2008年05月27日

幸福な国に住む、不幸な親と不幸な子ども

薬物の氾濫については、以前にも若者の暴力事件と関連して、若き現代版ヴァイキングの暴挙 において挙げたが、デンマークでの薬物濫用による死者はヨーロッパでも最も多く、その適切な対応が求められている。

デンマークでは、薬物依存の治療にメタドンという鎮痛剤を使っているが、これを廃止し、ブプレノルフィンへと変えることでもっとたくさんの患者の命を救うことができるだろうと記事になっている(2008年5月28日、Politiken)。ブプレノルフィンは、危険性も少なく、フランスでは90%の薬物中毒患者の治療に使われているが、他の薬剤とともに混合して服用すると抗酒剤を服用しての飲酒のように具合が悪くなったりするうえ、最初はあまり効かないため、患者に敬遠される傾向があり(10%ほどの治療に使われるのみ)、そうした問題のないメタドンが処方されることがほとんどだという。しかし、メタドンは依存性が高く、ヘロインから抜け出すよりも難しいとさえ言われ、日本では販売されていないようだ(Wikipediaより)。

上記Politikenによると、デンマークでの2006年には薬物依存患者の死亡者数221人のうち、92人がメタドンや、メタドンと他の薬物との組み合わせによる中毒症状が原因であるという。現在、治療を受けている患者は国内で約6000人おり、これまでも健康管理庁は依存性の低いブプレノルフィンをヘロイン依存の治療を希望する患者への最初の選択肢とするよう、勧告を出してきた。しかし、ここでもデンマークの「当該本人の意思尊重」の原則が響き、弊害を生み出しているようだ。

コペンハーゲンコムーネの社会医局長である、ピーター・イーイェ(Peter Ege)は「私たちの優先事項は、薬物濫用者に治療を受けさせ、治療を継続されることです。もしも薬物濫用者がメタドンを希望するといえば、それを与えます。もう一つのもの(ブプレノルフィンを指す)は原則的なものです。人が嫌だと拒絶すれば、それを強制することはしません」と言い切る。スレーイェルセやエスビャー、ヘルシンウーァコムーネでは、医者の判断でブプレノルフィンを処方しており、それでもほとんどのケースでうまくいっている、とコペンハーゲンコムーネの対応を批判している。

健康管理庁は、2,3年のうちにノルウェーやスウェーデンと同じレベルの30−50%がブプレノルフィンでの治療になるように希望しているが、これまでの文化を変えるのは難しく、さらに一回の服用に使うメタドンが6−8krであるのに比べて、ブプレノルフィンは約33krに上るため、躊躇があるのかもしれないが、結局のところ国がコムーネに対して還付するため、コムーネの出費とはならない。社会部門市長(市政の構造については、コペンハーゲンの病気がちな公務員たち を参照されたい)のミケル・バーミング(Mikkel Warming)も、麻薬中毒者たちがブプレノルフィンを希望しなかったり、その治療を受け続けることができなかったりするのであれば、メタドンが処方されるべき、と回答しており(Nyhedsavisen、2008年5月26日)、医者たちだけではなく、市の方針としてもより安全なブプレノルフィンの処方によって薬物中毒による死者を減らす意図はないようだ。

こうした薬物中毒や鬱病、暴力や犯罪行為などによって、子どもが危険に晒され、親としての管理能力が見なされると、子どもはコムーネによって保護され、養護施設や里親に預けられる。しかし、施設で育った子どもたちが起こす暴力事件などもしばしば取り上げられ、児童福祉とはいえ、生みの親と離れた環境で暮らすことの難しさを感じさせる。ちょうど先週、養護施設に入っていた16歳少女が暴力事件によって懲役6ヶ月を言い渡されたところであるので、少年犯罪と刑罰との関連も含めてここで取り上げよう。なお、少女による暴力事件は、1996年には27件であったが、2006年には137件と5倍以上に急増しており、メディアでもしばしば取り上げられ始めているテーマである。

マリア(紙上の仮名)は、貧しいものの幸せに育っていた少女だったが、母親が鬱病を患い体調を壊していたため、12歳の時養護施設に移された。そこで他の若者と出会い、互いに暴力を振るうような「暴力の文化」を体得していく。4回警察に補導され、裁判にもなったが、刑罰対象の年齢を下回っていた(処罰対象となる最低年齢はデンマークでは15歳)ため、処罰は受けていない。それから1,2年は新しい友達もでき、コンタクトパーソンの援助などもあり、まともな生活だったが、それも母親の癌が発覚し病状が進行するにつれ、悲しみから自暴自棄になり、街に出て飲み歩くようになった。そして、2007年8月のある晩、女友達と一緒にグループで出かけると約束していたのに、自分のアパートにいてやって来ない一人の少女に腹を立て、罰を与えることにし、他の6人の少女らとこの19歳の少女に暴力を振るった。タバコで額を焼き、腹を蹴り、唾を吐きかけ、身体や口にトマトケチャップをかけた。ズボンや下着を脱がせ、携帯電話でビデオを撮り、片方の眉毛を剃り落とし、ボールペンで身体に「売女」「キモイ」などと書き、屈辱を味あわせ、暴行は3時間にもわたった(2008年5月26日、Nyhedsavisenより)。

