2008年06月02日

自立心を育てる教育と「甘い」家庭のしつけの間に

デンマークの子どもの成長にとっての一番大切な達成課題は、「自立した人間になること」であろう。学校でも家庭でも、自立した個人として一人前になるにはどうしたらいいのかを学ぶことがもっとも大切にされている。そのため、日本のように、他人がどう思うか、といった「空気を読む能力」は必要とされず、臆することなく自分を表現することに主眼を置くことになる。

以前に、大学に前・統合大臣リッケ・ヴィルスホイ(Rikke Hvilshøj)が来て講演をし、学生とディスカッションする機会に立ち会ったことがある。日本だと、大臣に質問するとなると学生側にも「賢い質問」をしなければならないという気負いがあったり、下手したら講演を主催する側も事前に(危険な領域に入らないような)「仕込み」の質問者を用意したりと画策さえされるように思うが、デンマークでのこうした機会は実にオープンであり、学生も遠慮なく批判や「初歩的な質問」をぶつける。常識的なことを質問して、「初歩的なことさえも知らないやつだ」と他人に軽んじられないだろうかと恐れ、「君子、危うきに近寄らず」といった態度は全くなく、話の腰を折ってでも遠慮なく意見をぶつける様子には、その堂々とした自立振りに感心させられることが多い。

また、成績評価システムが13のスケールから、国際化に対応した12のスケールに変えられたことは以前に書いた(進学状況から見える現実 参照)が、ここでもこれまで「デンマーク式」で与えられていた最高評価の「13」は、自立した学習によって獲得された高度のパフォーマンスに対して与えられる評価であり、学校で習ったことだけであれば、すべて事細かに覚えていても決して与えられることのないものであり、それゆえに積極的学習態度を褒め称える意味があった。そのため、13という評価を得ることは誇りであったが、テストの成績の良い上から10%が自動的に12という最高評価を得るという相対評価のシステムは、未だに学生たちにとっても受け入れがたい気持ちもあるようだ。

しかし裏返せば、この自立の代償は、他人を省みずに自分さえ良ければ、というミーイズムや個人主義につながりがちである。実際に生活していても、例えば日本のように「辛抱強さ」を美徳とする文化とは異なり、「嫌だ」といえば「ああそう、じゃあ止めなさい」という調子で、「辛いけれどもう少し我慢して頑張る」ということもなく、「それがあなたの決断なら、尊重しますよ」というもっともな理由付けによって、断たれてしまうのである。入院している患者も、「病院は退屈で嫌だ」と無理に退院してしまえば、それは尊重されるべき「本人の意思」であるため、本人のためにいかに必要であっても無理強いされることはなく、結果的に本人の不利益になることもある。

メディアの議論で、よく使われる世代描写に「68世代(「プラハの春」の頃に学生運動やヒッピーを経験した世代。1943-51年生まれ)」、「ふ〜ん世代(へ〜ぇ、ふ〜ん、と前の世代が批判的に受け止めた事象をそのまま受け入れる無批判な世代。1961-1969年生まれ)」、「Y世代(「新人類といわれた「X世代」の次に当たる世代。1979-1987年生まれ)」があるが、とくにこの若い「Y世代」は失業率の低下から「売り手市場」になっている今、“多少の”わがままを受け入れてくれないなら辞めてやる、といった調子で、これまでに考えられないほど甘やかされながら育っているとUgebrevet A4の統計は示している(2008年5月24日、Politiken)。「どの世代がもっとも甘やかされているか」というこの調査は、68世代(12%)、ふ〜ん世代(3%)、Y世代(48%)、世代という括りは無理だ(20%)、わからない・それ以外(18%)となっており、今の労働市場に入ったばかりの若者たちが甘やかされている実感があることを物語っている。

こうした自立した個人を育てる社会が、創造性のある人間を生み出す一方で、権利を当然のものとして傍若無人な行動に出る甘えた若者たちを多く生み出した側面もある、と私は考えているが、政府の論理では、若者による行き過ぎた行為は家庭の管理責任が十分でないことが原因であり、親の自己責任として経済的な処罰につながるようだ。

以前、学校のズル休みは親への罰金 でも書いたように、子どもの素行を家庭のしつけの問題による自己責任として、正当な理由なく学校を長期欠席をした場合や、子どもが公共物を破壊したりした場合には、親が児童手当を受け取れなかったり、損壊物を弁償する責任を問われるようにすべきだ、と与党自由党の権利部門スポークスマンのキム・アナセン(Kim Andersen)は、提案を出した。さらに、子どもが犯罪を犯した場合には親に経済的罰を加える、つまり罰金を科すといった議論にまで発展してきており、こうした少年犯罪と処罰を巡っての議論が、国会で2008年6月3日に行われることになっていると報道があった。

2008年5月31日のPolitikenによれば、自由党は少年犯罪を厳罰化する数々の提案を進めているようだ。自由党議員のギッテ・リレルンド・ベック(Gitte Lillelund bech)は、「すぐに刑務所へ送れとは言わないが、そもそも15歳未満であれば、家族から引き離されて児童養護施設に送るという措置しか選択肢がない。そうなると、処罰年齢制限があること自体、どうなのかと思う」と疑問を提示し、最低処罰年齢の廃止さえも念頭に置いた発言をしている。(若者の暴動や少年犯罪から、親の管理責任を問う声は、とくに2007年2月の集団放火事件などを理由として強まってきていることは、幸福な国に住む、不幸な親と不幸な子ども においても載せた。処罰最低年齢についても同記事で触れている)

