2011年05月06日

脱原発運動のシンボルの裏に、デニッシュ・デザインあり

黄色い丸に、微笑む赤い太陽。周囲には、“ATOMKRAFT? NEJ TAK(原子力?おことわり)”の文字。

Nej tak.jpg

デンマークで反核運動が語られるときに必ずついて回るこのシンボルが、今ドイツで再燃している反原発デモで使われている様子を見て、一体オリジナルがどこから来たのか疑問に思っていた。そんな疑問は、デンマーク唯一の英字新聞、コペンハーゲンポストの記事によって解決された(Copenhagenpost, 2011.4.30-5.5)。1975年の4月に、デンマークのアネ・ルンドが、アクティビストのソーアン・リスベアとともにデザインした、とある。

このシンボルはたちまち45ヶ国語に翻訳され、反核運動のシンボルとして使われるようになった。Googleの画像検索でも、Nuclear no thanksといれるだけで、たちまちたくさんの言語のものが見られる。
 
お断り.jpg Nein danke.jpg No grazie.jpg  No thanks.jpgNo gracies.bmp

こうして世界にまで伝播したデンマーク発のデザインではあったが、アネ・ルンド本人は、「経理関係は強くなかったから」と、当時、ポケットマネーで赤字を埋める生活だったことを明かしている(DinBy、2011.2.28 写真右側の女性だ)。コペンハーゲンポストの同記事(英文)が、デンマーク反核運動の興味深い点に触れているので、この歴史を少し抄訳してご紹介する。

デンマークでも前世紀中盤には、原子力発電が二酸化炭素をあまり排出せず再生可能であるために、化石燃料に代替するものとして期待され、1958年にリスウーの研究所に実験用原子炉が作られた。しかし次第に70年代になると懐疑派が出てきて、1974年には放射線の影響を憂慮した青年、シグフリード・クリステンセンによって、「原子力に関する情報協会(OOA)」が設立される。全員20代の青年で構成されたこの草の根団体は、反核のメッセージを非暴力的に伝えるため、微笑む太陽をシンボルとして用い、1975年の5月に一般公開されるようになった。しかしその翌年には、当時の通商大臣がデンマークに1995年までに5機の原子炉を設置する計画を発表したため、OOAの闘いが始まった。

1974年当時、石油危機の真っ只中にあったデンマークにとっても、原子力を選択するというのは政治家にとっての最善策だった。一般の人々は放射線の長期的な人体や家畜などへの影響といったものに対して無知だったため、OOAはまずリーフレットを配布し、集会やマーチ、講演や展示会といった平和的な示威運動をはじめる。風力や水力発電といったオルタナティブなエネルギーを推進し、OVE(再生可能エネルギーに関する協会。現在は改称してVEとなった)という姉妹団体も設立する。こうした運動は、1976年に設立された原発推進団体REO(リアルエネルギーに関する情報協会)と真っ向から対立するものとなる。

1977年にはコペンハーゲンからわずか20kmしか離れていないスウェーデンのバーセベックで原子炉が設置され、デンマークでも反対運動が活性化した。それからわずか二年後、スリーマイル島での事故が起こり、デンマークでもその様子を息を飲んで見守ったという。そしてOOAの精力的な活動もあって、1985年にようやくデンマーク国会で国内の脱原発が決定された。そしてその翌年、チェルノブイリでの事故が起こったことになる。OOAはチェルノブイリの周辺地域での放射線被害の状況について調査を重ね、その結果は、スウェーデンのバーセベック原発の閉鎖運動を支えるものとなった。そしてついにその甲斐もあって2000年5月31日にバーセベックの最後の原子炉が廃炉となり、OOAはその役目を終え、組織は解消した。

メガフォンの調査によると、現在のデンマーク国民の原子力に対する態度は、反対派が40%となっている。2009年のCOP15の頃の前には、二酸化炭素排出が大きな議題だったため、その割合は31%に過ぎなかった。現在、明らかに賛成・推進する立場と回答するのは7%に留まっており、これも2009年の12%から下がっていることがわかる。

