2007年07月13日

リベラルな教育の危機

日本でもデンマークに関する本を何冊も読んでいるような人だったら、「フォルケオプリュスニング」という言葉をご存知だろう。デンマークの成人教育を語る上で大切なキーワードである。
清水満は、『生のための学校』(新評論、1993年)において、この言葉を「民衆の生の自覚」と訳していたと記憶している。英語のenlightenmentに当たる言葉で、デンマーク語でもまさに「光を与えること」という意味なので、「啓蒙」と訳されることもあるが、「無知蒙昧のものを啓く」といったニュアンスはないため、「生の自覚」と訳されたのだろう。

毎年8月の終わりから9月の初めになると、あちこちの成人教育機関からさまざまなコースを提供するパンフレットが各家庭に送付される。夏の間は、21時22時になってもまだ明るいので、バーベキューや庭の手入れに忙しくしているデンマーク人も、秋になり冬になると、長く暗い夜の時間をもてあますため、語学を始めてみたり、コンピュータのスキルを磨いたり、ダンスやギターを習ったりと、夜間教室に通うのである。

労働組合が組織しているAOFやFOFといった成人教育協会が中心となってコースを組織し、小中学校の教室を夜17時頃から借りて授業を行っている。以前は国からの補助金により、生徒たちはほとんどただ同然で参加することができたが、2001年11月に発足したアナス・フォー・ラスムッセン(Anders Fogh Rasmussen)を首相とする自由党・保守党連立政権は、新自由主義の影響の下に受益者負担の原則の適用対象をどんどんと広げてきている。その結果、国からの余暇教育への補助金は大幅に減額され、2000年に2600万krだった補助金が、たった7年後の2007年では660万krまで減額された。実に8割近い減額である。

現実に、コースがどのように組織されており、ランニングコストはどうなっているのかを、一般的な語学のコースから見てみよう。例えば、1回2時間のコースで全10回の場合、自己負担金は700krとなっている。申し込み生徒数が7人に満たない場合には、クラスは不成立となる。つまり、生徒数が最少の場合には一回につき、70kr×7=490krの収入のみとなり、支出は講師謝礼だけでも238kr×2(時間)の476krとなるため、光熱費、学校の賃貸費などを合わせると、人数の多い人気コースで「稼が」ないと補助金なしにはとても回しきれないことがわかる。

講師と協会の関わりとしては、講師がコースの紹介パンフレットに載せる文面を作ることと、コース終了後に出欠名簿を事務局に送り返すことの二点だけで、授業等に関してはすべて講師の裁量に任されている。協会は、講師の獲得、コースの宣伝、給与の管理といった事務的な部分にのみ関わり、生徒から協会へのフィードバックなども特にないうえ、試験などももちろん課されない。

2000年、2003年に行われたPISAの国際学力調査で、同じ北欧のフィンランドに大きく差をつけられたことでデンマークの教育界はショックを受けた。これを契機として、教育大臣ベアテル・ホーダー(Bertel Haader)は、いわゆる教科に関連した「学力」を向上させることに予算を優先的に回すことを決定した。しかしながら、これまで余暇教育等から培われてきた、コミュニケーション能力、学習能力、文化表現能力といったものが軽視され始めているのは、残念な傾向といわざるを得ない。

デンマークの若者は大学に入るのも遅く、卒業までも時間をかけるため、オランダの場合には26歳以下である、労働市場に入る年齢は、デンマークでは30歳に近くなる。学業を終えて就業時の平均年齢が、ただ1年早まるだけで25,000のフルタイムの仕事をカバーすることになり、失業を救うという計算もある(2007年7月9日Politikenより)。このように、高等教育が政府の批判と見直しの対象となり、「コストがかかりすぎる」という批判とともに、日本やアメリカのようにストレートで進学・卒業することを支援する政策(早く卒業した学生には報奨金を出す、あるいは長くいる学生には奨学金をストップする等)も次々と提唱されている。これまでは、高校を卒業してから、進学するまで、ちょっとアジアや南アメリカで数ヶ月バックパッカーをする、といった「人生を学ぶモラトリアム期間」(サバトオーと呼ばれる)をもつ若者も多くいたが、先日はこういった事情を反映して、「週刊A4」による調査では、大学入学資格となる高校の卒業試験を終えて2年以上経ってから大学に入学するものは、10人に1人だといった記事もある。2009年からは、卒業試験後2年以内に大学へ入学すれば試験の成績を1,08倍にしてもらえるという優遇策も出ることになっているため、さらにこの傾向は強まっていくといえよう。

大学・建造局によると、昨年の大学新入生の平均年齢は22,4歳で、これは2002年に比べて0,4歳下がっているという。教育の自由の名の下に、大学までの完全教育費無料を実現してきたデンマークでは、学生へSUという奨学金が国から支給される。多額ではないが、親元から離れて暮らしている学生の場合、2007年現在で毎月4,852kr(約10万円)であり、寮などに入って節約すればアルバイトの必要ないくらいの額が全員に支給されている。(親元に暮らしている場合には、2412kr=約5万円となる)このSUを受けている学生であれば、電車の定期券も割引になるなど、色々と学生に対する奨学は行われているが、逆に言えば、学生への優遇がSUの給付と隣り合わせになっているため、もしも卒業まで時間がかかりすぎているといった理由でSUを失うことになれば、死活問題となることは明らかだ。

効率性、生産性ばかりを重視する政策によって、デンマークのリベラルな教育・学習の中から培われてきた、人々のディスカッション能力、物事を批判的に捉える力などが失われていくのを危惧せざるを得ない。
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posted by Denjapaner at 01:37| Comment(0) | 成人教育 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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