デンマークにおける伝統的な労働移民の歴史は、1960年代に始まっている。当時の西ドイツなどのヨーロッパ諸国に続いて、深刻な労働力不足を解消するためデンマークでも60年代、70年代から積極的に外国人労働者をゲスト労働者として受け入れてきた。労働力の供給がまかなわれるようになったら「ありがとう」と手を振って国に帰すつもりだったトルコ人らは家族を呼び寄せ、デンマークで子どもを産み育て、移民第二世代、第三世代が「デンマーク以外の民族的背景をもつ」カテゴリーで、社会問題などを扱った議論にもしばしば登場している。
そして現代の労働移民は、EUの拡大及びグローバリゼーションに伴ったものである。ポーランドやルーマニアなど、東ヨーロッパの賃金水準の低い国からの比較的低技能の職従事するケース、スペインなど南ヨーロッパの若者の失業率の高い国出身の若者が学位交換プログラムによってデンマークで限られた期間学生生活をした後、その後デンマークで技能職を得て留まるケースなどである。あるいはフィリピンから「出稼ぎ」にくるオペアの若者も数としては多いが、オペアは文化交換体験であり、労働ではないという公式見解があるため、労働移民には該当しない。
デンマークで働く外国人の従事する典型的な業種は、製造業(17,374人)、旅行業・清掃業など操業サービス(14,500人)、貿易(12,000人)、保健・社会福祉関係(11,926人)、輸送業(10,071人)、農業・林業・水産業(9,474人)、ホテル・飲食業(9,040人)である(2011年から2014年で1月から9月のフルタイム就労で換算した場合。DR.DKより)
109,000人のデンマーク人が仕事がなく、失業保険や生活保護といった国からの福祉手当を受けながら生活する一方で、123,000人分のフルタイムの職が外国人労働者に占められている現状。そこで、「外国人労働者を母国に送り返して、彼らの職にデンマーク人の失業者が就けば、大団円になる」という仮説の下に、デンマーク人失業者に外国人が多くを占める職で1週間体験させ、本人と使用者が互いに満足すれば雇用契約をするという実験をまとめた、「ガイジンが消えた日」という短編ドキュメンタリーが放映された。
2回に分けて放映された番組では、11人のデンマーク人失業者がそれぞれ、ホテルでのルームメイキング、工場での単純作業、農場でのレタス収穫・梱包といった職にチャレンジする。それぞれの職場の使用者は、意図せざるにせよ職場がいかに外国人労働者に依存したものとなっているかを口々に述べる。「外国人労働者がいなくなったら、廃業する」「彼らの労働道徳観はデンマーク人と違っていて、モチベーションが高い」。「こうした仕事に単純にデンマーク人が応募してこないだけで、デンマーク人でも能力がある人なら雇いたい」というケースもあれば、「デンマーク人は約束通り仕事に来るのか信頼に足りないことが多いから、むしろ外国人の方が安定的で助かる」といった回答もあった。
それらを証明するように、ホテルのルームメイキングをするルーマニア人の若い女性たちは、時給115DKKを稼ぎ出すためにものすごいスピードで1時間当たり3室を整えていく。結果に応じての賃金のため、のんびりしているとほとんど収入にならない。ルーマニア人メイドのリーダーを務める女性は、「軍隊にいるようなものだと思ってやらなきゃ」と細かく清掃やベッドメイキング質の管理をしながらも作業をさっさと進める。「倍速再生しているわけではありません」と画面に注が入るようなスピードで清掃をこなすルーマニア人たち。それを真似ようとするデンマーク人の3人の女性たちは不平たらたら、ヘロヘロになりながら作業をする。結局、一人は数日して腰が痛くて体がもたないと諦め、もう一人は自分にはこの仕事には向かない、自分が本来教育を受けた保育士として働きたいと悟り、最後の一人は使用者から見込みありと週25時間の保証付きの雇用契約を提示されたものの、結局「これだけストレスフルな現場で頑張って現在の福祉手当よりも低い給与では割に合わない」と辞退。

第1回のほかの三人のうち、二人は約束の時間になっても連絡をせずに来なかった(1日目)り、3時間無断で遅刻して謝罪の言葉もなかったり(2日目)といった具合で、使用者が安定的にノルマを計画しても無責任な態度でそれらを果たすのが難しいことがあることが明らかになった。きちんとした勤務態度で、実験終了後に雇用契約を提示された残りの一人は、「ここで働くのは悪くないけれど、今受給している福祉手当と比較して、フルタイムで就労した場合との賃金の差は、月額でたった2000DKK(約37000円)ほど。それだったら割に合わないので辞退したい」との返答。番組放映後のラジオなどでのディベート番組でも、先述のルームメイキングの女性とこの工場労働者の男性が現在受給する福祉手当と比較して、割に合わないために仕事のオファーをもらったにも拘らず辞退したことが大きく取り上げられている印象だった。