デンマークに唯一存在した原子炉は、研究用のものでロスキレ市近くのリスウー研究所にあった。3基あったが、2001年には最後の1号基が廃炉となり、現在は稼動しているものはない。リスウー研究所はデンマークの物理学者ニールス・ボーア(1922年ノーベル物理学賞受賞)が設立に中心的役割を果たしたため、原子力の推進がその主なる役割だったが、85年の国会での脱原発決議によって、代替エネルギーの開発に力を入れるようになった。2007年にはデンマーク工科大学(DTU)と統合され、現在のリスウーDTUという名前になっている。

ちなみに、当時の原子炉で生産された核廃棄物の処理は、DD(デンマーク廃棄物処理機構)が扱っている。2018年にはDDによって処理された低放射性廃棄物が5000立方メートルほどでてくることになっているが、これをどこの自治体が引き受けるかが今ちょうどデンマークで議論になっている。廃棄物はそのほかにも、低濃縮ウランを得た後の233キロの劣化ウランもある。そこで、飲料水への影響や地震の危険を鑑みた上で、現在6箇所の候補地が挙がっている(DRニュース、2011.5.4.)が、了解を得るのは難航する見通しだ。廃棄物は、厚さ5センチのコンクリートのドラム缶に入れられ、さらにそれをコンクリートで固めた二層にしたものだが、それを地下30メートルに埋め、最低300年保存するのだ。その費用は、1億8000万から5億クローナかかるといわれ、さらにリスウーの原子炉を完全に廃炉にする費用10億クローナがかかるため、この実験原子炉は非常に高額につく実験となったことになる。

この廃棄物に関して、社会民主党は現在、もともと原子力発電を持っていて処理施設を持つ外国に送る案を提出している(DRニュース、2011.5.5.)が、IAEAはその国が廃棄物を再利用する場合に限って、国外廃棄を許可しているようだ。1985年に脱原発を決意した裏にあった市民運動、そして25年以上も前の賢明な選択にもかかわらず今も残る放射能廃棄物処理問題。情報公開と市民の力という点で、日本への示唆もあるのではないか。
posted by Denjapaner at 20:20| Comment(2) | TrackBack(0) | 民主主義 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年05月03日

「赤」と「緑」は両立するのか

天気がよければ、公園に集合。各自ビールを持参すること。
そんな約束がされているかのように、集まったたくさんの人々。
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…実はこれは、メーデーの集まりだ。例年コペンハーゲンにあるFælledparkenに、左派政党や労働組合がテントを張って、仲間が集う。デンマークのメーデーの現実を取材?すべく、二つの仕事の合間だったが、数年ぶりにこの公園へ覗きにいってきた。特設中央ステージでは、党首の演説が行われたり、間にはバンドの音楽が演奏される。メーデーは、デンマーク語では「国際労働者闘争の日」という言い方がされる。(ちなみに、同様に3月8日もデンマーク語では「国際女性闘争の日」とされる。どちらも、「闘争Kamp」という言葉が使われ、「メーデー」「国際女性デー」といった穏やかさよりも、確実な攻撃性が感じられる。)

コペンハーゲンを初め、国内各地で同様の集まりがされている。天候に恵まれた今年のポスターに書かれたテーマは「民主主義、自由、安心」(日本へも通じる重要なテーマだ…)。
ポスター

すごい人出で、近くの駅では乗降も大変なくらいだ。気楽な格好をした若者たちが缶ビールをスーパーの袋に詰め、友達とピクニック気分でやってきていたり、子ども連れの家族がいたりする。駅からは何らかの旗を掲げたデモ隊らしき人たちも少しいたが、政治色はほとんど感じられない。

公園の特設舞台では、司会者が時折話をしているが、人々は熱心に耳を傾けるというほどではなく、勝手にのんびり陽差しを楽しんでいる感じだ。それでも「自由党・保守党連立政権下での最後のメーデーにしよう!!」と司会者が叫んだときには、喝采が飛んだ。少なくとも政権交代を望む点では、一致しているのだろう。だがこれだけ奔放な聴衆を前に、短いスローガン的なものは響いても、党首演説などでメッセージを届けるのは厳しいかもしれない。直接は聞くことができなかったが、当日の要人の演説内容が簡単にまとめられている(Information, 2011.5.2.)