こうした具体的なケースを聞くと、日本の少年犯罪の凶悪さと同じように、深刻な様子がわかる。犯行に加わった、他の15歳から18歳までの少女たちにも3ヶ月から6ヶ月の懲役が言い渡されたが、このうちの複数の少女たちが養護施設に住んだことがあることがわかっている。彼らは、飲酒も薬物摂取もしていなかったというが、それが逆に怖さを増す。もう今や、癌だったマリアの母親は亡くなり、彼女は「自分がやったことで無罪放免とされるいわれはない。与えられた刑罰を受ける」と控訴しない意思を示している。この事例は、家庭環境に恵まれなかった子どもたちに対する公のサポートが整備されていても、結局その行く末がこうした現実に繋がることを示し、いたたまれない気持ちになる。

Politikenは、やはり鬱病と人格障害を患っていたために、その後新たな治療によって症状の改善が見られたにも関わらず、8歳と4歳の子どもを取り上げられた母親の例を紹介している。今、この女性は毎月2回の週末しか子どもに会うことができないといい、悲しい顔をした母親の大きな写真を掲載している(Politiken、2008年5月4日)。子どもを手元から失ったことによって、鬱病が悪化したであろうことさえ想像させられる不幸な女性の顔だ。

こうした例を受けて、コペンハーゲンコムーネでは新たに「家族を中心に」というプロジェクトを立ち上げ、家族の今持つ機能を最大限に生かすことで、施設に預けられる子どもを減らすことを試みている。これは2005年から2008年まで社会省によって支援されているプロジェクトで、その目的は1.家庭から引き離される、恵まれない子どもや若者の数を減らすこと、2.社会的に弱い立場にある、子どものいる家庭に対しての公的支出を減らすこと、3.こうした弱い立場の子どもがいる家庭の、より大きな社会的統合を適えること、とされている。

Politikenによると、子どもを引き離さねばならなくなるだろうと警告を受けた93の家族がこれまでにプロジェクトに参加し、85%の家族が子どもを引き離さなくてもよくなり、さらにうち29%は、案件自体を見守る必要がない状態にまでなったという。これは、親と子の関係がきちんと機能するようになったと公的に機関に見なされ、コムーネの支援を受けなくて済むようになったことを意味している。子どもに自信が芽生えるようになり、家族、学校や施設でも元気に過ごせるようになったと報告されている(2008年5月4日、Politiken)。

これは、これまでは、家族の抱える「問題」にのみ焦点を当てていたものを、家族がどういった目標を持っているのか、何が家庭でうまく機能しているのかといったポジティブな側面にも焦点を当てるようにしたことによる。これによって、コムーネの関連支出も34%も減少した。これまでの伝統的な方法で家族を引き離すことのないよう、問題解決を図ってきたグループでは、成功率は58%であり、支出減にいたってはわずかに4%というから、この新療法の効果は高いと注目されている。プロジェクトに関わっているソーシャルワーカーで社会学者のトーヴェ・ホルムゴー・ソーアンセン(Tove Holmgaard Sørensen)は、きちんとした母親になるにはどうしたらいいのかがわからなかった若い母親が、プロジェクトを通じて自信を取り戻し、娘との関係を回復することになった例を挙げて、その効果を説明している。子どもを社会で育てるという認識が、家庭への公権力の介入を通じて、時に双方にとって「要らぬお節介」になっていることを見せる例として興味深い。

最後に、少年犯罪の低年齢化に伴っての刑事対象処罰年齢の引き下げに関する議論を紹介しよう。上記のように、デンマークでは15歳だが、2月の国内全土での放火や若者の暴動などを受けて(ムハンマド風刺画の残り火と未熟なテロ法制の危険性 参照)、処罰年齢を12歳にしてはどうかという議論が起こった(2008年3月5日、Nyhedsavisen)。デンマーク国民党は引き下げに積極的である。ヨーロッパでは、16歳(スペイン)、15歳(デンマーク、イタリア、ノルウェー、スウェーデン)、14歳(ドイツ)、12歳(オランダ)、10歳(イギリス)、7歳(フランス)と、かなり低年齢の者も処罰する国が多い。Norstatが行った調査によると、55%が引き下げに賛成、41%が反対の立場だったと拮抗しているようでもある。論点は、早いうちから処罰をすることで将来の再犯を未然に防げるのかという点に向けられ、慎重に議論されているようである。

上記の養護施設の例でも同様だが、とくに年のいかない子どもの場合、施設に入れることが、社会からはみ出してしまったものを「取り除く」ためではなく、十分な状態に「育てて」社会に帰すための機能を担って欲しいと感じさせられる。暴力を学ぶ場ではないはずだが、なぜ見過ごされてきたのだろう。厳罰化の議論よりも、予防やそのための施設の機能の見直しが十分になされる必要があるだろう。
posted by Denjapaner at 00:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 医療問題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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