2008年03月18日

101ページの「民主主義の金科玉条」

ムハンマド風刺画の再掲載に端を発したデンマーク製品のボイコットは、現在もヨルダン、スーダンといったアラブ諸国で続いている。漫画家殺害未遂事件の背景として、各紙も掲載をした(詳細は、拙稿 ムハンマド風刺画の残り火と未熟なテロ法制の危険性 を参照されたい)だけだったため、再びこのような事態を招くことは予想していなかった面が強い。

食物自給率が400%にもなるデンマークにとって、対日本や対ヨーロッパ貿易では、豚肉の輸出等が大きいわけだが、イスラム諸国にはもともと当然豚肉の輸出はしていないため、アラブ諸国への輸出といえば乳製品などの一部であり、経済にとってさほど大きな打撃ではないため、ボイコットは経済制裁というよりも、むしろ彼らがイスラム国家として声を上げているという象徴的な意味をもつ。

こうした事態からも、「表現の自由」を初めとするデンマークの「民主主義的価値」とその他の宗教文化(この場合にはイスラム教)との齟齬が顕在化し、慣習化された価値観を可視的にすることを求める声が一部から上がっていた。そして、2007年5月以来、民主主義の規範を制定するための有識者会議が設置され、議論が重ねられてきていたが、その結論報告書である、民主主義の規範「デモクラシー・カノン」(デンマーク語だが、リンクからPDFファイルで全文が読める)がようやく2008年3月12日に発表されたのである。

kanon.jpg

有識者会議の議長クヌード・J.V.イェスパーセン(Knud J.V.Jespersen) が教育大臣ベアテル・ホーダー(Bertel Haader)、文化大臣ブリーアン・ミケルセン(Brian Mikkelsen)、外務大臣ペア・スティ・ムラー(Per Stig Møller)の三人に出来上がった冊子を配布する(写真は教育省のページより)。

こうして、一般に曖昧さを備えた価値観の問題を「規範」という縛りによって標準化する試みは、これまでも行われてきた。同じように「カノン」と呼ばれるものとしては、義務教育で学習されるべき文学や音楽といった、デンマーク国内の「文化」を標準化した、文化の規範「カルチャー・カノン」が2006年1月に公開された時にも、物議を醸した(PDFファイルで全文が読める)。日本で言えば、「漱石が入らないのはおかしい」「では、村上はどうするのか」といった具合であろう。誰もが一家言あるテーマであるから、そのうちいくつかを選出するとなると、論争を呼ぶのは想像に難くない。こうした「文化」に対して、建築、文学、絵画、音楽、デザイン・工芸、演劇、映画、児童文化という8つのサブ・カテゴリーを設け、その必須学習課題となる作品を「規範」として設定したのである。実際に使われているのかは知らないが、教材としてこのように使ったらどうだろうかという提案とインスピレーションは、たくさん出され、まとめられているようである。

「デモクラシー・カノン」は、実際にこれを教材として使えといった具体的な使途が明らかにされているわけではないが、これによって国家の考える、「正しい民主主義のありかた」が明らかにされたことになる。この規範を制定している最中に、ムハンマドの風刺画が加わるという風評があり、それを理由として、2007年10月にはヘニング・コック(Henning Koch)法学教授が有識者会議への参加を辞退したことが話題になった。実際に、あとで発表された内容を見ると、デンマークのみならず、古代ギリシャから始まり、ヨーロッパの民主主義にとって里程標となった35の出来事が101ページに渉って解説されているが、ムハンマド風刺画事件は含まれていなかった。その代わりに、日本でも筑波大の五十嵐一助教授殺害事件で話題となった、悪魔の詩事件のサルマン・ルシュディー(Sir Salman Rushdie)の件を扱っている。

実はまだ本文にはきちんと目を通していないが、スピノザ(Baruch De Spinoza)、モンテスキュー(Charles-Louis de Montesquieu)、ルソー(Jean-Jacques Rousseau)、ロック(John Locke)、グルントヴィ(Nikolai Frederik Severin Grundtvig)、トクヴィル(Charles Alexis Henri Clerel de Tocqueville)、ミル(John Stuart Mill)といった西洋の近代思想から、農民運動、労働運動、女性運動といった運動の歴史を辿ることで、Demos(民衆)とKratos(統治)を文脈の中に位置づけ、(デンマーク)憲法やヨーロッパ憲法条約等の法制度を年代に沿ってたどることで、民主主義の基盤がどのように成立したのかを示しているようである。

新聞各紙や政治家の反応は、「二極化した価値論争に決着をつける、民主主義発展への貢献の軌跡は、それ自体が民主主義の勝利である(トゥーア・サイデンファーデン:Tøger Seidenfaden、Politiken主筆、2008年3月13日)」、「民主主義の負の側面を全く描いていない(ティム・クヌーセン:Tim Knudsen、コペンハーゲン大教授ほか。Information、2008年3月13日)」、「ハーバマスといった現代の公共性思想はなぜ入っていないのか(Infomation、2008年3月13日社説)」、「ムハンマド風刺化事件や9.11テロ事件を入れないのは完全ではない(デンマーク国民党・マーティン・ヘンリックセン:Martin Henriksenの発言。ユランス・ポステン、2008年3月12日)」といったものであった。

確かに、古代から2000年までで終わってしまう「民主主義成立の歴史」を知るよりも、20世紀末から21世紀になって顕在化した西欧の絶対的価値観の崩壊とテロとの戦いという正統性を扱い、そのジレンマの中から民主主義の権利と限界を考えていくことのほうが「考える力」を育てることになるだろう。標準化をすることで、それ以外の価値に負のレッテルを貼る、規範の制定であるが、誰もが同意する「絶対的な価値」の存在を作ろうとするところにエゴがあるのかもしれない。