・ハラルド・ボアスティン、LO議長「労働組合は、(金融)危機を乗り越えるための解決策をバックアップしている。今よりもう少し働くことで、子どもたちにまともでいい学校環境を整えることができる。また、親たちに価値のある老後を保障することができる。自分自身にとっても、病気になったり、仕事を失ったりといった不運なことが起こってもセーフティ・ネットがあり、あなたを助ける制度となるのだ」
・ヘレ・トーニング・シュミット、社会民主党党首「自由党保守党デンマーク国民党政権は、フリッツやポウル(テレビドラマでの明らかな上流階級の登場人物名)のように、物事を四角く考えている。恵まれた人たちがさらに働かせるには、減税だけが動機づけとなる。貧しい人たちは働くよう動機づけるのは、もっと貧しくなることだけだ。でも、私たちは貧困が就労への道にならないことを疑わない。その逆だ。貧困は人々を共同体から外へ出すことだ。まず最初にすることは、初期援助と生活保護の上限をなくすことだ。貧困はこの国にはあるべきではない。2011年にも、2020年にも。」(参考記事 選ばれし移民は去り、招かざる移民は周縁に
・ヴィリー・ソウンダール、社会人民党党首「デンマークの政治はもはや右も左も違わない、というのは『賢い』コメントだ。(だが)それは間違っている。そんな人たちに最短コースを実施するのを許してほしい:右派は銀行の頭取に減税を与え、教育費支出を削った。社会人民党は多国籍企業の税逃れを止め、ノンスキルの層に教育を受ける機会を与える。そこに、まさにそこに、青と赤の違いがある。」(青は保守・自由系の赤は左派リベラル系を指す。また、参考記事 高福祉の裏にある過酷な税徴収と「いたちごっこ」
・ヨハネ・シュミット・ニールセン、統一リスト政治部門スポークスマン(実質的には党代表だが、複数の党が集まっているため、こういった肩書きとなる。2007年から国会議員の彼女は、1984年生まれであることを特記したい)
「私たちは皆、外に出て行って友人や同僚、隣人や家族に、共同体や自由、互いへの責任といったものを削る必要がないのだと伝えなくてはならない。そしてどうやって国庫の穴を埋めるのかというのが政治的な選択であることも。」
・デニス・クリステンセン、FOA議長「すべての人の週労働時間を増やすということを言っているのではない。そうではなくて、賢明な解決策を見つけることを言っており、そのなかにはもっと働くことが魅力的だったり、納得のいくものとなることもあるのだ。」 (参考記事 「毎日12分長く働けば、経済成長を適えます」

特設ステージの脇にはスクリーンもあり、登壇者が映される。「デンマークを真剣に捉えよ!今はどんな具合?」というスローガンが描かれている。低技能者の職種別の労働組合のナショナルセンターであるLOが作ったものだ。これをググルと、Facebookと連動していて、「いても立ってもいられなくなる10の事実」が挙げられている。(情報ソースはそれぞれ上記リンクに載っている)

事実1:たった2年間で159,000の雇用が失われたこと。民間産業では7人に1人の雇用が失われ、南デンマークの広域連合(医療を所轄)では5人に1人が職を失った。
事実2:政府の税制改革(2010年1月実施)によって、LO組合員の平均的な家族は年間3,500クローナ(約6万円)の可処分所得を失い、さらにと経済再建パッケージ(「解雇天国」を下支えする、デンマークのフレキシキュリティの揺らぎ 参照)による福祉削減の影響を含めると、失われる可処分所得は年間で7,300クローナ(約10万円)にもなる。
事実3:2013年には、削減プランによってさらに6000人が貧困へ落とされることになり、学生を除くと2001年以降で貧困層は50%増加したことになる。
事実4:失業者が2年間で2倍に。現在、活性化中の人も含めると167,000人が失業。これに加えて、失業保険給付も生活保護も受けていないために数字に表れない失業者がさらに70,000人ほどいる。
事実5:過去10年間の減税が福祉削減につながっている。3回の税制改革と税ストップは520億クローナまで公共財政を緊縮させたが、こうした減税策がなければEUの収斂基準(経済再建パッケージの背景にある)も問題なく満たすことができていた。
事実6:7,386人の若者が実習受け入れ先がない。昨年よりもこの数は約6%多く、そのため若者は実習を受け入れてもらうための活動を必死でするか、進路を転換しなくてはならない。(参考記事 デンマークの職業教育・訓練を支える背景
事実7:政府の決定した公共支出の「ゼロ成長」は地域自治体の職員を10,000人削減することだ。高齢者の数も増えるなか、保育・高齢者福祉といった核になる福祉領域が削られる。(参考記事 介護や医療の領域に忍び寄る受益者負担
事実8:失業保険手当の給付期間は半分になる一方で、長期失業者の数は増大。いまや53,000人が長期失業者(注:1年以上失業していること)となっているが、最長給付期間が2年間へ半減され、権利保障は縮小している。(参考記事 74.5歳まで現役でいられますか
事実9:若者が何者にもならないで失われている。2010年までに95%が中等教育を修了するという目標は果たされないまま、いまや青年の20%が義務教育しか修了していないという事実に近づきつつある。専門教育を受けていない青年は、失業へとまっしぐらだ。(参考記事 実践経験での学びは理論学習に駆逐されるのか
事実10:1クラス当たりの生徒たちがどんどん増えている。1993年以降これほど1クラス当たりの生徒数が多かったことはなく、この傾向はどんどん強まっている。