第2回目は、レタスの収穫と梱包をする二人の女性と、ドイツとの国境のデンマークの町の工場で働く男性二人を題材にしている。レタスの収穫は、作業の速度や効率はまだ熟練外国人には及ばないものの、まあまあうまくいっている。しかし数日後、うちの一人がまたもや腰の痛みでギブアップ。本人には理解を示したものの、あとで「誰だって最初は腰くらい痛くなるけれど、1、2週間もやってルーティーンになれば大丈夫なものなのにね」と、少し辛いとすぐに根を上げるこらえ性のないデンマーク人をチクリ。もう一人は1週間無事にやり遂げたが、結局季節労働の現場であり、この収穫シーズンが終わると仕事はないので、雇用契約とはならなかった。
ドイツとの国境に近い町の工場で働き始めた男性二人は、デンマークであるにもかかわらず、働くのはドイツ人労働者ばかり、仕事中の説明もすべてドイツ語、昼休みにもドイツ語ラジオを聴く人、ドイツ語タブロイド紙を読む人とドイツ語づくめ。独りはドイツ語が得意なため、自然になじみ、生き生きと仕事をして、あっさり雇用契約につながった。もう一人のドイツ語の苦手な男性は、「デンマーク人のためのデンマークだろう!」と息巻き、唯一デンマーク語を理解するドイツ人と少しコミュニケーションをとるくらいで、ドイツ語攻勢に辟易している。それでも、タトゥーを入れた4児の父は正規の職が欲しいと頑張る。一週間後、この研修期間が終わり上司が近づいてくると、あえてそっけない口調で「何の用?」などと強がるが、採用を考えてもいいといわれると、「ぜひ働きたい」とはっきりと喜びを口にし、握手の代わりにハグをして感激をあらわにする。「今夜は妻を映画館に誘おう!」と喜ぶ姿は、労働に従事し、給料を手にして家族を支えるという人間本来のシンプルな願望の充足の意味を考えさせられた。
正直、失業者といっても日本の「貧困」と比べると、「福祉で生きている惨め」といっていても、何人も子どもがいて一戸建ての家に住んでいたり、緊迫した雰囲気は感じられない。この数年で求職書類をこれだけ出したが、全然面接に呼ばれない」といった恨み節がきかれるだけだ。もうじき(2年間の受給上限の)失業手当が切れてしまい、そのあとの生きるすべは生活保護しかない。(より額面の大きい)失業保険の再受給権を得るためには12か月働かなければならないので、この実験に参加した」という女性もいた。この女性は一人で子どもを育てているが、「息子は私が家にいるのがうれしいし」と、いわば失業保険を受給し続けることを目標として、今働きたがっているのだ。
結局、福祉から就労に繋がったケースはこの工場の二人の男性のみで、実験の成功率は18%。研修受け入れ先にあいさつに行ったものの、第一日目から現れさえしなかった人も二人いた。この実験から、外国人を「取り除いて」も本人たちの就労への十分な動機づけがなければ難しいことが指摘された。この「動機づけ」には、(番組製作者側の伝えたい議論材料である)福祉手当と実質手取り賃金の差を十分に大きくすることも含まれるが、それだけではなく、長いこと福祉の恩恵を受けてそれを所与のものとしている層に対して、怠け心への克己心や仕事に対する責任感といった価値を理解させることも含まれるように思われる。「低賃金できつい労働にはデンマーク人は応募してこない」という使用者の言葉、仕事のオファーをもらっても「割に合わないから」と福祉受給に留まる選択を許す余地のある制度(但し、正確には失業手当を管理している失業保険基金が、失業者の就業努力に目を配り、フルタイムの仕事を提案された場合には本人は選択の余地なく受けなくてはならない、とされているため、原則と現実のギャップというのが正しいだろう)は改善の余地があるだろう。
経済状況の悪化や産業構造の変化によって、取りこぼされる人々が増えてきている今、セーフティーネットは重要性を増している。しかしそれと同時に、受け身の福祉が労働市場への復帰という本来の目標につながりにくい者となっていることにも目を向ける必要があるだろう。そのための失業者を積極的な「求職者」にする動機づけについても考える余地があることを明らかにした番組だった。