北欧の国々というと、高福祉とともに、女性が強く、男女平等が高い程度で実現されていることで知られている。世界初の民選の女性大統領は、アイスランドのヴィグディス・フィンボガドゥティル(Vigdís Finnbogadóttir)であったし、「ムーミンママ」の愛称を持つ、フィンランドのタルヤ・ハロネン(Tarja Kaarina Halonen)も、二期当選を果たし、在任中である。スウェーデン、ノルウェー、そしてデンマークでも同様に、女性の政治家の活躍はめざましい。デンマークで11月に行われた選挙で、もしも野党の社会民主党が勝っていれば、党首のヘレ・トーニング・シュミット(Helle Thorning Schmidt)が、デンマーク初の女性首相となっていた。
ノルウェー・スウェーデンといった他の北欧諸国にも見られるが、デンマークにも男女平等省があり、1999年7月1日に初めて首相によって、男女平等大臣が任命され、現在は9月以降、カーン・イェスパーセン(Karen Jespersen)が福祉大臣と兼任で務めている(参考記事 省庁改組と改名の裏にある意図。)デンマーク語の"ligestilling"という言葉は、「平等化」を意味するため、差別撤廃であれば男女だけではなく、人種、宗教などもターゲットにしてもよさそうなものだが、実際には「平等化=差別撤廃」というだけで、暗黙の了解として男女差別をなくすことを意味している。例えば、この男女平等省の「(男女)平等とは何か」を見ると、このように書いてある。
歴史的に見ると、デンマークでの男女平等もまた、選挙権、教育を受ける権利、女性自らの身体へ権利(中絶や避妊)といった基本的な権利を求めて、女性の戦いとして始まったものであり、そのためそれらの権利を満たした今となっては、男女平等はもはや男と女の戦いとは見られない。性別に関わらず、人々が希求する人生を生きるためのすべての可能性と自由を保障するための、女性と男性との共同プロジェクトなのである。
(以下は略すが、この後、男女は同等の価値があり、デンマークの民主主義社会において、同じだけの可能性と影響力を持つことが必要であり、直接的・間接的差別をなくすことを政府が目指す、といった目標が掲げられている)
さて、そんなデンマークだが、年末以来、「ある」職業の女性たちに対して、男性の同僚があからさまな差別をしていることが明らかになり、議論になっている。この「ある職業」とは、教会の牧師である。2007年12月27日のPolitikenには、929人の女性牧師に対して行った調査の結果が掲載され、それによって現状が明らかになった(回答者数は470名)。男性牧師が女性牧師に対して挨拶のための握手を断ったり、女性牧師の立った祭壇を汚れたものと発言し、一緒に働くのを拒否された等の回答が集まった。
「女性の牧師なんて認めない」といった男性牧師の発言を、回答者の40.3%が複数回、18.2%は一度聞いたことがあるそうである。宗教の世界では良くあることだが、女性は「不浄なもの」とされているため、男性牧師が女性の代理で来る際にも、女性牧師の使う聖書等に手も触れない、また聖体拝領の儀式を行う場合に、その女性牧師のを使わず、ワインボトル等の道具を新しいものにする等の嫌がらせがあることを、国営テレビのDRも報じている(2007年12月27日)。
デンマークは、女性が牧師の職に就くことを可能にした最初の国の一つであり、1948年には早くも3人の女性牧師が誕生したというが、当時、周囲の反応は反対する声が強く、女性を牧師にするならば教会から離脱するという者さえもあり、フュン島のハンス・ウルゴー(Hans Ølgaard)が国内で唯一人、女性にも職業を解放することに賛意を示したという。現在は、デンマークの女性牧師は全体の約40%を占めるようである。マーモア教会の牧師であるミケル・ヴォル(Mikkel Wold)は2008年1月8日のInformationにおいて、メディアが騒ぐほどこの女性差別の問題は大きいものではなく、「最近は何でもかんでもに一家言をもち、何にでも口を挟む風潮だが、その自分の意見について知識を持つことは流行っていないようだ」と苦言を呈している(余談となるが、この新聞のネット記事は、読者がコメントを入れられるので、反響がわかって面白い。この記事に対しても、7名がかなり長いコメントを残している)