人が集まれば、食べ物・飲み物が売れる。そんなお祭り感覚で、ソーセージ屋台やビール売り、タイ料理ファーストフードやピザ屋まで出ている。通りで売っているようなペルーやメキシコの物売りも便乗して出ている。公園の中で、新聞らしき物を勧めている人がいたのでくれというと、10クローナという。買ってみたら、「社会主義労働新聞」とある。国際社会主義者青年部というところが出しているらしい。

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その後、テントの一つに近づいてみると、そこでは別の新聞を無料でくれた。こちらは、「労働者」というもので、共産党が発行しているものだ。今なら3週間(?)無料購読できるキャンペーンをしていると誘われたが、まずは読んでからと断った。火曜日から土曜日までの週に5日間毎日刊行され、(ほぼ)日刊紙として成り立っているデンマーク随一の「赤い新聞」だ。この辺りのテントは赤い旗や中国・北朝鮮の旗を掲げていたり、共産党関連のコーナーのようだ。そばでは、レーニンの本など、「関連図書販売」コーナーもあった。


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5月1日をデンマーク語で言うと、デン・ファーステ・マイden første maj。この「マイ」という語が英語のMEに当たる語migと同じ音であることから、「私が一番først mig!」といったエゴイズムの蔓延を批判的に嘆く声ともに聞かれることも多い。当日のPolitiken紙の風刺画は、社会民主党党首ヘレ・トーニング(「社会主義者がグッチのバッグを持つなんて」と揶揄されるが、彼女は都市のインテリは左派であるという現代性を象徴するような若い女性の社会民主主義者だ)と社会人民党党首ヴィリー・ソウンダールが、赤い旗に映る自分の顔を見ているもので、秋の選挙に向けた有権者の自分への反応を気にしていることを描いたものだったが、似た絵は前にも見た記憶がある。個人主義は尊重される国でも、エゴイズムは忌避される。「共同体」と「連帯」がキーワードとなる、デンマークの赤ブロックで、ビールを飲みながらゆっくりと「自分第一になっていないか」と問いかける催しが、この年に一度のメーデーであるといえる。

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デンマーク人の友人は、私がメーデーの記事を書くことを冗談交じりに告げると、Fælledparkenでのこの集まりが大嫌いだといって、「赤は同時に緑にはなれない」と名言を残した。ビールを持って楽しんだ後、ゴミの散乱がひどいからという。確かに、臨時トイレの設置などもされていたが、昼間から園内で用を足す男性の姿なども見られ、ゴミの散乱もあわせるとそのマナーの悪さは想像がつく。大晦日の花火の狂乱の狼藉(郵便ポストにも花火を投げ込まれないように封鎖されるのが常識だ)もひどいものだが、こうしたところに「緑」(環境に優しい)と両立できない「赤」の狭量さがあるのかもしれない。(とはいっても、例えば統一リスト党の英語名は、Red-Green Allianceであり、環境へ対する配慮もあるはずなのだが)
posted by Denjapaner at 04:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 労働政策 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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