2007年09月27日

市民の声を届け、効果を挙げる民主主義のあり方

不本意な政策が行政から提示され、それが施行されようとしているとき、市民はどのような行動に出るだろうか。日本では、署名の提出というのが割と一般的なように思われるが、その署名によって現実に提示されていた案が廃案になったりというほど、大きな効果を挙げた例は残念ながらあまり聞かない。市民の声を無視しての民主主義は成り立たないはずだが、肝心の市民の声を届ける手段が十分に発達していない印象がある。

このたび、コペンハーゲン市で提出された予算案において、今後四年間の子ども・若者に対する支出の大幅な削減が予定されていたが、市民の声によってこの案を撤回させた。この例を取って、デンマークにおける民主主義のあり方を少し紹介してみたいと思う。

デンマークでは、政策レベルで納得のいかないことが起こった場合、個人レベルでは新聞等への投書、集団レベルではデモンストレーションという手段が極めて一般的である。新聞への投書というのは、個人的でささやかな行為でありつつも、その批判に数日後には当事者である大臣等の大物政治家から反論する投書が入ったり、市民の議論の場として機能を果たしている。そして、デモンストレーションは大学闘争を経験したような68年世代も、若者も、声を届ける手段として用いており、実際に非常に大きな役割を果たしている。グループ試験の廃止、「青年の家」という施設の買収と解体などを巡っても、近年若者たちは熱を上げて闘ってきた。職種別でも、賃上げ要求、勤務条件の向上などをうたってストライキを行うケースは非常に多い。

最近、出された予算案によると、コペンハーゲン市は今後の4年間、2億7800万クローナ(約50億円)を保育施設、学校等への支出を削減する予定にしていた。しかし、これに怒った親たちが先週の木曜日と金曜日に、「子どもを守れ!」「私たちはロボットじゃない!」といったプラカードを掲げ、バリケードを作って予算案の見直しを訴えた。親も必死で訴え、市政も懸命に譲歩の案を探った。結果、3分の1ほどの削減が見直されたが、完全に白紙に戻すまでは、と闘った親たちと市長らとの間でようやく納得の行く結論が出たのは土曜日のことだった。大きく見て、最終的に親たちの要求は完全に通り、予算削減は取り消されたといえる。子ども・若者の担当「市長」であるボー・アスムス・ケルゴー(:Bo Asmus Kjeldgaard、社会人民党)は、親たちの運動が成果を勝ち取ったことを喜ぶと共に、「予算の枠を作ったのは国なのに、結局その予算の枠組みの中で苦心しなければならないのは市(コムーネ)」であることを述べ、「ここでデモンストレーションする代わりに、10月2日にクリスチャンスボー(国会議事堂)の前でデモンストレーションをしてください!」と訴えた。

コペンハーゲン市は、比較的貧しい層の市民も抱えていることもあり、左派の影響力が強く、現在、市長は社会民主党のリット・ベーヤゴー(Ritt Bjerregaard)であり、その他の領域をカバーする市長たち(コペンハーゲンには7人の市長たちがいる)も左派からが多い。前述のボー・アスムス・ケルゴーも社会主義者である。

大雑把な言い方ではあるが、ユトランド半島の田舎の方へ行くと右派勢力の傾向が強くなるが、コペンハーゲン等の大きな市になると左派勢力の影響力が大きいといえる。コペンハーゲン以外の市は「市長」は一人であるが、コペンハーゲンには、全てを統括する「総市長」のほかに、7人の「市長」たちがおり、通常の社会福祉「課」長といった課のような領域ごとに担当する役割を果たしている。他市の「課」長たちが公務員であるのに対して、コペンハーゲンの「市」長たちは選出される政治家であるというところが、大きな違いである。

リット・ビャーゴーはこうした市民の反対運動に対して、「抵抗が合理的なものであれば、構わない」と述べ、市民の声を聞く姿勢を見せている。しかし、当然のことながら、削減しなければならない予算をそのままつけたからには別のところからの削減が必要とされる。これには、高齢者領域の市長であるモーンス・ルンボー(:Mogens Lønborg、自由党)は、折衝の結果、結局マイナスな影響を受けるのは高齢者と弱者であると不満を表している。

結果、コペンハーゲン市の来年度の予算案は以下の通りとなった。(Politiken 2007年9月22日より)

16%−統合政策・その他(文化や言語教育の提供、経済状況の管理、特に都市部の若者の暴動を抑える政策)
5%−魅力的な労働環境(市の職員たちに向けた職業訓練、より多く訓練生を迎える環境、高齢者に対する優遇政策)
8%−健康的な環境(自転車走行環境、車両用道路、歩行者用道路、公共海水浴のための環境の整備)
11%−高齢者(ホームヘルプの充実、遠出をする機会の増加、サービス車両の増強)
16%−障害者、精神病患者、社会的環境に恵まれない子どもたちへの措置(障害を持った成人への援助、障害を持つ子どもたちへの治療待ち時間の短縮、特殊学級教授の強化、社会的事情により親元を離れて暮らす子どもたちへの支援)
44%−子どもと若者(幼稚園・保育園の教諭配置の増加、教科的能力の強化、よりおいしく健康的な学校給食の提供)

子ども・若者に向けた予算が充実しているのが見て取れるだろうか。

全ての勢力の希望と期待を満たすことは不可能であるが、市民が声を届ける努力をすること、そして、政治家が市民の声を尊重して、耳を傾ける努力をすることが民主主義の底辺にあるといえ、デンマークではそれが平和的な運動であり限り、デモンストレーション等に対する敬意を示す姿勢が確保されているように思う。

このところ、ミャンマーの僧侶たちの民主主義を希求する運動に心を動かされるが、数の論理ではなく、市民の意思を送り届ける手段としてのデモンストレーションが確立されたデンマークから見えるものはあるのではないだろうか。
タグ:民主主義
posted by Denjapaner at 04:23| Comment(0) | 民主主義 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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