2008年04月09日

「優しくない」高齢者の家族は、温かな時間の担当

このところ、高齢者福祉プロパーのインカ氏と先方のブログで、デンマークの「社会支援法」といわれるものについて、コメントをやり取りしていた。福祉の世界では、今も北欧から学ぼうという流れは強いようであり、その関心は絶えない。しかし、数十年前の社会民主主義全盛期に確立した法の下では、多くの保障がされていた弱者たちも、度重なる自由化の波で、受益者負担原則や自己責任といったキーワードで、その保障の見直しが重ねられているのが、現在の流れである。社会支援法(Lov om social bistand)が、社会サービス法(Lov om social service)と名前を変えたわけだが、まさにこれを扱った記事があった。

ちょうど2008年4月8日のPolitikenで、福祉省(前回の選挙によって、社会省から福祉省へと改名された。省庁改組と改名の裏にある意図 を参照)の大臣カーン・イェスパーセン(Karen Jespersen)が、今後は、高齢者の家族がより大きな責任を負い、ケアサービス案に必要な介護の事情などを記入する役割を果たしてもらうことを法案で義務付けるよう、提案したことが報じられている。高齢者福祉の専門家である、デンマーク教育大学のティーネ・フリストルップ(Tine Fristrup)は、この提案は暗に、人手不足が厳しい福祉セクターで人員確保が難しいから、家族の良心の呵責につけこんで、大きな責任を押し付け、さらに介護費用の削減の意図までも含んでいるものだと厳しく批判している。しかし、大臣は、自分の意思は、費用削減ではなく、家族が必要なケアについてなどを自ら書き込むことで、記入者の責任としてその人が判定委員会に参加して、声を聞いてもらえる機会になるという面に向けられていると説明する。

高齢者は、意図に反する政策決定が出されても、自ら抗議活動などをすることは難しい。そのため、彼らの利益を代弁する利益団体、エルドラ・セエン(Ældre Sagen:高齢者の事柄の意味)がある。51万人の会員と(18歳以上で会員になることができる)、1万人を超えるボランティア(デンマークでもっとも大きい)がおり、社会・経済・法律・住宅に関わる相談などに無料で応じたり、孤独な高齢者を訪ねておしゃべりをするボランティアの手配をしたりといったアレンジをしている。

エルドラ・セエンのチーフ・コンサルタントのオラウ・フェルボ(Olav Felbo)は、今回の福祉大臣からの提案にも、家族に対して、買い物や掃除といった実際的な仕事を絶対に強制してはならないし、緊縮財政の市町村が、家族に手伝わせるように法律を悪用することがないようにすることが大切だと述べ、と怒りを露わにする。記事によれば、質問を受けた1000人ほどの実に75%が家族が高齢の家族の面倒を見るのを法律で義務付けることに反対であるという。

しかしデンマークの高齢者福祉は、利用者(高齢者自身)を中心に据え、その人の意思を尊重することを第一になっているため、家族が巻き込まれることで、この高齢者の意思を侵害することになる、というのが議論である。国際調査によると、デンマーク人は、他の多くの国よりも、高齢者介護を国に任せるべきだと考える率が高いそうである。

一夜明けた2008年4月9日のPolitikenでは、福祉大臣の提案が、野党である社会人民党、急進自由党、社会民主党はおろか、与党支援政党のデンマーク国民党からの賛成も得られなかったことを報じている。社会民主党の社会部門スポークスマンであるメッテ・フレデリクセン(Mette Frederiksen)は、「デンマークの高齢者の生活は、家族がいるかどうかによって変わるものであってはならない」と述べ、「(提案は)ラース・ルッケ・ラスムッセン(Lars Løkke Rasmussen)財務大臣と国庫を助けるかもしれないが、高齢者の助けにはならない」と断じる。普段は、移民排斥ばかりで言動の目立つデンマーク国民党も、デンマーク国民のための高齢者福祉には慎重であり、「助ける気持ちは心から来るべきもの」として、反対する。

