2000年以来、3年ごとに行われているこの国際比較調査で、その結果が報告されるごとに一喜一憂するという傾向は、デンマークでも同じであった(Wikipediaの「ゆとり教育」にデンマークへの言及がある)。北欧の「兄弟」分であるフィンランドが世界第一位となったのに対して、デンマークでは「PISAショック」と教育関係者に呼ばれた悲惨な結果を受けて、目に見える形での学力到達が明らかな目標として掲げられるようになったし、デンマークの各学校のHPには生徒たちの卒業時の「卒業試験」の成績の平均点(同じ指標を使うため、全国レベルで比較できる。進学状況から見える現実を参照)が誇らしげに掲載されているのは常である。
しかし、今回の調査結果は全く異なった受け止め方をされた新聞記事が各紙を躍った。2007年12月3日のPolitikenは、「PISA調査は、失格点」という見出し、2007年12月4日のInformationは「デンマーク人研究者:PISA調査を廃止せよ」という見出しでの記事である。記事は、7つのヨーロッパの国々の15人の研究者たちの協力によって、PISAの有効性を批判する本PISA according to PISA" (英語のPDFファイルで読める)が刊行されたことを受けて書かれている。これらによると、PISAの調査は非科学的な手法で行われており、客観的な比較対象としては全く使えないものであるという厳しい批判がされている。
ウィーン大学のステファン・ホップマン(Stefan Hopmann)教授は、PISAの調査は客観性とは程遠く、方法論的にも余りにも問題が多いので、公表されるべきものではない、と断じる。一例としては、英語を共通言語とした文化・論理をベースにしているため、カナダやニュージーランド、オーストラリアといった国々にとって有利となっていることをあげている。英語ではごく自然な当たり前の表現でも、他言語では不自然な「訳」となり、生徒たちが回答できない例が多かったケースがあるという。
私見だが、これについては、日本語でも「科学」という言葉があまり根付いていない印象を受けるが、子どもたちは何が「科学」という言葉に含まれているかの合意をしていたか、疑問に思うところがある。「科学に関するテレビを見る」、「科学に関する雑誌や新聞の記事を読む」、「科学を話題にしているインターネットを見る」という設問で、肯定の回答が最下位だったということだが、例えば「理科」「自然・環境」「技術」などに置き換えたら、同じ回答となっただろうか。言葉の翻訳だけでは済まされない、文化・文脈の翻訳が国際比較調査ではどうしても大きな困難となる。
また、ドイツの“デア・シュピーゲル(Der Spiegel)”は、オランダ、アメリカ、イギリスの子どもたちが調査に参加する見返りとして、物品や金銭を受け取っていたことを載せている。アメリカでは、生徒たちは50ドルをもらい、スロヴェニアでは、調査のため学校が一日休みになったという。デンマークでのPISA実施を担当した、デンマーク教育大学のニルス・エーイェルンド(Niels Egelund)教授は、こうした「物品の授受は聞いたことはないが、所詮下らないこと」であり、結果には影響するものでもなく、PISAの有効性は揺らぐものとは見ていない。(以上、抄訳2007年12月3日、Politiken及び2007年12月5日、Information)
デンマークの生徒たちが知識社会で活躍していくために必要とされ、デンマークの小中学校の強みである、「周囲と協働すること」「問題の所在を明らかにすること」「教科・分野を超えて物事を文脈に位置づけること」「それを生徒たちの日常生活と結びつけること」は、PISAの調査では測れないと、自然科学分野教授法研究所所長のイェンス・ドリン(Jens Dolin)は述べている(2007年12月4日、Information)が、確かにこうした創造的な力が応用的な技術や発明を生む源となるといえよう。
教育関連のシンクタンクSOPHIAの所長、ペア・ケルセン(Per Kjeldsen)は、次回のPISAにかかる1200万クローナ(約2億5千万円)ほどは、もっとましな別の用途に使われるべきだと主張している。しかしながら、与党の政治家の意見は必ずしも教育学者の論調とは重ならない。自由党の教育部門の担当であるアネ・メッテ・ヴィンター・クリスチャンセン(Anne-Mette Winther Christiansen)は、これまでのPISAの調査によってこれまでの学校の問題点が明らかになったとし、こうした国際比較の指標を評価している。
日本でも科学離れが特に指摘されていたが、デンマークでも2003年の自然科学での40か国中31位という結果は深刻に受け止められた(総合成績は、30か国中26位)。気になっていた科学だが、今回は57か国中で24位だったため、向上したようだが、それを喜ぶよりはPISAの客観性を指摘する論調が目立っている。悲観的な論調の日本よりもデンマークの方が全ての分野で断然に順位は低いのだが、これを開き直りと見るか、冷静な態度と見るかは、私たち次第である。批判を深刻に受け止めることは必要だが、「PISAには反映されないかもしれないが、この点だったら日本は得意で、日本の生徒たちは世界一優秀なのに!」と言い切れるものを固める方が、ウィットが効いているように思われる。
うーん、ひとつの指標としてはあると思いますし、一位になった国が3つの分類すべてで優れているというのは他国が参考にすべきものがあるのだと思います。
ただ、この調査にあたり、そして来年から就学する私の息子のことを思うときに、いろいろと思うところはありました。
まず、この調査の正確度が測りようもないこと。Denjapanerさんはそのあたりのことを詳しく書いていましたが。
それから私などは数学、科学にめっぽう弱く、小学生レベルでも現在おぼつかないこと。何が言いたいかというと、国語力に関しては必要ですが、15歳レベルの他の教科についてははっきり言って「人によってできなくてもいいのではないか?」と思っています。もちろん全部できたらよいけれど、何か1つか2つ、得意な教科があるのならそれでよいのでは?こうした調査に一喜一憂するよりも、そういう得意な教科を子ども達に見出してあげられるかどうかという教師や社会の体制が必要なのでは?と思いました。
こういう調査に目を取られてしまう前に、これはあくまで傾向の参考として、教育とは何だろうということをもっと私達は考えていかなくちゃならないのかなと、私は今回強く思いました。Denjapanerさんが最後に書いているウィットが大切だと私も同感しています。
まさに私の論点も、たまたまある調査で出た結果について大きく一喜一憂して国の教育方針を動かすよりも、国の教育方針において、この分野が大切だという事項を確立してここなら任せておけ!といえる余裕が必要なのではないかという点でした。
「科学に関するテレビを見る」といわれると、「う〜ん…」となってしまいそうですが、「試してガッテン」とか「伊東家の食卓」(今もまだやっているんでしょうか?)とかに興味を持って楽しんでみている子どもは少なくないと思うのですが。そういった意味でも、国際比較調査における逐語訳の難しさを感じますね。