『週刊エコノミスト』3月1日号(2011年2月21日発売)の「導入難しい北欧型雇用モデル」という小さな特集(?)に、「自己責任の拡大で試される社会の“連帯”」と出した記事を書かせて頂きました。2011年元旦に首相が早期退職年金の廃止を宣言して以来、国内で大きな議論になっている、政府と労働組合側の「対決」について扱っています。
次号が発売されましたので、記事のもととなった原稿(実際の二倍くらい分量)を転載します。
試されるデンマーク労働運動の連帯デンマークでは、使用者にとっての弾力的な雇用flexibility(雇用hireと解雇fireが比較的容易)と雇用者にとっての安全網security(失業時の寛大な失業給付と職業教育・訓練)が基盤を作り、フレキシキュリティの語が1990年代から労働市場政策の基礎を築いてきた。失業者の就労能力を高めるための再教育訓練による活性化政策が注目されがちだが、それ以上に、在職者の技能維持・向上のための在職者訓練が労働市場教育(Arbejdsmarkedsuddannelser:AMU)と呼ばれて、積極的労働市場政策の重要な機能を担っている。
90年代の失業率が高かった時代に、国は失業者を積極的に労働訓練へ送り、職業技能を高めるための教育機会に投資した。こうした教育への投資を含んだ労働市場政策はデンマーク・モデルと呼ばれ、社会民主党政権下で確立した。これが2001年秋の自由党・保守党政権への交代から金融危機直前までの好景気と完全雇用の実現に弾みをつけたといわれている。
しかし、2008年秋の金融危機の影響はデンマークにも及び、リーマンショック以降、これまでに国内で18万4000の職が失われたとされる。フレキシキュリティのモデルは、好況時を前提として考えられており、今回のような世界的な不況下で適用されることを想定していない。失われた職のうち、低技能の仕事は景気が回復しても戻ってくる見込みは薄い。そこで職業訓練によって専門技能を向上させるか、別の領域で専門性を獲得しなおすことが求められるようになる。労働組合側と二大野党の社会民主党・社会人民党は、来るべき知識社会に対応した就労能力を労働者に習得させるため、とくに高等教育を受けていない層に対して積極的に予算を配分して職業訓練を受けさせることに積極的である。2011年秋に予定される国政選挙で政権交代が実現すれば、誰もに最低13年間の教育(10年間の義務教育と3年間の後期中等教育)を保障するよう拡大する見通しだ。
2001年に社会民主党が下野して以来、自由党・保守党政権が導入した市場原理に則ったツールにより、世界でも最も格差の少ない国とされているデンマークでも少しずつ格差が拡大してきている。雇用領域でも、公の責任領域は縮小し、歴史的に大きな力を持ってきた労働組合の影響力も弱体化させられてきている。
世界的恐慌にも関わらず、予定されていた2010年から税制改革による減税を断行した政府は税収減による緊縮財政のため、消極的労働市場政策による給付にも縮小を迫られた。そこで実施されたのが、失業手当の受給年限の短縮である。雇用保険加入者への失業手当の給付期間が、2010年7月からは最長四年間から二年間へと縮小された。そして二つ目がスウェーデンやノルウェーにも見られないデンマーク独自の制度、早期退職年金の廃止である。これは、失業率が高かった1979年に、高齢層から若年層へ労働人口をシフトさせる目的で導入されたもので、雇用保険と別に早期退職用基金に30年以上加入しており、まだ働けるにもかかわらず国民年金受給開始年齢(現在は65歳、段階的に67歳に引き上げ)前に早期退職する者に対して、最長五年間、最大で失業手当給付額の91%を支給するものである。労働市場からの引退を前提としているため、失業手当に準ずる給付を受けつつも、就労支援のための活性化政策に加わる必要はない。