社会人民党のアストリッド・クラウ(Astrid Krag)は、家族がケアプラン作成などに家族が立ち会うことを義務付ける法案が、高齢者の尊厳を奪うことを危惧する。「政府はそんなことよりも、人材不足を解消する手立てを考えるべき」といい、福祉士養成教育を魅力的なものとしてアピールして新たな人員を確保することと、すでに条件の悪さから離職した人を引き戻すことを考えている。

カーン・イェスパーセン大臣は、自らの提案を、わかるようでわからないレトリックでこう括る。「福祉は、公共の福祉だけのことではなくて、人がお互いにどう接するかということも扱っているのです。」
…老人ホームに投げ出してしまうのではなく、人々が互いに優しくなり、自主的に高齢の親を助けたいと思うことこそが「福祉」ということか。身体的介護など負担になる「実際的な支援」を労働化し、専門化(ある意味、無機質化とも言える)することで、「情の部分」だけを家族が請け負い、高齢者と家族はようやく楽しい時間を過ごす“パートナー”として生まれ変わったと私は考えるが、ここに「優しい、優しくない」といった感情に迫り、その働きかけを自明のものとすれば、福祉は確実に数十年分、後退することになるだろう。

カーン・イェスパーセン福祉大臣はそもそも、「政界のカメレオン」というあまりありがたくないあだ名で知られており、それは彼女が左派社会党(現在は統一リスト党に改編)から社会民主党へ、そして現在の自由党へと2回も所属政党を変えたことによる。今回の大臣の提案は、老いた母親の普通の服はヘルパーに洗ってもらいながらも、自分自身がドライクリーニングの服を少し洗ったりする経験を通して、感じるものがあり、家族の愛(潜在的なマンパワーとは言い過ぎか?)に目覚めたらしい。まるで、某日本の政治家が自分の父の介護経験で目覚め、教員となるものは介護の体験をしなければならない!と1999年の入学者から介護実習を義務化したのを思わせる。まさに、介護のような自主的な精神で思いやりをもって行われるべきことを、法制化・義務化したのは、今回の件と比較されてしかるべきものだろう。日本の介護実習必修化の後、受け入れ態勢の整っていない現場で混乱と不満が生まれたことは、語られている通りである。

東京では、ついに2007年から「奉仕の時間」が義務化されたとのことだが、今こそ「ボランティア」「奉仕」「自ら進んだ気持ち」の意味を問い直し、「愛情」という殺し文句で安価な労働力代替の方法として濫用されてしまうのは防がなくてはならない。いまや、社会の問題は「日本」や「デンマーク」といった一国に留まらず、普遍性を備えているのである。
posted by Denjapaner at 21:37| Comment(2) | TrackBack(0) | 高齢者福祉 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
こんにちわ。初めまして。
TBありがとうございました。
Denjapanerさんは、どこかで覚えがある方だなあ、と思ったら、いつか私が記事を参照させていただいた方でした。
その節はありがとうございました。
これからもよろしくお願いいたします。

以下の記事でした。
http://pokoapokotom.blog79.fc2.com/blog-entry-666.html
Posted by とむ丸 at 2008年05月13日 10:56
>とむ丸さん(昨日お返事書いたのですが、反映されていないようなので、再び)
TB承認、そしてコメントありがとうございます。ええ、貴ブログで触れていただいていたのは気付いていました。実は、あれを機に、とむ丸さんのブログにお邪魔するようになり、今もずっと読ませていただいています。

とむ丸さんの今回の記事で、「介護を通じて家族の繋がりが強くなる」といったナイーブな言説に対する批判的な下りがあったので、少し前ですが私が書いた当記事との共通の視点を感じ、TBさせていただきました。おっしゃる通り、「孝行嫁表彰制度」とかぞっとしますね!…今後ともよろしくお願いします。
Posted by Denjapaner at 2008年05月14日 17:54
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