やはり自由党のソーアン・ピン(Søren Pind)は3ヶ月ほど前に、犯罪を犯した12歳以上の子どもはGPS機能の付いた腕輪を身に付けることを義務付け、警察が24時間監視できるようにすべきだと自分のブログで主張し、さらにギャング団に所属するような犯罪者は普通の国民よりもさらに厳しく罰せられるべきだ、と刑法基準の統一適用を覆すラディカルな持論を展開した。左派は当然これを行き過ぎとして強く非難したが、同様に自由党の中でもまだ熟さない議論であったようで、アナス・フォー・ラスムッセン首相も、「自由党の統一見解ではなく、ソーアン・ピンの個人的見解だ」と距離を置いた(2008年2月19日、Politiken)。さらに、こうした議論は、まず党内で合意を取ってから公に議論すべきなのに、それがなされなかったことで党内でも反発を招き、彼は権利部門のスポークスマンというポストから更迭され、キム・アナセンに取って代わられた経緯があった(外務部門のスポークスマンのポストはそのまま保持されている。2008年2月19日、Politiken)。そして3ヶ月経った今、党内での論議を経て、キム・アナセンの上記の提案が国会へ出される次第となったのである。

デンマーク国民党は、少年犯罪の厳罰化に賛成の立場であり、今回の提案がはっきりと最低年齢の議論でなく、親の管理責任を問うての罰金に関するものだが、「とりあえずは正しい方向への第一歩」として賛成票を入れる考えのようだ。ソーシャルワーカー組合は、こうした措置が何の抑止効果も生まず、若者をさらに犯罪に引き込んでしまうだけと批判する。オーフス大学の犯罪学者であるアネッテ・ストアゴー(Anette Storgaard)は、「犯罪を犯した時に処罰をされるだけではなく、さらに自分の責任(領域)を取り締まって、処罰をされうるというのはデンマーク社会では非常に異例だ。これは全く新しい考え方だ」としている。

Politikenによるキム・アナセンのインタビューによると、この提案の意図は、刑務所に入るという本人、友人、家族の誰にとっても忘れられない体験によって、「社会が若者たちをしつけし直す」ことにあるという。自由党の提案は、これら親への罰金のほか、初めて執行猶予判決を受けたものは刑務所訪問に行き、実際に生活がどんなものなのか見学する、「週末の受刑者(週末の夜に若者が繁華街で問題を起こすことが多いため、そうしたことを防ぐため、週末には隔離する)」の導入など、ドラスティックな提案が数多く出されており、議論の行方が気になるところだ。

日本でもこの10年ほど少年犯罪など似た議論の流れから、家庭教育の必要性が強く説かれるようになり、社会教育法、教育基本法の改正がなされたことは記憶に新しい。批判の多くは、公権力が家庭という私領域に立ち入ってくることに対する警戒であった。今回出されたデンマークの自由党の提案は、むしろ家庭へ介入することなく、問題をそのまま家庭へ起因させて、保護者を罰すると同時に、「悪い」家庭・家族の存在を無に帰すことをポジティブに捉える言説である。家庭・家族の存在そのものを「誤ったもの」として、経済的社会的制裁を加え、さらに法の名を借りて「だめな親」の代わりに「しつけし直す」というのは、人間を信じない社会の傲慢ではないか。若年者の犯罪において重要なのは、虞犯少年の犯罪抑止であり、一時の過ちを理由に社会から家族とともに一生の傷(「刑務所に入るという一生忘れない体験」)を負わされることではないだろう。ソーシャルワーカーなどとの連携等を通じて、悩みを抱える家庭に問題解決の糸口を与えることが、国からできる積極的介入であり、「親代わりに社会が罰を与えることがしつけ」という論理は厳しく批判されなければならない。
posted by Denjapaner at 07:26| Comment(1) | TrackBack(0) | 教育事情 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
非常に残念なことと受け止めていますが、私自身、子どもを通して見ている中で、本当に大人達がひどいと思っています。大人達のマナーや常識、道徳心、けじめなどのようなものがなくなりつつあり、こんな親に育てられた子どもはどうなるのだろうと危惧してしまいます。
つまり家庭でのしつけがもはやできていないことは、認めざるを得ない状況だと思っています。それに対して、もちろん政府は手をうとうとしているのでしょうが(特にデンマーク政府は)、家庭の中に介入することは難しい場合が多いことでしょう。家庭は非常に個人的なものであり、そこになかなか異議を唱えにくいとも思います。
となると「罰」や「罰金」という考え方も出てくることは論理としては納得できます。ちょうどデンマークでは体罰が禁止されているように、法律で大きな枠として禁止したりペナルティを課すことでしか、防ぎようがないのかもしれません。
私は体罰がまるきり禁止というのもおかしいと思っていますし、今回の案も同様にそこまで法で律しようというのは行き過ぎだと思っています。でも他に何があるのか、何か効果的な対策が取れるのか、となるとあまりよい案が浮かびません。何かのムーブメントが起きれば、価値観が変わることもあるのかと思いますが・・・デンマークも日本も経済的に恵まれた状況である今、それもなかなか起きにくいでしょうね。
Posted by halfkids at 2008年06月19日 05:31
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