この政策は、完全に体にガタがきてしまう前に退職し、孫や家族とゆっくりした時間を持ちたいと考えていたデンマーク人の希望に合致し、とくに低技能の体を使う職種の人々を中心として大きな支持を集めた。現在は12万人ほどが早期退職年金を受給しており、これは労働人口全体の4.5%に当たる。そのために、デンマーク人の労働市場からの引退年齢の平均は、61歳を少し超えたところに留まっている(同制度を持たないスウェーデンやノルウェーでは、それぞれ平均63.5歳、64歳となっている)。これに加えて、デンマークの若者は教育を修了するまでに時間をかけるため、労働市場に入るのが平均28.6歳と極めて遅い。これらの事実をあわせると、現在のデンマーク人は生涯に32年ほどしか就労していないことになる。労働市場委員会をはじめとする多くの専門家が、これでは国の財源がもたないとして、若者に対する学業修了を推奨すると同時に、早期退職年金の撤廃を勧告してきた。同年金は国庫へ毎年160億クローナ(約2560億円)の負担を強いている。しかし、すでに基金には110万人が払い込んでいることもあり、この改革に手をつけることは多くの有権者からの不支持に直結しかねず、保守・革新どちらの政党にとっても大きなタブーとなってきた。
それがついに2011年1月、ラスムセン首相が
年始のスピーチ(下記ビデオ参照)で、早期年金の段階的撤廃を宣言したため、国内では大きな議論が巻き起こった。政府は、このままでは高福祉を守る財源がないとし、今後のさらなる平均寿命の延びとそれを支える労働力不足を見越して、高齢者を含めた誰もが働き、納税することによって福祉を守ると主張する。早期退職年金の撤廃は、国民年金の受給開始年齢とも関わってくるため、それにも着手することが決められた。2006年の「福祉協定」において、国民年金受給年齢は2024年から段階的に67歳に引き上げることが決まっていたが、この予定を早め、すでに2019年から実施して68.5歳まで引き上げることが提案されている。これが成立すれば、例えば77年生まれの私は今後ずっとここで働いたとしても70.5歳になるまで、2011年生まれの新生児は74.5歳になるまで国民年金を受け取れなくなり、デンマークはヨーロッパでも最も引退年齢の高い国となる。LOのHPに
年金受給年齢の計算機が掲載されている。自分の誕生日と働き始めた年齢を入れると、自動的に計算される仕組みだ。
2010年12月のデータでは、国内の失業者は16万2000人にまで増えており、失業率は6.1%である。ここで60歳以上の高齢者を労働市場に留めることは、さらなる失業を増やすことにつながりうる。現在、早期退職年金を受給している人の多くが建築現場や介護といった低技能で、体を使う職についていたものである。もともと高くない賃金だったために、最大で失業手当の91%という給付額を抵抗なく受け入れ、腰の痛みといった多少の不具合が出始めた体を休めるために早期退職をしている。その一方で、大学教育を受けたような高所得者は、賃金も高いため、早期退職せずに働き続けることが多い。現行政権の政策もあり、教育程度と健康状態、医療へのアクセスは関連を深めており、低技能労働者の平均寿命は高学歴の労働者よりも短いというデータがある。
2010年の税制改革によって減税の大きな恩恵を受けたのは高所得層であり、低所得の低技能労働者に対する減税は限定的だった。高所得層に対する減税によって福祉予算が削られるようになり、そのしわ寄せが低技能労働者の人生終盤の豊かな引退人生を取り消す形で断行されようとしていることに、大きな不満が高まった。失業を解消するために必要なのは教育であり、再教育を助けるための資金であるというのが労働組合側の主張である。
そのため労働組合側は、何としても早期退職年金を守ると大きなキャンペーンを張り始めた。低技能労働者の労働組合のナショナルセンターであるLOは、「71歳になってまだ、一日に600個のレンガを積むことができますか(レンガ工)」、「71歳になってまだ、一日24件を訪ねられますか(ホームヘルパー)」とキャッチコピーをつけたポスターを作製し、世論を喚起した。2月には職域を超えて国内全土の労働組合の職場代表を集めた会議を開き、5000人の職場代表が集まるという史上まれな労働者の連帯運動が始まっている。
2月初めには、国内各地で早期退職年金撤廃に反対するストライキが行われている。昨年秋に、フランスで年金受給年齢の引き上げ決定が若者のストライキを巻き起こしたように、デンマークでも多くの労働者が職域を超え、連帯して労働者の福祉を守ろうとしている。社会的弱者に対しても生活の質を保障するために、社会全体で支えていこうとしたこれまでの連帯の原則が、福祉に依存する「お荷物」を自分が支える必要はないという個人主義的な経済自由主義の自己責任原則に押されてきており、社会の連帯が再び試される時期に来ている。
posted by Denjapaner at 12:55|
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