それに対し、「クウォート2」というオルタナティブな志願方式がある。日本でも推薦入試や一芸入試、アドミッションオフィス(AO)入試などの代替の方式があるが、それらに照らすとAO入試に近い。適用される数は、これまで入学定員の20%であったが、今年から10%に減らされた。志願締め切りは3月15日であり、つい先日締め切られたところであるが、結果はクウォート1の生徒たちと同様、7月終わりに通知される。
このオルタナティブな志願方式、クウォート2は、教科成績だけによらない方式で夢の進路に進めることを可能とするように、1992年に開始された。基準を満たせば誰でも応募することができるが、教科成績ではなく、何を評価するかというのはそれぞれの大学の学部が決めることができるため、重点はそれぞれ異なり、志願者はそれに沿った要件を満たす必要がある。志望動機を書いた書類も非常に大きく影響するため、志願者は練りに練った志願書を作らなくてはならない。
教育省の管轄する教育ガイドという進路指導のためのホームページによると、教科成績のほか、進学したい専門に関連した教科、その他の教育(資格を持つなど)、就業経験、ボランティア経験、フォルケ・ホイスコーレという寄宿学校での滞在経験、外国滞在経験(もちろん旅行ではなく、アルバイトなどの就業経験)などがカウントされるという。これらは、すべて書類にて証明しないとならないため、「どこの学校で行われる英語のコースに参加した」などの記載とともに、終了証を提示したり、外国で行われた経験であっても、飛行機のチケットやパスポートの出国入国スタンプ、そしてコースが週に何時間行われた、等をすべて証明する必要がある。また状況に応じて、志願する先で面接試験なども実施される場合もあるようだ。
このオルタナティブは、卒業成績が夢の進学先の基準には届かないものの、諦めたくない生徒が、卒業後に実社会で経験を積むことで経験値を上げ、志願する際に使われる。そのため、リベラルな教育の危機にも書いたように、高校卒業後にバックパッカーをして、世界中を回ったりしている若者が多くおり、デンマークでは若者が教育を修了して、労働市場に入る年齢がヨーロッパの中でも最も高い。Daily rushという若者の集まるニュースサイトの掲示板では、「クウォート2を使って、医学部に志願した人いる?」という書き込みがあり、その反応を見ると、「去年の夏に、友達がこの志願法で入ったけれど、彼はインド滞在、少年施設での就業経験、アメリカでの大学での短期コース履修、国内での病院で医者について実習経験といったいろいろなことをして、経験を積んでいたよ」と書いており、その要件の高さは国際公務員の実務経験さながらのようである。
こうした学校成績だけによらない方式で、特に医学部などは経験により、倫理観・道徳観を養ってきたものを評価するといわれる。しかしながら、リベラルな教育の危機で指摘した近年の傾向はここにも当てはまり、政府は若者の就業年齢を早めたいと考えているため、高校卒業後2年以内に進学する者には、応募の際に高校卒業時の成績を1,08倍にして評価するというルールを2009年から適用することを決定した。早く労働市場入る者にはボーナスをつけるということである。
コペンハーゲンの進路選択センター次長でアドバイザーである、ヤン・スヴェンセン(Jan Svendsen)は、要求する成績基準が高い学部ほど、代替であるクウォート2での志願者が多い傾向があるが、志願者たちが現実的にならないまま、経験を高めようと何年もかけてあれこれチャレンジする傾向があることを指摘し、とくに今後2年以上もかけて“現実的でない”努力を続けていると、今後は夢の学部どころか第2志望ですら受け入れてもらえなくなる危険があることを指摘している(MetroXpress、2008年1月24日)。
大学のような長期教育ではなく、3年程度で修了する中期教育では今もクウォート2での合格者は40−60%といい、大学進学へのオルタナティブと合わせても、社会全体での経験に対する評価は比較的高いといえる。しかし、それは教育機関に入学する基準としてであり、就職に際してはどの程度経験が評価されるかははっきりしない。とくに、母国で高い教育を受けていてもデンマークで教育を受けていない移民にとっては、よい条件での就職はなかなか高いハードルであり、2008年2月26日のInformationは、移民のうち4分の1が現在就いている仕事に保持している資格・教育を生かすことができていないと報じている。OECDの新しく出たレポートによるとデンマークはEUのなかでも、労働力が不足しているにも関わらず、移民の資格や能力を十分に活用する機会が最も低い国の一つであると評価されたという。
タクシー運転手をしているエンジニア、新聞配達をしている獣医など、不足している職業の訓練を受けているにもかかわらず、特にデンマーク語という言葉の面でのバリヤーの影響と母国での資格が十分に評価されないため、ノンスキルの仕事に従事せざるを得ないケースはしばしば耳にする。母国での資格を証明する際に、履修したコースの内容などを詳細に証明するほか、それでも不足していると見なされるコースは「デンマーク語で」改めて履修し、不足を補うことが求められるため、短期間の就業を希望しているものにとっては言葉を1から習うという手間を要求されると挫けてしまうためである。
実践経験が教科学習に代わるものとして評価されることは、日本のように暗記力を備えただけのエリートや、頭の回転の速く、試験に強い者だけがよい教育機会に恵まれるのではなく、学校側も応用力や多様性を備えた人材を獲得し、クラスの中でも学生たちが互いに刺激し合えるという点で評価できるだろう。職業教育の現場でも、デンマークでは職場での実践と教室での理論学習を数週間毎に交互に行ったりと、「実習」を非常に重視した教育をしてきた。現場に出る「経験」が現実に生かされ、経験を通して人は学ぶものだという観点は一つの真実であり、特に技術は机上の空論では成り立たないことも多いが、それを乗り越える一つの知恵である。
中学校の終わりの8年生と9年生では、二週間の職業実習経験があり、地元の銀行で硬貨を数えたり、美容院で髪の毛をセットするなど経験をする。長い間、こうした実践の現場を学びの代替として評価する土壌が培われていたが、それは少しずつ失われている観がある。与党である自由党は、去年の10月には実践の場での学びの機会を、二週間の商業高校や工業高校での理論学習で代替するという提案を出した(2007年10月15日、Nyhedsavisen)。上記の銀行と美容院の例だと、銀行に興味のある生徒は商業高校で、美容院に興味のある生徒は工業高校で、それぞれ二週間の研修を受けることで実習の代わりとするという。
政府は2006年の夏に、現在80%に留まる若者の青年期教育(日本の「高校」に当たる)を修了率を2015年までに95%にするということを目標に掲げているため、それを実現すべく、中学校と高校のつながりを緊密にする狙いがあるが、こうした教科成績だけではかれない「経験の価値」を評価する土壌を無にしてしまうのはこれまでの伝統を無にするようで、あまりに惜しい。目に見える科学、生産を生む学習だけを「知識」と狭義に位置づけてしまうことになるのではないかと危惧するのである。産業界と大学の結びつきに野心を燃やす(海外大学設置に見るデンマーク産業界の野心、参照)傾向よりも、もっと身近な、若者たちが地元で小さな店舗や職場に入り、社会経験を積んでいくことで学んできたものに、真実の価値があるのではないだろうか。デンマークの職場と学校の連携はデュアルシステムと呼ばれ、日本からも視察が来て注目されることとなっている。こうしたこれまでに培われてきた実践の価値を見失うことがないようにと願う。