ウィルダースが、「ムハンマド危機の際に、表現の自由を掲げて毅然とした態度を取った、デンマークのラスムッセン首相を尊敬する」といったメッセージを送ったため、アナス・フォー・ラスムッセン(Anders Fogh Rasmussen)首相も無視してはいられず、まだ見ていないとしつつも3月18日に官邸を通じて公的コメントを出した。
このコメントによると、ラスムッセン首相及びデンマークは表現の自由を大切にするが、ヘアト・ウィルダースが描く価値観や視点を共有するものではなく、これとははっきりと距離を置くとし、信仰や民族的背景によって一定のグループの人を悪者とするような発言、振る舞い、表現を非難する、としている。
メディアでこれだけ話題になりつつも、「実はそんな映像は存在せず、エイプリルフールで騙している(公開前)」(Nyhedsavisen、2008年3月27日)、「エイプリルフールの嘘だったなら、天才的なのに(公開後)」(デンマーク国民党渉外部、ソーアン・エスパーセン、2008年3月31日、Information)、といった論調も数多く見られた。
映像が公開された今、批判は「必要のない挑発に過ぎない(アナス・フォー・ラスムッセン首相)」、「普通に、ちょっとできの良くないドキュメンタリーフィルム(ソーアン・エスパーセン Søren Espersen、デンマーク国民党、渉外担当)」、「ナチスのプロパガンダ映像に似ている(モーンス・イェンセン Mogens Jensen、社会民主党、文化部門担当」「別の文脈で描かれたイラストを恣意的に悪用している。表現の自由とは関係なく、著作権上の問題だ」(ムハンマドのイラストを描いたクアト・ヴェスタゴー Kurt Westergaard。ユランスポステンへのコメント)といった具合で、大きな反響を持って迎えられたというよりも、予想されたように単純にイスラム教に悪意を持って、恣意的に別番組からの映像を切り貼りしたもの、といった流れに代わった。
「イスラム化を止めよ!」という組織は、オランダ、ドイツ、フランス、ポーランド、ロシアなどの国々と連携をとっており、デンマークでも盛んに活動をしている。ここで、問題の映像のリンクが貼られていたとのことでメディア議論の遡上にも挙がっていたが、結局Live LEAKという映像を載せた会社で、社員を危険に晒すような脅しがあったという理由から取り除かれた。Youtube(18歳以上の年齢確認あり)など、いくつかの場で、映像は公開されていたが、また4月1日になってこのサイトにも復活したようだ。この「イスラム化を止めよ!」の会は、裁判でムハンマド風刺画を自分たちの運動のために使ってはいけないという決定を下されたが、この映像は自分たちで作ったものではないから、という理由でムハンマド風刺画を含んでいる映像を彼らのHPに掲載している。
オランダ政府は、11月にこの映像『フィトナ』の存在が明らかになってから、その公開を未然に防ごうとしたり、政府はこの見解を支持するものではないことをたびたび強調して、オランダ製品のボイコットなどを巻き込む、第二(三)のムハンマド危機を防ぐ対応をしてきていた。そのため、ムスリムの反応はかつてのムハンマド危機と比べると非常に穏やかだといわれるが、それでもかつてオランダの植民地支配を受けたインドネシアのムスリムの間では、非常に大きな怒りをもって受け止められ、オランダ大使館の前で「ウィルダースに死を!」と求める大規模なデモが行われたことを報じられている(2008年4月1日、Information)。
上記のように、自由党のアナス・フォー・ラスムッセン首相は、この件に関しては左派勢力と意を同じくし、「ただイスラム教徒を不快にさせる挑発」と批判したが、デンマーク国内の右派ではウィルダースに対してポジティブな反応もある。例えば、ムハンマド風刺画を掲載した、ユランス・ポステン紙の文化部門の編集者であるフレミング・ローズ(Flemming Rose)は、自身のブログで『フィトナ』について、「そんなに論争になるべきことか?むしろ、選出された国会議員であるウィルダースが、宗教イデオロギー批判をしたために脅迫を受けることのほうが論争になるべき対象ではないのか」としている。彼のブログによると、デンマーク人女性作家カレン・ブリクセン(Karen Blixen: 50kr札の肖像にもなっている国民的作家)も、1939年にイスラム教をナチズムに喩えるエッセイを書いているそうだ。
この編集者のブログは、英語で書かれていることからしても、対外的な影響などを自覚した上であり、確信的だ。また、デンマーク国民党党首のピア・ケアスゴー(Pia Kjærsgaard)も、首相の「見ていないし、見るつもりもないが、ただの挑発だろう」という発言に対して、「頭を藪に突っ込んで」事実を見ないようにしていると批判し、また起こりうる事態なのだから、ここで議論の対象として取り上げることが必要だ、とする。連立与党を組んでいる保守党のスポークスマンである、ヘンリエッテ・ケアー(Henriette Kjær)も、「『フィトナ』は、西側諸国の深刻なテロ措置の裏にあるイスラム原理主義を描いている」とし、原理主義者や過激派に誤解されている表現の自由も、恐れずに表現の自由としないと、なし崩し的になる、と厳しい対応を進めることを強調する。こうしたウィルダースの映像に対する反応の温度差が、自由党・保守党・デンマーク国民党(補佐)の連立政権を揺るがすのではないかという見方も出ている(2008年3月29日、Information)。
3月15日にオランダのティルブルグ大学でハーバマスが講演を行った際に、ウィルダースの映像『フィトナ』についてのコメントを求められ、彼は、憲法など法律上の事柄と政治的な事柄を区別することが大切であり、法廷で厳正に判定される必要があると述べた。価値観の問題に政治が口を挟むのは議論を盛り上げこそすれ、解決の道がないことを見越した卓見といえよう。ヨーロッパにおける三権分立の機能の尊重に関しては、拙稿ムハンマド風刺画の残り火と未熟なテロ法制の危険性においても記したが、他の権力から独立した機関がその専門性に基づいて厳正に判断を行うことへの信頼があるからこそ、こうしたコメントになるのであろう。日本で中国人監督による『靖国』の上映が自粛、そして全館中止されたというニュースが聞かれたが、この点においては『フィトナ』が前評判にもよらず、公開されたことに意味があるという、新同盟党首、ナサー・カーダー、(Naser Kharder)のコメントが、日本の現況への批判として響くだろう。『靖国』の件の批判については、kojitaken氏の「きまぐれな日々」を参照されたい。
アラビア語研究者の視点から見た、映像『フィトナ』におけるコーランの恣意的な翻訳については、榮谷氏のブログ、アラビア語に興味があります。に詳しい。このブログによって、そもそもターバンを巻いているのはシーク教徒で、アラビア人であるムハンマドをこのように風刺するのはおかしいという指摘も紹介されており、西欧からの視点がいかに他文化の内部理解にまでつながっていないかが実感される。こうして、あの危機を巻き起こしたムハンマドの風刺画が、作者の意図も文脈も超えて、政治的に西欧社会の言論の自由の「人質」あるいは「踏み絵」として使われてしまうような詭弁に、憂慮を覚えるのである。
なお今(2008年4月9日現在)もこのリンクから見ることができる(英語字幕)。「衝撃的な映像が含まれているので、注意して下さい」のただし書きが初めにある。


