇に行っても、そこが自分の“家”とは感じない。でも、その感覚はここ(デンマーク)にはある。僕の妻は日常的にスカーフを被っていないけれど、それでもムスリムの女性の仕事の可能性を制限しようという話になると、どうしても議論に影響される。だから、トルコへ移住して働くことも考えている。もしも1年半前にトルコに移住するかと聞かれたなら、一生涯しない!と答えただろうけれど。でも、今、自分の福祉と信教の自由との間で優先順位をつけなければならないジレンマに立っている。そして、今この瞬間は、(優先順位は)後者に傾いている」

去年の秋に、インドから一人当たり1000万円を払って、27人の医者を「輸入」した(2007年10月19日、DR)現実等を考えると、歯科医といった教育に時間も資金もかかる学生を育てておいて、ようやく最後に国外へ脱出してしまうというのは大きな国家的財産の損失と言ってよい。選ばれし移民は去り、招かれざる移民は周縁に で指摘したように、高い教育を受けた優秀な人材は国内で必要とされており、科学・技術・発展省大臣のヘリエ・サンダー(Helge Sander)も、知識社会・科学立国を目指している(海外大学設置に見るデンマーク産業界の野心 参照)が、それを惹きつけるだけの魅力的な国になりきれていない。

不足している医師の数を充填するために、2008年9月からはこれまで18ヶ月だった医師研修生期間を12ヶ月に短縮することが決まっているが、当然のように十分に知識を身に付けていない医師を現場に送ることになりかねないと学生からも現場からも不安の声が聞かれる(2008年5月28日、Information)。適切な教育期間を縮めることはできない以上、今いる学生を大切に育てるのが急務だろう。こうした宗教的に不寛容な政策は、政治が予想する以上に痛い代償を支払うことになりそうだ。他への理解を備えたマイノリティーを育成し、労働市場に送ることこそが、国家にとっても若い世代にとってもプラスになるはずだ。寛容の価値観を誇ってきたはずのデンマークが、今いる移民・難民、あるいはその次世代を社会的に排除し、その結果、不本意に福祉手当によって生きる失業者を生産したり、国が20数年もかけて育ててきた若く優秀な人材を海外に送り出すような愚行はナンセンスである。
posted by Denjapaner at 05:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 労働政策 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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