デンマークの国教は、ルター派プロテスタントのキリスト教であり、国民教会(Folkekirken)と呼ばれている。2005年1月1日現在で約450万人の信徒(全国民の83.1%に当たる)を抱える。最近、外国から王室へ嫁いできたプリンセスたちは、改宗が求められた。デンマークは非常に世俗化しているため、毎週日曜日に教会に行くといった敬虔な信徒は多くないと思われるが、幼児洗礼、14歳の時の堅信礼、結婚式、葬式等は、人生の中で宗教と関連した大きな行事として大切にされている。信徒たちは、毎月収入の1%弱(1%から、コムーネ毎に控除額があるので、それぞれ計算されるが、2008年の平均では0.88%)を教会税として収め、国民教会はその税金と利子、国庫からの補助で運営されている。トップには、女王・教会大臣・国会を掲げ、その下にいる監督(変な訳だが、英語でのbishopをプロテスタントではこう呼ぶらしい。違ったら教えてください。)や牧師で構成されている。
この騒動が起こってから、牧師の上司に当たる監督たちが年明けにミーティングを開き、差別が行われないようにしっかりと指導することが決められたようである。日本の宗教界でも、女性の待遇は変わらず厳しいことを明かす本の出版もされているようである。浄土真宗本願寺では女性僧侶は約30%、住職は約2.5%(2000年)、曹洞宗女性住職は4.3%(1995年)という状況を見ると、宗教界の男女雇用機会の均等はやはりデンマークの方が整備されているとは言えるようである。
一般的にいって、宗教の世界は、既存の科学・学問的な論理だけではアプローチしにくく、改革が進みにくい現実があるのはどこも同じである。男女平等が達成されているとする、デンマークでの教会の現実が見せてくれた男女平等の「例外」は、その点を裏付けるむしろ興味深いものであった。これからの変化を聞くのが楽しみである。
2008年01月09日
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Denjapanerさんのブログを読んで思ったのが、もちろん差別はいけないけれど、どうしても長い間刷り込まれていた牧師という職業のイメージは強いだろうなあということです。他の職業と違って、なんというのでしょう、宗教の重厚さや荘厳さをかもし出すのはやはり父性を持った男性というイメージなのではないかな、と。
ただそれとここに書かれているような、女性を不浄とすることは問題が違いますが。
最近ですと「ヒラリーの涙」がいい例だと思いますが、やはり男女はそもそも全く違い、女性は女性的な強みもあると思います。
カソリックでは神父のことをファーザーとも言うくらいですし、男女の差は宗教的な職業はもしかしたら最も顕著に表れるのかもしれませんね。さすがに長く深い歴史があり、簡単にはイメージはぬぐいされないのかなと思いました。
コメントありがとうございます。私も、デンマークの女性牧師には、最初はへ〜と感心しました。こういった文化の対面による「新鮮な驚き」が住んでいると薄れていってしまうのは、残念なところです。そういう意味でも、こうしたブログ/日記を残すのは意味があるのでしょう。
私も実家のお寺の住職さんが40代位の女性で、何となく特別な気がしていましたが、やはり年配の親戚の人などは「やっぱりどうも女性だと貫禄がなくて、言葉にも重みが感じられないね…」というのを耳にしたことがあります。
「刷り込まれたイメージ」とはまさにおっしゃる通りで、これまでの歴史によって「荘厳さ」や「重厚さ」といった付加価値までついてくるのは、まさに「雰囲気」や「感性」までもが社会的に構築されたものという証左といえます。
宗教や武道・相撲などはこれまで培ってきた価値観を大切にしているから、転覆を恐れ保守的になるところもあるのではないでしょうか。その「価値観」こそが美しいと認められるからこそ、近代社会でのバランスのとり方はこれからも簡単に解決できない心情であり続けるのかもしれません。
halfkidsさんのところの新しい記事、興味深く読みました!あの民主主義の特集、いい企画ですよね。ぜひ近いうちコメントさせていただきます。