デンマーク人がしばしば「作りあげる」英語の用語に、"problematize"という動詞がある。これは、デンマーク語でごく普通に使う動詞"at problematisere"を、そのまま英語にしたものであり、当然「問題化する/問題視する」という意味だと簡単に理解されるが、実際には通常の英語には見られない用語である(今、興味からGoogleで調べてみて、ウィキペディアからフレイレが使っていたことを知った。彼の「意識化」を考えてみると、納得である。アメリカ人がこの言葉を嫌う議論を広げているのも面白い)。こうした動詞を必要とするデンマークの価値は、物事のいい面をただ認めるだけではなく、また別な角度から見てそれを問題視することでまた新たな思索の種が生まれ、結果的に物事の見方が豊かにするものではないか。規範として定めていなくても、こうして民主主義の負の側面はないかを考えること、西欧の価値の普遍性を疑問視することから、デンマークの民主主義的な価値が学べるように思われる。
タグ:民主主義
posted by Denjapaner at 02:23| Comment(3) | TrackBack(0) | 民主主義 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
まずデンマークがこうした民主主義の規定を、国家でここまで明文化したことにカルチャーショックを感じました。歴代の法政治家たちが載っており、彼らの恐らく見解や主張などまで国家で明文化するのにはびっくりしました(偏った見方などとされないのかしら?批判する人も出てくるだろうにと思いました)。その登場人物からまるで私の読んできた大学の西洋政治史や政治学原論のテキストのようだと思ってしまいました。

これがどの程度の効力を持つのかは不明ですが、デンマークとしての見解を見定めようとする姿勢、そういったある意味、批判の対象となるような「出る杭」になる勇気、まずはそれがデンマークの民主主義なのだろうかと解釈しました。デンマーク語で読めないのであまり意見できないのですけど、こうした発言する勇気はDenjapanerさんもおっしゃっていますが、「デンマークの民主主義的な価値」なのかなと思いました。こうした勇気はデンマーク人は何にしてもあるなあといつも思うところですが。

ただ、この規範の具体性はどの程度なのかなというところが疑問で、知りたいところです。言葉で規定することができたとしても、その適用は解釈が広がり、また人々が議論するところとなるのが常だと思います。そういったことにある程度応えられるような内容なのか、それとも非常にジェネラルに捉えていて、現代の現実の社会にはどう適用するのかは未知の部分なのか・・・。このへんがとても気になるところです。

でも、とにかく、この資料はデンマークの民主主義について調べるにあたって、絶対逃せない資料ですね。Denjapanerさん、ご紹介くださって、本当にありがとうございます。(デン語の知識がほぼ皆無の私ですが、どこかの時点でこの資料を紐解いていかなくては、と思っています。今は途方に暮れてますが・・・。)
こういう資料に当たっていかなくてはいけないのはしばしばくじけそうにもなりますが、論文のためにいろいろと調べていくこと、そして新しく発見していくことは、私にとって未知なる冒険です。やはりわくわくする気持ちでいっぱいです。進みは超・遅いのですけれどね・・・!

Posted by halfkids at 2008年03月20日 08:08
>halfkidsさん
ご丁寧なコメント、ありがとうございます。ここに来て、国家が「自分たちの大切にしている民主主義的価値とは何なのか」を明文化したことは、それが危険に晒されている(と体感されている)状況にあることを物語っています。つい昨日のニュースでも、ビンラディンがムハンマドの風刺画の件について声明を発表したとかで、政治家たちがどう対処すべきか(「慎重に対応してしすぎることはない」、「あまり大げさに騒ぐのではなく、表現の自由を訴えるべきだ」等)を議論しているようでした。

確かに、この「規範」は西欧の政治思想の王道を体系的に辿っているため(無論、デンマーク独自の憲法や政治学者コックやロスなども入れていますが、知名度影響力では到底他の西欧諸国の学者には及ばないことは明らかです)、政治学・あるいは西欧思想論の「教科書」的な趣は否めず、なぜここに来て多くの時間と資金を費やして国が民主主義の定義をしているのか(これまでの歴史教科書との違い)、これをどのように利用するというのか(実効性)という議論は、批評家のみならず、一般市民の声の中にも見られます。

個人的にはやはり、スタンダードを定めることで、規範に一致しない者を排除しようとする圧力に正統性を与えるというパワーゲームだと見ています。抽象的な価値をどんどん数値や規範に置き換えて、正統性を定義していくのは「異端」として作り出すものを排除するための詭弁であるように思えます。

私自身、101ページに怯んでいるのですが(笑)、イースターの休暇中に少しはこの「民主主義の規範」も学習してみたいと思っていますので、また面白いことがわかったらシェアしたいと思います。同じ関心を持つ方がいてうれしいです。halfkidsさんとも、いつかおしゃべりさせていただきたいものです。
Posted by Denjapaner at 2008年03月21日 20:22
なるほど、やはりなんらかの行動の裏づけとしてのツール的な存在なのでしょうね。こういうものの必要性とともに危険性も感じなくもないですが、本当に、これにどの程度の具体性があるのかが気になるところです。

ところで今年の夏、デンマークに行くことになっています。機会があればお会いできたらなと思います!
でもDenjapanerさんには私はシェアできるようなネタはないのです・・・。本当にまだ駆け出しで・・・。書こうとしている論文も、多分Denjapanerさんのこのブログ1記事分にも満たないようなシロモノだと思います。
そんな未熟な私でよければ、どうぞよろしくお願いいたしますね!
Posted by halfkids at 2008年03月22日 08:00
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